6 金神除祈願

 白い布をかけ、小さな仏像やかねの器、蝋燭ろうそくなどを並べた台の前に座った先輩は、様々ないんを結び、護身のための真言しんごんをいくつか唱える。

 それから、香水こうずいや塩で身を清め、お米やはすの花をかたどった色紙をいて場を清めたりしたあと、おもむろに呪文を唱え始めた。

 大金剛輪だいこんごうりんという、罪障などを取り除くことを祈願するためのものだ。


曩莫ノウマク  迦喃キャナン……オン  作訖シャキャ…………」


 狭い部屋に満ちるセクシーな美声の響きに、先輩の後ろに並んで座る二人が、圧倒されつつも引き込まれていくのを、僕は傍らから眺めやる。


 しかし、こんな大声でお経上げたりして大丈夫なのか。

 ウルサイとか、クレーム来るんじゃ。

 まあ、夏休み前の平日の昼間だし、みんな留守かもしれないけど。

 そういえば、ここの住民で、最近亡くなった人もいるんだっけ。

 別の場所で亡くなったからか、特に何も感じなかったな。


 そんなことを取り留めもなく考えるうち、別のお経が始まった。


しゅしゃくじょう 當願衆とうがんしゅじょう 設大せつだい……しょうじょうしん 養三宝ようさんぼう ほっしょうじょうしん 養三宝ようさんぼう がんしょうじょうしん 養三宝ようさんぼう…………」


 経文を唱えながら、先輩は短い棒の先に金属の輪がたくさん付いた法具を手に取り、シャラシャラと音を鳴らす。

 あれは、お地蔵さんやお坊さんなんかが持ってるしゃくじょうの柄を短くしたもので、このお経も錫杖経といい、確か、魔障などを祓う効果があったはずだ。


 続けて、般若心はんにゃしんぎょうを読み始めた先輩の姿が、だんだん本物のお坊さんに思えてきた。

 あの格好と立ち込めるお香と、滔々とうとうと流れる絶妙なお経のせいだとわかってはいるが、なんか変な感じがする。


「…………掲諦掲諦ぎゃてぃぎゃてぃ 掲諦ぎゃてぃ 僧掲諦そうぎゃてぃ ぼうそわ 般若心はんにゃしんぎょう


 般若心経が余韻を残して終わると、次はいよいよ金神の祟りを無にする願文がんもん

 先輩は、より一層声を張り上げる。


南光なんこうみょう天王てんのう ボロン ソワカ

 一切日皆善いっさいじつかいぜん 一切いっさい宿しゅく皆賢かいけん 諸仏皆しょぶつかいとく 漢皆断漏かんかいだんろう じょう実言じつごん がんじょうきっしょう めい三界さんがいじょう 十方空じっぽうくう 本来ほんらい東西とうざい しょ南北なんぼく


 さらに、かんおんさつ霊験れいげんうたった観音かんのん経のもんさいしょうの陀羅尼といわれるぶっちょうそんしょう陀羅尼、由縁ある神仏の真言やこうみょう真言を唱えて、金神除けを祈願し、長い儀式はようやく終わりを迎える。


たてさまに 横さまに かどちがい 縦横無尽に アビラウンケン」


 最後の呪文まで、淀みなく唱え終えた先輩は、やや疲れた様子で、二人へ向き直った。


「これで、金神の祟りは無化されました。もう、大丈夫。何の心配もありませんから、ご安心下さい」


 しつこいくらい何度も、大丈夫だと繰り返す。


「もし何か、奇妙な音がしたとしたら、それは神仏の加護が働いている証です。悪いモノをやっつけているのです。よろしいですね?」

「はい。本当にありがとうございました」


 夢から醒めたように我に返った彼女は、先輩へ丁寧に礼をする。

 ヤツも心なしか目を潤ませ、彼女とともに頭を下げた。


「よかったな、シオ。これで安心して眠れる」

「うん。ありがと」


 慰め合う二人を一瞥して立ち上がった先輩が、そのまま部屋から出て行くのを見て、僕も慌てて後を追う。


「ちょっと、どこ行くんですか?」

「隣の様子見や。オマエはここ片しとき。それと、彼女に聞いといてんか。金神の噂、誰から聞いたんか、詳しく」


 先輩が行ってしまい、カップルの元に取り残された僕は、一人黙々と片付けを始める。

 「手伝います」と、ヤツより先にいってくれた心優しい彼女に、頼まれたことを尋ねると、彼女はあっさり答えをくれた。


「それなら、サナちゃんからよ」

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