バー"ソーフィア"の不思議な夜噺

ひやニキ

思い、花に込めて

 17時。今時珍しいローマ数字が用いられた古時計が指し示す。

 「さぁ、今日もお店を開くとしましょう。ソーフィア、開店です。」

毛量と艶のある黒髪を綺麗にまとめ、紳士的な燕尾服を着た男「平塚智有希ひらつか ともゆき」は手短に言うと、クラシック調の店内音楽をかける。そのいで立ち振る舞いはまるで18世紀の英国貴族に仕える執事のようだ。

 ここはバー「ソーフィア」。東京町屋駅から徒歩5~10分の距離にある小さなバー。飲食については飲み物は並一通りながら変わった料理やおつまみが出る。

空間はあまり広くない。テーブルは3席、カウンターは4席、それを彩る様に内装は中世ヨーロッパ風を装った木目の家具や、レンガの壁で構成されており、それをほんのりとした温かい色と光度のシャンデリアがそっと照らす。

なお店名の「ソーフィア」とはギリシャ語で「智慧」を意味し、場合によっては牛の頭を持つ知恵の女神として扱われる「ソピアー」から名づけられている。大層な名前のこの店は絶えるわけではないが決して多いわけではない。なので店員もマスターと従業員が一人の、二人で切り盛りしている。

 「お疲れ様でぇーす!」

店の奥からスチームパンクファッションに身を包んだもう一人の従業員がきらきらとした明るい声をあげ挨拶と共に出てくる。出てくるとともに少女、「緋乃京子ひのきょうこ」はホールをぴょんぴょん跳ねるように動いてはテーブルを拭いて片づけて回る。

智有希は彼女の動きを見ているといつもげっ歯類や兎など、小型の活発な小動物を思い出す。

一通りやり終えると智有希の前に飛び出る。

 「マスタぁ!今日は!やることないですか!ご予約のお客様も常連さんの気配もナシですか!」

今日は週の真ん中水曜日。京子は仕事をしたいのだろうが、生憎人は来るかと言われたら怪しい。彼女のパワーと熱意を持て余すことになりそうだ。

 「京子さん、意欲はあるところ大変申し訳ないのですが、見ての通り。今日は平日もど真ん中ですし、お仕事は暇になりそうですねぇ。」

落ち着きはらい、深いゆっくりした低音の声で丁寧に返答する。

 「えー、つまんないの~。マスターがキチンと広告しないから私がお店のサイトもSNSも更新してるのに。」

文句をいいながらバーカウンターに引っ込み、ノートPCを開く。クラシカルな服装と最新機器の対比が非常に不釣り合いな情景に映る。

ノートPCを開くと同時に、店のドアがキィ、と音を立てながら開き、部屋の空気とじめっと湿った外気が交じり合う。

 「すいません、やっていますか?」

黒のスーツパンツに、白のシャツと深黒のジャケットを着た、身なりの良い男が包みを片手に扉に手をかけて立っていた。本日のお客様第一号である。

 「いらっしゃいませ、お客様。今まさに開店した直後でございます。元気な看板娘もやる気に満ち満ちておりましたとこ、タイミングの良いご来店ありがとうございます。どうぞ、こちらのバーカウンターへ」

 智有希は笑顔で頭を下げながら、応対する。席に座ったことを確認するなり、後ろでわくわくしていた京子は、巣穴から飛び出すネズミのように颯爽とお通しのナッツを出しながら接客を開始する。

 「こちらお通しです!お酒、何飲みます?どういうのがお好きでーすか?」

大きくくりっとした目が、20半ばだろうか、その青年に向けられる。

 「あぁ、そうだねぇ。モヒートを1つ」

 「ありがとうございますぅ!マスター、モヒートだって!」

大声でオーダーを繰り返す。本当に体力が有り余っているようだ、そんなに大声で言わなくても智有希の耳には届いており、既に作り始めている。

香りのよいハーブの匂いがフロアに漂い、温い木の匂いの充満する部屋をしっとりと緑に染めていく。

 「どうぞ、こちらモヒートです。香りが上品なこちらのお酒を頼まれるお客様はきっととても奥ゆかしいのかもしれませんね。さて、今日はどうしてこのお店へ?」

軽いお世辞を挟むのは専らバーテンとしての常套句だ。

 「いえ、ちょっと懐かしい場所へ足を伸ばした帰りにお酒が欲しくなりまして。偶々通りかかって飲みに来たのです。ネットで見てお店の雰囲気も良さそうだったので。」

 「あっ、見てくれたんですか!?あれ私が写真撮って使ってるんですよ!えへへへ、どうです、らしい雰囲気漂ってますよね?」

勝手に写真まで褒められたと拡大解釈をし、京子は一人上機嫌だ。ここまで楽観的に生きていけるならきっと幸せなのだろう、と頭の片隅で智有希はそっとつぶやく。

 「有難う御座います、お店の内装や写りをお褒め頂けるとは光栄です。」

いえ本当素晴らしい、と言いながら男は内装を見渡し一寸窓の外を凝視した。

何かと思い外を見る。どうやら雨が降り出したようだ。

 「おや、先ほどまで天気が良かったのに雨が降ってしまいましたね」

 「え、あぁ。そうですね。夜に降るとは予報で聞きましたが思ったより早かったですね。」

 「家は遠いのですか?雨に濡れてしまいますと風邪をひかれますよ」

 「ご心配なく、お隣北千住なのでそこまで心配することでも御座いません。」

気遣いに返答する笑顔は作り物のような、そんなぎこちなさを含んでいた。


 一杯目を飲み切る間にゆるりゆるりと一口ごとに彼の素性を聞き出した。

彼は大城博紀おおき ひろのり、28歳。小さいころは町屋に住み、現在は北千住で一人暮らしをしているそうだ。

仕事は自社内でシステム系を扱っており、自社のデータやサイトの更改を行うのが主な業務とのこと。今日この町屋に来たのは高校時代の親友が亡くなった10周忌のためらしい。

 「当時亡くなった彼、染谷大希そめや だいきは自分にとって幼馴染であり、親友であり、そしてライバルでした。何をするにも自分たち3人で一緒に遊んでいたので彼を喪った悲しみは当時とても大きかったです。未だ内心引きずる部分があるのも確かなことですから、相当なショックだったんだと思います」

智有希の隣で座ってノートPCをいじる京子がピンと背筋を伸ばして身を乗り出す。

 「3人?と、言うことはもう一人いたのでありますか?」

 「あぁ、自分と大希の他に上柵真由子うえさく まゆこって女の子がいてね、丁度君みたいな特徴的なおっきい目をしていたよ。」

可愛いなんて照れますぅ、なんて言われてもいないことで舞い上がる京子を無視しつつ智有希は黙って話を聞く。

 「小さい頃からいつも遊ぶ時は一緒でねぇ、ガキみたいなことをしては真由子に怒られるのが僕らの常だった。テストも毎回自分と大希は僅差ならば同じ野球部でもレギュラーの座を争ってたものだよ。お恥ずかしい話、毎回ではないけど、大方大希が勝つのがパターンではあったけどね」

苦い笑いを含ませつつ、頬をかく。いかにも少年の日を思い出しては恥ずかし気に話す男の顔は懐旧と微細な影が香り立つ。

 「文字通りの親友兼ライバル。まさに輝かしい青春時代ではないですか。わたくしも、斯様な学生時代を過ごしてみたかったものです。」

 「あははは、有難う。でもそんな楽しい毎日にもある日終わりが突然来ました。今日のように蒸し暑い日だった。野球部の合宿で、群馬の山奥に行った時、大希の提案で私を含む部員4人で夜に抜け出して蛍を見に行くことにしたのです。

ところが都会育ちは道があっても山の歩き方なんて慣れてなくてね。みんな散りじりになってしまいました。

蛍のいる滝まで一人着いてはみたものの自分の声だけが返ってくるだけ。誰もいない怖さから私は来た道を引き返して宿へと帰りました。

 朝になってみると私と他の二人は宿にいたけど、大希だけが見当たらない。

先生も自分たちのことを叱るような心の余裕もなくてね、山を総出で探したんだけど、結局見つからなかったんです。

自分があの時大希を止めていればこんな結末にはならなかった。その時そう強く思いましたね。

後日、大希は川の下流で遺体となって発見されました。私は半身を失ったような感覚で生きた心地はしませんでしたし、真由子はずっと泣いていました。」

 先ほどまで懐旧の色をした男の顔はみるみると苦くて重い回想によって暗い色へと塗り替えられていく。

 「それはそれは、とてもお辛い思いをされたでしょう。私も同窓生をバイク事故で失っただけでも胸の苦しくなる思いをした経験があります。きっと大城様の辛さは想像に絶する程であったことでしょう」

と、感傷的な表情をする下で、こっそりと隣で目をウルウルとさせ泣きそうになりな京子の手の甲をトントンと叩く。これは「いつもの合図」だ。

合図を受けて京子はノートPCに向かいなおすと何かを調べ始めた。

 「それから時を経て今日が10周忌。あの時以来少しづつ疎遠になった真由子にも会えたし、当時を忍んでからここへ来た。という訳です。」

 「そうでございましたか。ところで、その小さな包みは一体なんでございましょうか。」

智有希はずっと気になっていた彼の持つ包みを指さす。

 「これですか?これは・・・実を言うと最近ここ1週間ほどで差出人不明で花が送られてきまして。身に危険を感じて朝警察に届け出たのですがなにも怪しくないということで・・・。マスターさんは何か分かりますか?」

 手短に呟きながら、大城は窓の外に目をやり、次に包みを開けた。すると中からは透明な袋に入った3つの花が出てきた。一つは白の小さい星形の花が集まっており、一つは薄紫で釣鐘状の花だ。

そして最後は

 「あっ、私。それ知ってます、クローバーですよね。可愛い~丁寧に腕輪型に編んでありますね!」

無邪気な声で目を輝かせながらクローバーの腕輪を見る。

 「そう、クローバーなんだ。あとの二つはあまり見かけない花でね。何故こんなものが突然送られてきたのか、心当たりがないんだ。」

 「少しよろしいですか?」

そう言うと智有希は三つの小袋をカウンター越しに手に取る。赤のリボンで口が締められており可愛い小袋だ。しかし、その瞬間細くて切れ長の目の奥でゆらりと何かが蠢く。

 「大城様。失礼かとは思いますが、先ほどの学生時代のお話について気になることをご質問してもよろしいでしょうか。」

さっきより智有希の声は冷たく感じられる。それはまるでナイフのように重く鋭く冷たさを孕んでいる。

 「だ、いじょうぶですが、どうかされましたか。」

 「では失礼。もしかして、貴方と大希様は真由子様に恋心を抱いていたのではないですか?」

 カチ、と大城の顔が強張っていく音が聞こえそうだ。その位直ぐに彼の挙動は固くなった

 「・・・嘘偽りなく言うならば自分は抱いてました。しかし、彼がどう想っていたかは今となっては分かりかねますね。」

 「そうですか、それでは『逆』はどうだったのでしょうか。これは私の勘なのですが、ひょっとすると真由子様は大希様のことを想っていらっしゃったのではないですか?」

 「な、何を勝手なことを・・・酷く人の話を邪推し過ぎては」

智有希はここで言葉を遮る。

 「では、何故。大希様を

殺してしまわれたのですか。」

 止まる。凡てが。物音はプレーヤーから流れる音楽とざぁざぁ聞こえる雨音だけとなった。

 「マ、マスターあなたは客を。客を殺人者呼ばわりするんですか。失礼な方だ!話を聞いただけで。勝手に」

大城は勢い良く立ち上がった。声はやけに震え、唇が怒りでがくがくとしている。

 「じゃあ警察に届け出たのは、『身に危険がある』と仰ったのは何故ですか。なにか思い当たる節でもおありなのではないですか?そしてそれが大希様の死と関係があると思われたのでは、ないですか?

否、それだけではない。懐かしくお話をされてる時、

『自分があの時大希を止めていればこんな結末にはならなかった』と発言された。いささか深読みし過ぎではありますが、蛍を見に行った夜、お二人はふとした切欠で言い争いになられたのではないですか?」

 大城の顔が真っ赤を通り越し、段々と青ざめてきている。彼の心臓が早鐘を打つ音が、部屋に響き渡りそうである。その位はっきりと脈打ちながら動揺しているのは明白だ。

 「あっ、マスターあったよん。10年前群馬県で起きた高校野球部の合宿にて死亡事件。『被害者は死ぬ前に石で後頭部を割れている、また死因は溺死であることから、滝に落ち流された際後頭部を激流でぶつけそのまま溺死とみられる。胃の内容物には野イチゴや野草が見られた。』だって。」

さっき出した「いつもの合図」の意図はこれだ。なにか急に調べてもらいたい時はさっぱり最新機器に疎い智有希に代わって、京子が調べることになっている。

 「有難う、京子サン。さて今の御話を踏まえると。私の考える殺人の流れは次の通りです。

山の中でふとしたことで口論になったお二人。スキをついて手近な大石で大希様の頭に一撃を加え『殺してしまった』。ころすつもりまでなかった貴方は大希様を山中に放置、逃走。

しかし、大希様は生きていた。一晩の間野イチゴや野草を食べて凌いでいたのです。

次の日山を捜索することが決まるといの一番に口論になった場所へ駆けつける大城様。

そこには大希様の姿はなかったものの、血の跡を追い見つけると。

貴方は

滝壺へ

大希様を

投げ込んだ。

あとは血痕のついた土を処理し、大石を滝壺に投げ全てを終えた。

何か間違ったところがあるなら、どうぞ。ご指摘ください。」

 「マスター。あんた適当なことばかり・・・。気分が悪い、話をした俺が馬鹿だった!帰る、金は適当に置いていく!」

財布の中の千円札を数枚取り出すと、彼は足早に雨の街中に消えていった。

 「おやおや・・・これではお代金が足りないようですね。」

智有希は眉を八の字にしてしょげる。その様子に呆れながら京子は

 「マスターあ、落ち込んでる場合じゃないよ!あの人怪しいって!捕まえて警察いこ!」

と、思い切りまくし立てる。

 「京子サン、その必要はありません。彼は・・・じきに真由子さんに殺されることでしょう。今日お会いしたとも言ってたし、逃げるのは難しいでしょう。」

京子はキョトンとする。どうしてそんなことが分かるのかと言いたげなその顔は、例えば一瞬前までじゃれつき遊んでいた風船が見事己の爪で破裂し、音と消失に心底驚いた猫のような顔つきである。

 「はぁ、解説しましょう。あの贈り物の3つの花々を見ましたね?

最初の一つ、星形の小さい花は高山植物の『ヘーベ』という花です。この花は少し変わっていて雌しべ一つ、雄しべ二つという構成です。ところがご丁寧にも、全ての花の小さな雄しべが片方抜かれ、片方折れていました。どういう真意かは分かりかねますが、恐らく雌しべを真由子さん、抜かれた雄しべが大希様、折れている雄しべは大城様でしょう。」

 ふぇ、と話を聞いていた京子が小さい声をあげた。口はポカンと開き、八重歯が覗く。

 「二つ目、釣鐘状の紫の花は『ホタルブクロ』です。これは昔子供が花の中に蛍を入れて遊んだことに由来するのですが・・・意味するところは名前通りでしょう。蛍を見に行った時、殺したことを告発してるのでしょうか。」

 「で、でもでもマスター?三つ目のクローバーの腕輪は?私、小さい頃の記憶だと、クローバーって幸運とかの象徴って感じで・・・、とても悪いものには思えないです!」

文字通りムムッという効果音が漫画だったら浮かびそうな顔だ。両手もこぶしを作りながら胸の前にかざす、古典的な女の子の怒りポーズをしている辺りあざとい。

そのあざとさたるや、並みの男性ならペットをついなだめてよしよししたくなるような感情すら発露させそうだ。

智有希はなれた調子で言葉を淡々と返す。

 「京子サン、クローバーの別の花言葉を知っていますか?クローバーはですね、『復讐』の意味を持つ花なのですよ。そして四葉のクローバーには『十字架』つまり罪人や処刑に通じる暗喩も込められてるのですよ。


さぁ、これらの要素を素にして。

一杯のカクテルの完成です。

あるところにいた二人の男と一人の女。男達は蛍を見るため抜け出した夜、恋愛感情のもつれから、凶行に発展。内容は恐らく先ほど述べた通りでしょう。

時を経て、事故と思われた事件の真相を掴んだ真由子様はその罪の粛清のため復讐を企てる。復讐のメッセージを、花に込めて。

と、言うのが大まかな流れでしょう。あぁ、窓の外を頻りに見てたのも今思えば雨を気にしていた訳ではなく、警戒心で落ち着かなかったのですね。

罪の自覚もあった、という訳ですねぇ・・・。」

勝手に納得をしながら智有希は話し終える。解説を終えた彼は淡々とカウンターに残されたグラスを、まるで今日も平常運転なにも無かったかのように洗って片づける。

カランカラン。扉が鳴る。また何人かの客が入店してたようだ。

 「はい、いらっしゃいませ。さぁ京子サン、今日も閉店まで頑張りますか。」

二人は客を出迎えた。今日も色々な噺がこの西洋的なクラシック空間に飛び交い、酒がふるまわれるのだろう。


後日。大城博紀が行方不明になったと、テレビの薄い液晶が淡々と述べるのを二人は聞いた。

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バー"ソーフィア"の不思議な夜噺 ひやニキ @byakko_yun

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