第3話
翌日。リネッタとジューザは、学園都市の一角、服屋が建ち並ぶ通りにいた。
「あなた、お金は持ってるのよね?」
「は、はい、服を買うくらいなら余裕です。両親も召喚士ですから裕福ですし、お金はたくさん持たせてくれているので……」
「あら、良かった。貧乏っちい格好してるから心配だったのよ」
本気とも冗談ともつかない口調でそう言って、ジューザは道行く人のファッションと、店頭に並ぶ服を観察していく。リネッタとの接続がある限り、文字は読めるはずだから、値札は問題なく理解できているはずだ。
「そうね……とりあえず、ここに入りましょうか」
「ええっ!? こ、こんなところに入れるような服じゃないですよっ」
「うるさいわね! 服を買いに行くための服がない、なんて言ってたら、一生かわいい服は買えないのよっ! それにあなたの場合、それくらいの格好で充分なのよ、ホントに初心者なんだって分かったほうがマシだわ!」
リネッタの腕をぐいぐいと引いて、ジューザは色とりどりの服が並ぶ小さな店へと入っていく。いかにも洗濯がしづらそうで邪魔くさい、リネッタがまず着ないような服ばかりが並んでいる店だ。
「たくさんは買わなくていいの。どうせ続かないでしょ? とりあえず一張羅を揃えるわよ」
「あ、あのう、何のために……」
「試験で着るに決まってんでしょ! せめて昨日のアシュレイちゃんよりは可愛くしなくちゃダメよっ!」
「で、でも、私なんかがそんな……」
「お黙り!」
ジューザは服を取ってはリネッタの身体に当て、ああでもないこうでもない、とつぶやきながら、やがて数着の服を選び出す。そのあまりの気迫に近づけないのか、店員は遠巻きにふたりの様子を見ていた。
「あなた、カッコいいのと可愛いの、どっちが好き?」
「え? か、カッコいいほう、でしょうか」
「じゃあこれね」
そう言ってジューザが選んだのは、リネッタの想像する「カッコいい」とはほど遠い、ライムグリーンのワンピースだった。それに白いジャケットを合わせる。
「あの、白い服は、チョークの汚れが」
「あなたに洗濯する能力なんて期待してないわよ! いざって時にだけ着なさい! アタシが洗ったげるから!」
昨日必死に片付けた「開かずの間」のことを思い出したのか、ジューザはため息と共にこめかみに指を当てる。
「あの……それに、この服だと子供っぽく見えませんか? 先生も、私が子供だからって侮っている気がするんです。だったらもう少し大人っぽく――」
「そう考えた結果がその作業着じゃ世話ないわよっ! いいこと、あなたは実際に子供なんだから、変に背伸びするとかえってガキに見えるのよ! 覚えてらっしゃい!」
ワンピースとジャケットと一緒に、ぽい、と試着室に放り込まれる。しぶしぶワンピースに袖を通し、やっぱりスカートや袖が邪魔だなあ、と思いながらジャケットを羽織る。
それから、鏡を見て、驚いた。
作業着に合わせるとそっけない印象の三つ編みが、服を変えた途端に上品に見えてくる。場末の作業員が、いいところのお嬢様に変化したかのようだ。おそるおそる眼鏡を外して、鏡に顔を近づけてみる。そうしてみると、今度はジューザが指摘した肌荒れや髪の傷みが気になってきた。確かにこれは、あまり良くない。
「あ……あの」
おそるおそる試着室から顔を出すと、ジューザは何やら店員と話をしているところだった。リネッタの姿を見るなり、ぱっと彼の表情が明るくなる。
「いいじゃない、いいじゃない! それじゃ、これ一通りいただくわ!」
リネッタの財布で買い物をすることは、店員も特に疑問を抱かない。ジューザが召喚存在であることは纏う雰囲気で分かるのだから、その世話をするのは召喚士の役割だ。とはいえ、召喚存在に服を見立ててもらう召喚士というのは、やはり聞いたことがなかったが。
◇
次の店でジューザはリボンを買った。ジューザの髪留めと同じヒマワリ色のリボンと、少し幅の太いグリーンのリボン。店を出て広場のベンチに座ると、ジューザはその二本を重ねて、軽くずらしながらリネッタの三つ編みの先に結ぶ。黒いゴム紐が隠れて、二色の華やかな流れが白いジャケットの上に流れる。
ちょっと貸して、とジューザがリネッタの眼鏡を取り上げた。リネッタの視力は、眼鏡がなければ文字は読めないが、周囲の人の表情くらいは分かる、くらいのものだ。この視力の悪化も、親がリネッタの勉強にいい顔をしなかった理由のひとつだった。
「リネッタ?」
聞き慣れた声に振り返ると、そこには驚いた顔のアシュレイがいた。
「あんた、本当にリネッタなの……?」
「アシュレイさん?」
たまたま通りかかったのだろう。いつもなら逃げ出してしまうところだが、今日は不思議とそんな気分にならず、リネッタはアシュレイに向き合う。
「ふ……ふん! 急に色気付いたところで、試験は服で受かるものじゃないんだからね!」
「そんなことは分かってます。私はちゃんと、内容で受かります」
思わず答えてしまってから、はっと口元を手で押さえる。ひとこと言い返せば、何倍にもなって返ってくるのがいつものアシュレイだ。
しかし。
「――分かってるなら、いいのよ」
そう吐き捨てて、アシュレイは踵を返す。
思っていた攻撃がやって来なかったことに、リネッタは呆然としながら口を開いた。
「……えっと……アシュレイさん、急いでたんでしょうか」
「……あなたがそう思いたいなら、それでいいんじゃない?」
◇
汚れないように白いジャケットを脱いで、リネッタとジューザはレストランに入った。
「ああ……なんとなく分かるものなのね、異世界の存在って」
「ええ」
ちらほらと召喚された人間を連れた召喚士を見かける。学園都市ではよくある風景だが、リネッタの故郷などではあまり見かけない。召喚魔法は誰にでも使えるわけではなく、自力で魔法陣を描き、魔法を組み立て、発動する能力が必要だ。そして、人間を召喚する魔法は、精霊を召喚する魔法よりずっと高度である。それでもリネッタが人間の召喚にこだわったのは、これが新しい世界からの召喚である、という証拠を得るためだ。会話ができなければ証明は急に難しくなる。
それぞれに昼食を頼む。ジューザはリネッタと同じものを頼んで、おっかなびっくり口に入れていた。
「やっぱり、さっきのアシュレイさん、おかしくなかったですか?」
「あなたの格好が変わったからでしょ。服装がしっかりしている人のことって、ボロボロの格好している人よりも、上に見えてしまうものよ」
「そんなの、おかしくないですか? 人は人を中身で判断すべきでは?」
「残念だけど、人は見た目が大事なのよ。ただでさえ年齢で侮られていると思うのなら、なおさら自分がきちんとした大人であることをアピールしなきゃ」
ものすごい実績を残したあとだったら、見た目がどうでも許されるかもしれないけどね、とジューザは続ける。
「だからあなたも、今回は頑張ってみなさいよ。これで認められれば、ドン臭い服装でも一目置かれるようになるかもしれないわよ? ま、アタシとしては、あなたには可愛くしていてもらいたいところだけど」
「そういうもの、でしょうか」
「そういうものよ」
答えたジューザは、どこか自嘲的な笑みを浮かべていた。
◇
「あなたの服は、どうしましょうか」
「あら? コレじゃなくてもいいの? だったら嬉しいわ。気になってる服、色々あったのよね!」
昨日から着たままの黒い服をつまんでみせて、ジューザはにっこり笑う。召喚存在はこの世界の人間のようには代謝をしないから、食事も着替えもなければないで構わないのだが、食事はとったほうが存在の安定に繋がるし、着替えもあればあったで嬉しいもの、らしい。
「それじゃ……そうね、あっちかしら」
ジューザが指さしたのは、意外にも紳士服の店だった。
「あれ? 男物でいいんですか?」
「とりあえずはね」
喋り方からして、てっきり女性的な服装を好むのだと思っていたので、少し意外な気分だった。
「そういえば、あなたは……その、女性になりたい、とか、そういう願望が?」
言葉を選びながら尋ねると、ジューザは苦笑しながら「いいえ」と答えた。
「よく誤解されるけど、それはないのよね」
「じゃあ、どうしてそんな口調を?」
よくぞ聞いてくれました! とジューザは拳を握る。
「アタシはひとりの男として、女の子が大好き! 女の子を飾るためのかわいいものが大好き! 女の子が使う言葉も大好き! なのに最近の女の子ときたら、そういうものに縁のないコが多くて! だったらもう自分が使うしかないって思ったのよ! そしたらすっかりクセになっちゃって!」
「えぇ……?」
予想外の理由だった。こう、もう少し深い理由があるものかと思っていたのに。いや、これも充分深いと言えば深い理由なのか。なにかが根本的におかしい気もするのだが。
「あの、じゃあ、私のことは……一応、女の子ですけど」
「あんたみたいな乳臭いガキに興味はないわよ。素敵なレディになってから出直していらっしゃいな」
「……そうですか」
どうして自分はガッカリしたのだろう、と思いながら、リネッタは肩を落とした。
◇
服屋に入ったあとも、ジューザは随分と迷っているようだった。リネッタの服を選んだときと違って、ためらいがちにいくつかの服を選んでは戻す。
「どうしたんですか?」
「迷ってるのよね。どういう方向で行くべきか」
「どういう……とは?」
「アタシの好みはこっち。でも、アタシはあなたを引き立てたい。そうすると、やっぱり今着てるこの服がいいかなって思う。だとしたらここで買うのは、せいぜいこっちの上着くらい」
明るい色の花柄シャツと、フォーマルなジャケットを並べるジューザ。
「引き立てる、って……あなたも主役なんですから、好きなものを着たらいいんじゃないんですか?」
「そんなことないわよ。試験を受けるのはあなた。アタシはこの世界の存在じゃない。いざとなったら、何の責任もなく消えられる立場なのよ。目立つ必要があるのは、あなたのほう。ちゃんと目立っておかないと、業績だって横取りされちゃうわよ?」
「そんな馬鹿な……」
「そういうものよ。……アタシ、最初にあの塔に呼ばれたとき、魔法陣を見てとっても綺麗だなって思ったわ。あれだけ複雑なものを、自分で描いて、組み立てて、使えるあなたのこと、とても尊敬する。たぶんこの世界でも、誰にでもできることじゃないでしょう? そんなあなたのことを、アタシは応援したいと思ったのよ」
花柄シャツを戻して、ジャケットを「買って来て」とリネッタに渡すジューザ。
「い……嫌です。私は、こっちがいいと思います! 綺麗だし!」
いいから、と首を振るジューザに構わず、リネッタは二着の両方を抱え込む。
「あのね。好きなものに夢中になれて、そのために全部を賭けられるのは、とっても素敵なことだと思うわ。アタシにはできなかった。どうしても人の目が気になっちゃって、したいことなんてできなくて、だからこんな真っ黒な服を着て、周りに溶け込んでたのよ」
「え?」
「ちゃんとした格好をしていれば、いいことがあるの。人は見た目が大事。ものすごい実績を残せば別だけど、そうじゃないなら、どこかで我慢しなきゃ」
さっきリネッタに言った言葉を、ジューザは自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「だからアタシは、これで妥協したわけ。ひとまずこれで充分、ってね」
そう言って指さしたのは、前髪を纏めるヒマワリ色の髪留め。
「そんな……だって、あなたはこんなに綺麗で、強い力があって」
「それはこの世界のアタシでしょう。元のアタシは、たとえ魂とやらが人よりちょっと強かったところで、ただの人間なんだから」
「そう、ですけど」
「あなたが、あなたの学問にどれだけ心血を注いでいるかは、あの部屋を見れば分かったわ。めちゃくちゃに散らかっているようだったけど、あの部屋ひとつ、ぜんぶ本と紙で埋まっていたわよね? しかも全部、ちゃんと手がついていたわ」
確かにリネッタは、あの「開かずの間」を書庫として使っていた。魔法陣の研究もあの部屋でやっていたし、その残骸を散らかしに散らかしてもいた。今まで誰が見たって、ただ散らかっているだけだとしか言わなかった部屋だ。それを、彼は。
「気付いてて、くれたんですね……」
ジューザの目が優しく細められる。
「アタシはあなたに、好きなものを好きって言い続けてもらいたいと思ったの。そのために邪魔なものは、アタシが取り除いてあげるわ。だからお願い、アタシにあなたを応援させて」
それにほら、とジューザは笑う。
「最初にあなた、言ったじゃない。我が声に応えて、星霜の彼方より出でよ、我がしもべ――ってね?」
だからあなたにちゃんと仕えさせて、とジューザは囁く。
「そして、あなたを侮った人たちを見返してやりなさい。あなたの実力は本物なんだから!」
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