第2話
学生寮の自分の部屋にジューザを通し、リネッタは説明を始めた。ひとりで住むには広すぎると感じる部屋だが、ふたりで座ると少しばかり狭く感じる。灰色の絨毯の上に腰を下ろしたジューザは、入るなり「あんたとよく似た殺風景な部屋ね!」と、やはり一通りインテリアにダメ出しをしていった。そう言われてもすぐに変えられるものではないが、ひとまず話だけは聞いておく。
「この世界は、日常の様々な作業やモンスターとの戦いを、主に召喚魔法によって行っています。たとえばさっきのように、風を操って飛行機や昇降機を動かしてみたり、炎を操ってコンロに火をつけてみたり、土を操って畑を耕してみたり。あるいは、金属を生み出したり、植物の生長を早めたり、といった力を持つ召喚存在もいます。そしてまた、召喚存在自身を、労働力や知恵袋として使うこともあります」
「ふぅん。召喚存在っていうのは、アタシみたいに呼ばれてきたモノのことね? なんだかそれだけ聞くと、コキ使われるばっかりでいいことないわね」
「申し訳ありません……。あなたに必要なものは、できる限り何でも用意しますので」
充分な対価を与えなければ、召喚存在は勝手に帰ってしまうこともある。ジューザにそうされてはかなわない。けれど改めて考えてみると、リネッタは自分がジューザに何をしてあげることができるのか、よく分からなかった。ほかの召喚士がよく人間を呼ぶために接続している世界では、召喚されることは娯楽として広く認知されているようで、対価を要求されることはほとんどないのだが。
「召喚術とは、《同位体》と呼ばれるこの世界とよく似た世界から、強い魂を引き寄せ、その力を借りる行為です。あなたのような知性ある人間を呼ぶ場合もあれば、さっきの塔でカゴを上げ下げしていた風精霊のように、人間でないものを呼ぶこともあります」
「あら、あの鳥さん、風の精霊だったのね」
どおりで力が強いと思ったわ、とジューザが手で口元を覆う。
「それで? アタシみたいな人間を呼んで、何かいいことがあるの?」
「召喚によって呼び寄せた人間は、この世界の人間とは違って、不思議な力を持っています。さっきの精霊が風を操ったように、何かを操ることができたり、何かを生み出すことができたり……その力は、魔法陣の描き方や、呼ばれた魂の特性によって変わります。
それと……呼び寄せたものは、もとの存在の魂の一部でしかありません。この世界で起きたことは、本体にとってはせいぜい『妙にハッキリした夢を見たな』程度の感覚です。そして、この世界で傷を負って消滅したとしても――」
「無傷だ、ってことね」
「ええ。少し体調を崩す程度の影響はあると言われていますが、軽い風邪程度のものだと」
「あらまあ。そんな戦力が大量に投入できるなら、戦争も気楽にできるわねえ」
真っ先にジューザはそんなことを言った。
「あなたの世界でも、戦争が?」
「アタシの国は長いこと平和なものよ。人がたくさん死ぬのなんて、天災があったときくらいのもの。だけど、想像はつくじゃない?」
「そうですね。かつて召喚術を利用した戦争は起こりました。かつてはもっと多かったと言われる世界人口も、今では召喚者を除けば、合計で一億を切っています。……ですからこの学園都市は、いかなる国からも離れた土地にあるんです。戦うべきは、海や空からたまに襲ってくるモンスターだけ。人と人との大規模な戦いは、起こしてはいけないと定められています」
「カッコいいわね! たとえどこかの国が襲ってきても、研究してる召喚術とやらで返り討ちにできるから、平和でいられるってことね?」
ジューザは眩しげに目を細めて窓の外を見た。ヒマワリ色の髪留めが光を反射して、きらきらと光る。改めて見れば、その髪留め以外はほとんど黒一色の装いは、どことなくジューザのあり方とは噛み合っていないように見えた。
「自由を守るには、強くなきゃいけない……そういうことね」
「まあ、こんなところ襲っても、いいことありませんしね」
「そういう現実的な話はいいのよっ! ロマンに水を差さないでっ!」
もうっ、とジューザが可愛らしい仕草で首を振った。
「まあいいわ。そもそもあなた、アタシを呼んだのは進級試験のためだって言ったわね? さっき言ってた、アタシがあの世界から来た第一号の人間だってことを証明すれば、進級できるってことかしら?」
「はい。あるいはそうでなくても、有用な存在を召喚する魔法陣を新たに作り出した、ということが証明できれば構いません。そして、その証明を、一週間後の期末発表会で行うことになります」
「どうやって?」
「学生と教師の前で、召喚士と召喚された存在が、揃って発表をするんです。召喚士は魔法陣の解説をして、召喚存在はその力を示す」
「アタシ、自分にどんな力があるのかなんて分かんないわよ?」
「ですからそれも、この一週間のあいだに調べます。方法は色々ありますから」
「ふぅん。そういうのはお任せするわ。……ところでアタシ、それまでどこにいればいいの? ここ、あなたの部屋よね?」
リネッタは「ええと」と言い難そうにしながら、隣の部屋に続く扉を指さす。
「召喚士はたいてい召喚存在を従えますから、そのための部屋は寮に用意されている……んですけど……」
ジューザが扉を開ける。
……閉める。
「どういうことよォ! あなた、さっき塔の上でちゃんとお掃除できてたじゃない! なんでお部屋がこんなことになるの!? もしかしてあなた、召喚術と関係ないことは何にもできないタイプ!? そうなのね!? 召喚バカなのねっ!? どうせゴハンもちゃんと食べてないんでしょう!?」
「う、うう……ごめんなさい……」
ジューザの言うことを、リネッタはまったく否定できなかった。
「まぁいいわ、夜までに寝床くらいは作れるでしょう……さすがに、女の子と一緒に寝るわけにはいかないものね」
「はい……」
そういえば、とジューザは首を傾げる。
「あの部屋を使ってなかったってことは……あなた、今まで召喚存在とやらのこと、どうしてたの?」
◇
その場では誤魔化せたが、ジューザの質問の答えはすぐに彼の知るところとなった。
「あら、リネッタ? リネッタじゃないの!」
「……アシュレイさん」
検査室へと向かう廊下ではち合わせた、年上の女子学生――アシュレイ・クレイヴは、リネッタの背後にいるジューザを見て、わざとらしく目をみはる。
すらりと背が高く、伸ばした亜麻色の髪は背中までの長さ。膝丈のスカートにシャツ、ジャケットという、きちんとした格好だ。魔法陣を描かない人間の服装だ、といつも内心で反発していたが、ジューザに格好をダメ出しされたあとでは、妙にまぶしく見えてしまう。
「まさかあなた、ついに召喚を成功させたの? すごいじゃない! 試験に間に合ったのね! 入学してから一年間、一度も召喚を成功させたことがないなんて、たいした大記録だと思っていたのに! それに、とっても綺麗な方。ドン臭いあなたのことだから、同じくらいドン臭い召喚存在を連れてくると思っていたわ!」
「…………」
まくしたてられて思わず口をつぐむ。リネッタはアシュレイが苦手だった。できるだけ避けていたいのに、彼女のほうから絡んでくるのだからどうしようもない。年は違うが同級生なので、授業でも顔を合わせる機会が多かった。アシュレイのほうが標準年齢で、リネッタは周りの学生よりも二年早く試験を受けて入学している。同じ試験を受けている以上、リネッタが年下だからと侮られるいわれはなく、むしろ優秀であると誇るべきなのかもしれないが――強気でやって来るアシュレイに、わざわざ言い返すほどの度胸もリネッタにはなかった。
「それにしても、あなたには不釣り合いなほど綺麗な方ね。試験までに見捨てられて帰られないよう、せいぜい頑張りなさい」
「……はい」
ふと振り返ると、ジューザは不快そうに腕を組み、アシュレイの顔を睨んでいた。「なに?」と眉をひそめたアシュレイに、ジューザは「いいえ」と首を振ってみせる。
「綺麗って言ってくれたことには、お礼を言うわ」
「……はっ?」
まったく感謝の欠片も感じられない表情だったが、それは皮肉げに顔をゆがめてリネッタを罵っていたアシュレイも同じことだ。どうして表情と口をバラバラに動かせるのだろう、すごいな、などと思いながら、リネッタはジューザの袖を引っ張って、逃げるようにその場を去った。
◇
ジューザを検査室の椅子に座らせる。検査のための魔法陣を準備しながら、リネッタはおずおずと尋ねた。
「その……幻滅、しましたか? 私が、こんな落ちこぼれで」
「幻滅するほど、そもそもあなたに期待しちゃいないわよ。ドン臭いのは事実じゃない」
だから気にしないの、とジューザは手を伸ばし、リネッタの頭を撫でる。
「それにしても……アタシはあなたにとって、この一年で初めての成功例、だったってことかしら?」
「生活用や授業での召喚はしていましたが……あの塔を使った研究用の召喚としては、そうなります。いつも、部屋だけ借りて成果なし、でしたから……」
「すごいわね」
予想外の言葉が返ってきて、リネッタは目をみはった。
「百年ぶりの偉業、なんでしょう? たったの一年で成功させたなら、大したものじゃない」
「そう……でしょうか」
小さい頃から本が好きだった。召喚士だった両親の蔵書を読みあさって、他の子供が召喚魔法を習い始める年には、もう高度な教科書が読めるようになっていた。両親はあまりいい顔をしなかった。人並みのスピードで人並みのことを学んでいったほうがいい、そのほうが人脈や信頼を築くには有利だ――というのが、彼らの教育方針だったからだ。
そんな両親に反発しながらも勉強を続けていたリネッタの中に、新たな世界への道を繋ぎたい、という欲求がいつから現れたのかは覚えていない。理屈をこねくり回しているうちに、できる、という確信が生まれてしまったのだ。当時はまだ穴の多かったその理論を実現するために、リネッタははるばる学園都市に来て、召喚士学校で専門教育を受け始めた。
誰も相手にしてくれなかったが、そんなことには慣れていた。
女だから、子供だからと侮られることにも、すっかり慣れてしまっていた。
すごい、なんて言われたのは、何年ぶりだろうか。
ふと視界に涙が滲んで、慌てて目元をこする。泣くなんてことは、弱い人間がするものだ。
「泣いてるの?」
「泣いてませんっ!」
目にゴミが、と続けたリネッタを、ジューザは背後から優しく抱きしめた。
「別に、バカにはしないわよ。さっきは我慢してたんでしょう? 涙をうまく使うのもレディのたしなみ。泣いてスッキリした顔は、我慢するよりずっと綺麗よ」
「ち、違うんです……これは、悔しくて泣いたんじゃ、なくて」
何でもお見通しのように見える彼でも、リネッタのことは案外分からないのだな、と思う。当たり前のことなのだが、そんな自分の思考にリネッタは少し驚いた。
「ありがとう、ございます……あなたを呼んで、本当に良かった」
「ちょっと、なに終わったような話をしてるのよ? なんだかよく分かんないけど、これからでしょ、これから!」
ほら、さっさと進めなさい! とリネッタの背中を叩いたジューザ。そちらを振り返ると、彼はなぜか、照れくさそうな顔で視線を逸らした。
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