リネッタの召喚ノート

こうづき

第1話

「今度こそ、成功させてみせる……っ!」

 ぼさぼさの金髪を後ろで引っ詰め、瓶底のような厚いメガネをかけた少女が、すべやかな石の床へと一心不乱に魔法陣を描いていた。チョークの線を消しては直し、誤って踏まないように布をかけ、鬼気迫る勢いで線を引いていく。

「理論上はいける……理論上はいける……」

 いくら机上の空論を並べても、証明できなければ仕方ありません――ツンとすました顔でそう言う教師の顔を思い浮かべ、少女はぎりっと歯噛みした。

「私は絶対、間違ってないんだ!」

 ガツッ、と床に叩きつけたチョークが割れる。ちっ、と舌打ちしてチョークを放り投げ――ただし、魔法陣に影響がないよう、きちんと布の上に――、少女は肩に掛けたカバンから新しいチョークを取り出す。

 最後の線を引き終え、魔法陣のあちこちにかけられた布を慎重にはぎ取って、少女は巨大な陣の中心に立つ。大きく深呼吸をしてから、長い詠唱を始めた。

 徐々に魔法陣がほんのりとした光を帯び始める。空気に魔力が満ちていく。充分にその密度が高まったことを肌で感じながら、少女は結句を唱える。

「――召喚士リネッタ・デルマートが請う。我が声に応えて、星霜の彼方より出でよ、我がしもべ!」

 ごう、と風が渦巻く。魔法陣の側に放り投げられていた布が数枚、ばさばさと音を立てて少女――リネッタの周囲を暴れ回る。やがてその風がリネッタの目の前へと収束していく。魔法陣の光が吸い込まれるようにある一点へと流れていく。ぎゅっと押し固めるように小さくなった光は、弾けるように広がって、人間のかたちを作った。

 まだ油断はできない。光が消えるまでは召喚失敗の可能性がある。そう、ここまでなら何度か成功したことがあるのだ。けれどこんなにはっきりと光が人のかたちを作ったのは初めてのことで、リネッタは内心の興奮を押さえ込みながら、術式のコントロールに精神を集中した。

「お願い……」

 リネッタが懇願するようにつぶやいた、次の瞬間。

 ふっ、と目の前の光が消滅し――代わりに、一人の青年が出現した。

 すらりと伸びた背丈。奇妙な黒い服。涼やかな顔のつくり。さらさらとした黒髪。前髪は、そこだけ一際目を惹く、明るいヒマワリ色の髪留めで軽く纏められている。

 思わずリネッタは、ぽかんと口を開けて青年を見つめてしまう。

 瞑目していた青年が、ゆっくりとその目を開く。黒い瞳がリネッタを見つめる。

 吸い込まれそうな瞳。彫刻のように整った容姿。そして何より、異世界から呼ばれたものに特有の気配。油断すると存在を呑み込まれそうだ。とにかく喉がからからに渇いて、水が飲みたい、とリネッタは思った。

「召喚に……応えてくれたこと、感謝します」

 リネッタと彼の間には、すでに意思疎通のためのパイプが通っているはずだ。リネッタがどんな言葉で語りかけようとも、その意図は彼に伝わる。そして逆もまたしかり。

 青年は、頭ひとつ分以上も小さいリネッタの顔を見下ろす。

 そしてゆっくりと、口を開いた。


「……あのね! 女の子が人を呼び出そうってのに、その髪とお肌は何なの!?」


「えっ……髪?」

 いや、それよりも、イケメンの口から飛び出した声がどうしてオネエ口調なのか。何か召喚のときに手違いでもあったのか。混乱するリネッタの髪を縛っていた紐が青年の手で外され、髪がばさりと肩にかかる。

「あーもう! 髪型以前の問題じゃないの! せめてちゃんと洗いなさい!」

「あ、あの、失礼ですが……あなたは、私の召喚に応えてくれた……んですよね?」

「そうよ! 応えたわよ! あんたが耳元でギャアギャアうるさいから!」

 召喚魔法は、相手にとってはそんな風に感じられるのか。珍しいことを聞いた、と思いながらリネッタは手櫛で髪を梳かす。

「なぁに? あんたもアタシの喋り方に文句があるわけ?」

「も、文句というか……申し訳ありません、少し驚いてしまって……」

「初対面の相手はだいたいそう言うのよ。別に、普通に喋ることもできるけど――俺はあんまり好きじゃないんだよな。むず痒い感じがするんだ」

 そんなことより、と青年はリネッタの髪を両手でいじりながら問う。

「あんたはアタシに何をさせたいわけ? それとアタシ、元の世界に帰れるの?」

「帰る、という言い方は適切ではないと思います。あなたはまだ、元の世界にも存在していますから。言ってみれば、あなたの魂の一部をこちらにお借りした状態、というか……」

「あら、そうなの? ここにいるアタシはコピーってわけ? ま、それは良かったわ、学業のことが心配だったから」

 話が通じる相手のようで良かった、とリネッタは胸をなで下ろす。もちろん、そういう適性のある存在を探して呼んでくるのが召喚魔法なのだから、相手が納得してくれる可能性は高いのだが。

「アタシの名前はアタケ・ジューザ。ジューザでいいわ。あなたは……リネッタ、だっけ?」

「はい。リネッタ・デルマートと申します」

「ふうん。顔と同じで冴えない名前ね」

 髪を引っ張られる。文句を言おうとしたが、ぎゅっ、ぎゅっ、と引かれるその髪が、ジューザの手で編み込まつつあることに気づいて、リネッタは戸惑いながら話題を変えた。

「私は召喚士学校に通う学生で……進級試験のために、あなたを召喚しました」

「あら。世界を救うためとかじゃないのね」

「申し訳ありません」

「文句を言ってるわけじゃないのよ。それなら安心して、あなたの改造にかかれるわ」

 楽しそうな声は、その口調さえ無視すれば間違いなく、くだらない悪だくみをする年頃の男子のものだ。

「か、改造?」

「そうよ!」

 思わず怯えた声を出したリネッタの髪を、ジューザは二本の編み込みにしていく。

「せっかく異世界に来たっていうのに! アタシを呼んだのがこんなダサいコだなんて! 納得いかないわ! せっかくなら、もっと素敵なレディに呼ばれたかった!」

「わ、私も納得いきませんーっ!」

 召喚した人間に髪型を直される召喚士など、リネッタは聞いたことがなかった。


 ◇


 召喚のあとは掃除の時間だ。いつもなら失意の中、一人でむなしく始めることになるその作業も、今日はふたり。ジューザの掃除の手際はそれほど良くはなかったが、それでも初めてとは思えないほどの呑み込みの早さで、充分に役に立ってくれた。

 リネッタは、大きな布を畳んでいるジューザを見る。

 ここに彼がいるというその事実が、自分が実験に成功したことの証明だ。その実感がじわじわと湧いてきて、思わず涙ぐみそうになる。

「せっかくこんなに書いたのに、消しちゃうなんて勿体ないわね。ところで、これ消しちゃっても、アタシは消えないわけ?」

「魔法陣はあくまで、私とあなたを繋ぐ契約をするための仲介役なので。召喚が完全に成功すれば、魔法陣は不要です。それに、残しておくと誰かに手柄を取られてしまいますし」

「横取りは良くないわねえ。手柄、ってことは、これってすごい魔法陣なの?」

「そうです!」

 思わずリネッタの声が大きくなる。

「今まで誰も繋がることができなかった世界からの召喚! これが証明されれば百年ぶりの偉業ですよ!」

「え? もしかしてアタシ、あの世界から来た第一号のお客様ってこと?」

「その通りです! 理論上は!」

 えっへん、と胸を張ったリネッタを前に、ジューザは不安げな顔で「あら、そう……」と応じる。

「あれ? 信じてくれないんですか?」

「そうは言ったって、アタシには確認のしようがないじゃない。アタシの世界に、いったいどれだけの人間がいると思ってるの」

「どれくらいなんですか?」

「え? えーと、よく覚えてないわ……全世界の人口でしょ、たしか七十か、八十億くらいだったかしら……?」

 ジューザの言葉に、リネッタは「うひゃっ」と小さな声を上げる。思っていたよりも数が相当に多い。

「そ、それが本当なら……すごいことです」

「そうなの? アタシ、この世界の常識なんかはよく分からないから、あなたの感覚が理解できないんだけど」

「ええと……ひとまず、場所を移しましょう!」


 ◇


 リネッタが住むこの島は、周囲を断崖絶壁に囲まれている。学園都市、と通称で呼ばれるこの島は、文字通り、学園とその関係者のためだけに存在していた。周囲と隔絶された環境は、学園都市の独立性を守るためのものであり、スパイを防止するものであり、万が一の事故があっても他者に影響を及ぼさないためのものでもある。

 さらに、召喚を行う部屋は塔の上方にあるのが通例だ。これは周囲からの魔力干渉をできるだけ避けるため。リネッタは固く閉じてあった召喚室の扉を開ける。塔の外側を取り巻く回廊は、腰壁から上が素通しになっていて、気持ちのいい風が二人の髪を撫でた。いつもならバサバサと広がるリネッタの髪は、編み込まれてわずかに揺れるだけだ。

「ここは学園都市。どの国にも属さず、召喚術の研究をするためだけに作られた街です。住民の衣食住を賄うために、畑や牧場、工場や住宅まで、一通りのものは揃っています」

「あらっ、すごいじゃない! 可愛い街ね! アタシ、こういうの好きよ!」

 胸の前で手を組み、目を輝かせてジューザが歓声を上げる。カラフルな屋根が連なる町並みは、可愛いと言えば可愛いのだろうか。カラフルなのは単に、魔力を蓄えやすいように魔石を砕いた塗料を使うからに過ぎないのだが。ちなみに、床に魔法陣を描いたチョークも、同じように魔石の欠片からできている。

「で、どうしてこんな可愛い街で、そんなドン臭い格好ができるわけ!? 百歩譲ってメガネは許すとして、その灰色のツナギは何なのよっ!」

「服なんて、乾きやすくて作業の邪魔にならなければ何でもいいじゃないですか!」

「良くない! 良くないわよォ!」

 ああぁ、もう! とジューザが身をよじる。それから、明るい光の下で改めてリネッタの顔を見て、「ああっ!」とまた声を上げた。

「あなた、歳はいくつ!?」

「じ、十四です……」

「若いじゃない! あっ、それってアタシ達の世界と変わらないわよね? 実は三倍ってことはないわよね?」

「それはたぶん、大きく変わらないかと……召喚が成功したということは、そちらはこちらの《同位体》ということですから、少し違うけれど、とてもよく似た世界のはずです」

「ああ、どうでもいいわよ、細かいことは! そんなことより、どうやったら十四歳の若い肌がこんなに荒れるの!? あなた逆に才能あるわよ! ちゃんとスキンケアしてる? それ以前にちゃんと洗顔してる!?」

「か、顔は洗ってますけど」

「洗えてないわよこれはッ! 適当にピシャッと水かけるだけで洗顔って言ってないでしょうね!? それができててこれなら、あとは生活習慣よっ! 睡眠とビタミンが足りてるのかって話よっ!」

「あの……とりあえず、下に降りますね」

 おずおずと話の腰を折ってみると、ジューザは特に気にする様子もなく「分かったわ!」と頷いた。

 階段をワンフロア分降りて、そこから先は昇降用の風精霊が操るカゴに乗って塔の下まで降下する。「揺れるっ!」と叫びながらカゴの端を握りしめるジューザが可愛らしい。本来、年上の男性に「可愛らしい」なんて言ってはいけない気がするのだが、ジューザのことを男性と言っていいのかどうか、リネッタにはよく分からなかった。

(そもそも私……ジューザのこと、男だと思ってるのかな? 女の子として扱ったほうがよかったりする……?)

 内心で首をかしげるリネッタをよそに、ジューザは肩で息をしながら「緊張したぁ」と首を振っていた。

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