第16話 エルフ

 エルフはむしろ、仮死状態と言っても差し支えない状態だ。大きなクリスタルの中で目を瞑り、眠ったままの状態で既に1000年もの時をそこで過ごしていた。もちろん通常のエルフの寿命など、とっくに超えている。


 アネット達は町外れの丘に来ていた。そこにエルフが眠っているからだ。見晴らしの良い場所で、そこからマルコワが一望できる。

 丘を登り歩を進めるほど、舗装された道はやがて轍になってゆく。奥へ奥へと進むとだんだん木が生い茂り始めて、やがて林に変わった。さらに進んでゆくと、一行は行き止まりまで来た。


 風によそぐ木々に守られるようにして、エルフが入ったのクリスタルはふわふわと宙に浮いていた。

 アネットが二人分は入れそうな大きさのクリスタルだ。張ったばかりの窓のような透明感が美しい。独自の眩く鋭い煌めきを放つクリスタルは降り注ぐ太陽を受けて、ますますその輝きを増している。

 アネットはクリスタルのあまりの美しさに息を飲んだ。同時に、アネットはざわざわした何かを感じていた。禍々しさは感じないものの、落ち着かない。まるでエルフに話しかけられているかのような感覚だが、アネットには何も聞こえない。不思議に思っていると、後ろからオウエンやエヅメがやって来た。


「エルフは、生きているの? 」


 アネットは隣に立ったオウエンに聞いた。彼もまた、クリスタルの存在感に圧倒されている。


「私も実物を見るのは始めてだが、生きているという話だ」


 オウエンは視線をエルフからアネットに移すとそう言った。


 エルフは穏やかな顔をしている。とはいえ、寝息を立てるでもなく、身動ぎするでもなく、じっとしていた。まるで死んでいるかのように動かないが、血色は良い。


 アネットは思わずクリスタルに手を伸ばそうとした。どこまで近づいても触れられないような感覚を覚えると、今度は急に恐ろしくなった。アネットは反射的に手を引っ込める。

 一度感じ取ってしまうと、明確な拒絶がアネットの意識に流れ込んでくる。それは決してアネットだけに向けられた物ではない。しかし、負の感情がまとめてアネットに容赦なくどんどん流れ込んで来る。アネットは耐えられずに、ヨロヨロとその場に崩れるようにして座り込んだ。目の前が真っ暗だった。




「メシア、メシア」


 アネットが目を開けると、エルフがクリスタルの中からアネットを呼んでいた。エルフの目は開いていて、その身体は動いている。反対に、アネットの周りの景色も仲間たちも、他のものは銅像のようにじっとして動かない。

 小鳥は羽を広げた状態で中に浮いているし、エトナのコートは風ではためいたまま止まっている。エルフとアネットだけがこの世界に存在しているかのようだ。


「わたしはハナ。ねえ、メシア。私たちを助けて」


 ハナの言葉で、アネットは意識と視線をハナに戻した。突然の世界の変容に、アネットの気持ちは追いついていない。


「助ける……?」


 アネットたちは、確かにエルフを守るために来た。だが、「助ける」とは少し違う。どういうことだろうと、アネットは首をかしげた。


「わたしたちは、アーツからあなたを守るために来たのよ」

「違う。敵はアーツ様じゃない。人間。あなたは少し、違うようだけれど」

「……え?」


 アネットは耳を疑った。ハナはさも当然という風に、驚くアネットを見下ろしている。


「人間が、敵なの? 守ろうとしていたのだけど……」

「誰のせいでわたしがクリスタルに閉じこもる羽目になったか、知らないんだな」


 ハナはさと忌々しそうに、今は動かないアネットの仲間たちを眺めた。


「エルフはずっと、森でひっそり生きてきた。けど、人間はエルフを捕まえて、物のように扱った。わたしたちが人間に幸福をもたらすから、なんて理由で。迷惑な話さ」


 エルフはふう、とため息をついてアネットを見つめる。知らないのならと、エルフは語り始めた。

 もう何百年も前の事だった。怪我をしたエルフをたまたま助けた人がいた。甲斐甲斐しく世話をしたその人間に、そのエルフは大層感謝した。やがて怪我が癒ても、エルフは森に帰らなかった。進んでその人間に寄り添った。人間は帰るように促したが、時折里帰りするだけでまたその人間の元へ戻ったという。

 元来エルフには不思議な力が備わっている。エルフが近くにいれば、それだけで事業が上手く行ったり、望みが叶ったりするのだ。

 エルフを助けた人間も、もちろんエルフの恩恵に預かった。しかし、それがいけなかった。エルフのおかげで成功した人間を、他の人間が見ていたのだ。

 エルフの存在は隠されていた。けれど、それもすぐに知られてしまった。明るみに出ると、みるみるうちに人間によるエルフの乱獲が始まった。


「大勢の仲間が捕まって、死んだ。人間のせいで」


 アネットは何も言葉を返せなかった。自分がしたことでは無いにしろ、人間として軽々しく意見する事など出来ない。


「エルフがその人物を幸せにしてあげようと本気で思わないと、誰にも幸運はもたらされない。なのに、人間はエルフを誘拐しつづけた」


 ハナは人に翻弄される将来に悲観した。捕まるくらいなら、他の仲間たちと共にそれぞれクリスタルに自ら封印してしまおう、というわけだ。こうすれば死なないし、人に囚われることも、良いように扱われる事もない。


「アーツとは、どういう関係なの? あなたはアーツに仕えているの? 」

「仕えているわけではない。人間から助けてもらったから、エルフはみんなアーツ様に感謝している。それだけ」


 アネットはますます絶句した。ハナによると、件の魔界の王は人からエルフを守っているというのだ。

 とはいえ、人間を滅ぼさんとする魔王と、人間による被害に遭っているエルフ達。利害は一致している。


「アーツが、あなた達に協力しているのね……」

「あなたは違うの? 首筋のアザはアーツ様の印でしょう」

「これは……」


 アネットはハナにアザの経緯を説明した。アザはまた形と色を変えていて、今は緑色をしていた。また少し大きくなっている。

 アネットがアザを見せると、ハナは微笑んだ。


「アーツ様はあなたを操ろうとはしていない。それは……」

「おい! 起きてくれ!なあ、返事してくれよ」


 突然男の声がしたと思ったら、アネットはっと目覚めた。そして、点滴に繋がれた自分が見えた。オウエンそっくりの男が、横たわる自分の手を握って泣いている。それを、アネットは天井から覗いている状態だ。エルフはもういない。

 この男は誰だったろう。よく知っていたはずだった。しかし、オウエンではないのはアネットにもわかる。

 アネットが混乱しているうちに、アネットの視界はボヤけ始めた。すぐに何も見えなくなって、何の音も聞こえなくなった。



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