第8話 黒い髪
夜が明けた。テントを畳み、移動を始めた。これから暫く、街や村が見つかるまで歩き続けることとなる。
道中では魔物が現れる。その度にオウエンが凪払い、魔物の種類によっては、羽や角、爪等の素材を回収する。集めて街で売れば金になるからだ。そして、それらの全てをオウエンが請け負っていた。
アネットは相変わらず怯えるだけだ。オウエンはその事については特に何も思っていない。けれど、アネットは守られてばかりで何も出来ないでいる。だんだん気に病み始めていた。
日が高くなって暫くした頃、もう何度目かもわからないモンスターの断末魔が響いた。アネットは思わず目を背けてしまう。せめて見届けなければと思う反面、どうしても慣れることが出来ない。
「ふう、やったか」
オウエンは剣を振り、魔物の血を払った。額の汗を拭って剣を鞘に収めながらアネットの無事を確認する。
「幸い、このあたりの魔物は小物ばかりで大したことはない。だが、じきに暗くなる。早く街を見つけたいのだが、今日も野宿になりそうだな」
今日は1日、川沿いを歩いて来た。だが辺り一面見渡す限り、ただ草原が広がっているだけである。街はおろか、村らしいものすら見当たらない。
アネットのこれまでの人生で、間違いなく最もたくさん歩いた日だった。もうクタクタで足が怠い。それに、あちこち草木に引っ掛けて細かい傷がたくさんできている。歩きすぎて皮が剥けてしまっている部分もあった。
痛い。だが、だからといって座り込むわけにもいかない。ただ黙って耐えていた。
再びテントを張り、火をおこす。手頃な丸太を見つけ出して、二人はようやく腰を下ろした。
アネットがほっと息をついていると、オウエンがアネットの側へ寄ってくる。どうしたのかとアネットが聞く前に、オウエンはアネットの足をつかみ上げた。アネットは驚いて、座っていた丸太から転げ落ちた。
「あ、あ、あの。オウエン? 何を……? 」
「見せて見ろ。足、傷だらけだろう」
そう言ってオウエンは、アネットの傷だらけの足に魔法をかけた。擦りむいた傷も、皮が剥けた踵も、打ち身すらもみるみる治っていく。
「ありがとう、オウエン。魔法が、使えるのね。知らなかったわ」
「少しだけな。本職ではないから、この程度が限度だが」
「それでもすごいわ。わたし、助けられてばかりで申し訳ないくらい」
アネットはふがいなさでいっばいだった。思わずうつむいて、唇を噛む。オウエンは大きな手をぽんとアネットの肩に置くと、優しい瞳で微笑んだ。
「そう気に病むな。私も他の皆も、子供の頃から何らかの訓練を受けて来ている。急にできるようなことではないのだから」
「……ここの子供たちは、みんな戦い方を学ぶの? 」
「皆ではないが、多いだろうな。あちこちに魔物が蔓延っている以上、自分で守らなければならないこともある」
オウエンの黒髪が、風に靡いてさらさら流れていく。その目はどこか遠くを見ているようだ。
「一般的に、黒い髪や瞳の者は魔力に恵まれていると言われている。それで私は魔法も少し学んだ。だから剣士になった今でも、簡単な魔法だけは少し使えるんだ」
「魔導師になろうとは思わなかったの? 」
「思わなかったな。剣を扱う方が得意だし、魔法剣という使い方もあるからな」
アネットにとって、新しい言葉が出てきた。
この世界は当たり前に魔法が存在している。それだけでもアネットには十分不思議だった。だがつい先日、自分でも無自覚のまま、自分が大岩を破壊したのだとと言われた。
もう何でもありだ、というのは分かった。けれどそれで腹を括れるほど、この世界や魔法、魔物の存在、そして何よりここに居ることに納得しているわけではない。
「魔法剣? 」
アネットが尋ねると、オウエンは返事の代わりに鞘から剣を抜いた。剣を立てて彼が魔力を込めると、剣から炎がゆらりと現れる。
アネットには、剣が燃えているというよりも、剣から炎が溢れているように見えた。確かに、これで斬りつけられたらひとたまりもないだろう。
火の他にも氷や雷、水、さらには目潰しに光を放つなど、多彩に使い分ける事が出来るとオウエンは説明した。
「魔法は精神を消耗する。だから滅多な敵には使わない。しかし、こういう応用の仕方もあるのだ。アネット、君は髪も瞳も黒い。きちんと訓練を受ければ、今からでも凄い使い手になれるかもしれない」
「……本当に? わたしが? 」
俄には信じられない気持ちで、アネットはオウエンを見た。けれどオウエンは至極まじめで、冗談を言っている雰囲気ではない。
「力は申し分ない。あんな大岩を砕いたんだ、自信を持って良い。だが、問題はコントロールだ。訓練が必要だな」
「わたしがいた世界では、黒い瞳と髪を持った人なんていくらでもいるの。その人たちがここへ来れば、みんな魔法使いになれるの? 」
「さあ、どうだろう。私のように得手不得手もあるから『みんな』とはいかないだろう。けれど、君は選ばれてここに召還されたのだ。その意味を考えると、たとえ容姿が似ていようとも、他の者の事など関係はあるまい」
ともかく訓練はすぐにでも始めた方がいいだろう、とオウエンは言う。アネットは、役に立てるものならがんばろうと心に決めた。
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