第7話 川下の街へ

 辺りが薄暗くなった頃、アネットはぼんやりと目を覚ました。風に揺れる木々のざわめき、動物の鳴き声など、自然な心地よい音が遠くに聞こえる。人工的音は何も聞こえない。

 アネットの視界は、分厚く丈夫そうな布と骨組みに囲まれていた。外は見えない。アネットは、恐らくここはテントの中だろうと予測をつけた。少なくとも、町の中ではないことは伺える。


 アネットが軋む体を何とか起こすと、厚手の布がはらりと落ちた。暗い中で目を凝らしてよくみると、上質で厚みのある生地だった。薄汚れてはいるが、鮮やかな赤い色をしている。

 これは何だろう。アネットは思案を巡らせる。まだあまり回転しない頭に、ふと赤い兜を脱ぐオウエンの姿が過ぎった。


(そうだ、これはオウエンのマントだ)


 アネットがぼんやりとしている間にも、辺りはどんどん暗くなっていく。世間は夜を迎えようとしているらしい。

 アネットは、もう一度ぐるりを見渡した。テントの中はどう見ても大人一人分の広さだ。そして、そこにいるのも自分一人だった。自分の意識や記憶と現実のギャップを埋めようと、アネットは必死で頭を回転させようと努める。


(川に落ちて、流されて……オウエンに助けてもらって……オウエンはどこに?)


 そこまで考えた時、外で枝がパチパチと燃えるような音がした。火の光がテントにゆらゆらと映り、なんとも幻想的である。

 アネットがテントの外に出てみると、オウエンがテントのすぐ近くに座っていた。何処で拾ったのか大きな丸太に寄りかかり、剣を抱えたまま眠っている。アネットが彼のマントを持ってそっと近づいた瞬間、オウエンは既に剣を抜いていた。

 オウエンは恐ろしく鋭い目でアネットを見据え、剣を持っていない方の手でアネットの胸ぐらを掴んでいた。そして、剣の刃先は正確にアネットの首筋を捉えている。アネットは思わず呼吸も恐怖も忘れて、彼の刃先だけを見て固まった。

 たが、オウエンは寸手のところでアネットだと認識した。慌てて彼女を掴んでいた手を離し、剣を下ろすとそのまま立ち尽くす。オウエンはひどく動揺し、戸惑いと驚きを隠せずにいた。

 アネットはぴくりとも動けなかった。驚きと恐怖と、オウエンから放たれる剣気にあてられた。既に解放されたはずなのに、未だに自由が利かなかい。

 オウエンが剣を納めると、周りの空気がすっと軽くなった。同時にアネットの手から、マントが流れるように滑り落ちる。そして、アネットはそのまま腰を抜かして座り込んでしまった。


「……済まなかった、アネット。怪我は、ないか」


 オウエンはうろうろと視線を彷徨わせながら聞いた。


「う、ううん。大丈夫……」

「本当に、すまなかった。いつ、魔物やアーツに襲われるともしれないと、警戒していた。だが、君を手に掛けるつもりはない」


 オウエンは申し訳なさそうな顔で、再度頭を下げた。アネットも慌てて謝る。


「わたしこそ、ごめんなさい。あなたがそんなに気を張っているのに、不用意だった」

「いや……私の落ち度だ。しかし、目が覚めて良かった。なかなか気が付かないから心配していた」


 オウエンは顔を上げ、アネットを心配そうに見た。まだ少し、申し訳なさそうな色も残っている。


「わたし、どのくらい眠っていたの? 」


 オウエンによると、アネットは丸1日気を失っていた。また、かなりの距離を流されてしまい、目的の街からは随分と離れてしまった。

 リケユ川は支流が幾つも分かれている。本流をまっすぐ下るだけの予定だったのだが、支流の一つまで来てしまったようだとオウエンは言った。


「とりあえず、街を探そう。食料や道具も一通り用意はしてきたが、殆ど川に流されてしまった。この簡易テントだけでも残っていたのは幸運だった」

「マントとテント、ありがとう。それと、ずっと見張っててくれたのも」

「気にするな。それより、もう少し休んだ方がいい」


 オウエンはそれほどのことではないと言わんばかりだが、アネットも寝てばかりいるわけにはいかないと思っている。


「オウエンも、疲れているでしょう? 」

「私は君よりも丈夫だ。それに、君は狙われている。気持ちだけもらっておこう。マントもまだ使っていてくれ。明日の朝、返してくれればいい」


 そう言って、オウエンは元の丸太に戻る。再び剣を抱えて座り、じっと目を瞑った。アネットは申し訳ないと思いつつ、まだ身体は本調子でないのが本音だ。

 オウエンの申し出をありがたく受けることにし、アネットは大人しくテントに戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る