第6話 逃げろ!
砂が舞う宮殿の奥で、カシャ、カシャと音が響いている。王の間にやってきたビバルはその聞き慣れない音に首を傾げた。
ビバルは来訪の挨拶を述べて部屋の中へと足を運ぶ。彼は王の前まで進み出ると恭しく一礼し、跪いた。
「申し上げます、陛下。我が二番隊の報告によりますと……ぎゃあ! 」
アーツの手元から、急に強い光が放たれた。ビバルは驚いて尻餅をついてひっくり返り、何事かと目を白黒させている。それを見たアーツはニヤニヤと笑い、さも楽しそうだ。
アーツはアネットから押収したピンク色の携帯電話を握りしめ、ビバルの写真を撮ったのだ。先ほど撮った写真を確認し、フフンと満足そうに右の口角を上げる。
「へ、陛下? それは、確かアネット様がお持ちだった……」
「そうだ。携帯、とか言ったか。なかなか面白いものだ。それにしても、ビバルよ。お前はなんともマヌケな顔をしているな」
そう言って、アーツは携帯の画面をビバルの方へ向け、撮った写真を見せてやった。その画面には、薄目を開けて口をぽかんと半開きにしたビバルの顔が写っている。
「ぎゃあ! へ、へ、陛下! た、たた魂を盗られます故、ひ、平に、平にご容赦を!」
「落ち着け。何を恐れることがあるか。魂を盗られるだと? お前はまだ生きているだろうが」
「し、しかし……私の姿がその中にございます。じゅっ、寿命が縮んだかもしれません」
ビバルは涙目になって抗議するが、アーツは意にも介さない。非科学的な事をいちいち気にするな、と一蹴した。
「それよりも、ビバルよ。何か用があるのだろう。話せ」
「はっ。そ、そうでした。反乱軍の、トリスタンのアジトを発見しました。部下から連絡が入り、襲撃させております」
ビバルは跪き直して、アーツに事の次第を報告する。アーツは携帯から目を離し、ビバルに向き直った。
「良かろう、お前に任せる。ただし、アネットは生け捕りだ。いいな」
「仰せのとおりに」
ビバルは深々と頭を下げた。
一方そのころ。アネットは小舟に揺られていた。小舟といっても、動力や救命胴衣などという気の利いたものなど一切ない。いかだよりもいくらかましな、リアル急流滑りといったところだ。正に命がけの川下りである。
アネットの不安や恐れなどそ知らぬ顔で、川は轟々と激しい音をたてて流れてゆく。これはアネットが初めてアジトに来た時に、落ちないようにと恐る恐る見たあの川だ。
アドルフが船頭の役目をこなし、細長い棒で器用に小舟の梶を取っている。川の流れは激しく、時に落差も大きい。その上、大きな流木や岩があちこちに流れている。舟は激しく揺れ、今にも壊れてしまうのではないかと思うほどに軋んだ。
アネットは恐怖で顔を青くし、生きた心地がしなかった。生きているのかどうかも分からない状態ではあったが、それでも恐ろしいことに変わりはない。
アネットは船上からアジトを振り返ると、既に火の手が上がっていた。遠目からでも赤い炎と黒い煙がはっきりと見える。アーツの軍がアジトに辿り着いたのだろう。アネットにはひどくショックだった。
恐怖を振り払うようにアネットが前を向くと、今度は眼前に大岩が迫っていた。
「うわあああああ! くそっ! 」
アドルフは叫びながらも棒を巧みに使って、大岩をなんとか避ける。しかし、すぐにまた更に大きな岩が現われた。舟はたった今、大きく舵を切ったばかりだ。船体は不安定で、舵を上手く取れない。舟はまっすぐに岩へと進んで行く。
「か、舵が利かねえ! 」
「エトナ! 何とかしなさいいい! 」
アンは必死の形相でエトナの首にしがみついて離さない。エトナは苦しそうにもがきながら、アンを引き剥がそうとジタバタしている。
「無茶を言うなバカ娘! く、首を絞めるな! 」
「だ、だ、だって!」
抱き合ったまま言い合うアンとエトナの声を聞きながら、アネットはギュッと目をつむっていた。
あまりの恐ろしさに声も出ない。アネットは震える手で、自分の体を抱きしめた。怖い。生きていたい、死にたくない、そればかりを強く願った。
「ぶつかるぞ!」
オウエンの鋭い声が通った。言い合うアンとエトナが、はっとして二人同時に前を向く。
「ぎゃー!!!! 」
アンの甲高く鋭い悲鳴ですらかき消されてしまうほどの轟音が、辺りに響きわたる。
皆が覚悟を決めたその瞬間、目の前にあった大岩が突如粉砕した。バラバラと音を立てて崩れる大岩にアドルフは目を丸くして驚き、エズメも開いた口が塞がらない。ぱくぱくと口を鯉のように動かして、言葉を探している。
「な、なんと。これは一体……」
「すっげえ! 今の誰? 」
アドルフはヒューっと口笛を吹く。興奮気味にくるりと振り返り、皆の顔を眺めた。しかし、皆も顔を見合わせて首を捻っている。
抱き合ったまま固まっていたエトナを無造作にふりほどくと、アンが口を開いた。
「わたしじゃない」
アンがちらりと隣にいるエトナを見遣る。
「僕でもないぞ」
そう言って、エトナはオウエンに視線を送る。
「私も違う」
「無論、拙者も」
全員の視線がアネットに集中する。ずっと自分を抱いたまま震えて下を向いていたアネットだったが、視線に気が付いてそっと顔を上げた。
「アネット! 今のどうやったんだ? すげえよ! 」
「え? わ、わたし?? あら? 岩は……? 」
「嘘でしょ!? 自覚ないの? 」
アンが大きくため息をつき、アドルフは船首でずっこけていた。アネットがぽかんとして二人の様子を眺めていると、オウエンが焦ったように声を張り上げた。
「アドルフ! 前を見ろ! 」
アネットがこれまで見たこともないほど大きな魚が、舟の前方で大きな口を開けて待ち構えていた。このまま流されれば、舟ごと魚に飲まれてしまう。
アドルフは懸命に舵を取ろうとするが、魚は川の流れごと飲み込んでいる。近づくほどに流れるスピードが増し、進路を変えることができない。
「おのれ化け物め……! 」
エズメは刀の鯉口を切り、飛び出す機会をうかがっている。アンも目を吊り上げて、魔力を集中しはじめた。
「丸焼きにしてやるわ! 不味そうだけど」
「恐らくアーツの手の者だろう。魔物を食すのはやめておけ」
そう言うと、エトナも呪文の詠唱に入っていった。
今にも各人の能力が発動するというその時、舟は大きく飛び上がった。どうやら川底が一部浅くなっていて、乗り上げたらしい。
「お? お? なんだ?? 」
アドルフが船首からすばやく跳び退き、船体に移動する。魚によってスピードを増した舟は、勢いよく川を飛び出した。舟は放物線を描くように、まっすぐに魚の頭部に向かっている。
「今度こそ死ぬ! 」
アンの叫びと共に、舟は勢いよく大魚の魔物の頭にぶつかった。
魔物はぶくぶくと泡を吹きながら沈んでゆく。そして、乗っていた舟も大破した。みんな川に投げ出され、激流に飲まれていく。
アネットは顔を水面から浮かせようと必死でもがいた。だが、もがくほど体が沈んでゆく。息をしたいのに、口には水しか入らない。もうだめだと思った時、上から声が降ってきた。
「アネット! これに掴まれ! 」
オウエンがアネットを捕まえた。舟の破片に掴まって、アネットを引き上げる。アネットはオウエンに支えられながら、仲間がちりじりに流されていくのを薄れる意識で見送った。
「オウエン! アネットを頼むぞ! 」
アドルフが遠くで叫んでいる。アネットの意識は、ここで途絶えた。
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