第6章 神様に魅入られた馬鹿


 1


「あー、疲れたぁー」

 ようやく、肩の荷が下りた。

 僕の計画は完璧だった。

 そして、みんなも完璧にこなしてくれた。

 ミノルも。

 タムラも。

 サカモトも。

 ナガタも。

 ミーちゃんも。

 そして、マコも。

 おかげで百億を超える大金を手にすることができた。

「くくく、ははは。くぅー! やったぁ!」

 最高に嬉しい。

 この喜びを表現するにはどうしたらいいだろう?

 適切な言葉が見つからない。

 笑みが、笑みがこぼれてしまう。

 あの馬鹿な警察どもの驚きようったらなかった。僕を放火魔にしたからこういう目に遭うんだよ。僕を焼き芋拒食体質にした罰だ、馬鹿どもめ。

 ふふふ。

 連日、各メディアでは日本犯罪史上最も美しい事件として扱われている。

 今回の件で、汚職議員や不正取引をしていた銀行、あの嘘っぱち洗剤の製造会社である憎きCCC、そして昔僕を放火魔として補導した馬鹿な警察どもを一掃することができた。

『正義の味方? サンタクロースが悪を切る!』

『平成の聖夜に蘇った五右衛門!』

『未だに捕まらない天才強盗団の華麗なる手口とは!』

 様々な見出しに僕も思わず笑みがこぼれてしまう。

 一人コンビニで雑誌を立ち読みしながら笑みを噛み締めているのだが、怪しまれるのもあれなので、おにぎりと僕の事件を大きく扱った雑誌を買って店を出た。

 あの衆人環視の中、警察に完全包囲された状態での鮮やかな脱出。まさに神業だ。誰も気づけまい。僕のあの天才的な犯行手法に気づける人間は今の警察にはいないだろう。僕の、僕達の完璧な勝利だ。

 今日は三月三十一日。あの歴史的なクリスマスからすでに三ヶ月以上経っている。

 今夜は久しぶりにみんなと会う約束をしている。ただ、みんなと言ってもミノル達だけじゃなく、高校の同級生達も一緒だ。

 もしかしたら、あの子も来ているかもしれない……。

 僕は約束の時間よりも早く、目的のイタリアンカフェへと向かった。

 特に急いだわけではなかったが、約束の時間の一時間ほど前には店に着いてしまった。洒落たログキャビン風の外観で、庶民的な店構えに好感を覚える。入り口の隣に掛けられた小さな黒板には貸し切りである旨が書かれていた。

 木製のドアを引くと、ドア上部につけられていた鈴が来客を知らせる。鈴の音に、奥からフリフリの服を着た女性がやってきた。

「あのぅ、今日は貸し切りになっていまして……」

「ああ、いえ、僕もその高校の者です。少し早いとは思ったんですが、幹事の人間ならいるかなと思って」

「そうでしたか。では、奥へどうぞ」

 ウェイトレスに案内され、奥へ通される。

 そこにはすでに何人かの人間が集まっていた。

「モモくん!」一人の男が笑顔で手を振った。

「サカモト。そっか、考えてみれば生徒会長だもんね。幹事も任されるか」

「まあね。モモくんはどうしたの? 随分早いね」

「いや、うん、まあ、家にいても落ち着かないっていうか」

「大丈夫だよ。警察はお手上げ状態でしょ?」

「ああ、いや別に不安で落ち着かないっていうわけじゃないよ。捕まるわけないだろ? 僕は日本犯罪史上最も美しい事件を考案した天才サンタクロースなんだよ?」

「それもそうだね」

 僕達二人は吹き出して笑った。

「あーら、楽しそうね、モモたん」

「ミーちゃん!」

「クリスマス以来ね。どお、元気してた? ていうか私疑われてない? 大丈夫?」

 心配そうに眉を寄せるミーちゃんがかわいかったので、思わず僕は苦笑してしまう。

「大丈夫だよ」

「そ。ならいいんだけどね」安心したように、ミーちゃんはほっと小さなため息をついた。「でも凄いよね、テレビでも何でもモモたんのこと褒めちぎりじゃないの」

「でしょ、でしょ」僕も満面の笑みで胸を張る。「でもま、僕の計画をそのまま実行できる人間もそうはいないよ」

「とか何とか言っちゃってぇ、ね、サカモトくん? 酷いよねぇ、私達にあんなに重いものを運ばせるんだから」

「ええ、重かったですね、あれはさすがに」サカモトも苦笑しながら頷いた。

「でも幸せな重さだったでしょ? 純粋な札束だけの重みだったんだから」

「そりゃあ、まあねぇ。一人頭十億だからねぇー……、骨が折れても運んだろうなぁ、私」

「あ、そうそう、わかってると思うけど、あまり派手な買い物はしちゃだめだからね。特に、ミーちゃんとサカモトは」

「はいはい、わかってますよーだ」ミーちゃんはかわいらしく口を尖らせる。「お、そこにいるのはアマミーじゃないのぉ」

 奥のテーブル席にイジメ甲斐のありそうな顔を見つけ、彼女はそちらへ行ってしまった。

 まだ夜の六時半になるかならないかだが、ちらほらと見知った顔が集まってきている。適当な挨拶や社交辞令を済ませる程度の軽い馴染みであり、仲の良い友達はまだ来ていないようだ。

「ソフトドリンクなら用意できてるよ、飲む?」サカモトが気を利かせて尋ねてくれる。

「ああ、うん」

 季節も春で気温もそれなりに高くなってきている。それに加えてここの店の空調がおかしいのか、店内は少し暑いくらいだったのでのども渇いていた。

 僕は近くにあったイスに上着を掛けると、サカモトについて店の中央にあるドリンクバーの方へ歩いた。

「サカモトは、どう?」僕はオレンジジュースをコップに注ぎながら聞いた。

「え、何が?」

「これからのこととかだよ。政治家とかにはならないの?」

「どうかな。実は、あんまり考えてないんだ。あのクリスマスまではそれだけに集中していたし、ま、ゆっくり気長に考えていくよ。お金も時間もたっぷりあるからさ」

「そっか」

 サカモトも僕も笑った。

「モモくんは?」

「僕は……」

「……あ」

「うん、あのとき決めたままだよ」


 2


 午後七時を回り、同窓会は始まった。

 もともと人数の少ない高校だったこともあって、大きくはない店ではあるが何とか問題なく全員が入った。

 それなりにみんな楽しんでいるようだ。

 高校生活の話題で盛り上がっている人は少ない。進学校だったからか、思い出というと勉強だったり、まあ、高校生活の思い出と言っても本当に昨日のようなことだったりして、昔の花は咲かなかった。代わりに話題となったのが、やはり僕達が起こしたクリスマスの事件についてだった。

 どうやって警察の包囲網を掻い潜って逃げたのか、とか。

 義賊だなんて粋な野郎もいるもんだ、とか。

 クリスマスにロマンがどうのこうの、とか。

 ま、誰もその犯人が同級生の中にいるなんて想像もできないだろうけど。

 こうしてちやほやされるのはやはり嬉しいことだが、自分が褒められているのにそれが自分だとは名乗れない歯痒さもあったりして、まあ複雑な気分だ。

 僕は隣にいる名前が思い出せない女の子の話に適当に相槌を打ちながら、クリームパスタをフォークに巻きつけて口に運んでいる。

 美味しいな、これ。

「でね、あたしが思うにUFOは……」

 そろそろこの子の話も飽きてきたし、パスタのおかわりに席を立つとしよう。

 僕は新しい小皿を手に取ってサラダバーに向かう。適当にポテトやウインナーを取りながら、メインであるパスタを皿に盛った。

 うーん、さっきの席に戻ると変な話の続きを聞かないといけないし、別の席に移動しよう。どこかないかな。

 店内をきょろきょろと観察していると、ドリンクバー脇の席にナガタが一人でピザを食べていた。

「ナガタ」

 僕が声を掛けると、ナガタはピザを口に運ぶのを止めて顔を上げた。

「ああ」

「なんだよ、それだけか?」

「いや、話したいとは思ってた」

「そお? ま、とりあえずは乾杯しよう」

「そうだな」

 飲み物は適当に、グラスを鳴らした。

「ふふふ、あー気持ちいい」

「酔ってるのか?」

「んにゃ。ナガタはなかった? 征服感みたいなのに包まれたり、そういうの。あのときにさ」

「征服感?」

「うん。完璧に計画通りで、もちろん、警察の誰にも見破られなかったことによる愉悦や優越。僕達が支配してたんだよ、あのとき、あの空間のすべてを」

「成功を喜びたいという気持ちはわからないでもないが」

「なんだよ、何か不安でもあるの?」

「……一つだけ」

「んん? 何?」

「いや」ナガタは無表情で首を振った。

「なんだよ、気になるじゃんか」

「それより、実際はどうなんだ?」

「?」

「計画発案者として、本当に成功すると思ってたのか?」

「…………」

「どうなんだ?」

 ナガタの鋭い視線が僕を捉える。真剣な表情だ。怒っているのかもしれない。

 僕はグラスの残りを一気に飲み干すと、小さくため息をついた。

「ミノルに聞いたのか?」

「……ああ。どうして自殺なんか、そんな、馬鹿げてる」

「それで疑ってるの? もし捕まっても僕は自殺志願者だからどうでもいいと、最初から投げやりな計画を立てたんじゃないかと。多少は無茶しても、捕まってもどうせ自殺するんだからと、一人だけ逃げ口が作られていたと、そういう風に僕を疑ってるの?」

「そうは言ってない。ただ……」

「安心してよ。そんなつもりなんかなかったよ。捕まってもいいなんて安楽な考え、僕が持つと思う?」

「違う。なぜ自殺のことを黙っていたのかと、それを言ってるんだ!」

 僕はポテトを口に放り込みながら、新しいドリンクをグラスに注ぐ。

「初めて会ったときを覚えてる?」

「ああ……」

「屋上で投身自殺を図ろうとしていた女の子がいた。みんなは彼女を心配し、下で様子を眺めていた。だけど、そんな中、僕と君だけが違った」

「ああ」

「あのときナガタ、君は彼女を止めたか?」

「……」

「僕も彼女を止めなかった。止める必要が僕にはなかったからだ。君も同じだろう? だから僕はあのときに君に惹かれたんだ。周りに流されない君に」

 ナガタは黙っている。

 少し意外だったのは、ナガタが他人のことで怒っているということだ。他人には興味がないと思っていたから、それは意外だった。

 まさか僕の自殺のことで怒るなんて。

「今もまだ、自殺の意志は変わらないのか?」

「うーん」

「おい」

「どうだろうな。微妙なとこ。でもやっぱ、するかな」

「そうか」

「さっきの質問、計画発案者として成功すると思っていたかどうかだけど、僕は確信していたよ。ナガタ、君は反対しなかっただろう? 君が反対しなかったということで、僕は成功すると確信したんだ」

「……? どういうことだ?」

「ほら、あのとき言ったろ。自殺をするのなら、全世界の人間を殺しても同じことって」

「ああ。だけど人間は簡単な方法を取る傾向が強い。遠回りしながら真面目に生きている人間の方が少ないだろう」

「うん。だけど、それが今回の計画の要になった。ナガタがいなかったら、ナガタに逢えなかったら、おそらくあの計画は立てれなかったと思う。ありがとう」

「……そうか」

 ナガタは口の端を斜めにして、眼鏡を押し上げた。

「あ、それとさ、気になることが一つあるって言ってたけど。あれって何のこと? 自殺のことだった?」

 僕が尋ねるとナガタは横目で周りを気にしながら、目線で出口を示した。

 どうやら外で話そうということらしい。

 僕は紙ナプキンで口を拭くと、先に外に出た。

 店内とは違い外は非常に静かだった。空を見上げると月は綺麗だが、星は見えない。空気も春めいたものになってきてはいたが、まだまだ肌寒かった。

「どうしたんだよ、わざわざ外になんか出て」

「あの計画は完璧だったと本当に思うか?」

「なんだよ、誰もミスはしてないだろ? 現に警察は捜査を打ち切っているし、容疑者も挙げれない状況だ。僕達が捕まるなんてことはない」

そうだろう」ナガタは淡々とした口調で言う。

「え?」

「君はおそらく発案者だから客観的な視点で見ることは不可能だろう。もともと君の思考は客観的なそれじゃない」

 わけがわからない。

 何が言いたいんだ?

「どういうことだよ、わかりやすく説明しろよ」

「天才的な頭脳の持ち主なら、間違いなく看破する。そして、問題なのは看破されたとき、だ」

 ナガタは僕を強く睨みつける。

 先ほどよりも強く、僕を……。

 僕は笑った。

 笑うしかなかった。

 ああ、わかっていたことなのに。

 文句なしに、ナガタは天才だ。

 しまったなぁ。

「もっと早くに気づくべきだった。最初から、もしものときは自分だけ罪を被るつもりだったのかっ? どうなんだ、答えろ!」

「怒らないでよ。僕は発案者として、君達を僕のわがままにつき合わせた形だ。もしものときはすべて僕の責任だ、君達が罰せられる必要はない」

「ふざけるな!」

「怒るなよ、ナガタ。もちろん、もしものときだ。捕まる気なんてさらさらない。フェイル・セーフだと考えてくれればいいよ。いろんな手は打ってある、その安全策の一つだと思って……」

「君の安全はどうなる? もしも誰かが気づいたら」

「誰が気づけるんだよ。安心しろ、証拠はない。僕達の勝ちは揺るがない。何がそんなに不安なんだ?」

「……いや、すまない」片手を広げてナガタは目を瞑った。「ただ、嫌な予感みたいなものがあって」

「嫌な予感? リアリストの君にしてはロマンチックなことを言い出すね」

「いや、まあいい。とりあえず、店に戻ろう。自殺の件は今度ゆっくり話そう、僕は君の自殺を認めるつもりはない」

 ナガタはそれだけ言うと店に戻っていった。

 嫌な予感……。

 ぷっ、あいつも似合わずかわいいことを言うんだ。

 僕は一人でくすくすと笑った。

 風が吹いた。

 店の周りの木々が揺れ、ざわざわと風を教える。

 どくん。

 え?

 どくん、とまた心臓が強く鼓動を打った。

 なんだ、この胸のざわめきは。

 僕の後ろで、店のドアが開いた。

「こんばんは」

「あ、こ、こんばんは」

 僕の初恋の、彼女がそこにはいた。


 3


 僕が初めて恋の告白をした女性。

 そしてものの見事に玉砕することになった。

 今回の、すべての動機になる彼女が目の前に立っている。

 変わっていない。

 まるで変わっていない。

 その美しさは何一つとして変わっていない。

 僕が高校生のときに、告白した彼女が目の前で微笑みながら立っている。

「あ、あの」

 うまく言葉が出てこない。

 緊張で唾が飲み込めない。

「お久しぶりですね」

 綺麗な発音の日本語。

 何から何まで素敵な彼女。

「あ、はい……」

 白いセーターに黒の細身のパンツ。

 シンプルなだけに余計彼女の魅力が引き立っている。

 そうだ。

 僕は全身全霊を掛けて、彼女のことが好きだった。

 ……振られたけど。

 また風が吹いた。

 木々達がざわつき始める。

 目の前の彼女はおかしそうに優雅に微笑んだ。

 なんでもないただの微笑に、やはり僕はどきっとしてしまう。

 おかげで頭の中は真っ白だ。

 彼女とこうして面と向かって話すのはあの告白のとき以来。

 何を話せばいいのか、わからない。

「去年のクリスマス、銀行強盗がありましたね」

「あ、はい、ありました」僕は何とか頷く。

 大好きだった、否、今でも大好きだが、前に告白をした彼女との久しぶりの再会で話す内容としてはいささかロマンチックではないテーマではあるが、そのおかげで少し緊張がほぐれた。

 先ほどの店内でもやはりこの話題で盛り上がっていたので、まあ、別に不思議な流れではない。

 誰もが感心を持っている話題なのだろう。

「テレビでも遠目に中継されていましたね」彼女はペースを崩すわけでもなく、言った。それでもなぜか彼女の仕草は優雅で、気品が溢れている。

「あ、いえ、僕はテレビを見ていなかったので」



「――え?」

 どくん。

 鼓動が速くなる。

 い、今、何て言った……?

 知っています?

 何を?

 何故?

 風が吹く。

 彼女の綺麗な髪がなびく。

 自分の血の気が引いていくのがわかった。

 先ほどとは別の緊張に取り憑かれる。

 

 胸がざわつく。

 心臓の鼓動が忙しく、動く。

 目の前の彼女は優雅に微笑んでいる。

 その姿はまるで女神だった。

 そして、女神は微笑したまま優雅に首を傾け、言った。

?」


 4


「あの事件、警察が突入して人質は全員無事でしたが、推定百億という巨額の大金と犯人の姿はなく、まるで銀行強盗が本当にあったのかどうかさえ疑わしいほど鮮やかに消えていた。そして、未だにその犯行方法はわかっていない。それどころか、捜査は打ち切りになり、真相は闇の中を辿るのは必至」

「…………」

「まして奪われた八割以上ものお金が汚れたもの。犯人は世間からヒーローのように称えられている。どう考えても今回は犯人側の勝利。たとえ、警察が犯人を捕まえたところで落ちたイメージが回復するわけでもなく、逆に反感を買うことも目に見えている。さすがに日本犯罪史上最も美しい事件と言われるだけのことはありますね、とても美しいと思います」

 目の前の美し過ぎる女神が微笑む。

 微笑んでわずかに首を傾ける。

 普通なら、いつもの僕なら卒倒するぐらい魅力的だ。

 だけど、今はそんな場合じゃない。

 別の意味で卒倒しそうだ。

 怖い。

 恐怖が僕を支配していく。

 だけど不思議と、笑みが漏れた。

 こんな状況なのに。

 見破られたという絶体絶命の状況なのに。

 何をのんきに僕は微笑んでいるんだ?

 反則だ。

 どうして気づけるというんだ?

 何者だ、彼女は。

 こんな、これじゃまるで。

 女神はまた微笑んだ。

「何からお話しましょうか。犯人がどうのようにして銀行内から脱出したのか、それともどのようにして百億という額を用意できたのか……」

 彼女は人差し指を口許に当てて悩んだ表情で僕を見つめる。

 僕は肩を竦めて、両手を広げた。

「あなたのお好きなように」

「あら、ではそうさせてもらいます」

 なぜ彼女がここまで事件に詳しいのか。

 どうして僕達の犯行方法を見抜いたのか。

 そしてさらにはどうしてそれを僕に話すのか。

 疑問は数え出したらキリがないけど、そんなものはまるでどうでもよかった。

 好きだった彼女と話ができる。

 それは僕にとってこの上ない幸福なものだった。

 目の前の彼女は魅力的に微笑み、語り始めた。

「あのときの銀行には大きく分けて四つの大金が預けられていました。一つは現職の総理である坂本議員の預金。二つ目はある政治団体の汚れたお金。三つ目は大手企業CCCの開発資金。四つ目は警察がプールしていた表に出ていないお金。そして不思議なことに前者三つの預金はクリスマスに下ろされる手筈になっていました。偶然にしては出来過ぎていますよね」

「…………」

「九十九くん、あなたが手を回したのでしょう?」

 やはり、本当に見抜いている。

 ハッタリなどではなく、本当に。

「まず、坂本総理は自分の資産を分散させている。そして事件のあったあの支店から二十億以上、下ろされる予定だった。これは恐らく、近くで行われる予定だった美術品のオークションの用意でしょう。彼がこうした嗜好の持ち主であることは有名な話。特にロゼには、強い思い入れを持っていると」

「……なるほど」

「調べれば、坂本議員の私設第三秘書は、同級生で生徒会長を務めた坂本武志さかもとたけしくん。偶然かしら?」

「さあ」苦笑するしかない。

「次に政治団体のお金ですけど、これはずっと以前から収賄疑惑で騒がれていた汚職議員達の隠れ資金の疑いが強い。坂本議員はクリーンなイメージが強く、そうした膿を影で排出していたという噂があります。彼がその政治団体を潰そうとしていても不思議ではない」

 サカモト氏、坂本武雄総理も僕達の仲間だ。今回の銀行を襲撃したメンバーには加わっていないが、その舞台を整えてくれたと言える。

 まあ、昔の麻雀勝負で僕にボロ負けしたので、僕の計画に入らざるを得なかったわけだが。しかし、冷静に考えると総理が仲間って恐ろしいことだよね。

「それからCCCの開発資金についてですが、その開発グループの筆頭に名を乗せていたのが、これもまた同級生の永田行雄ながたゆきおくん。開発資金の運営も任されていたみたいですし、リベートで膨れ上がっていないとも言えない。彼は曲がりなりにも人よりも優れた頭脳を持ち合わせています。彼ほどの頭脳を持ち合わせていれば、自然と考えられる資金よりも低いもので開発することができる可能性は高い。非常に巧妙な、いえ、リベートにならないリベートですね」

 彼女は楽しそうに笑う。

 僕はと言えば、もうすっかり緊張も解けている。正確に言えばただ開き直っただけだけども。ここまでばれていて、今さら何を焦る必要があるのか。

「警察は言わずもがな。警察庁のエリートであるあなたには簡単とは言えないものの、舞台を整えることはできる。少なくとも、一般の犯罪者には不可能でしょうけど」

 焦るどころか、逆に嬉しくなっている。彼女が語るそれが当たっていればいるほど、僕もだんだんと笑いたくなってきた。

「そして襲われた銀行の支店にも、同級生で青山茉子あおやままこさんが勤めていらっしゃいますね。これで、あの銀行支店に百億もの大金を用意でき、かつ、その情報が得られたわけです」

 本当に女神と話している気分だ。

 何もかもお見通し。

 彼女が神でなければどうして知り得る?

「次に百億を奪って逃げた方法ですけど、こちらも単純です。今回の計画発案者が捜査指揮を執っているのならとても簡単なこと。まあ、誰も警視庁の参事官がこの愉快な犯行計画の首謀者とは思いませんよね」

 彼女はおかしそうにくすっと笑った。

「警察が突入したとき、犯人は銀行内部から姿を消していました。銀行の周りを警察の方々が完全に包囲していたにもかかわらず。なら、自然と答えは出てきます。犯人は警察と人質の中にいた、と」

 そう、彼女の言う通り、誰でもそう考える。

 僕の部下の小泉もそう考えたが、あいつは詰めが甘かった。その先を読むことができなかったのだ。

「突入した部隊、特殊犯捜査係に、同級生の倉崎実くらさきみのるくんと田村敏行たむらとしゆきくん。あとは、人質に坂本武志くんや長田おさだみちよ先生も」

「何もかもわかってるみたいだね」

「ええ、何もかも」彼女は魅力的に微笑んだ。

「続けて」肩を竦めて僕は促した。

「人質は手足を縛られる他に目隠しをされていました。これにはいろいろな意図があるでしょうが、やはり見られたくないものがあったからだと考えるのが普通でしょう。では何を見られたくなかったのか。青山さんや坂本くんが共犯者であることを知られたくなかったのと、あとは銀行を襲撃した倉崎くんや田村くんが着替えるところを見られないためとか」

「うん、そう。もちろん、カメラの位置は把握してね」

「あとはタイミングを計って、捜査を指揮する九十九参事官が突入の号令を出す。警官の配置はあなたの意のまま。死角の多い行員専用の出入口からお金を運び出し、あなたが用意した。警察車両だけは、検問をくぐり抜けることができる。あとはゆっくりとそれを回収するだけ」

「ああ、うん、まったくその通りだよ。あー、完璧だと思ったんだけどなぁ。詰めが甘かったのかな」

「いいえ、そんなことありません。とても素敵な計画だったと思います。わざわざキャリアのあなたがこんなことをするなんて、誰も夢にも思わないでしょう。それに、高校が同じだという共通点こそあるものの、世の中のトップに立つ人間が集まって事件を起こすなど、とてもじゃないですけど普通なら考えられないでしょうね。あなたが捜査指揮を執っていたのなら、警察の配置も思いのままでしょうし、証拠材料となるメンバーの履歴書ぐらい改竄できたでしょうしね」

 同じ学校に通っていた彼女だからこそ気づけることだ。こればかりは証拠物品を改竄しても意味がない。

「人質のフリをしていた坂本くんや青山さん、長田先生の三人には手足は縛らず、ただそういう風に見せていた。防犯カメラにはそこまで映りませんからね。その三人はお金を運び出したあと、倉崎くんや田村くんに救出されたように見せればよかったわけです。こんなことが可能だったのも、すべての指揮を執っていたのがあなただったからです」

「ありがとう」

「ただ、一つお聞きしたいことがありまして」

「何でもお答えしますよ」

「この愉快な計画はいつごろ思い浮かばれたの?」

「…………」

「どれほど仲が良くても、またどれほど優れた犯行計画であっても、今の地位や生活を捨ててまでこんな大博打を打とうと考える人は多くないでしょう。だから、非常に信じられないことですけど、私が立てた仮説では、あなたがたは――」

「高校のときだよ」

「ああ、やっぱり」

 彼女は両手をかわいらしく合わせると、とびっきりの笑顔を見せてくれる。

「ふふ。ああ……、なんてこと。信じられない。まさかとは思っていましたけど、本当にそうだとは。ふふ、凄い。ああ、あなたは紛れもない天才ね」

「ありがとう。でも、君に見抜かれたら意味がない」

「……いえ、本当、あなたって素敵な方です」

「でも君に振られた」

「あ、ええ……。もったいないことをしたかしら」

「その言葉が聞けただけでも銀行強盗した甲斐があったよ」

 嘘偽りのない、本心からの言葉だった。

「しぇーちゅなぁー? どーこだー?」店内から酔っ払った女性が出てきた。

「あ、ごめんなさい。もっとあなたとお話していたいけど、行かなくちゃ」

「え? 警察に突き出さないの?」僕は首を捻る。

 彼女は目をぱちくりさせて不思議そうな表情をしていたが、やがて吹き出して笑った。

「私は別にそんなことしません。ただ、日本犯罪史上最も美しい事件を起こしたサンタさんとお話がしたかったの」

 少し怒ったようにそう言うと、彼女はウインクをした。

 やはり、あれから二十年近く経つけど彼女の魅力は薄れない。

 見た目もまだ二十代前半。

 まるで歳を取っていないかのよう。

 まさに女神だ。

 スタイルも良くて、

 性格も良くて、

 かわいくて、

 美しくて、

 頭脳は天才的。

 特徴的な緋色の髪。

 とても気まぐれで、何を考えているのかわからない自由な人で。

 みんなの憧れだった。

 僕も大好きだった。

 告白して、即座に振られたけど。

 でも、彼女は変わっていない。

 たぶん、僕はこの上なく幸せだ。

 僕が立てた計画は完璧じゃなかった。

 けど、見抜いたのが彼女だった。

 たぶん、それはとても素晴らしいことだと僕は思う。

「あなたのことが少しだけですけど、わかった気がします。とても綺麗な人ね、あなたは。純粋という言葉がとてもよく似合う。たぶん、だから彼らはあなたに惹かれたのでしょうね。それは努力でも才能でも買えない、掛け替えのないものです。天才よりも恐ろしい存在かも」

 女神はそう言って微笑む。

 泣きたくなった。

 ただただ無性に。

 悲しいわけじゃない。

 そう、嬉しいんだ。

「これは、あなたにしか起こせない事件ね、きっと。本当に、美しいと思う。種明かしできないのが残念でならないぐらい、美しい」

「そうだね。せっかくだけど、自慢はできそうにない」

 とても心地いい時間。

 生きていて良かったと思う。

 自殺の意志が変わったわけでは決してないけれど。

 ただ、今日まで生きてきて良かったと思う。

 それだけは確かだ。

 それだけは絶対に変わらない。

 彼女は酔っ払った女性に肩を貸しながら、顔だけを振り返って僕を見つめる。

「またいつかお逢いしましょうね」

「ええ、きっと」

「それじゃあね、サンタさん」

「あなたもお元気で、女神様」

 涙を堪えるため、奥歯を噛み締めながら僕は何とか答えた。


 5


 店の中に戻ると、お酒の入った人達が何人か暴れていた。

 よくもそんなに騒いでいられるものだ。半ば感心しながら何か飲むためにドリンクバーへ向かった。

 先ほどの緊張のためか、のどがからからだった。

 まあ、心地の良い時間でもあったけど。

 その場で一杯オレンジジュースを飲み、再度ジュースを注いで適当に座れる席を探す。

「おーい、モモぉ」

 声のする方を見ると、ミノルが機嫌良さそうに手を挙げて僕を呼んでいる。

「こっちこいやぁ」

 あれは相当できあがってるな。あいつは昔から酒を飲むと絡む傾向が強い。まったくいい迷惑である。

 ミノルのいる席に移動すると、タムラやマコも揃ってお酒を楽しんでいた。

「久しぶりだね」

「そうですね。クリスマス以来ですか」

 僕はタムラとグラスを交わした。

 ミノルは何かわけのわからないことを叫んでは笑っているし、マコもマコで寝ちゃったのかテーブルに伏している。

「しかし、本当にやり遂げたんですね、僕達」感慨深げにタムラが染み染み言った。

「ああ、夢じゃないよ」

 テーブルにあったピザに手を伸ばす。少し冷めていたけどまだおいしかった。

「先ほどは外で何を話されていたんですか?」

「え?」

「ほら、女性と二人で話してましたよね? 大変だったんですよ、マコさん、機嫌悪くされて」

「それで飲み潰れたの?」僕は隣で突っ伏しているマコを見る。「まるで成長してないなぁ、マコ」

「それだけ好きだということじゃないですか?」タムラも少々お酒が入っているらしく、楽しそうににこにこと笑みを向けてくる。

「む。言うね、タムラ」

「モーモたん!」

「うわっ、ミーちゃん?」

 突然ミーちゃんに抱きつかれた。彼女もまたお酒臭い。相当飲んでいるようだ。

「んふふー」僕を見るなり全開の笑みで微笑んでくる。「えっと、モモたんとぉ、マコマコはいつになったら結婚すんのー?」

「そうだそうだぁー、早く済ませちまえ!」酔っ払いのミノルも絡んでくる。

 まためんどくさい話題を持ち出しやがって。

 僕は恐る恐る隣のマコを見る。

「うぅ、ん……」

 どうやらまだ寝ているみたいだ。

 少しほっとする自分が確認できた。

「ほらぁ、ぶちゅっとキスをしちゃいなさい!」

「そうだそうだぁー、しろしろぉー!」

 酔っ払いどもめ。

 助け船を求めるつもりでタムラを見ると、こっちもしっかりとお酒が回っているらしく、なにやら笑っている。

「そうですよ、モモくん。女性を待たせるものではありませんよ。彼女はずっと一途に君のことを……」

「そうよ、高校から付き合ってんでしょ? 私という女がいたのにぃー! あー、悔しい!」

 ミーちゃんは恐ろしいことを言い始めた。

 くそ、何なんだよ。

 なんで同窓会でそんなに盛り上がれるんだよ。

「ハッピークリすまふっ?」

 意味不明な上に舌が回っていない。

 こいつら集団で絡み酒なのか。

「わははは! しょれではっ、ひんろーひんぷの、ひゅーひょうえです! 新婦、マコ! 新婦モモ! んん? 女ゃっ?」

「おい馬鹿、ミノル騒ぐな。マコが起きる」

 今マコが起きたらたぶん最高にめんどくさいことになる。それだけは何とかして避けたいところだ。

「あー、マコマコの寝込みを襲う気だぁ! モモたん警部補のえっち!」

 やばい、どんどんエスカレートしていく。

 歯止めが利かない。

 頼むから騒がないで。

 マコが起きてしまう。

「モモ!」

 突然背後から叫ばれた。

 その声に思わず顔も歪む。

 起きちゃった。

 僕は大きくため息をついて、心を決めたあと振り返る。

 マコが口を一文字に結んでぶすっと僕を睨みつけている。

「や、やあ」

「何がやあ、よ。アイドルみたいなあだ名で、ばっかみたい」

「ちょ、ちょっと待てよ。モモって、マコが小学生のときに僕につけたあだ名だろう!」

「知るか! 九十九一がどうしてモモなのよ!」

「足したら百になるね、って君が言い出したんだぞ! その当時人気だったアイドルの名前と一緒で、それでモモだって!」

「むー、うるさいなぁ!」

「はぅあっ!」

 ずんっ、と左足に重い衝撃が走る。マコのローキック……。

 立っていられるはずもなく、僕は態勢を崩して床に倒れた。

 しかし相手は鬼神マコ、まるで容赦がない。

 倒れた僕の即頭部へ下段のかかと蹴りというマジで洒落にならない、笑えない必殺の追い討ちをかけてくる。

「ど、どうかしたの? なんか、すごい音が響いてたけど……」

 幹事であるサカモトが助けに来てくれた。

 僕はサカモトに助けを求め、右手を伸ばす。しかし床に倒れているために気づかれない。サカモトと僕の視線が交わることはなかった。

「あー、なんでもねえよ、ちょっとモモが潰れただけだ」ミノルが大笑いしながらサカモトに言った。

「なんだ、桃が潰れただけか。ならいいけど」

 よくない。

 無常にもサカモトはもとにいた席へと戻っていってしまった。

 ああ、どうしよう。

 さっきは女神だったけど、今目の前にいるのは鬼神だ。

 や、やられる。

「なんだ、やけに楽しそうだな、九十九」

「にゃ、ナガタぁ」

「どうしたんだ、床に這いつくばって。コンタクトでも落としたのか?」

「ナガタ、こいつら酔っ払いを何とかしてくれ」

 ミーちゃんは笑いながら僕にアンクルホールドを極めてくるし、マコは酔いが回ったのか床に突っ伏して寝ちゃって、しかも寝ながら僕の人中とか恐らくマジで笑えない部位ばかりを攻撃してくるし、ミノルは笑いながら笑ってるし、タムラも笑って見てるし。

 このままでは僕が人として生活できないようになるのも時間の問題じゃないかな。

「頼む、ナガタ、この酔っ払いどもを」

「いや、酔っ払いは苦手なんだ。論理が通じないから」

「ええっ? 苦手って、何とかしてよぉ!」

 僕も命が掛かっている。ついつい口調も荒れてきていた。

「九十九、君が酔っ払いに迷惑をしているのは、君が素面だからだ。なら、酔っ払いをどうにかするのではなく、君も酔っ払えば問題は解決する」

「おお!」

 逆転の発想。さすがは天才ナガタだ。

 そうだ、僕もお酒を飲めば済むことじゃないか。僕は近くのテーブルに置いてあったビール瓶を手に取り、一気に飲み干した。

 うわぁ、おいしい。

 どうして僕は飲まなかったんだろう?

 あれ、何か忘れてるような……?

「んんー、まっいっか」

「そーいや、モモ、お前って下戸だったんじゃね?」

「ひゃひゃ、まーいーら」

「ぶわっははは」

「飲むぞぉー」

「ビビンバ!」

「ジャンボぉ!」


 この数時間後、九十九一は逮捕されることになる。

 クリスマスに起きた銀行襲撃事件の主犯格として、ではなく、スピード超過及び飲酒運転などでの逮捕だった。

「今日という今日は言い訳はできませんよ!」

 見慣れた顔のミニスカポリスにそう言われ、手錠を掛けられる。

「……ちが、これは……」呂律が回らない。

「はい。四月一日午前三時二十一分、逮捕」

「あ、あれでそ? えーぷりるふーるでしょ?」

「逮捕ー!」

 死にたくなった。

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