第2章 落ちた先にも夢がある
1
泣きっ面にも蜂というのはよく言ったもので、僕の貯金残高は三万円どころか十一円しかありませんでした。
「くそう」
しかし神様も残酷だ。
僕を死なせてはくれないのか? ああ、そんなやさしさを持ったお人ならば、どうして彼女を振り向かせてくれなかったんだ。
とりあえず、現状を再確認すると、目標達成までまるまる三億が必要となってくる。気が遠くなったり、死ぬ気が失せて逆に死にたくなるような、そんな巨額が必要だ。
死ぬ方法だってまだ考えていないのに。
「…………」
ええい、とりあえずは金だ。何をしてでも三億円を稼がなくてはならない。
僕は机に向かい、ノートを広げた。
大体、大卒の初任給が二十万円くらいか? えっと、年収はその二十倍と考えて……。ざっと四百万円。悪くない額だ。だけど、これから生活費云々を差し引かなくてはならない。
僕はノートに数字を書き込んでいく。しかし少し書いてすぐにやめてしまった。
「三億か」
計算が、まるで無意味になるような、そんな額だった。改めて知るその巨額。やはり圧倒的過ぎる。ああ、もう。頭が混乱してきた。
「でも、死ぬには金が要る。なんとしてでも……」
僕はため息をついて、部屋の壁に掛かっている時計を見上げた。夜の九時になっている。あれから、家に帰ってきてから、すでに五時間近くも考え込んでいたようだ。
とりあえず、わかったことは一つだけ。
普通に生きていては死ねない。
それだけだ。
死ぬためには、自殺するためには、巨額をこの手にするには、何か別の切り口からのアプローチを試みるしかない。
問題は、それが何かだ。普通に働くだけでは手に届かないような巨額だ。どこかで何かしらのギャンブルをしなくちゃいけない。
競馬やパチンコはだめだ。レートが低過ぎる上に、運否天賦。それではどうにもならない。宝くじを買って当たることをただひたすら祈るようなことをしていては埒が明かない。
となると、裏カジノとか、高レートで運に左右をされにくい、実力で勝ち取れるようなものでないと。しかし、今の僕にはそうした勝負をする元金がない。
うーん、どうしたものか。
深く悩んで唸っていると、部屋のドアをノックされた。
「え? 何?」
思わず、変な声を上げてしまった。
ドアを開けて顔を覗かせたのは母親だった。顔がにやけていて、なにやら嬉しそうな表情である。
のんきなことだ。一緒に自殺について考えてくれるどころか、巨額を提示して息子を苦しめているなんて。まったく、母親のすることじゃない。
「よっ、色男ぉ」母親は僕に近づいてきて、僕の頬をつつき始めた。「ほら、マコちゃんから電話よ」
それだけ言って、にやにやしながら部屋を出ていった。
とりあえず、僕は電話に出るために下へ降りた。階段を下りたところに古い電話が置かれていて、今はその受話器が外されている。
「もしもし?」受話器を手に取り、耳に当てた。
「モモ?」
「うん。どうしたの?」
「え、だって、今日の帰りに変なこと言ってたでしょ? それで、ちょっと心配になったから……」
「変なこと?」僕は受話器を持ったまま首を捻った。
何か言っただろうか。うーん。
「自殺がどうとか」
「あー」
そうだった、思い出した。
自殺についてマコに相談したら、返ってきたのは熊も殺せるローキックだった。どうりで左足が痛いわけだ。内出血をして軽く腫れてはいるものの、骨は折れていない。毎日カルシウムを摂っていて良かった。
「どうしてあんなこと聞いたのよ?」
「いや、マコって流行に敏感でしょ? だから何か楽な自殺方法について知らないかなって思って」
「あんたねぇ」受話器越しにマコがため息をついたのがわかった。「そんなことについて知ってるわけがないでしょう? 大体、どうして自殺の方法についてなんか知りたがるのよ?」
「え、自殺をしようかなぁ、と」
「え……?」
「?」
「……どうして自殺なんか。あんた、もしかして誰かにイジメられてたりするの?」
「ん? ううん、違うよ」
「じゃ、じゃあどうして自殺なんか考えるのよ」
「うーん」
「悩むな」
マコの言葉は鋭く容赦がない。だけどその口調は呆れている様子の他にも、何か違った雰囲気がある。
しばらく、沈黙が続いた。
マコの息づかいと、受話器を通じる空気の摩擦音しか聞こえない。
「……まあ、あんたが嘘や冗談の類を口にしないってことは知ってるから、その……、自殺っていうのも、本当のことなんでしょうけど。でもそれにしたって……」
なぜか、マコの声はところどころ途切れがちだった。
「マコ?」
「ほ、本当にするの?」
「うん、まあ、そのつもりではいるけど」
「どうして? 何も死ぬことなんかないじゃない!」
「え? 何を怒ってるの?」
「べ、別に怒ってなんかないよ!」
とは言うものの、怒鳴りつけるあたりのことを考えると疑う余地はなさそうだった。
「ね、ねえ、自殺なんて馬鹿なことやめなさいよ。ほら、えっと、上手く言えないけどさ、その、月並みだけど、生きていれば何かいいことがあるかもしれないじゃない」
「月並みだね」
「わ、悪かったな」
「自殺をやめるつもりはないけど、うん、でもすぐにするというわけでもないんだ」
「そうなの? ていうか自殺をやめなさいって」
「ちょっと困ったことになってさ。実はお金のことでトラブルが発生してね」
「人の話を聞きなさいよ、自殺をやめなさいって」
「まあ、ニュアンス的には三億円の借金を抱えることになってしまったんだ」
「だからさっきから会話が成り立って……、って、ええぇっ? さ、三億っ?」
「うん」
「あ、あんた何やったのよ?」
「何もしてないよ。ただ生きてるだけで発生したんだ」
「そ、その借金を苦にして……? それで自殺を考えてるの?」
「どうしてそうなるの?」
「え、違うの?」
「借金も返さないで自殺するなんて、卑怯じゃないか。それは負け犬の逃亡者がする卑劣な行為であって、僕はそんなことしないよ。僕は自分の責任ぐらい自分で持てるよ」
「……あ、そう。なんか、あんたの言ってることがよくわからなくなってきた。正しいことを言ってるようで、どこか間違ってるような……。あんたって馬鹿じゃないの?」
「僕はマコより……」
「だとしても馬鹿よ」
マコは僕の言葉を遮ってきっぱりと言い切った。
「もう一度言う。モモ、あんたは稀に見る馬鹿よ、馬鹿」
二度言われた。
ミノルにも言われたような気がする。ここまで周りに言われてしまうと本当にそうなのか、不安になってきた。
「僕は学校の成績だってマコよりも」
「馬鹿が指を差して笑うような馬鹿よ」
「偏差値だって」
「とんでもない馬鹿」
「僕は」
「馬鹿」
うぬぅ。夜に電話をしてきたと思ったら馬鹿を連呼ですか。なんなのですか、最近の女子高生は。
「おやすみ、馬鹿」
「あ、ちょ、ちょっと」
あとはつーつーという電子音だけが受話器から漏れていた。
勝手に電話してきて、勝手に怒って、最後には馬鹿を連呼して、勝手に切ってしまった。
「…………」
僕って馬鹿なのかな?
首を捻りながら、僕は部屋に戻ることにした。
結局、何一つとしていいアイディアが浮かばないうちに朝を迎えてしまった。布団の中でも妙案が生まれることはなかった。
どうすれば三億という巨額を手にできるのだろう。
しかし、それを考えて手にできるのなら世界はハッピーだ。そういう世界ならばまだまだ捨てたものじゃないが、そうなると相対的に貨幣価値が極端に下がる結果を導くことになりそうで、詰まるところ、どうしようもないわけで。
ずっと考え込んでいたためか、少しくらくらする。おまけにものすごく眠い。
それでも、無情に時は止まらない。
僕はため息をついて布団から這い出る。制服に着替えると、朝食を取るために居間へ向かった。食卓には、林檎が一つだけ置かれていた。
「…………」
そのまさかである。たぶん、これが僕の朝食なのだろう。当然のことながら皮は剥かれておらず、それどころかメーカーのシールが張られているという状態だ。恐らく、洗ってすらいない。
金というのは恐ろしい。さらには人間というのも恐ろしいものだ。
これほどまでにアバウトなものがあるだろうか。
用意しないのではなく、用意した結果が林檎なのだ。
この単純で微妙な違いに、人間性を大きく問うことができる。
まず、普通ならば朝食自体を用意しないだろう。当然である。林檎だけを用意するのならば、圧倒的に朝食を用意しない方が普通であり、またある意味健全で主婦らしいとも言える。
しかし、目の前には林檎だけが、剥かれずに、洗われずに、そのままぽつんとただただ置かれているのだ。
恐ろしい。
これは主婦側にとって、用意した、ということになる。この林檎が朝食になるかどうかは、あくまでも食べる側の主観的な問題であり、つまり、主婦側の言い分として好き嫌いまで考えて用意する必要はない、ということになりそうではある。
こういった林檎も、恐らくは三億円の一部なのだろう。
そう思うと、泣きたくなってくる。
「この林檎に僕は悩まされているのか」
僕は顔を洗うと、カバンに林檎を詰め込み、家を出た。
2
しかしどうしたものだろう。
三億をどうしたらいいのか。
新聞を見る限りでは今日もまた自殺者のことが載っていた。
「はぁ……」
出るのはため息しかない。まったく、上手いこと死ぬもんだ。羨ましい。
「自殺の記事を羨望の眼差しで見てるとこ悪いんだけどよ」
顔を上げると、ミノルが立っていた。
「珍しいね、ミノルが図書室に来るなんて」
僕一人ではどうしようもなかったので、とりあえず学校の図書室でいろいろと参考になるようなものを物色していたところだった。授業は聞いていても時間の無駄なので、二時間目の途中から抜け出していた。
「マコから聞いたけどよ、借金抱えてるんだって?」
「え? 僕が?」
「ああ、ちげーの?」
「違うよ。自殺するのにお金が必要なだけで、別に借金をしているわけじゃないよ」
「あ、お前、あれからどうしたんだよ? 自殺のこと、親に相談したのか?」
「したよ」
「マジで? え、本当に? え、てか、馬鹿じゃねえの?」
信じられないという表情で、ミノルは僕を見つめる。マコといい、ミノルといい、どうしてこうも僕のことを馬鹿にするんだろう? もしかして本当に僕が馬鹿なのか?
いや、まさかな。
「……で、当然ながら止められたんだよな?」
「いや、基本的に許可は下りている」
「ま、マジで?」ミノルの顔が引きつった。
「何だよ」
「い、いや。……ま、まあ、考えてみれば、親あっての子だからな。うん、なるほど。そうきたかぁー……」
「だけど条件が出されたんだ」
「条件?」ミノルは首を捻った。「つか、条件出して自殺を容認する親っていうのもすごいけどな」
「自殺するなら現金で三億を用意しろって言われた」
「三億? 死ぬのに必要なのか?」
「お母さんの言い分としては、育て損になるから今まで掛かった養育費+諸経費を払ってから死ね、ということみたい」
「ぱ、パワフルだねぇ、お前の母ちゃん」
「はぁ、どうしよう……」
「それで悩んでんのか?」
「うん」
「……馬鹿じゃねえの? そんなの、自殺するんなら反故しちゃえばいいのに……。素直なんだか、馬鹿なんだか……」
ミノルが何かをぼそぼそと言ったが、よく聞こえなかった。
「何か言った?」
「何も。大変だなって」
「そうなんだよ、何かいい方法はないかな?」
ミノルは机に並べてあった本を一冊手に取ると、ぱらぱらとページをめくりながら肩を竦めた。
机には新聞のほかに先ほど僕が調べてきたお金になりそうなことが書いてある本が五冊ほど置かれている。古銭やら埋蔵金やらツチノコやら経済関連の書物だ。
「宝くじでも当たらねえと無理だろ」ミノルは呆れたように言った。その表情はくだらないと言わんばかりだ。
「宝くじは現実的じゃない」
「ま、そうだわな」
「何かいいアイディアはないかな?」
「あればやるだろ、誰だって。そういったもんがないから、みんな汗水垂らして働いてんじゃねえかよ」
「そうだよね……」
「真っ当な方法じゃ無理だな。そういった大金を得るためには神懸り的な強運か、才能を持ってないとだめだろ。幾十年にも渡って働いても、手にできないぜ、億は。無理だよ、諦めろ」
真っ当な方法じゃ無理、か。
読んでいた新聞を何枚かめくる。すると、横領事件や詐欺による被害についての記事が載っていた。どちらの事件もその被害額は数千万単位だ。
なるほど。
才能や運以外でとなると、やはりこうした法に触れることじゃないと無理なのかもしれない。
「おいおいおいおい」ミノルが机を叩いた。「お前、ぜってーよからぬこと考えてただろ? 何考えてんだ、おいっ」
「え、だって……」
「だって、じゃねえ! いいか、こういうのはな、絶対に捕まるんだよ! 捕まってるから、こういう風に記事になるんだろ? 馬鹿な真似はよせ、馬鹿!」
ミノルはそう言うが、しかしほかに方法がなければやるしかないだろう。
大体、捕まるのは犯人が馬鹿だったからだ。たしかに日本警察は優秀だし、検挙率だって世界の警察機構を対象にして比較してみても段違いだろう。日本ほど治安がいい国も珍しいわけだ。
だけど、逆の発想からしてみれば、それだけ日本人は犯罪に疎いんじゃないかな? 犯罪者の発想が貧相過ぎるんじゃないだろうか。ゆえに捕まる。
なら、上手く立ち舞えれば。
どうする?
僕は高校生だ。横領しようにもその対象がない。まさか学校の金に手をつけようにも、その金がどこにあるかわからないし、一般の企業と違って数千万なんて額はないだろう。横領はできない。
詐欺。しかし、詐欺にしても難しい。人を騙さなくてはならない。できれば、そう、あんまり悪役には回りたくない。
うーん、難しいな。
「おい、人の話を聞いてんのか?」
「悪いことをしてるんだけど、正義の味方ってない?」
「はぁ?」
「あ、やっぱないよね」
「あるよ。そういうの義賊って言うんだよ」
「へえ」
それは知らなかった。やはり一人で考えるよりかはこうして知恵を出し合う方が素晴らしく効率がいい。持つべきものはやはり友ということなのだろう。
「義賊かぁ」
僕は立ち上がって書棚に向かう。
「おい、つか、人の話を聞けよ!」
まずは辞書を開いて義賊を調べてみることにする。
すると『金持ちから金品を盗み、貧しい人達に分け与える盗賊』とある。
なるほど、たしかに悪いことをしているにもかかわらず正義の味方っぽい。
よし、義賊になろう。
ん? あれ、ちょっと待てよ。貧しい人達に分け与えないと義賊にならないのか。えー、せっかく奪ったものを分けるわけ? うーん、それは嫌だなぁ。でも、そんなことを言ってるとせこいと言われそうだし、せこいって言われるのは何か嫌だし……。
うーん。
あ!
僕が貧しいんだから問題はないんじゃないかな? そうだ、僕は貧しいから、そういったお金が欲しいんじゃないか。
「ミノル、決めたよ。僕、義賊になる」
「知らねえよ!」
「君も仲間にしてあげるね」
「ならねえよ。つーか、お前、だんだん訳がわからねえ方向に突っ走ってないか?」
「よーし、次はチーム名を考えよう!」
「おい、ちょっと待て! 俺は別に、てゆーか、やらねえって言っただろ! おい、話が噛み合って……。ああ、おおい!」
「そうだ、僕にちなんでモモちゃんズっていうのはどうかな?」
「嫌だっつうの、そんなの。どうせならもっとカッコイイやつの方が……って、俺はやらねえって言ってんじゃん! ああ、もう、俺の話を聞けぇ!」
3
「やっぱりね、僕としては人を傷つける方法は感心しないわけなんだけど、そこの辺り、作戦実行隊長の君としての意見を聞いておきたいんだけど、どうかな?」僕は書棚からそれらしい本を何冊か手に取りながらミノルに尋ねた。
「つーか、普通にやることになってんのな、俺。しかも作戦実行隊長って……。一番危ない橋じゃねえかよ」
「大丈夫だよ。僕は完璧な計画を立てるから、捕まる心配はまるで無用だよ」
「…………」
「誘拐とかはしたくないんだよね。君の意見は?」
「何もしたくねえ」
「わがままを言うな。何かしないと大金は得られないんだよ。もちろん、やるからには徹底したいからね、成功報酬は一人頭億単位は欲しいところだろ。ま、君は親友だから色をつけるよ」
「色ねぇ……。いやいや、そうじゃなくてよ」ミノルは激しくかぶりを振る。「何だ、これはいったい」
「え、何が?」
ミノルは両手を広げ、それを上下に揺らしながら、僕をじっと見つめた。まるで今にも泣きだしそうな、そんな焦燥ともとれる表情で、まじまじと僕を正面から見据える。変な顔。
「マジで、やばくないか、お前」
「僕が? 何を」
「いやいや、完全にネジがぶっ飛んでんだろ」ミノルは僕の肩を掴むと前後に激しく揺すった。
「まさか」僕は鼻を鳴らした。
「自覚無しか!」
ミノルは声を荒げた。ここが図書室であるということを忘れているらしい。幸い、今は利用者も司書なる図書委員もいなかった。
「アイドルに告白して! 見るも無残に振られて! 自殺まで考えて! そして今度は犯罪に手を染めようとしてんだぞ? そんな奴のどこが正常だって言うんだよ!」
「……やばいな」
冷静に、客観視してみると事態の深刻さが浮き彫りになってくる。ミノルが慌てるのも無理はないかもしれない。
「だろ? そうだよ、少しは落ち着けって」
「うん」
僕が頷くと、ミノルは安心したように、胸を撫で下ろした。
「で、何をする?」
「は?」
僕が尋ねると、ミノルは間抜けな顔を晒した。
「だから計画だよ。何とかして数億円を手にする必要があるだろ? やりたくはないけど、背に腹は代えられないし、誘拐でもしちゃう?」
「……おい、人の話を聞いてたのか、馬鹿」
「どう考えても僕の人生は悲惨で、君が言うように、やばい。だけど、どんな物語も、詰まる所は最後の数ページで決まる。最終章だよ。それが完璧な出来栄えならば、それはいい物語だった、ってなるだろ? ここから挽回するためにも、もう余白は無駄には出来ないぞ」
「…………」
「おい、何を頭を抱えて悩んでいるんだよ。黙ってちゃ、いい案なんか出ないだろ? ほら、ミノル。モモちゃんズは何をしたらいいんだろう? 誘拐? 詐欺? どうすれば大金を手に入れられるんだろうね」
「もう、何なんだよ、お前……」
ミノルはため息をつくばかりでまったく協力をしてくれなかったため、仕方なく僕は片っ端から本を読み進めていくことにした。
お。
早速、徳川の埋蔵金という見出しに惹かれる。
江戸城の無血開城の際に、明治政府が期待していた幕府の御用金は城内のどこにもなかった。そのため政府は幕府がどこかへとそれを隠匿したと考えた。このことが、この都市伝説の始まりである。と記されていた。
参百両もの大金が手つかずでまだ眠っているわけか。
参百両が具体的にどれほどのものか僕にはわからないが、それでも多くの人間を熱狂させていることを考えれば、きっと浪漫に満ちた価値があるのだろう。
しかし、見つけた際の文化財保護法の縛りが少々気になるな。文化庁に届け出をしてしまうと、長官の一言によっては埋蔵金は政府所有となり、僕の手元には雀の涙程度の報労金が残るだけ。しかも場所によっては土地の所有者、地権者と折半になることだって……。国庫に帰属する――なんて都合のいい文言だろう。どこかのガキ大将の論理みたいだな。
まあ、見つけても黙っているしかないな。
僕は本を閉じると席を立った。本を片付け、かばんを肩に提げる。
「?」ミノルは不思議そうに僕を見つめた。「どこ行くんだよ?」
「ちょっと赤城山に」
「おい馬鹿! 聞け馬鹿! 何なんだ、その行動力は!」
「埋蔵金を探しに行くんだよ」僕はそのまま図書室の出口へと向かう。
「見つかるわけねーだろ! どんだけポジティヴなんだよ、お前はよ!」ミノルは唾を飛ばしながら怒鳴る。「何がちょっと赤城山まで、だ。馬鹿! その辺の裏山感覚で言ってんじゃねえぞ!」
「だから僕が帰ってくるまでに、何かいい犯行計画を立てておいてよ」
「おま、ちょ、どこまで本気なんだよ」
「何言ってるんだ。僕はずっと、全部、本気だよ」
「ああ……」
ミノルは項垂れて、盛大にため息をついた。
「じゃ」
僕は片手を上げて、図書室を出ようとする。
「待て待て待て待て」
ミノルが僕の腕を掴んで制した。
「わかった、お前が本気だっつうのはわかった。だけど何で俺がお前に協力すると思ってんだよ」
「え、だって、友達だろ?」
「友達だけど……、いや、そうじゃなくてよ……」
「?」
「…………」
「違うの?」
「いや、違わないけど……。だって、犯行って……、もう、完全に悪事を働く前提かよ。正気じゃねえだろ」
「でも億だよ? じゃあどうやって稼ぐって言うんだよ?」
「いや、まあ、そうなんだけどよ。でも、だって、捕まるだろ? そんなの、どうかしてる」
「つまり、捕まらなければいいってことでしょ?」
「え? あ、いや、ていうか……」
僕はミノルの顔を見つめる。
彼には相変わらず困惑の色が浮かび上がったままだった。
「捕まるんだって! いいか、モモ。悪いことをしたら、捕まるんだよ! 俺は小学生と話してんのか?」
「違う」僕は首を振った。
「え?」
「悪いことをしたら捕まるんじゃない。悪いことをして、それが見つかったら、捕まるんだ」
「……どっから出てくんだよ、その自信は」
「ミノル。僕は死ぬためにも大金が必要なんだ。そして大金を得るためには何だってする覚悟がある。そして、目的のためには、捕まるわけにはいかないんだ。絶対に捕まらない。だから、君がそのことについて心配しているのなら、安心してくれ。僕は、僕達は、絶対に捕まらない完璧な計画を立てて見せる」
「ああぁー……、もうっ」
ミノルは頭を両手で掻き毟るようにすると、大きく息を吐いた。そして肩を竦めて、引きつらせたままの顔でゆっくりと僕を見つめた。
「本気か?」
「もちろん」僕は即答する。
「本当の本気?」
「そうだよ」
「本当に、本当の本当に本気?」
「くどいな」
「…………」
「…………」
お互いにそこで言葉が途切れた。ただ無言のまま互いに顔を見合う。
「本気なんだな?」
「最初からそう言ってるだろ」
「考え直す気もないんだな?」
ミノルは少し怒っているようだった。いつもは適当に流しているような、そんな風見鶏のような男ではあるが、それでも僕の親友である。僕の彼の視線を真っ直ぐに受け止めて――答えた。
「ない」
「…………」
ミノルは大きく舌を打ち鳴らして、大声で叫ぶようにして言った。
「わかった! わかったよ! 馬鹿のお前に何を言っても無駄だって、さすがの俺でも充分、嫌というほど理解できたよ!」
「む」
「――だから! もう、止めねえ!」
「じゃあ」
ミノルは片手を上げて、僕の言葉を遮る。
「だからって協力するとは言ってねえ」
「むぅ」
「……だけど、お前の言う、その完璧な計画が本当に完璧だと、俺に思わせることができるのなら……、そのときは……、そのときは、とことん最後まで付き合ってやるよ。本当に、完璧な、完全無欠のものならな。絶対に捕まらないって、そう思わせることが出来るなら、やってやるよ」
何を計画するにおいても、やはり必要不可欠なものは信頼できる仲間だろう。人間一人ではどんなにがんばっても限界は見えている。それを考えると、僕にとって、親友であるミノルは絶対に必要な人材であることには変わりない。彼を仲間にできるかどうかで、これから立てる計画が成功するか否かが決まると言ってもいいだろう。
それを考えれば、僕はとても幸運に恵まれていた。
「どうなんだ?」ミノルは僕をじっと見つめる。
「もちろん、完璧な計画を立てるつもりだよ。だけど、具体的な案はまだ考えていない。少し時間が欲しい」
「いいぜ、それまでは付き合ってやるよ。ただし、計画を聞かされた時点でやめるかもしれねえぞ?」
「それなら問題ないよ。僕は完璧な計画を立てるからね」
「まったく」ミノルは苦笑して僕の背中を叩いた。「どこから出てくんだよ、そのわけのわかんねえ自信は」
「じゃあ、とりあえず」
「あん?」
「赤城山に向かおう」
「いや、それはやめよう。マジで」
4
昼休みに入ると、周りの子達は机を並べてお昼ごはんを取り始めた。悩みなど顔にできたにきび程度のものしかないのだろう、そんな笑顔を振りまきながらお昼を取る同級生達を羨ましく思いながら、僕もかばんから林檎を取り出した。
ところどころから奇異なものを見るような視線が降り注ぐ。高校生にもなって林檎も見たことがないらしい。クラスメイト一人一人に自慢して回ってこようか。
「何だそれ、お前」
僕の向かいの席に後ろ向きに座ったミノルが言った。菓子パンの袋を開けながら、僕のお昼ごはんをしげしげと見つめる。
「林檎だよ。蜜柑に見えるなら眼科へ行った方がいい」
「林檎はわかるけど……」ミノルは菓子パンを頬張ると、鼻を鳴らした。「つくづく、エキセントリックだよな、お前ん家」
「?」
僕は林檎からメーカーのシールを剥がすと、制服の袖口で林檎を磨いてから一口齧った。歯茎から血が出たらどうしよう。どうしようもないんだけど。
「まず、何をするか決めないとね」
「計画、ね。そんなもん簡単に思いつくなら苦労しねえって」
「やる前から諦めててどうするんだよ」
「この場合は諦める方が利口の気がするけどな」ミノルはパックのジュースに手を伸ばした。「実際、誰にも聞けないだろ、こんなこと」
「うーん……」
たしかに、ミノルの言う通りだった。
わからないことについて尋ねる際に、誰に聞くべきかというのが重要なのは言うまでもない。だがここで問題となるのが、犯罪について詳しい人間がどれだけいるのか、そしてどこにいるのかということ。
ぱっと思いつくところでは、当然のことながら警察と犯罪者の二つである。だがまさか、警察に犯罪について相談するわけにはいかない。となると犯罪者に、と考えたところで、その犯罪者とどう接触すればいいのだろう。どうにかこうにかして接触できたとして、素直に教えてくれるとはとてもではないが考えられない。
となるとやっぱり。
「教師と親はだめだぞ」
ミノルごときに先回りされてしまう始末。
「お前、今、とてつもなく失礼なことを思ったろ? お?」
詰め寄るミノルを無視して、僕は図書室から借りてきた本を広げることにした。虚構世界の推理小説ではあるが、何か参考になるかもしれない。
「おい、無視すんな」
「ミノルも手伝ってよ。何か浮かぶかもしれないだろ」
僕はミノルの分の本も机に出し、彼に渡した。ミノルはしばらく何かもの言いたげな表情を浮かべていたが、やがて諦めたのか本を手に取り、ぱらぱらと雑に捲っていく。
「探偵小説ねぇ。てか、金を掘り当てるとかそういうんじゃなく、本当にこっちでいくのな、お前」呆れたように、ミノルは言う。「何冊借りたんだよ、いったい」
「とりあえず目につくものは持ってきた」
「探偵小説に、冒険小説、サスペンス……。ん? 何だ、実際に起きた連続殺人事件をモチーフに描かれた快作……? なんてもんに目をつけてんだよ、お前は」
「わかんないだろ、何が参考になるか」
「いやいや、山ん中の糞田舎で起きた猟奇殺人から何を学ぶつもりだよ。金持ちの爺でも殺して回るってか?」
ミノルの言うことも一理ある。どんなことでもする覚悟はあるが、だとしても人を傷つけるようなことをするつもりはない。無駄に借り過ぎたことは否めないな。
僕は林檎を食べながら、次の本へと手を伸ばした。物語を楽しむために読むわけではない。何か大金を得るのに使えそうなアイディアがないか、それだけを見ていくだけなので、一冊に掛かる時間は十分も掛からなかった。このペースだと、図書室の本はすぐに調べ尽してしまいそうだった。学校の図書室では蔵書の数や種類も限界があるため、町の図書館へ出向くのも悪くないかもしれない。
林檎を食べ終わるころには、二冊目の本も調べ終わった。三冊目に移る前に、なんとなく、見返しの部分、裏表紙裏に貼り付けられている貸出票に目が留まった。そのカードには過去にその本を借りた生徒の名前とその日付が記入されている。全学年合わせて九百人もの生徒が在籍しているはずだが、図書室を利用するものはごく一部の生徒に限られているのだろう、過去にこの本を借りた生徒は十人にも満たなかった。
あれ……。
僕は最初の本を貸出票も見てみる。こちらはわずか三名。
「ミノル」
「あん?」
「その本、最後に借りているの誰?」僕は三冊目の本に手を伸ばし、そちらの貸出票に記入されている名前を追う。
「え、誰って……。えーっと、タムラだな」
「やっぱり。この本もだ」
「え、そうなの?」
「すごい。全部読んでるよ、タムラ」
僕が借りてきた十冊全部に、タムラの名前が記入されていた。
タムラも同級生も僕達と同級生になるが、クラスが違う。僕はあまり親しいわけではなかったが、数学が得意だという印象を持っていた。
「あー、そういや、あいつ、こういうの好きだったっけか」ミノルは思い出したように何度か頷き、手を叩いた。「そうだそうだ、やたらと詳しかった気がする。マニアだ、マニア」
「へえ、これは是非とも話を聞かなければ」
「おう、たぶんだけど参考になるんじゃね」
「タムラってB組?」
「ああ、そのはずだ」
僕の学年は全部で六クラスあり、理系の生徒がいるクラスはA組かB組しかいない。
そのうちのA組は泣く子も黙り寝た子も起きるという秀才軍団で、この学校のピックアップクラス、いわゆる特別進学組となっている。また、A組だけは文系と理系が半々で構成されている。
ちなみに僕は一般の文系クラスなので、C組だった。ミノルもマコもC組だ。
もうすぐ昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴るところだったので、タムラを訪ねるのは五時間目が終わってからということになった。恐ろしく退屈な古文の授業を何とか耐え凌ぎ、僕とミノルはB組へとタムラを訪ねることにした。
教室を覗くと、授業が終わった直後のため、背伸びをしていたり、談笑している者が多く見られる。目的のタムラは見当たらなかった。
「いないね」
「あれじゃねえか?」
ミノルが指差した方を見ると、黒板に書かれた数式を消している男子生徒がいた。
後ろ姿を見る限りは小柄で、神経質そうな生徒だった。
いや、別に後ろ姿だけでなくともその少年は小柄だし、神経質そうに見えたのは黒板の消し方がものすごく丁寧だったからで、特に別に、ええ、関係はありませんね。
さて、僕の記憶が正しければタムラも同じような人物像だったはずだ。小柄で神経質そうな……、もちろん僕の主観的な内容がほとんどだが。
「タムラぁー」ミノルが声を掛ける。
黒板を消していた男子生徒がミノルの声に応じて振り返った。
どうやら彼がタムラで間違ってなかったようだ。
小柄な少年タムラは銀縁の眼鏡を掛けている。
「何か用ですか?」タムラは手についたチョークの粉を叩いて掃うと、こちらにやってきた。
ものすごく丁寧な口調だが、それは他人行儀だからというわけではなく、誰に対してもこの慇懃な態度は変わらないという。
「お前、犯罪について詳しかったよな?」
「……ミステリーのことですか?」タムラは訝しげに首を捻った。
「おお、そうそう、ミステリーのこと」ミノルは頷く。
「それが何か?」
「大金を得る方法って何か君が知っている範囲内でないかな?」代わって今度は僕がタムラに尋ねた。
「大金を得る方法ですか? それがミステリーとどう関係があるんです? 話が皆目検討もつきません」
なかなかに理系らしい人間だ。なんとなく、やりにくさを感じさせる。どうしよう。すべてを話した方がいいのだろうか。
「億単位の大金を得ようとすると、通常はある種の才能か強運が必要になるだろ?」
僕が悩んでいるとミノルが話してくれた。
「ええ」タムラは頷く。
「だから、それ以外の方法で、となるとどうしても法を犯さざるを得なくなる。だけど、世の中の犯罪者は馬鹿だから捕まってしまう。そこで、どういった方法を取れば捕まらずに大金を得られるのか、お前に意見を聞こうかなと思ってよ」
「そうですね……」タムラは神妙な顔つきで考え始めた。「誘拐や保険金殺人などが挙げられますけど、どちらもだめですね。特に後者の場合は世間にも印象が強く、保険調査員の目を欺くことは非常に難しいと言えます。その理由として、まず、自分に身近ではない者を殺せば保険調査員に疑われ、保険金が下りない可能性が出てきます。逆に、身近な者を殺せば今度は警察に怪しまれます」
「おおぉー」僕とミノルは思わず声を上げた。
すごい。このタムラとかいう男、なかなかに詳しいじゃないか。
「誘拐は? 誘拐はどうしてだめなの?」
「まず、条件に当てはまる家庭が稀少というのが挙げられます」
「条件?」僕とミノルは首を傾げた。
「ええ。当然のことですけど、誘拐をするにあたって必要なのは目的である金と、その代わりとなる人質です。そして、犯行のことを考えるとやはり誘拐するのは子供が望ましいでしょう。子供がいる家庭はたくさんありますが、裕福な家庭でなければなりません。さらに言うと、その子供のためにお金を出すという家庭でなければ犯行に大きな支障が出てきます」
「どういうことだ? どの家だって、子供が誘拐されたとなれば金は出すだろ?」ミノルは腕を組みながら不思議そうにタムラに聞き返した。
僕もミノルとほぼ同意見だった。
ただ僕の場合、僕のためにあのお母さんがお金を払うとは思えない。逆に僕を連れさらったのだから、と犯人側にお金を要求しても驚かないだろう。
「要求される身代金の額はこの際ほとんど問題にはなりません」
「?」
「いいですか? 本当に誘拐されたのだとすれば、ほとんどの人が警察に連絡をするでしょう」
「まあ、そうだわな」
「ここで注目したいのはこのほとんどいう点です」
「と言うと?」
「専門家でもないただの一般人である僕達でさえ、ほとんどの家庭が警察に連絡をすると納得してしまうのが問題なのです」
「だから、それが?」
ミノルは話が見えてこないので苛立っているようだ。かくいう僕もタムラが何を言いたいのかわからない。
タムラは咳ばらいを一つして、間を置いてから結論を出した。
「つまりですね、このことはほとんどの家庭が身代金を払うつもりがないということを示しているのです」
「そ、そうなの?」僕は隣のミノルを見た。
「さ、さあ?」ミノルも理解できない素振りだった。
「要求された金額を払えるのならば、警察に通報する必要がありません」
タムラの導き出した結論は至極簡単なものだった。
ただ、その単純さにしばし戸惑ってしまうわけだが。
しかし、なるほど、わからないわけじゃない。
お金を払って子供が助かるのなら、ただ子供を助けたいのならば、お金を払えるのならば、警察に通報するという行為は蛇足だ。
要求された金額が払えない場合、警察に犯人を捕まえてもらい、金を使わずに子供を返してもらうという方法がある。
こうして考えてみると単純だ。
お金を払っても構わないのなら、犯人にお金を渡せばそれで済むのだから、警察に連絡はしない。警察に通報をしたことがバレたら、犯人への挑発に他ならない。それで子供が危険に晒される可能性が高くなる。犯人側にしてみれば、誘拐できる子供はいくらでも外を歩いているのだから、一つの家庭にこだわる理由は存在しない。ゆえに、警察へ通報されたのならば情報隠蔽と見せしめの意味も含めて子供を処分すればいいだけのこと。
つまり、子供を返して欲しい親にとって一番のリスクは金ではなく警察への通報ということになる。
金を払って穏便に済ませようとするのなら、警察へは通報しないのが得策と言うか、それが本来あるべき姿なんだろう。
だけど、ミノルや僕のイメージではほとんどの家庭が通報すると考えていた。ならばそれは、逆説的に身代金を払う家庭がほとんど存在しないということにもなる。
子供の命を最優先するならば、金を払い、身柄を確保した上で、警察に通報するのが望ましい。
なるほど、奥が深い。
タムラに相談してよかった。
僕はタムラのことを尊敬の眼差しで見ていたが、ミノルは何か納得できないのか、まだ首を捻っている。
「どうしたの、ミノル?」
「いや、まあ、つーか、結局だめじゃん」
「何が?」
「タムラの話は参考になるけどよ、でも、保険金も誘拐もだめなんだろ? じゃあ、どうすんだよ?」
「な、なんてこった!」
僕が頭を抱えていると、タムラは笑顔で手を振った。
「いえいえ、保険金や誘拐だけじゃありません。まだいろいろありますよ」
「え、本当っ?」
「ええ」
「じゃあさ、よかったらもっと詳しく話聞けないかな? すごく参考になるからさ」
「いいですよ。僕の方もこうしてお話しするのは楽しいですし、それは構わないのですが、もうすぐ授業が始まってしまいますので、続きは放課後というのはどうでしょうか?」
「あ、うん、全然いいよ! ありがとう」
「それでは」
丁寧にお辞儀をすると、タムラは教室へと戻っていった。それとほぼ同時に校内に授業開始を告げるチャイムが鳴り響く。僕とミノルも廊下を引き返し、自分達の教室へ戻った。
「いやぁ、すごいね、彼」
「んー、ま、いろんな人間がいるってことだな」
「よし、彼をモモちゃんズのメンバーに加えよう」
「つーか、そのチーム名はやめろって」
5
「ミステリーの分野で比較的多く用いられるのは先ほど述べた誘拐や、暗号解読を主とした財宝探しというのがあります」
「へえ」
「ただ、現実問題として見るとき、財宝探しというのは期待できないと思います。わかると思いますが、そのほとんどが作家が独自に考えて創作するもののため、まあ、夢物語ですね」
「なるほど」
放課後、約束通り、図書室でタムラの話を聞いていた。
図書室には図書委員の生徒と教員なのかどうかわからないようなおばさんがいるだけで、あとは僕達しかない。いつの時代も図書室を利用する者は限られているみたいだ。いつの時代と言っても、僕の時代しか知らないわけだけど。
タムラの話によると、ミステリーに出てくるような大金の絡んだ犯罪は現実の世界では難しいらしい。もともと、誘拐などのような人を傷つけるものは嫌だから論外だったけれど、それでも八方塞がりになると現実世界の厳しさに嫌気が差す。
「他には何かないの?」
「そうですね、探偵と怪盗が対決するのも多いですね」
「怪盗かぁ」
「この場合は怪盗がどうやって目的の品を盗むのかがミステリーのポイントになります。犯行予告なるものを突きつけて捜査を撹乱させたり、いろいろな手法があります」
「お、それはなかなかいいんじゃね? これなら誘拐よりも現実味が帯びてて……」
「いえ、実はこちらにも問題があります」
「え、またかよ」
タムラは自分の目を指差した。
僕とミノルはまたしても首を捻らざるを得ない。
「目利きができなければ話になりません」
「目利き……」
「はい。美術品の価値を見極める目が必要となります。そして次に問題となるのが、現代のセキュリティ・システムです。小説の中ではどうとでも書けますが、実際にこのセキュリティを破ろうとすると、膨大な準備、つまりある程度のお金が必要になってきます」
「え、盗みをするのにお金が必要だってこと?」
「そうです。まあ、その辺りのことも置いておき、すべてが上手くいき、目的のものが盗めたとしましょう。最大の問題がこれから起きます」
「最大の問題?」
「盗品を捌くルートを確立させなくてはなりません。せっかく盗んだのにそれをお金に換えることができなければお粗末です。このルート確保、こればかりは素人ではどうしようもありません」
怪盗もだめか。
むー、犯罪も難しいな。
窓の外を見ると、すっかり日も暮れている。二時間近くタムラの話を聞いていたことになるが、どれも現実世界では通用しないものばかりで、参考にはなったが、具体的な計画を立てることは出来なかった。
「どれもだめだね」僕は落胆のため息をついた。
「ま、そう上手くはいかねえよ」どこかへらへらしながらミノルは答える。
「日本の警察は優秀です。軽犯罪ならばともかく、殺人や誘拐などといった重い犯罪はほとんど捕まります。いえ、捕まらないケースはほとんどありません。よほど奇想天外なやり口でない限りは無理でしょう」淡々と、丁寧な口調でタムラは厳しい現実を告げる。
奇想天外な……か。
「そういうこった、諦めろ」ミノルが僕の背中を叩いた。
「え、諦める? それはどういうことですか?」不思議そうに首を傾げたのはタムラだった。
ばつが悪そうに、苦い笑いを見せるミノル。
まあいい。どうせ僕はタムラを仲間にするつもりだったし、この際すべてを話して協力してもらおう。
「実は、何かいい案があれば実行しようと思ってるんだ」僕は彼に正直に話した。
「実行って……、は、犯罪をですか?」タムラは慌てた表情で聞き返す。
「うん」
「え、え?」
混乱してしまったのか、タムラは僕とミノルを交互に見ながら、信じられないという目で首を振った。
「そ、そんな、いったいどうして?」
「大金が必要なんだ」
我ながら非常にわかりやすい動機だと思う。こういうのを純情と言うのだろうか。……たぶん違うね。
「そこで、僕は君をスカウトしようと思う」僕はタムラをじっと見つめる。
「え?」
タムラは口をぽかんと開け、わずかだが首を傾げた。もう何がなんだかわかっていないような表情だ。
「報酬は、まあ、まだ詳しく決めてないけど、億単位のお金は用意するつもり。どうかな、乗る?」
「……あ、え、その……、ほ、本気ですか?」
「もちろん」僕は言い切る。
「ど、どうかしてますよ、そんな……」首を振りながら、タムラは絞り出すような声でそう言った。「……普通じゃない」
「普通かどうかは問題じゃないよ。今、僕が聞いているのは乗るのか乗らないのかということだけ。どうする?」
タムラの口から言葉は出てこなかった。
その代わりに、彼は何度も首を振っていた。
「ま、それが普通だ」ミノルはそう言うと苦笑する。「そうなると、俺は普通じゃねえのかな?」
僕は奥で仕事をしている図書委員を横目で見つつ、席を立ってタムラを見つめる。
「君も理系の人間ならわかるだろう? 普通なんてものはこの世にないんだ。平均値、あれこそ普通じゃない。極値から出る平均値に何の意味はない。ただ、それにすがって生きていくのもまた人間だ。どうするのかは君の自由だし、無理に勧誘するほど時間が余ってるわけでもない」
「…………」
タムラは下を向いたまま、何も言わなかった。
僕とミノルは荷物を持って、そのまま図書室をあとにした。
昇降口を通り、靴に履き替えて外に出ると冷たい風が容赦なく襲ってくる。十二月も半ばだということを思い出させてくれる風だった。
「残念だったな、タムラが仲間にならなくて」
「まだ彼の返事を聞いていない」
「どう考えてもねえだろ、あれは。あれが普通の人間の反応だ。いや、冗談に取られなかった分だけマシな方とも言えるな」
僕は落胆のため息をついた。寒さのためか、それは白く具現化して冷たい風に消えていく。
「ミノルもミノルだよ。友達なら説得してくれてもよかったのに。ただボケっとしてるんじゃくてさ」
「だって、お前が無理強いはしないみたいな言い方しただろ?」
「あれは方便だよ」
「それに俺、タムラとは友達って言うほど仲良くないぜ?」
「そうなの?」
「一年のときクラスが同じだったんだよ」
僕の高校は一年のときに般教、つまり文理共通の一般教養の授業を受け、二年次に文系と理系のクラスに分かれる。一年次は文系のミノルと理系のタムラが唯一同じ時間を過ごしたときだ。
「でも、犯罪に詳しいって知ってたじゃないか。僕はなんとく数学が得意っていうイメージを持ってたけど」
「高校って、中学と違ってほとんど初めての奴らばかりだろ? それで馴染めてねえのかなって思って、最初のころ何度か話しかけたぐらいだよ」
「ふうん。そうなんだ」
しかしどうしたものか。結局のところフリダシだ。どこかにいい案が落ちてないものだろうか。しばらく歩きながら考えてみるけれど、やはり何も閃かない。
家路の途中にある街中はクリスマスを待ち望んでいるイルミネーションで眩しい。赤や緑や白や青や黄色やピンク……。
鬱陶しい限りである。
当然ながらそんなシーズンでは手をつないだカップルがあちこちを歩いている。
こちとら役立たずの友人と学校帰りだというのに。
見てろよ、僕は必ず……。
そんな決意を胸に秘めていたところ、街中の小さな電気店から意外なものが目に入ってきた。歳末セールと書かれた店内に並んでいるテレビ。
まさに今、銀行強盗立てこもり事件が報道されていた。
6
それは誰の目にも明らかなものだった。
犯人側に勝ち目はない。
圧倒的だった。
銀行全体を、警察関係者が包囲していた。前線にいるのは盾を持った機動隊。銀行の周りは警察車両と何十人もの警官らによって完全に包囲されている。
どうやっても、逃げることはできない。
銀行の出入口はすべて捜査員の手によって封鎖されており、犯人がそこから出て行くのは不可能だ。
少し離れた上空からはマスコミのカメラがその緊迫した状況を捉えてある。
電気店の周りにもちょっとした野次馬ができていた。
全員が固唾を呑む。
そして。
警察が動いた。
窓ガラスから、何かを投げ込んだ。
三個ほど投げ込まれただろうか。
すぐに爆発音とともに白い煙が銀行の中から漏れ出し、それと同時に警官が中へ突入した。
呆気なかった。
それで終わりだ。
他は何もない。
たったそれだけだ。
何だこれは?
こんなものなのか?
これが現実なのか?
そんな馬鹿な。
これじゃ、これじゃまるで。
テレビではニュースキャスターが事件解決を繰り返し伝えている。同じことを繰り返している。
警察の勝利を。
犯人の敗北を。
繰り返し、繰り返し。
『銀行強盗立てこもり事件は、発生から四時間十七分、警察が突入し、無事に人質を保護、犯人グループを逮捕しました。繰り返します。本日午後二時四十一分に新宿区の銀行に強盗が押し入り、銀行員とその場にいた客合わせて三十六人を人質に立てこもった事件ですが、先ほど午後六時五十八分に警察が突入し、犯人グループを全員確保した模様です。なお人質に大きな怪我などはなく、全員無事が確認されました。繰り返します……』
僕の周りの人間は安堵のため息をついている。
この場では僕だけが、混乱していた。
なぜだ?
こんなにも儚いものなのか?
気持ち悪くなってきた。立っていられなくなる。
絶望の淵に立たされている。
ふざけるな。
こんなのは認めない。認めてたまるか。
絶対に、何かある。何か方法はあるはずだ。
それを探し出して、僕はやってやる。
完璧な計画を立て、完璧にそれをこなし、完璧に奪ってやる。
捕まらなかったケースはほとんどない、だって?
それはあることの証明に他ならない。
なら、やってやる。
不可能なんてこの世にはないんだ。絶対、やればできる。
人間を舐めるな。知恵と知恵なら、優れた知恵が勝つ。
僕の頭脳と警察の頭脳、どちらが上か、やってやる。
前代未聞でも、空前絶後でも、奇想天外でも、完璧で揺るがない計画を立ててやる。
やってやる。
何が何でも、だ。
僕は笑う。
今のうちに他の馬鹿な犯罪者を逮捕しておけばいい。だが僕は違う。逮捕できるのは頭が悪くて馬鹿な犯罪者だけということを教えてやる。
犯罪をするしか選択肢のない者を捕らえるのは簡単だろう。馬鹿なんだから、発想だって貧相だ。だから、警察も逮捕することができる。簡単なシステムだ。
ならば。
だからこそ、僕ならやれる。
いや、僕にしかできないだろう。
だから。
やってやる。
何が何でもやってやる。
絶対に、だ。
「やってやる!」
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