第8話
新学期を迎え、2年生になってすぐに、母は1ヶ月後に引っ越しが決まったことを私に告げた。母としてはあの一件の時点ですぐにも住居を移したかったのだろうが、私の入院費用などで資金が足りなかったらしい。あの後数か月分の給料の余剰金と親戚からの借金で資金をかき集め、ようやくの決定だった。
そのころ私は相変わらずヨシヒコやケンジと遊んでいて、3人で再び「せんべい屋」へ行くようになっていた。2人は川辺での遊びにこりたのか、ボール遊びをするときは駐車場でやったし、何よりケンジがファミコンを買ったため外で遊ぶ時間が少なくなっていた。ファミコンをやる時間を考えると遠出はできないから、とりあえず「せんべい屋」で買い食いをしてからケンジの家へ行く、というのがそのときのお決まりコースになっていた。あの2人の上級生たちはいつの間にか仲間に加わらなくなっていた。
それでも恒例だったガシャポンは、復活しなかった。『ロングホーン』のテレビ放映も3月で終了し、私は続編である『ロングホーンXX(ダブルエックス)』を観ていたから、それに合わせて発売されたガシャポンもやりたかったのだが、ヨシヒコとケンジの中では『ロングホーン』に対する熱は完全に冷めてしまっていた。2人は実際の戦争で使われていた戦闘機の絵が描かれている発砲スチロール製のゴム飛行機の方に興味が移っていて、ガシャポンをやろうとおそるおそる提案する私のことを子ども扱いした。
引っ越し前日も、私は暢気に2人と「せんべい屋」を訪れた。マリオの話で盛り上がる2人の少し後ろを、ガシャポンをやりたいと思いながらついていくと、店先にあるガシャポンの機械の前にいる影が目に入り、思わずあっと叫びそうになった。
林田さんだった。ガシャポン機の前にしゃがみ、いつか見たときと同じように、3本しかない指で銀色のレバーを回していた。ヨシヒコとケンジも林田さんに気づいたらしく、立ち止まった。
「あいつ」
ヨシヒコは林田さんを睨んだ
「ヨッちゃんあいつのせいでお父さんに怒られたんだもんね。俺も兄ちゃんに殴られた」
ケンジが言った。
彼らの頭の中では、叱られた原因がいつの間にか林田さんにすり替えられていた。しばらく林田さんに視線を向けていたヨシヒコは、やがて足元に落ちていた小石をひとつ拾い上げた。ぽんぽんと2回手の平の上で石を弾ませると、ぐっと強く拳を握りしめ、野球のピッチャーのように大袈裟に足をあげて振りかぶり、林田さんに向かって投げつけた。石は林田さんの頭の上を通り過ぎ、ガシャポンの機械にあたって大きな音を立てた。
ちょうどカプセルを手に取っていた林田さんは驚いてカプセルを取り落とし、首をこちらに向けて2つのオレンジ色の輝きで私たちの方を見た。ヨシヒコは舌打ちしてもう1つ石を拾い上げた。
「見てんじゃねえよ」
今度は投球ポーズを取らず、即座に腕を大きく回して石を投げた。石はまっすぐ飛んでいき、とっさに顔を背けた林田さんの側頭部に命中した。林田さんは石が当たった箇所を手で抑え、うめいた。
「っしゃあ、ストライク」
ヨシヒコは両手を握りしめ十字に構えてガッツポーズをし、それから私たち2人に目を向けた。
「おいゲームやろうぜ。あのウロコに石をぶつけられたら点数入るんだ。体なら5点。頭なら10点な。俺いま頭にぶつけたからすでにじゅってーん」
「そんなのずるいよヨッちゃん。それにもう石がないよ」
ケンジが言った。
「ばか。あそこにたくさんあるじゃねえか」
ヨシヒコは近くにある小石の敷き詰められた駐車場を指さした。ケンジと私は駐車場で両手に抱えられるくらいの石を持ってヨシヒコの前に置いた。「せんべい屋」の方を見てみると、打ちどころが悪かったのか、林田さんはその場にうずくまったままだった。
「順番はなしな。早いもの勝ち。どんどん投げろ。よし、俺いくぞ」
ヨシヒコは石の小山からひとつを取った。
「おらウロコォ、気持ち悪りいんだ、とっとと消えろ」
ヨシヒコは叫びながら再び石を投げた。林田さんはその声に怯え、開いた手を交差させて顔を守ったが、石は林田さんの肩をかすめただけだった。
「ヨッちゃん、あれは」
「うーん、かすっただけだから3点だ。こういうのはちゃんとしないとな。ちょっとお前も投げてみろよ」
ヨシヒコに促されたケンジは石を拾い上げて、
「死んじまえ、ウロコー」
と言って石を放り投げた。石はひょろひょろとアーチを描くように飛び、さっきからずっと顔を庇う姿勢をしている林田さんの2メートルほど手前に落ちた。
「ばか、こうやんだよ」
ヨシヒコは手本を見せてやると言って、もう1つ石を拾い上げた。余裕を取り戻し、1投目と同じように足を高く上げようとしたが、最近いっそう太った体を支えるには片足に負担がかかり過ぎ、バランスを崩した状態のまま投げた。だが石はまっすぐに飛び、林田さんの肩に当たった。
「あちゃあ体か。5点だ。でも俺はこれで、ええと」ヨシヒコは地面に10と3と5を縦に書いて計算した。「18点だ。ほら、お前らも早くやんないと点差開くぞー」
「よぅし」とケンジは石を拾い上げた。
2人は何度も林田さんに向かって投石を続けた。外れる方が多かったが、数回は林田さんの体のどこかに当たった。林田さんは最初に受けた一撃がよほどこたえたのかうずくまったまま少しも動かなかった。
早くこの場から立ち去りたかった。さっきからずっと顔を覆っている林田さんはまだ私には気づいていないようだった。万一気づかれて、私に助けを求めてきたらどうしようと不安だった。私たちが知り合い同士で、人形遊びをしていた関係だと知れたら、いったいどうなるか。
「おい」
軽く汗をかいたヨシヒコが鋭い視線を向けてきて、私はぎくりとした。
「なんでお前、投げねえんだよ」
「え、えっと、僕投げるの下手で・・・・・・」
「知ってるよ」
「もしかして庇ってるの。お前もしかしてあのウロコの仲間なんじゃないの」
ケンジが面白半分に笑いながら言った。だがヨシヒコは笑っていなかった。
「お前、ウロコの味方すんのか」
ヨシヒコの言葉を聞くと、私の頭の中に、林田さんの部屋のドアに落書きされた絵や割られた窓、嵐のような誹謗中傷が浮かんだ。そして今まさに彼が受けている仕打ち。返答を誤れば、間違いなく同じ暴力がすべて私に向かってくる。
ヨシヒコの視線を受けながら私は積み上げられた石のひとつを取り、林田さんへ目を向けた。しばらく石を握ったまま私は躊躇した。ただ石を投げればいい。それだけで2人の目をごまかすことができる。だが手を振り上げようとするたびに、川で抱き上げられた時に見た、オレンジ色の光が目の裏にちらついた。
「おい」
ヨシヒコに声をかけられ、びくりとした私はそのまま勢いにまかせて石を、林田さんに向かって投げた。やっぱり私は運動神経が鈍かった。石は思ったところには飛ばず、当てるつもりなどなかったのに、顔を覆う林田さんの緑色の手の甲にあたった。林田さんは頭を引っ込め、今度は腕全体で頭を庇った。
「おお、やるじゃん」
ケンジが言った。でもヨシヒコはまだむっつりとしていた。
「なんで何も言わないんだよ」
「え」
「投げるときなんか言えよ。黙ってたらつまらないだろ」
「なんかって」
「ウロコ死ねとかでいいんだよ。よし今決めた。ちゃんとかけ声出しながら言わないと減点な」
そう言ってヨシヒコがもうひとつ石を差し出した。
林田さんは目を閉じて投石の痛みに耐えていた。声を出せば、彼は石を投げているのが私だと気づくに違いなかった。もしも、気づかれたら。
ヨシヒコに睨みつけられながらも私が思い切れずにいると、それまで微動だにしていなかった林田さんが、腕に埋めていた顔をゆっくりとあげて、こちらの方を見た。向けられたそのオレンジ色の瞳は、確かに私を捉えた。アーモンド形の黒目がきゅっと縮んで広がったのが、遠くからでもよくわかった。私はヨシヒコの差し出していた石をすぐに掴んだ。
「見るな、見るな、見るな」
握りしめた石を、今度はぶつける気で林田さんに投げつけた。石は美しいほど一直線に飛び、林田さんの左の眼球の少し上あたりにがつんとあたった。「ぎア」といううめき声とともに林田さんは膝をついた。
「おお」
「すげ」
ヨシヒコとケンジの声を後ろに聞きながら、私は林田さんの様子を凝視していた。左目を押さえていたゆっくりと手を離した林田さんは、その手の平を見つめた。私はその左目から滴る一筋の血が、確かに赤い色をしていることに気づいた。
「ねえ、あれ、血?僕ウロコの血って初めて見たよ。青だと思ってた」
「俺も。血出させたのすげえな。これボーナスポイントだな」
そう。レプティリアンには青い血が流れているはずだった。みんなレプティリアンのことを冷血動物と言っていたのだ。冷血なのに、霊長人と同じ赤い血液が流れているはずはなかった。レプティリアンの血は青く冷たいから、他者を思いやることができない、平気で残酷なことができるのだと、あの事件の後でテレビがしきりに繰り返していた。嘘だったのだ。すべて。
私は地面に積み上げられた石の山からまたひとつを掴み取った。そして、今度は誰に強いられることもなく、林田さんに向かって、それを投げた。
「化け物、ここからいなくなれ」
林田さんは私の声を聞きつけると、顔を上げた。大きなオレンジ色をした彼の眼差しが、私の視線とかち合った。石は林田さんの頭の上を通り過ぎて、数メートル先の地面に落ちた。私は、積み上げた石の山から片手で抱えられるだけの量を持った。
そのうちのひとつを握りしめ、私は再び林田さんに投げつけた。
「早く、早く消えろ」
思い切り投げた石は、先ほどよりずっと強い力で一直線に飛び、林田さんの右肩へ直撃した。
「消えろ、消えろ」
私は抱えた石を次々と掴み、林田さんに向かって投げ続けた。
そのときは、自分が石を投げることを止められない理由がわからなかった。ただ、彼らが「トカゲ」ではないことを認めたくなかった。この世に、自分とは異なった人間が存在するという事実を受け入れ、彼らを排除する理由など何もないことを肯定するのが、たまらなく怖かった。
「やべえ、このままじゃ負ける」
ヨシヒコとケンジも石を取り、レプティリアンへ向かって投げつけた。
「冷血動物」
「トカゲ野郎」
「気持ち悪りいんだよ」
「消えちまえ」
「寄生虫が伝染る」
「ミミズでも食っていろ」
林田さんは両腕で顔を覆い、しばらくの間は前かがみになって耐えていたが、石の嵐を受けながらゆっくりと後ろを向いて立ち、よろよろと「せんべい屋」の前から離れ始めた。
「おっしゃ、逃げるぞ」
「ウロコを追っ払った」
ヨシヒコとケンジがハイタッチをした。
私はさらに残りの石を両手で抱えられるだけ抱えると、ゆっくりと去っていく林田さんの背中を追いかけ、彼が振り向いても手の届くことのない距離から石を投げ続けた。
「化け物、化け物、早く、早く、いなくなっちまえ」
私の投げた石は何個も林田さんの背中や後頭部にぶつかって地面に落ちた。
林田さんは1度もこちらを振り向くことなく、顔を覆い俯いたまま歩いていって、ぼんやりとかすむ私の視界から、ひっそりと姿を消して行った。
(続)
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