第7話
意識を失った私には、それ以降の記憶がない。だから、これから記す事柄は後のち周囲の人に聞いたことと、そこから自分が推測したことだ。
だが、その前にレプティリアンの泳ぎ方について、ひとつの誤解を解いておきたい。レプティリアンを爬虫類と同じ冷血動物だと考える人の中には、レプティリアンはまったく泳ぐことができないと考える人がいる。冷血動物は外界の気温によって体温が変化するから、普段陸上で生活しているレプティリアンが水に入ると、その急激な温度の変化によって身動きがとれずに溺れる、という理屈だ。だがそれは間違っている。そもそも爬虫類のトカゲやヘビも、泳げる種類のものは多い。レプティリアンには泳ぎの得意なものもいるが、カナヅチのものもいる。要するに基本的には霊長人と同じだ。とはいえ、少なからず霊長人より変温体質であるレプティリアンは、ガラパゴス諸島に棲息するウミイグアナがそうであるように、水に入った後はしばらく自身の身体を天日干しして、太陽熱によって体温を調節しなければならない。
川は、大人の背丈なら十分に足の着く深さだった。私の身体を抱き上げた林田さんは、川の流れを腰から下に受けながらゆっくりと岸まで運び、応急処置を行った。私の無事を確認した林田さんは、体温回復のために自分の身体を天日干ししていた。そこへ、ヨシヒコとケンジが近くを歩いていたらしい大人2人を連れてきた。ヨシヒコとケンジとその中年男性たちは、芝生の上で意識を失っている私の傍らにレプティリアンが寄り添っていることに、とても驚いただろう。友達が溺れたとだけ聞かされ、わけもわからずやってきた中年男性たちはヨシヒコにどういう経緯でこうなったのか説明を求めた。叱責されることを恐れたヨシヒコは咄嗟に、林田さんが私と川辺でボール遊びをしていたと嘘をついた。大人たちは林田さんを詰問したが、林田さんは「違ウ、違ウ」と弱々しくつぶやくだけでほとんどなんの反論もできなかった。中年男性たちは霊長人として子どもたちの言うことを信じ、救急車を呼ぶとともに、警察へ通報した。結果から言えば、林田さんの応急処置は適切だったのだろう。溺れてから救急隊が来るまでには先に述べた通りの悶着があり、その間なにもしていなかったら、私はいまここに存在していないはずだ。林田さんの過去は知らないが、おそらく何かしら水難救助の経験があったのではないだろうか。
大量の水が器官に入った私は肺炎を発症し、40度近い高熱を出して入院することになった。数日経って少し熱が下がったころ、私のパジャマを着替えさせて背中をタオルで拭いてくれていた母が突然、背中に額をあてて泣き始めた。どうしたのと尋ねると、指が3本しかない手の形が2つ、赤い痣となって背中にくっきりと残っていると言った。真実を知らない母は「ごめんね、ごめんね。ママがちゃんと見ていなかったから」と喘ぎながら何度も漏らした。
2週間ほどして肺炎が完治し、退院して母と一緒にアパートへ戻ると、林田さんの部屋の窓ガラスが割れているのが外から見えた。母に理由を聞きたいと思ったが、彼女はまるでまったくそれに気づいていないかのように俯いていたし、ここまでの経緯を考えると、その疑問を口に出すことはできなかった。階段を上がり自分の部屋の前に来てさらに驚いた。林田さんの部屋のドアには、赤いチョークやマジックで「ウロコ野郎」「殺人トカゲ」「この世から消えろ」といった意味の、ありとあらゆる罵詈雑言が書き殴られ、首と胴体が切り離されて青い血を吹き出すレプティリアンの絵が添えられていた。母は自分たちの部屋よりも奥の空間など存在しないかのように林田さんの部屋を一切見ず、黙ったまま鍵を回した。
退院した翌日の金曜日も私は学校を休み、週明けから復帰することになった。母も仕事を休み、その日は一日ずっと私のそばにいた。「まだ本調子じゃないから」という理由で外にも出してもらえなかったが、母といっしょに長い時間を過ごしたのは、引越し以来初めてだった。
昼食を終え、私は寝転がりながら漫画を読み、母が台所で後片づけをしていると、突然窓ガラスを突き破って、拳より少し小さいくらいの石が飛び込んできた。幸い石もガラスも私から離れたところに落ちたので怪我をすることはなかったが、びっくりして声を失っていると、外から「あの子の苦しみを思い知れ」「お前が死ね」「ウロコ野郎消えろ」という罵声が聞こえてきた。何が起こったのか理解できずオロオロしていると、母は少しもひるんだ様子を見せず窓へ歩み寄り、勢いよく開けた。おそるおそる横から母の顔を見ると、今まで私に見せたことのない恐ろしい表情で外を睨みつけていた。視線の先には、大学生くらいと思われる男が3人、呆然とした表情で立っていた。
「やべえ」
「ばか、隣りじゃねえか」
「逃げろ」
母の姿を確認した青年たちは一目散に逃げていった。
もっと後になって母自身の気持ちの整理がついたころ、彼女は私が溺れた翌日に発行された全国紙の新聞を見せてくれた。地方欄に大きな見出しで「ウロコ、小学生を殺人未遂」と書かれていた。記事には、あの時駆けつけた中年男性のものと思われる証言が載っており、林田さんが私と川で遊んでいるところを目撃したと書かれていた。テレビのワイドショーやニュースでも同じように報道されたとのことだった。アメリカでスミス牧師によるスピーチが行われ、レプティリアンに対する権利擁護が注目され始めた直後の時期だったからこそ、比較的大きく報道されたらしい。
報道を見ておそらく「義憤」にかられたのであろう大学生3人組のような人々は、林田さんの部屋へ向かって石を投げ、アパート内に侵入してまでドアに落書きをした。彼らにとっては小さな犯罪行為も許されうる大義だった。相手は幼い霊長人の子どもを死なせようとした、醜く下等な爬虫類人なのだ。新聞には「被害者である少年」は容疑者のレプティリアンと同じアパートに住んでいると書かれていて、彼らがそれを知っていたか否かは定かではないが、どちらにしても投石や落書きが「被害者」である私に直接的もしくは間接的に何かしらの影響を与える可能性については、おそらく想像しなかっただろう。彼らは、彼ら自身が抱える不満を正義感に変換する機会を得たことに大きな喜びを感じていた。
男たちが逃げても母はしばらく外を見つめたまま佇んでいた。ガラスの破片を踏みつけた足からは血が広がり、畳にじわりと染み込んでいった。
実を言えば、その時点ではすでに林田さんの冤罪は晴れていた。ヨシヒコの嘘がばれていたのだ。あの日、河川敷の別の場所でキャッチボールをしていた親子の父親が、私が溺れるまでの一部始終を見ていた。新聞で林田さんに容疑がかけられたことを知ったその父親は、数日間深く悩んだ末に警察へ行き、自分の見たことを全て話した。その人は当日の自分の行為を激しく悔いていたらしい。子どもが溺れているのが見えたが川に飛び込む勇気などなく、幸い息子は何も気づいていなかったから、自分も気づかないふりを決め込もうとした、そんなところへあのレプティリアンの青年はなんの迷いもなく川へ飛び込み少年を救った、すばらしい勇気だ、私はレプティリアンを、彼らを誤解していたと一気に話すと、机に突っ伏して号泣したということだ。林田さんの犯行と決めつけて事件を片付けようとしていた警官たちは困り果てた。しかし林田さんにとって幸運だったのは、話を聞いたうちのひとりである巡査部長が人情味にあふれる人物で、父親の姿に心を打たれた衝動からヨシヒコの家へ出向き、真相を確認しに行ったことだった。家に警察が来たという恐怖から、ヨシヒコはすぐにわんわん泣いて詫びながら、私が溺れるまでの経緯を全て話したそうだ。それで疑いは晴れ、林田さんはまだ私が入院しているうちにすでに釈放されていた。
だが林田さんを極悪人のように書き立てた大手新聞は、その疑いが晴れたことは一切記事にしなかったし、以前の記事を撤回することもなかった。テレビのワイドショーやニュースも、林田さんの容疑が晴れないうちはさんざんレプティリアンを否定していたにもかかわらず、冤罪が晴れた途端、一切この件に触れなくなった。結局人々の記憶から事件のことが忘れ去られる2ヶ月ほど後まで、林田さんに対する大小様々な「天誅」は続き、私たちの部屋へ石が飛び込むことも1度や2度ではなかった。
林田さんは帰ってきていたはずなのだが、アパートの中で見かけることは一切なかった。ドアの落書きは消えずに重ね書きされ、割れたガラス窓もしばらくはそのままだったが、気づいたときには風が入らないようするためか、ビニールのような透明の膜がかけられているのがアパートの外から見えた。
(続)
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