第4話

「せんべい屋」での出来事から三日後、学校から帰って、部屋にランドセルだけを置いて遊びに行こうと部屋を出た私は、外出から帰ってきた林田さんと階段ではち合わせた。階段の中盤まで上っていた彼は、降りようとしている私の顔を見上げてあっという表情を浮かべると、わざわざ下まで降りていって、私の進路を邪魔しないようにした。私は階下の崩れそうな土壁に背中を貼り付けて私が通り過ぎるのを待っている林田さんを、彼より高いところに立っている余裕で、じっくり観察した。林田さんはオレンジ色の目玉でときおりちらりとこちらを見たが、私の視線と少しでもぶつかると、さっと顔自体を向こう側に向けた。こんなにも弱い生き物に、私は初めて出会った。

「ねえ」

階下に向かって声をかけた。林田さんは肩を一瞬ぴくりとさせたが、自分に話しかけているはずはないと思ったのか、そっぽを向いたままだった。

「ねえってば」

先ほどよりも少しだけ大きな声を出して林田さんに呼びかけた。林田さんは再びぴくりと肩を動かすと、いかにもおそるおそるというふうにこちらへ顔を向けた。

「エ」

彼は目を見開き、信じられないといった表情で私の顔を見つめた。しかしすぐに目を泳がせてぱちぱちと瞬きしながら視線を逸し、下を向いた。

「なんで無視すんのさ」

「う、ア」

試しに口調を少し強めてみると、彼は明らかに狼狽した。その様子がおかしかった。

「この前、何を当てたの」

「エ」

林田さんは私の質問を理解できないようだった。

「だからさ、この前「せんべい屋」でガシャポンをやっていたじゃない。何を当てたの。なんだか嬉しそうだったじゃん」

「えっと、あ、ウ」

なかなかちゃんとした言葉を発さない彼に、私は少しずつイライラを募らせた。わざとぎしぎし音を立てて階段の半ばまで降り、ほとんど睨みつけるように林田さんの顔を見つめた。

「何を当てたのって聞いてるの」

問い詰める私の顔を恐ろしそうにしばらく見つめた林田さんは、やはり目を逸らし、しばらく下を向いて頭を振っていたが、ようやく消え入りそうな声でつぶやいた。

「え、えっと、そのウ、ろ、ロングホーンのし、Cタイプ」

「Cタイプ!」

歓喜のあまり大きくなった私の声に林田さんがびくりと震えた。ロングホーンのCタイプとは、その時ちょうど追加されたガシャポン人形の新バージョンで、ロングホーンが強敵を倒すために新しく開発した必殺技「電光石火」を繰り出す姿を模したものだった。

「見せて!」

興奮した私は、少し前なら絶対に言わなかったであろう言葉を思わず叫んでいた。

林田さんはアーモンド形の眼球をぱっと広げ、への字の口を大きく開いて呆気にとられていた。

「ロングホーンのCタイプ、見せてよ」

「で、で、で、でモ」

「いいじゃんよ。別に。見るだけなんだからさ」

「へ、へ、部屋にあるんだヨ。こ、こ、こ、怖くないノ」

これが数日前だったら確かに怖かったかもしれなかった。だがすでに、霊長人がいかにレプティリアンよりも優位に立っているかを、ここまでのやりとりで私は悟っていた。

「どうして。お腹の中に寄生虫がいるから?」

「い、いなイ。いないよ、そんなもノ」

自然に口をついて出た私の挑発に対し、林田さんは初めて少しだけ顔に反抗の色を浮かべた。そのささやかな怒りは、私の、母やヨシヒコ達には決して向けることのできない加虐心をくすぐった。

「そうでしょ。じゃあ別にいいじゃん。持ってる人形、全部見せてよ」


林田さんの返事は聞かず、私は踵を返して階段を駆け上がると、上から林田さんを見下ろした。変わらずどぎまぎしている林田さんの頭上に私は言葉を浴びせかけた。

「早く」

そして廊下を、いっきに突き当たりまで駆けた。振り返って階段の方を見るとぎしぎしという音が少しずつ大きくなって、ゆっくりと林田さんが階上へ姿を現した。

「はーやーくー」

林田さんは異様にのっそりとした動きだった。私はしびれを切らし、彼を焦らせるために部屋のドアノブを、がちゃがちゃ音を立てて回した。するとドアは訳なくすっと手前に開いてしまった。

「あれ、開いちゃった」

「か、鍵かけていないんダ。ど、ど、どうせ入る人、い、いないかラ」

いつの間にか背後まで来ていた林田さんが耳にきんきん響く声で言った。

「ふぅん」

気のない返事をして、私は遠慮なく彼より先に部屋へ入った。レプティリアンのぬめっとした質感の肌から想像される、特有の生臭いにおいがするのではないかと思っていたが、特にそれほど嫌な感じはしなかった。ヨシヒコやケンジの家へ遊びに行ったときと同じ「よその家」のにおいだ。部屋にはほとんど何もなかったが、窓際の畳の上に小さなテレビだけがぽつんと置いてあった。

「ロングホーンを観てるの」

テレビを指さして、私は部屋の玄関に入った林田さんに尋ねた。

「う、うん」

彼は後ろ手にドアを閉めながら三本の指で頭を掻いた。

「へ、へ、へ、変だよネ。大人なのニ」

「ねえ、どこにあるの、Cタイプ。早く見せてよ」

「ま、ま、待ってネ」

非常に緩慢な動きで靴を脱ぐ林田さんをもどかしく思いながらも、私は目的を果たすことのできるチャンスが近づいていることもあって、大人しく手を腰のあたりで組み、部屋の唯一のインテリアであるテレビを眺めた。中古で買ったのか、それともごみ捨て場で拾ってきたのか、ずいぶん古い型のようだった。よく見ると、テレビの横にはこれまた中古と思われるビデオデッキが置いてあり、デッキの上には『1』『2』など通し番号だけがラベルに書かれたビデオテープが何本か重ねられていた。録画した『ロングホーン』に違いなかった。動きが鈍く、何を考えているのか分からないレプティリアンである林田さんが、少なくとも『ロングホーン』にだけは並々ならぬ情熱を向けていることがよく分かった。うちにもビデオなんてないのにと内心憎らしく思いながら、ふと後ろを見ると、ようやく畳に上がった林田さんが押入れの前にしゃがんで戸を引き、クッキーを入れるような正方形の白い箱を取り出していた。私はテレビの前を飛び退き、部屋の真ん中に置かれた箱の前に正座した。

「こ、こ、これ、『レアもの』を入れている箱」

「レアもの」とはなかなか当たらない人形のことだ。対面にやはり正座した林田さんは箱の蓋を開けた。当時の私にとって宝石に等しい、いやそれ以上のまばゆい光を放つ人形たちが姿を現した。正方形の箱の中は均等に3行3列に仕切られ、そのひとつひとつに五体の人形がきれいに並べられていた。

「うわ、うわ、うわあ」

『ロングホーン』が放映開始されてちょうど半年、人気が出始めた2ヶ月目からガシャポンシリーズは発売され、それから毎月シリーズが更新されると「レアもの」も月によって変わった。「レアもの」は主人公であるロングホーンのポーズバリエーションやライバルキャラクター、その他人気のある怪人たちがラインナップされていた。5体ということは、林田さんは第一シリーズからの「レアもの」をすべてコンプリートしているということだった。

「Cタイプ、こレ。ほら、ポーズ、電光石火だヨ」

林田さんは、ちょうど中央のしきりに置いてあったロングホーンの新バージョンを、私の顔の高さに掲げた。両手をXの形に交差させ片膝をついているそのポージングは、まさに新必殺技「電光石火」で敵を倒す瞬間の姿だった。私はCタイプを林田さんの手から奪うようにしてもぎ取り、自分の手でその感触を確かめた。たまにしかガシャポンをすることができないうえに不細工で不人気な怪人ばかりが当たる私にとって、それは極上の宝物だった。


「他のも見せて」

ひとしきりCタイプを愛でた私は、林田さんの承諾を待たず、箱の中の人形を次々手にとった。レーシングカーとネズミを合体させたメカニカルでスマートなデザインの「ラットレーサー」(第15話『24時間死ぬまで働け!全人類家畜化計画』に登場)や、見た目は不格好ながら正々堂々ロングホーンに一騎打ちを挑んだ「ハマグリザムライ」(第20話『巌流島に散る大和魂』に登場)など、主人公以外で人気のある怪人たちの人形を前にして、私は興奮を抑えられなかった。そしてその中にひときわ輝きを放つ逸品があった。

「これって」

私はつぶやきながら、おそるおそる、箱の中央一番上に鎮座する人形を手に取った。ロングホーンにそっくりだが、彼が銀色のフォルムであるのに対し、全身真っ黒で足のつま先が鋭く尖ったデザインの人形だった。「シャドーホーン」というロングホーン最大のライバルキャラクターで、悪役でありながらその人気は主人公のロングホーンを凌駕していた。後に番組本編で明かされるが、シャドーホーンの正体はロングホーンの生き別れた実兄であり、弟と同じようにアメーバに取り込まれて虫と融合したことで、記憶を完全に失っていた。最終回ひとつ前の回で兄弟は最後の決戦を行い、激闘の末にとうとうロングホーンが兄を下す。この回は「大人が泣ける」回としてファンの間では有名で、最期に記憶を取り戻したシャドーホーンが、弟に抱きかかえられながら激励の言葉を残して息を引き取るシーンは、特撮番組屈指の名シーンとして歴史に刻まれている。

「しゃ、しゃ、シャドーホーン、か、かっこいいよネ」

気づくと林田さんが口角をわずかに上げ、目を細めて(眼球が大きいのでわかりやすい)こちらを見ていた。おそらく微笑んでいたのだろう。

「めちゃめちゃかっこいい。当てたんだ」

私はシャドーホーンの人形を前から後ろから横から斜め下から眺め尽くしてうっとりしていた。

そんな私の姿をしばらくにこにこと眺めていた林田さんは、やがてゆっくり口を開いた。

「ほ、ほ、欲しイ?そレ」

私は、林田さんが一瞬何を言っているのかわからなかった。

「え」

「そ、そ、そのシャドーホーン、欲しイ?だ、だ、ダブってるんだ、そレ」

言いながら林田さんは押し入れからもうひとつ、同じくらいの大きさの箱を取り出して蓋を開けた。こちらは区切られておらず、さっき「レアもの」入れにあったのと同じハマグリザムライとシャドーホーンの人形が入っていた。

「れ、『レアもの』の、ダ、ダブり入レ」

自慢気に林田さんはのっぺりした鼻の先からふんと息を吹いた。「レアもの」がダブるなんてことがあると思いもよらなかった私は、2つの人形を手にして感動に浸った。

「う、うそ。本当に」

「うん、いいヨ。ハマグリザムライも、ダブりだからいいヨ。ダブっていないのは、ちょっと、あ、あれだけド」

「すげえ」

感動している私を嬉しそうに見つめていた林田さんは、何かを思い出したような表情でもう1度押し入れの中へ頭を突っ込むと、今度はスチール製の半斗缶を取り出し、パカッと蓋を開けた。こちらには「レアもの」ではない普通の人形が雑多に放り込まれていた。

「『レアもの』のダブりはそれしかないけど、それ以外ならいっぱいあるヨ。探してみて、ダブってるのがあったら、持って行っていいヨ」

林田さんが言い終わるのも待たず、私は遠慮なく両手を缶の中へ突っ込み、自分が持っていない人形を物色した。クモゲラン(第1話『恐怖!宇宙アメーバの襲来』に登場)、ホタルゲンジ(第7話『東京ローラー大作戦』に登場)、ラフレシアンヌ(第16話『巨大花は死のにおい 脅威の毒ガス兵器』に登場)、戦闘員タイプDなど、どれも不人気怪人ではあったが、持っていないダブり人形を手当たり次第に選んだ。

「すごいね。どうしてこんなにいっぱい持っているの」

がさがさと箱の中身をかき混ぜながら私は尋ねた。

「う、うン。働いてもらったお金は全部、これに使っちゃうんダ」

「ふぅん」

「お、おかしいよネ。大人ガ、こんなノ・・・・・・」

林田さんは心底恥ずかしそうに、顔を少し曇らせて言った。

「別におかしくないよ。すごいよ」

「そ、そうか、ナ」


おもちゃにしか興味のない子どもの無責任な慰めなのに、林田さんは目を細めて笑顔を取り戻すと、頭を掻いた。ふと、頭の表面から何かフケのようなぱらぱらと落ちるのが見えた。毛髪のないレプティリアンにフケがあるはずはなく、畳に落ちたものをよく見てみると、薄いミントグリーンをした鱗の欠片だった。

結局その日、私はシャドーホーンとハマグリザムライだけを持ち帰った。ヨシヒコやケンジに追いつくためにももっと欲しかったが、急に人形が増えると、母に怪しまれるおそれがあった。林田さんはいつでも持って行っていいと言っていたし、私以外に彼から人形をもらう人などいるわけはないので、彼を銀行として預けておく方が、都合がよかった。


(続)

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