第3話
当時、私にはヨシヒコとケンジという友達がいた。2人とも前の家の近所に住んでいて、小学校に上がる前からいっしょに遊ぶ仲だった。ヨシヒコは私よりひとつ年上で体型は小太り、少し粗暴なところがあった。ケンジは私と同級生で学校も同じだがクラスは違った。大人しい性格でヨシヒコには決して逆らわない反面、彼の威光がある限りは私に対しても強気だった。
私達はよく、私の家の前にある駐車場で遊んでいた。そこは近所にある競輪場を訪れる人達のための駐車場だったが、競輪が行われない日は車が停まっていないため、子どもにとっては恰好の遊び場所だった。やることといえば、所々に落ちているBB弾を拾って珍しい色のものを自慢しあったり、プラスチック製のバットとゴムボールで野球をしたりというような遊びだった。ひとしきり駐車場で遊んだ後は、駐車場の前を通る坂道を駆け下りた先にある「せんべい屋」と呼ばれる駄菓子屋に行くのがお決まりの流れだった。着色料のたっぷり使われたカラフルなゼリーやトンコツ味の小さなカップ麺を買い食いするのが楽しみだったが、一番の目当ては店の前にあるガシャポンで、中身は『機甲戦士ロングホーン』のソフトビニール人形だった。『ロングホーン』は、引っ越す3ヶ月ほど前から放映が開始されていた特撮ヒーロー番組で、私達は3人とも夢中になって観ていた。
特撮番組に詳しくなくても『ロングホーン』のタイトルは聞いたことがあるだろう。今も日曜日の朝にやっている『ロングホーンウィズダム』の初代テレビシリーズだ。子ども向けの特撮ヒーロー番組でありながらドラマ性の高いストーリーで、いまだ大人にも根強いファンがいる。
あらすじはこうだ。突如宇宙から飛来した巨大アメーバが、人間をはじめ地球上のあらゆる動物を捕食し始める。捕食された生き物はアメーバの体内で融合し、意思を持つ恐ろしい「怪物」となって排出され、人間を襲い出す。自衛隊の攻撃によって一時的に沈黙した巨大アメーバだったが、高い知能を留めつつ人だった頃の記憶を失った「子ども」たちは、巨大アメーバを「グレートマザー」と呼んで讃え、彼女が傷を癒し復活を遂げるための城を築くとともに、地球を彼女にとって最適な住処へつくりかえることを目的とした組織を結成して、「餌」である人間を組織的に狩り始める。主人公「ロングホーン」はアメーバに喰われてカミキリムシと融合し「怪物」に変貌した普通の大学生だったが、彼だけはなぜか人だった頃の記憶をそのまま宿し、両親や友人を守るためにアメーバ達と戦うことを決意する。しかし、その醜い姿(もちろんテレビを観ている子どもにとってはかっこいい)により命がけで守っている人間たちからは迫害され、不遇な扱いを受け続ける。地球を救うために兄弟を殺さなければならないという罪悪感にも苛まれ、何度も何度も「人類」と「アメーバ」の間で揺れ動きながらも、最後には母である巨大アメーバにとどめを刺す。だがロングホーンは最後まで人間たちに受け入れられることはなく、最終回では母の亡骸の一部を持って、ひっそりと姿を消す。
放送序盤は悲劇的な設定をそのまま反映した暗くおどろおどろしい展開が多く、子ども番組としてはなかなか人気が出なかった。だが、主人公の必殺技を派手なアクションにしたり、幼い頃から顔見知りだった奇人の発明家という味方が現れたり、敵の怪人をスマートもしくはコミカルな造形に変えたりなど、少しずつ雰囲気を変えていくことで人気を集め、クライマックスには視聴率30パーセントを超える大ヒット番組となった。現在に至っても後継作が作られているのだから、シリーズとしての人気の高さがわかるだろう。
前の家にあったテレビに比べて新しい家のテレビはずっと小さくて映りが悪かったから、番組を以前ほど楽しめないことが私には不満だった。だが何より辛かったのは、小遣いがぐんと減ってしまったことで、ヨシヒコやケンジほどにはガシャポンができなかったことだ。「せんべい屋」に行くたび、彼らはいつもガシャポンをやっていたが、私ができるのは3回に1回程度になってしまった。自然、私の持っている人形は彼らよりはるかに少なかった。2人が以前にあてた人形をもう1度引いてしまって「あーダブりだよー」と嘆いているのが羨ましかった。彼らはダブった人形を2人で交換し合っていたが、持っている人形を私にくれることはなかった。
ある日、私達が駐車場でいつも通りの遊びを終えて「せんべい屋」に行ったときのことだ。小遣いをもらったばかりでガシャポンを引ける日だったので、私はいつもより高揚した気分で、前を走るふたりについて坂道を駆けおりた。「せんべい屋」までもう数十メートル、というところで2人が突然止まったので、私は危うくその背中にぶつかりそうになった。
「ねえ、あれ」
ケンジが「せんべい屋」の方を指差しながらヨシヒコへ目をやった。
「『ウロコ』だ」
つぶやくヨシヒコの肩の隙間から覗き込んで彼らの視線の先を見ると、ガシャポンの機械の前にひとりのレプティリアンがしゃがんでいるのが見えた。あっと声を漏らしそうになり慌てて口を抑えた。隣りの部屋の林田さんに間違いなかった。だがこれまでの母の話などから、レプティリアンと顔見知りであることを2人に知られるのはまずいと反射的に思い、私は頭を引っ込めた。
林田さんは3本しかない指を逆三角形の形にして器用にガシャポンのダイヤルを掴み、回していた。ガシャ、ガシャ、ガシャ、ポンと、出てきたカプセルを手に取り、中身を判別したらしい彼の瞳は、私とトイレで鉢合わせたときと同じようにきゅっと縮み、ぱっと開いた。興奮した様子で林田さんはカプセルを開いて中身の人形を取り出した。手に取った人形の感触を確かめた後、彼はいっそう目を見開き左手を握り締めて掲げ小さなガッツポーズをした。ヨシヒコたちが目当ての人形を引き当てたときとまったく同じリアクションだった。
林田さんはしばらく人形を見つめて悦に入っていたようだったが、私達の視線に気づいたのか、ふとこちらに顔を向けた。例のアーモンド形の瞳がぐっと大きくなり、その焦点が私に当たっているような気がした。私は向こうから見えないように、こっそりとヨシヒコのでかい身体の後ろに隠れた。幸い林田さんが私を認識したことを、2人は気づいていないようだった。ぴくりとも動かず彼らは呆然と林田さんを見つめていた。その後の会話でわかったことだが、本物のレプティリアンを見たのは2人ともそれが初めてだったらしい。林田さんは気まずそうに下を向くと人形をポケットに入れて立ち上がり、私達の方を極力見ないようにしながらガシャポンの前を離れ、さっさと帰っていってしまった。
林田さんが立ち去ったのを見届けると、私はケンジの横から回ってガシャポンをやるために機械へ駆け寄ろうとした。
「おい、何する気だよ」
ヨシヒコに声をかけられ私はびくりとして振り向いた。
「え、ガシャポン」
「お前ウロコが触ったやつ、すぐに触る気かよ」
「え」
「えんがちょ、えんがちょ」
ケンジが調子づいて両手の人差し指と中指を交差させた。
「ああ、う、いや、じょうだん」と言って私はうす笑いを浮かべた。
「今日はやめとこうや。ウロコの菌は24時間有効だってオフクロが言ってた」
ヨシヒコは命令口調で私達に向かって言った。いつだったかケンジと2人でいたとき、ヨシヒコは家では母親のことをママと呼んでいる、ということを私に告げてくすくす笑っていた。
後ろ髪を引かれる思いだったがヨシヒコには逆らえない。レプティリアンの触ったガシャポンなんかに触れたら今後何を言われるかわかったものではない。「せんべい屋」に背を向けて歩いていく2人の後を追いながら、私は林田さんを恨めしく思った。だが同時に、彼が引き当てた人形が一体なんだったのかということに興味を惹かれてもいた。ちらりと見えた人形のフォルムが、そのとき私が一番欲しいと思っていた人形であるような気がしたのだ。
(続)
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