勝者と敗者

 深夜零時。

 礼拝堂の闇に灯された燭台は、まるで何百年も前から変わらぬ状態で置かれているような古びた祭壇を照らす。そして、その傍に立つのは、同じように時間の流れに取り残されたような白い礼拝服を身にまとう年老いた男。


「神を称えよ」


 重々しき宣言と共に、得体の知れぬ覆面姿の信徒達は讃美歌を歌いだした。静かに、だがどこか狂騒的な響きが暗闇をねっとりと覆いつくす中、一人の青年と一人の少女が立ち上がって前に進む。いずれも覆面はしていない。祭壇の横に立つ男の前で膝をつくと、少女のほうがおもむろに口を開いた。


「全て、滞りなく終わりました」


 男は満足そうにうなずく。この男こそ、聖会の長にして創設者であるエヴァレット司教その人であった。


「よくやった。我が神の予言が成ったこと、誠に重畳である」


 少女の名は西方遥さいほうはるか。彼女こそ聖印の使い手として他に並ぶものなしと言われる、聖会の筆頭騎士である。彼女は、その病的なまでに白い頬をわずかに紅潮させうなずく。

 その横にいた男が顔を上げ、悔しそうな表情で話し出した。


「ただ……結果として先辺殿を失いました」


 男の名は有木雷堂ありきらいどう。西方遥付の聖会騎士である。聖印との適性が低く、本来であれば騎士と呼べるほどの能力を持たないが、血の呪いを克服した実績を持って騎士扱いとされている。


「聖印は消滅、また依代は未来技研によって回収された模様です。首尾よく宣託を成したとはいえ、神の地を守護する騎士が不在というのではあまりに……よもや、奴らにしてやられてしまったのではと」


 司教はその言葉に哄笑した。信徒たちの歌声をかき消すほどの尊大な笑い声が礼拝堂に響き渡る。


「いや、その逆だ。奴らは分岐宣託などという世迷言で、神の定めし未来を自由にできるとでも思っているようだが、実際は違う。先辺が敗れることなど神は当然織り込み済みよ」


 この言葉に、遥は首をかしげる。


「ですが、宣託は司教様のメイを贖う、と」

「神の統べる塔の頂きにて、若き民の血により古き民のメイを贖う。だが、我が命はもともと、若き民の血ではない。初めから聖印にあったのだ。さあクロノスよ、ここへ参れ」


 司教が奇怪な錫杖で床を鳴らすと、まるで幽鬼のごとき白い人影が染み出るように現れる。


「さあ、神の夢みる世界をここに示せ」


 クロノスと呼ばれた人影は静かにうなずくと、形の定まらない両手を宙に広げた。その間にはぼんやりとした映像がゆらゆらと揺れては時折ノイズを放って消えたりついたりしている。


「全体の事象安定度は低下しましたが、聖会に限定した場合の事象安定度は反対に増加いたしました。存在確率は、これまで先辺が占有していた値の約三倍。予測よりも35%高い数値です」

「もう一つの計画は、どうなっておる」

「はい。依り代との接続は、20時28分をもって途絶。それを受け、事前採取した先辺の聖印サンプルが活性化を開始。現在の培養率はコンマ2%です。このまま行けば、約半年で【オートマリオネット】のモジュール化が実現するものと」

「なるほど。だが半年は待てぬ。生誕祭準備用のリソースを回して急がせるのだ」

「はい、了解いたしました」


 遥は、ゆっくりとうなずく。


「司教様、なんとなくわかったような気がします」

「ほう、さすがに物分かりが良いな。此度の宣託、贄として捧げられたのは先辺ではなく聖印そのものなのだ。その聖印が誰のものかなどと、そんな些末なことを神が気にされるものか。むしろ宣託という特異点において聖印の存在を示したことで、ガイアはついに認識したのだよ。つまり、我ら忠実なる神の僕の存在に」

「それが我らの存在確率を増やすことにつながるのですか?」


 まだ納得がいかない様子の雷堂を司教はあざ笑った。


「神の認識がアップデートされた以上、聖印を持つということだけで存在確率が維持できないということはなくなる。少々乱暴ではあったが……我ら聖印の担い手にとっては良き変化となろう。既に崩壊の兆候を見せていた先辺が一人いなくなったところでどうということはない」

「具体的には、先辺殿の代わりに騎士クラス三名の存在確率を入植可能な状態に高めることが可能です」

「三名となると……聖会に所属する騎士級の一層市民プライマリーでも、血の呪いに完全に抗しうるのは私と雷堂ぐらいしかおりませんが」

「それは騎士に限定するならば、だ。今回は、先辺のような調整不足の騎士を送り込むようなことをするつもりはない。天河原を行かせる」


 司教の出した名前に、雷堂が語気を荒げた。


「あのようなフラフラとした男を、神の降臨に立ち合わせるのですか!」

「ほう、そういえばあやつ、貴様には少々の遺恨があったな。しかし、これは既にタペストリーにも記された宣託の一部。騎士とはお世辞にも呼べない男だが、奴の聖印は少々特殊だ。貴様らのバックアップにはちょうど良いだろう」


 雷堂はこぶしを握り締めるが、それ以上抗議をすることもなく引き下がった。


「まあ案ずるな。貴様らはただ神のお導きに従えばよいのだ。期待しておるぞ」


 司教は錫杖を二人の頭上に掲げ、いつものように祈りを唱える。それに合わせて、覆面姿の信徒達の讃美歌が続く。西方遥は下を向いたまま口の中でつぶやいた。


「私は……あなたのお導きに従うのみです。エヴァレット司教様」

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