知らない間に

 いつの間にか回復していた聴覚がパチパチと生木のはぜる音を捉え、信也はあたりを見回した。

 まるで戦いが終わったことを告げるかのように、火の勢いは急速に小さくなっていた。元々、生木など簡単に燃えはしない。乾燥した木の表面が大量の煙を吐きながら燃えただけで、どうやら他に燃え移るほどのものではなかったらしい。

 まだ少し残るわき腹の痛みを振り払うように、信也は真希名に問いを発した。


「なあ……何がいったい、どうしたっていうんだ?」


 真希名は、少し考え込んで、やがて口を開いた。


「あなたは……信也は……異能力アーブスキルを使ったの。なぜそれを使えたかは皆目見当もつかないわ。でも」


 真希名は信也のほうをまっすぐ向く。


「助かったわ、ありがとう」

「お、おう」


 それは、初めて聞く真希名の感謝の言葉だった。

 信也はなんとなく目をそらし、地面に倒れ伏す二人に目をやる。


「で、こいつらはどうする?」


 昏倒する先辺と操り人形から解き放たれた作業員はぴくりとも動かない。だがよく見れば、彼らの胸はかすかに上下していた。

 死ななくてよかった。

 信也は少しだけほっとする。命を狙われたとはいえ、さすがに殺めてしまうのは気が引ける。しかし、いつ目を覚ますとも限らない。何か縛ったりしておいたほうがいいのだろうか。そんなことを考える信也の背後から突然拍手の音がした。


「いやあ少年。たいしたもんだ」


 振り向くと、そこにいたのは、信也が予想もしなかった人物だった。


「えっ、高砂先生?」

「まさか、ディバイナーズを倒すってぇのがお前さんの役割だったとはねぇ。生半可な探偵ごっこで危ないところに首突っ込んでほしくはなかったが、ま、ここまで深入りすりゃあ立派な当事者だ」


 単なる物理教師であるはずの高砂沙門は、家のリビングにいるかのようにくつろいだ表情で近づいてくる。そして真希名は、まるで彼がそこにいるのが当然とでもいうかのように話しかけた。


「先生、本部を離れちゃって良かったんですか?」

「分岐宣託の演算が終われば俺の出番なんてねぇさ。一応、お前さんたち二人が気になってね。危なくなったら少し加勢しようかと物陰から機会を伺ってたんだがな」

「先生じゃかえって足手まといです」

「ずいぶんとご挨拶だなぁ。これでもインデックスの生みの親だ。傀儡の足止めぐらいお茶の子さいさいよ」


 真希名はくすりと笑う。その親し気な様子を見て信也はようやく状況が飲み込めた。


「えーと、もしかして先生と真希名って知り合い? あ、そりゃ知ってるだろうけど、じゃなくて、っていうか、先生まさかアルタレギオンの」

「ご名答。つまりお前さんの同僚ってわけだ。ま、よろしくたのむ」


 面食らう信也をおかしそうに見ながら、真希名が説明をする。


「高砂先生はね。未来技研の超越技術開発者リープテックビルダーなの。ついでに、学園特務課の顧問でもあるわ」

「顧問なんて偉そうな肩書きつけられても、実際には単なるパートタイムだしなぁ。ここじゃ上司はあくまでもお前さんだ」


 冗談めかして言う高砂に、真希名が真顔で質問をした。


「先生、今回のことは一体……そもそも予測演算には何か兆候があったんですか?」

「演算結果には何も出なかった。見事にフラットできれいなもんさ。ただ……」

「ただ?」

一層市民プライマリー異能力アーブスキルを使ったという事実は、六道が適合者であることを示している。それも一時的テンポラリではなくて永続的パーマネントな。元株は、そうさな。久世、お前さんだろうよ」

「そんなこと! あるわけないです。一度定着したアーブは、その適合者の体内以外では永続的パーマネントに活性化できません。だって、全て生体キーによる適合判定じゃないですか。一卵性の双子ですら一時的テンポラリでしか適合しないのに……」

「おいおい、原種が最初に引き起こした医療災害バイオハザードが接触感染だったってことは知ってるだろう? 世の中に絶対はない。事実を認めるしかあるまいよ」


 感染だって?

 信也は慌てて二人の会話に割り込む。


「ちょっと待ってください! そのアーブとかいうのが俺に感染して、それでってことですか? 俺、全然自覚症状ないんだけど……」

「そうかい? アーブネットワークが体内で活性化する前でも、お前さんの体に多少の変化はあったと思うがな。未来技研の持ってるアーブってえのは、もともとは医療目的で開発されたもんだ。例えば怪我の治りが目ん玉飛び出るぐらい早かったとか、どうだお前さん。何か身に覚えがあるんじゃないか?」

「うーん、あるような、ないような……」


 首をかしげる信也に、高砂は慰めるように答えた。


「いずれにせよ、本部で詳しい調査をしないことにはわからんさ。ま、お前さんもエラいことに巻き込まれちまったな。これがどういうことかわかってるか?」


 高砂に肩を叩かれた信也は、ゆっくりと答えた。


「はい。探偵ごっこってじゃないことだけは」

「そうか。じゃ、やるしかねぇよなぁ」


 高砂は信也を放すと、二人の方を向いて言う。


「さあ、そろそろお前さんたちは帰ったほうがいい。船戸ももうじき意識が戻る頃合いだ」


 そうだ里依紗!


「ベンチに寝かせたままだった! うっわぁ、あいつにどうやって説明したら良いんだ……」


 高砂はすまし顔で答えた。


「大丈夫。ちょっとした貧血で病院に運ばれたってことになってる。そんで学校に連絡があって、居残りの信也君が迎えに来たってことで。送りの車を校門に回してあるから、お前さんたち二人とも乗っていくといい。船戸にも適当に説明しとけ」

「そんな都合の良い話が通るわけないでしょう!」


 信也の抗議もどこ吹く風、といった表情で高砂は説明を続ける。


「なんとなくつじつまが合っていりゃあ、人は案外それで満足しちまうもんなのさ。船戸の母さん、俺が電話したらあっさり納得してたぞ。教師ってやっぱり信頼あるんだなぁ」


 里依紗の母さん、いい人だけど天然だもんな……

 ニコニコしながらうなずく里依紗の母親を脳裏に思い浮かべて、信也は頭を抱えた。


「ここの後始末はどうするんですか?」


 信也とは対照的に真面目な表情であたりを見回すと、真希名が聞く。


「もう局長に連絡は入れたから、処理部隊のヘリは間もなく到着するだろうさ。学園長にも話はつけておく。なに、そのぐらいの禄はもらってるからよ」


 しかし、なんたる手際の良さか。いつもの茫洋とした物理教師の面影はどこにもなかった。


「じゃあ、お言葉に甘えて……よろしくお願いします」


 真希名は、高砂に礼を言って階段のほうへ歩き出す。信也も会釈すると真希名の後に続いた。立ち去る二人の背中に、高砂が声を掛けた。


「ああ。それから、お前さんたちに、教師として忠告しておくことがあった」

「なんですか?」

「この間のプリントだがなぁ……二人ともわずか一問間違い。もちろん学年で最高得点だったんだけどよ、それが問題だ」

「……と、いうのは?」


 信也がおそるおそる質問する。


「お前ら、まったく同じところを間違えたぜ。しかも、小数点第二位まで同じと来たもんだ」

「あ、あれはその」

「仲良く肩寄せ合って勉強するのは自由だけどよ。今後、丸写しなんてマネはしないように」

「仲良くないです!」


 振り向いて抗議をするタイミングは、まるで図ったように同じだった。

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