そして始まりを想う

 襲い掛かる傀儡に素早く対処できたのは、屋上に出る直前で発動したフィジカルブーストの効果であった。プログラムされた動きを再生できないという点を除けば、傀儡の身体強化の仕組みと基本的には同じである。となれば、技によらない喧嘩殺法が最善の策と言えた。

 里依紗には遠慮したけど、男には手加減なんてしないぜ。

 殴りかかってきた傀儡の右手を掴み、体を回して足を払う。地面に背中を打ち付けて呻く傀儡からすばやく距離を取り、信也は再度ファイティングポーズを取った。


「悪いな。投げハメは俺の得意技なんだ」


 信也は対戦格闘ゲームのキャラクターにでもなったかのようなポーズで傀儡を挑発する。

 里依紗のときは先手を取られてしまったが、今度は心の準備もある。しかも今の信也には傀儡の動きが正確に見えていた。傀儡はプログラムされた動きで精密で素早い攻撃を繰り出して来るが、信也はそれを器用にさばくとステップを合わせてカウンターで攻撃を放つ。これはフィジカルブーストで増強された筋力や反応速度に順応していなければできない動きだった。


「カナリノとれーにんぐヲ積マナケレバ、普通ハ歩クコトスラ困難ナハズデスガ」

「いいね相棒、もっと褒めてくれよ」


 ただし信也には傀儡を止めるべき決定打はない。このペースで攻撃を重ねれば、戦闘不能に追い込むこともできそうだったが、操られているだけの相手に怪我をさせるわけにもいかない。であれば、フィジカルブーストの効果が切れる前に真希名が片を付けてくれるのを待つしかなかった。

 傀儡の蹴りをかわすとそのまま背中を突き飛ばし、その隙に背後で戦う真希名のほうに目をやる。


「真希名に喧嘩を売ったら命はないな……」


 そこには、別次元で戦う二人の姿があった。

 剣を振るう真希名の動きは、まるで演舞のように流麗でよどみがない。対する先辺も勇猛果敢に立ち回っているが、気のせいだろうか。信也には先辺の動きはずいぶんと鈍重に見える。優勢なのは明らかに真希名だ。


「相棒。ブーストはどのぐらい持ちそうだ?」

「アト5分ハ大丈夫デス。終了オーバー


 立ち上がった傀儡は、すぐには攻撃をしてこない。度重なる攻撃に有効打が出なかったこともあって、少し攻めあぐねているようだった。

 その時、後ろで打撃音が聞こえ、先辺のうめき声が聞こえる。信也は一瞬振り向いた。先辺の細剣レイピアが弧を描きながら信也の頭上を越えていく。先辺は手首を押さえながら後ろに倒れ、ぶざまに座り込んでいた。

 ようやく片付いたか。

 信也は前を向くと、目の前の傀儡に声を掛けた。


「なあ、そろそろお前さんもあきらめたらどうだ?」


 当然、返事はない。

 傀儡は、信也の言葉を理解しないまま攻撃を仕掛けてくる。先ほどのように、これをカウンターで返そうとして、信也は傀儡の手に先ほどまではなかったものが握られているのを見た。

 近すぎる!

 回避という判断をするには遅すぎた。振りぬかれた銀色の軌跡が横から信也を薙ぐ。左のわき腹から右の腰のあたりまで凄まじい激痛が走り、噴き出した鮮血があたりを真っ赤に染めた。

 傀儡が握っていたもの。それは、先ほどまで真希名と打ち合っていた先辺の細剣レイピアだった。


「信也!」


 真希名の呼びかけにも口を開くことすらできずに信也はその場に倒れる。視界の端で血濡れた細剣レイピアを握り締めた傀儡が先辺の援護に向かうのが見えるが、足止めどころか体を起こすことすらできない。朦朧とする信也の視界は、壁際に追い詰められる真希名の姿をどこか他人事のようにとらえていた。


「生贄など誰でもいいのだ。宣託さえ成れば運命の輪は回りだす。未来技研など所詮はゆらぎよ。神の気まぐれに胡坐をかく輩に敗れることなど、あってはならないのだ」


 先辺が、膝をつく真希名の前で高らかに宣言する光景が見えた。


「いろいろと手こずらせてくれたな。貴様をこの手で切り刻めないのが残念だ」


 もはや残忍さを隠そうともしない先辺の声が徐々に低く小さくなり、やがては聞こえなくなった。信也の知覚は静寂に包まれ、あたりはまるで夕暮れのようにぼんやりと赤く照らされている。

 このまま死ぬしかないのか……。

 信也は妙にすっきりとした思考でそんなことを考えた。既にわき腹の痛みはなく、音は何も聞こえない。遠くの炎がまるでスローモーションのようにゆっくりと揺らめいている。いつのまにか、痛みも感じなくなっていた。

 立て!

 その時、信也の脳内に突然声が沸き起こった。いや、信也自身の声ではない。何か、もっと異質な言葉、いや思考が信也の心を一つの方向に向かわせる。

 信也は地面に手を付き身をよじる。その体は、まるで重油にでも浸かっているかのように重い。ゆっくりと、だが確実に上半身を起こし、膝を立て、己の体を持ち上げる。

 信也は、思うように動いてはくれない体を真希名の方に向けると走り出した。

 何も、聞こえない。

 あたりは静まり返っている。心の声の残響だけが信也の感じる音の全てだった。しかし、どういうわけか、先辺も傀儡も信也にはまったく気づいていない。周囲の時間がまるでゴムのように引き伸ばされ、ねっとりと絡みつくように流れているように信也は感じた。

 ようやく先辺が気づき、信也のほうを向く。ゆっくりと振り下ろされる細剣レイピアから噴き出す毒霧に対して、信也は反射的に右手をかざした。その手は真っ赤に熱を持ち霧を陽炎のようにゆらめかせて消し去る。

 目の前で起きていることを理解できないまま、信也はただ闘争本能だけを高めていく。奇妙な、言葉で説明のできない数式や構造物が心に描きだされ、それは炎のイメージへと収束した。

 燃えろ!

 信也はそのイメージを右腕へ移動させ、それを打ち出すように先辺の胸に掌底を放った。それはもはやイメージではない。囂々と燃えさかる実体化した炎が、周囲の空間を揺らめかせながら先辺に吸い込まれていく。先辺の体は一瞬灼熱の炎に包まれ、それから次の瞬間唐突に消え去った。

 信也の目の前で、先辺がゆっくりと仰向けに倒れていく。その横で、主を失った傀儡は、糸の切れたマリオネットのようにふらふらと斜めに倒れた。

 何が、起きたのだろう?

 それが勝利であることにも気づかずに、ただ茫然とその場に立ち尽くす。

 それを現実に引き戻したのは、冷ややかに見つめる真希名のまなざしだった。


「これで、終わりか?」


 信也の問いは、誰に返されることもなく漆黒の夜空へと溶けていった。

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