トワイライトアタック
「なん……だとっ!」
あたりに先辺の声が響く。
地面が割れるほどの踏み込みから放たれた
ただ己の肉体の身を武器とする真希名は、神速ともいえる
全部、見える!
真希名の目が、一つ一つの動作を取るたびに輝きを増していき、先辺の顔には焦りがにじみだした。先辺はいったん距離を置くと真希名に問う。
「貴様、聖印を使ったな?」
真希名は答えない。
ゆっくりと一歩前に進むと、次の瞬間予備動作なしで右足から蹴りを繰り出す。先ほどより、さらに速さを増している。回避動作を取ることも出来ず、先辺はただ直線的に後ろに下がった。
一瞬の呼吸の後に真希名が距離をつめ、左右の拳が先辺を襲った。先辺は
真希名は痛烈な右フックを放つと、それをまともに食らった先辺が後ろによろめいて膝をついた。先辺は
真希名を睨みつけた先辺が、その姿勢のままで右手を剣の刃に当てて躊躇なく滑らせた。その手からは鮮血が噴き出し、零れ落ちる血は瞬く間に刀身を赤く染める。その血濡れた手で、先辺は瀟洒な紋様細工の施された
赤い霧が真希名を襲う。
それは、刀身を伝う先辺の血だった。真希名は右後方に重心をずらして直撃を回避するが、その不吉な赤い霧は後ろの壁を切り裂き、その破片の一つが真希名の頬を切った。
こんな技が……
体中を奇妙な悪寒が駆け巡るとともに鮮血がじわりと滲み出した。その傷口は徐々に広がり、首筋を伝った血は制服の襟を赤黒く染めていく。
これは……毒だ。
真希名は横を向くと全力で走った。その行先には木立がある。武器なしで近接戦闘に挑むのは自殺行為だ。後方の確認もせず、ただひたすらに走る。
「ちょろちょろネズミのように逃げたところで、我が
先辺は口元に冷笑を浮かべながら
真希名は一言も口を開かず、左腕に巻かれたムラマサを傷口に当てた。すると真希名の網膜には毒物の解析情報が映し出される。神経系に作用するアルカロイド系の成分に加え、血液の凝固を妨げる成分も検出されている。こうしている間にも、先辺の放つ赤い霧は周囲の大気を汚染し、呼吸を通じて少しずつ真希名の体をむしばんでいく。
アーブがなければ一分と持たなかった……
体が火照り眩暈を感じると共に、無音のはずの世界に時折くぐもった音が混ざりだした。真希名の加速した主観時間に乱れが生じている証拠だ。
だが、戻ってこれなくなるよりもいい。
真希名は先辺の位置を確認した。空中庭園からの唯一の脱出経路である、階下につながる階段前に陣取っている。おそらく真希名を確実に仕留めるための作戦であろう。
あんな所に陣取られたら……いや、でも逆に好都合かも知れない。
真希名は屋上の入り口近くに陣取った先辺を見て、右側の木立からの距離を目測で測る。踏み込みから加速、到達までに数秒程度。気配さえ消せればまだ勝利の可能性はある。
どのみち、活路はあそこにしかない。
「我が剣の呪いが、その程度の木で防げると思うな」
先辺の剣撃は徐々に勢いを増し、赤い霧は鋭い刃に姿を変え、庭園の木々を無残に切り裂いていく。その攻撃は真希名が潜んでいた木立にも及んでいた。
時間がない。
身を隠す場所がなければ、広範囲に広がる先辺の赤い霧をかわすことは困難だ。
真希名は右手でムラマサのディスプレイをつつくと、次に身を隠している木をコンコンと二回指し示した。真希名が物心ついた時から、ムラマサはずっと真希名の話し相手だった。この動作で十分意味は伝わるはずだ。
真希名は目の前の木の幹に左手首を押し当てた。ムラマサがその意図を正確に理解し、電撃を放つ。すると、木の表面が火花ではじき飛び、半分折れそうになった木が勢いよく燃え出した。水分を含んだ生木は、バチバチとはぜながら黒々とした煙を吐き出す。真希名はその光から目をそらし、地面にすばやく視線を送る。そして、手近にあった小石を三つほど拾うと大きく振りかぶる。
一つ!
アーブに強化された身体の生み出すパワーが、小石を信じられないぐらい上空へと運んだ。その行方を見届けることなく、真希名は煙に紛れるようにしてすばやく位置を移動する。
二つ!
次の小石を投擲すると、すぐに身をかがめ、庭園の脇からあずま屋の横を抜け先辺に一番近い木立へ。そして気配を気取られないように最後の小石を握り締める。
三つ!
真希名の投げた小さな石の粒は、いったん闇夜に姿を消した後、そして何秒かのちに時間を空けて落下した。そして真希名のいる場所とは反対側の芝生に小さな音を響かせる。そのわずかな振動は常人では決して認識できないレベルの音量であったが、先辺のアーブはそれを捉えた。
正確な等間隔と距離で、地面を振動させる何かを。
そこにいるはずのない人の気配を。
先辺が反射的にその音の方角を向く。
真希名は小さく息を吐くと、まるでヒョウのようにしなやかな動作で音もなく駆け出した。
行ける!
真希名はそのままの速度で背後から首筋を狙う。しかし、最後のステップが地面の小枝を踏みしだき、小気味よい音を立てて折れると、全てを台無しにした。
振り向きざまに振り下ろされた
ついてない……
真希名の瞳から野生動物のような輝きがゆっくりと消え、その視界は夕闇から照明の灯る夜の庭園へと切り替わる。そして、ついさっきまで静寂に包まれていた世界に先辺の勝ち誇った声が響き渡った。
「ゲームセットだ」
真希名は自らの喘ぎ声と共にその声を聞いた。アーブをもってしても中和しきれない毒が真希名の視界を霞ませる。混濁する意識に飲み込まれないよう歯を食いしばりながら、真希名は先辺を見上げた。
その瞳は、まだ勝利を捨ててはいない。
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