空中庭園

「ようやく来たか」


 階段を上りきった真希名が屋上の扉を開けると、そこに待ち構えていたのは先辺だった。

 ガーデンの屋上に作られた空中庭園。雲一つない夜空に浮かんだ月の光に噴水の泉が優しく照らされ、美しく手入れされた木々は秋の風にそよいでいる。人工的に作られた小川のせせらぎは、アドレナリンに支配された真希名の心を少しだけ落ち着かせた。

 やはり、ここが宣託の場所。

 先辺は何かの儀式を行っていたようだ。小高い丘のように造成された庭園の一画に、呪術的な雰囲気の漂うアイテムが五芒星の形で配置されている。これは神を祭るための祭壇代わりだろうか。そこで、先辺は両手を大げさに広げて立っている。


「待ち合わせた覚えはないけどね」

「私は待っていた。勝手に逃げてしまった生贄の代わりをな。まったく、ガーデンのセキュリティも大したことはない」


 真希名は先辺のほうに一歩進んで言った。


「誘拐に監禁、器物損傷。これって立派な犯罪行為よ。警察が知るところとなれば、あなたはもうこの学校にはいられない」

「貴様こそ、生徒を一ダースは叩きのめしたようだな。学園側に知れたら一発退学だぞ」

「お互い目撃者はなし。となれば、この戦いで負けたほうが全ての罪を被る。それで手を打たない?」

「ふん。面白いことを言う。未来技研の若造が、二百年の歴史を誇る我ら聖会の、古の秘儀にかなうとでも思っているのか」

「そんなの、試してみなくちゃわからないでしょ!」


 真希名はこう言い放つと、先辺の顔面に直線的な拳撃を放つ。先辺はそれを難なく左の拳で受け流すと、逆の拳をまっすぐ打ち返した。

 真希名は首をわずかに右に傾けてそれをかわし、体をひねると右足を後ろからぐるりと回し、脳天蹴りを放った。先辺はまるでそれを予測していたかのように右手を引き、クロスした左手と合わせて頭上でブロックする。はじかれた真希名は、その反動を利用し逆足で膝蹴りを繰り出し、それを後ろに回避されると、そのまま空中で後ろに回り、間髪をいれずに次の攻撃に移った。

 小気味よい打撃の応酬。

 それは知らない人が見れば、まるで格闘ゲームかアクション映画の撮影のようにも見えただろう。二人の間には残像めいた打撃と蹴り技が飛び交い、まるでハリウッド映画のように芸術的な攻防が繰り広げられている。

 真希名は、先辺の攻撃を中国武術のような動きで受け止め、はじき、流していく。その動きに興味を持ったのか、攻撃の手を止めずに先辺が言った。


「面白い動きをする。流儀はなんだ」

「ブルース・リーよ!」


 真希名の動きは高速で、直線的で、無駄がない。それは確かに截拳道ジークンドーのようにも見える。

 一方の先辺も本格的な近接格闘術を身につけていた。海兵隊仕込みのマーシャルアーツ。真希名が階下で戦った傀儡と同じ格闘スタイルだ。しかしフットワークや精度は、それがまったくの別物と思えるぐらいのレベルである。全てが速く、重く、キレがある。しかも、先辺は小憎らしいぐらい冷静で、十分に安全な距離からじわじわと攻撃をしてくる。

 お互い決定打の出ないままに、打ち合いが続いていく。

 しかし武器を持たない戦いでは、体重差のハンデは覆せない。最初のうちこそ互角に見えた二人の戦いだが、時間と共に真希名の呼吸は荒くなっていった。

 打撃戦では分が悪いわ。となれば……。

 真希名は何とか相手の手を取って組手に持ち込もうと機会をうかがう。それを見越したか、先辺は常に一定の距離を取ると、ボクシングスタイルの攻撃を主体にときおり足技を絡めてくる。

 真希名は先辺の右ストレートをうまく左手で受け、その懐に飛び込んだ。そして右手で放った掌底を途中で変化させて首筋を取ろうと手を伸ばす。しかし、先辺はそれをのけぞってかわすと、下から上空に掛けて鋭い蹴りを放った。

 真希名はかわし切れずに両腕で受け止め、その反動を利用して飛び、少し距離を取る。後ろには柵。これ以上は下がれない。


「思ったよりやるな。未来技研のアーブは戦闘用ではないと聞いていたが……」


 そういう先辺の表情には余裕がある。対する真希名はぎゅっと唇を噛みしめた。

 先辺の指摘は正しい。

 もともと未来技研のアーブは医療用として研究されていたもので、その戦闘ポテンシャルは決して高いものではない。いくら真希名が高い戦闘技術を持っていたとしても異能力アーブスキルを出し惜しみして勝てる相手ではない。これは局長から何度も忠告されていたことだった。


「だが、そろそろ遊びは終わりだ」


 先辺は左手をすっと真希名のほうに伸ばした。一体どこから取り出したのか、いつのまにかその手には鈍い銀色の光を放つ細剣レイピアが握られている。子供でも折れそうなぐらい優美で細いシルエットの刀身は、ゆらゆらと揺れながら切り裂くべき獲物を求めているように見えた。


「はっ!」


 裂帛の気合いと共に放たれた細剣レイピアの突きが真希名の喉元を狙う。その切っ先は真希名の首のわずか一センチほど右側をかすめた。ギリギリでかわした真希名に連続で突きが放たれる。全てをかわすことなど出来はしない。真希名の白い肌が殺意を刻むたびに、ぽつり、ぽつりと赤い血が滴る。もはや致命傷を受けるのは時間の問題だった。


「……ムラマサ、パルスを切って」


 真希名は荒く息をつきながら言う。


「ソノ指示ハ本気デスカ? 真希名サンノ心拍数ガ著シク上昇シテイマス」

「大丈夫。あの頃とは、違うから」


 心配するムラマサに、真希名は笑顔で肯定して見せた。

 行くしかない。

 真希名は丹田に力を籠めると先辺をにらみつけた。


「了解シマシタ。ぱるすノ再起動時刻リブートタイムヲ十分後ニ設定。以後、コチカラノ通信ハ網膜でぃすぷれい上ニ行イマス。律動解放クロックリリース


 ムラマサの音声が徐々にスピードを落とし、低音となる。可聴域を超えた音声は単なる振動となり、ついには聞こえなくなった。同時に真希名の視界にも変化が訪れる。照明の明るさが徐々に暗くなり、同時に赤みを増す。しまいには全てが赤くそまり、夕闇のような視界が広がった。

 まだ大丈夫、これぐらいなら戻って来られる。

 恐怖を覆い隠すように、真希名は自分に言い聞かせた。

 完全な静寂と孤独。聴覚と色彩の切り離された世界で真希名は先辺のほうを向いた。その目は、まるで夜行性の動物のように光っている。

 次の瞬間。

 常人の何十倍も思考加速された主観時間の中で、真希名は先辺の攻撃をいとも簡単に回避すると、その口元に不敵な笑みを浮かべた。

 真希名の異能力アーブスキル、トワイライト。真希名がパーフェクトワンと呼ばれる所以となった力であった。

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