徒手空拳

「うかつだったわ……」


 最上階から二つ下ったフロアで、オートマリオネットに魂を操られた傀儡を蹴り上げながら真希名は毒づいた。先ほど、里依紗を呪縛から解放するために使った手は使えない。なぜなら真希名は今、素手で戦っているからだ。

 意識と自由を奪われた哀れな犠牲者たちは全部で10体以上もいた。ガーデンの生徒として、真希名もある程度こちらの生徒の顔は知っているはずだったが、操られているのはいずれも見知らぬ生徒だった。

 もしかして、名無しの教室の生徒かしら。

 学校側では明確な情報開示をしていないが、ガーデンには通学している生徒の名前が一切公表されないクラスがあると言われている。テロ対策などで通学している人の素性を公表しないため、ということらしいが、非合法なバックグラウンドを持つ生徒を隠すために存在する、という噂の方が真実味をもって語られていた。

 いくら名無しだからって、怪我はさせられないわ。

 蹴られたぐらいでは怯みもせず、無表情に迫ってくる傀儡を叩き、蹴り、時には投げ飛ばしながらじりじりと下がるが、操られているだけの彼らを全力で攻撃するわけにはいかなかった。なんとか状況を打開しようと、真希名はここまでのことを振り返る。

 敵は空中庭園。その思い込みが甘かった……。

 信也と別れて、真希名はエレベータではなく階段に向かった。なぜなら、屋上にノコノコとエレベータで上がれば敵の恰好の獲物である。階段で近づき、何らかの形で空中庭園の状況を把握したうえで乗り込むのが上策と言えた。

 疲れを知らぬ脚力で十五階から一気に上層階まで駆け上がる。しかし、最上階の手前にそれは仕掛けられていた。階段の位置からちょうど見えるか見えないかぐらいの位置に、一人の女子生徒が倒れていたのである。真希名はその生徒に近づいて安否を確認しようとした。それが罠であったことに気づくには、真希名は優しすぎたし、何よりも宣託の舞台が空中庭園であるという先入観が警戒心を緩めていた。

 注意していれば、もっと早く気づけたのに。

 女子生徒の首筋にある小さな傷口に気づいた時には手遅れだった。傀儡は目を開けるや否や、恐るべき力で真希名を弾き飛ばす。爆発物の仕掛けられた部屋へと。爆風で怪我をしなかったのは真希名の超人的な反射神経と体術をもってしても奇跡的な幸運だった。結果的に失ったのは影姫が一本であったが、状況は明らかに真希名に不利だ。


「検索、素手、オートマリオネットの無効化!」


 だからって、こんな奴らにやられるつもりはないわ。

 真希名は、襲い掛かってくる傀儡たちの攻撃を防ぎながら最低限のワードだけをムラマサに伝える。未来技研の一層市民プライマリーとはいえ、もし囲まれてしまえば手加減するような余裕はなくなるだろう。

 既に、学園の生徒と戦闘行為に突入してしまった時点で真希名の存在確率は揺らぎ始めている。万が一大けがをさせてしまったり死人を出してしまうようなことがあれば、学園内における存在確率は消し飛ぶだろう。先辺はそこまで考えてこんな手を打ってきたのだろうか。

 これだから狂信者は!

 何の罪もない生徒を巻き込むという暴挙に真希名は憤りを隠せない。ただ、まずは目の前の敵をなんとかしなくては。


「ムラマサ!」

「真希名サン、残念ナガラ、おーとまりおねっとヲ無効化スルニハ、影姫ノヨウニ、コチラノ信号ヲ伝達スルタメノ伝導体ガ必要デス。マタ、伝導率ニムラノアルヨウナ純度ノ低イ伝導体デハ、ワタシノ制御信号ヲ上手クあーぶニ伝エラレマセン」


 野犬のように真希名に飛び掛かってくる傀儡の一体を左手一本で払いのけながら、真希名は追いすがる傀儡たちをかわしてムラマサに指示を出した。


「信号を伝達するもの……検索、視聴覚室、フロア!」

「39階デス。ナルホド純度ノ高イ伝導体ガアリソウデスネ。サスガ真希名サン」


 ムラマサのとぼけた回答に、相槌をうつ余裕もない真希名は、じりじりとエレベータホールのほうに後退すると隙を見てエレベータのボタンを押す。そしてドアが開くと、殴りかかってきた傀儡の一人を羽交い絞めにし、しまる寸前に投げ飛ばし、その反動で飛び乗った。

 行先は40階。

 真希名は大きく深呼吸をして呼吸を整える。幸いオートマリオネットは先辺に直接コントロールされているわけではない。おそらく、自分を追いかけるという単純な命令だけが組まれているだけのはずだから、エレベータの停止位置を確認してから追いかけてくるだろう。

 エレベータが止まると、真希名は脱兎のごとく駆け出しそのまま階段を駆け下りる。これで多少は時間稼ぎになるはずだ。

 視聴覚室に入るとまずコンソールテーブルに駆け寄る。ケーブル類はだらしなく箱に詰め込まれており、ぐちゃぐちゃに絡まっていた。視聴覚室を担当する教諭がずぼらなのだろう。

 もう、校長に言いつけてやるんだから!

 ちょっとでも使えそうなケーブルを一本ずつ抜き出しながら、真希名は堅く心に誓った。


「どのケーブルが使えそう?」

「デハ計測シマスネ。けーぶるノ両端ヲ持ッテクダサイ」


 片っ端からケーブルを引っ張りだして両端を握る。ただ、残念ながらムラマサの判定は不可ばかりだった。伝導率どころか、ほとんどが断線していて使い物にならない。


「もう! ボロケーブルばっかりじゃない」

「真希名サン、一ツ提案ガアリマス。アチラノてれびニ接続サレテイルけーぶるデハドウデショウ? 見タトコロ高解像度ノてれびミタイデスシ、今現在、使用サレテイルけーぶるダカラ断線モナイデショウシ」


 真希名は返事もせず、部屋の隅に置かれた60インチはある大型テレビの背面から、下のデッキと繋がっているらしいケーブルを乱暴に引き抜いた。


「どう?」


 余裕のない表情で訊ねる真希名に、ムラマサはのんびりとした口調で言った。


「コレハ良イけーぶるデスネー。端子モぴかぴかデ、曇リガアリマセン。真希名サンノ自室ニアルてれびモ、下ノれこーだート接続スルナラコノグライノ」

「その話は後にしましょ。来たわよ」


 廊下の向こうから、あわただしい足音が聞こえてくる。真希名は入り口の壁に身を寄せると、オートマリオネットに操られた傀儡が侵入してくるのを待った。


「はっ!」


 ケーブルを鞭のようにして左手で握ると、乱入してきた傀儡に打ち付ける。その狙いは正確無比。ケーブルの先が傀儡の首筋に触れると、バチリと青白い火花が光り、傀儡はその場に倒れた。


「真希名サン、カナリ良イけーぶるデスガ、私トシテハヤッパリ端子ガ金めっきノホウガ好キデスネ」

「ムラマサ、あなたは気楽でいいわね……」


 真希名は首を振りながら部屋の外に出た。先ほど倒した傀儡の活動が停止したことを知り、残りの傀儡が迫ってきていた。


「名無しの教室の生徒数はわかる?」

「学園ノねっとわーくニ接続。検索開始。検索結果ぜろ。せきゅりてぃぶろっく解除。せきゅりてぃえりあノ情報検索開始。ワカリマシタ。全部デ14名デスネ」


 それを聞いて真希名は不敵に笑う。


「あと13人。怪我のないように眠らせてあげるから、あんまり手間かけさせないでよね」


 腰を落とし攻撃態勢を取りながら、真希名は既にその先のことを考えていた。果たして、空中庭園に待つ先辺とどのように対峙したらいいのか。こちらを殺そうとしている男を。

 真希名には未だ、死闘の経験がない。

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