落下する不安
信也は里依紗をその場に寝かせると怪我などをしていないか確認する。その心配そうな様子を見て真希名は信也に言った。
「安心して。彼女に投与されたアーブは、一度不活性化したらもう二度と戻ることはないわ。結合を失ったら人間の代謝機能で跡形もなく排出されるから」
「でも、さっきからずっと気を失ったままなんだけれど」
「これだけの戦闘でも覚醒しないところを見ると、おそらく脳の活動レベルが極限まで落とされているのね」
「大丈夫かな……」
「見たところ呼吸も心拍も正常だから、数時間もすれば意識レベルは回復するわ。逆に言えば、敵は数時間以内に何かするつもりだった」
「そうだ。実は先辺が里依紗を」
真希名は状況を説明しようとする信也を手で制する。
「今、ムラマサとクルーガーがデータリンクを完了したわ。これまでに起こったことについては全部共有できたし大体の状況は理解した。わたしはこれから最上階に向かうわ。おそらく分岐宣託がそこで顕現する」
「一人で大丈夫か? 俺も行くよ」
身を気遣う信也に、真希名は不敵に笑って見せた。
「あなたが来たって足手まといなだけ。それよりも、まず彼女を安全なところまで避難させて。今回の宣託はガーデンに範囲が限定されているから、外に連れ出しさえすれば彼女に危害は加わらないはず」
「わかった。他に手伝えることはあるか?」
「外に出たら、本部に直接行ってこのことを伝えて。もしかしたら増援が必要なケースかも知れない。前にも言ったけど、宣託がアルタレギオンの市民に言及したことなんて今までにないことなのよ。何か、私たちの認識と現実にずれが生じているんだわ……ディバイナーズの先を取ったと思っていたけど、実は踊らされていたのは私たちのほうかも知れない」
真希名はこういうと下唇をかみしめた。それは、自信たっぷりな真希名にしては珍しく弱気な表情だった。
「真希名……ヤバくなったら逃げだせよ。宣託だかなんだか知らないが、あいつらマジに人殺そうとしてるから」
信也はそういうと真希名を見る。だが真希名は首を静かに振った。逃げるつもりなどない。彼女の表情は確固たる決意を秘めている。信也もそれ以上は言わなかった。いや、言えなかった。
「じゃあ、気を付けろよ」
信也が拳を真希名に向ける。
「そっちもね」
真希名も拳を信也に返すと、振り向いて走り去った。
とにかく宣託の時まであまり時間はないはずだ。信也は里依紗をもう一度背負いなおすと階段へと向かう。
あと五階。
信也は一〇階のエレベータを目指して慎重に階段を降りていく。その道すがら、真希名のことをクルーガーに尋ねた。
「なあ相棒。どうして真希名はここに来たんだ?」
「ソレハ真希名サンノ鍵ガ、黒ねこダッタカラデス」
「黒ネコだって? さっきいたやつか」
「街デ見カケタ黒ねこヲ追イカケルトイウノガ、真希名サンニ課セラレタみっしょんデシタ。真希名サンハ、街デノ捕獲ガ困難ダト判断シ、コノ学園ニ追イ詰メマシタ。ソシテ、黒ねこノ逃ゲタ先ニ、ますたーガイタ、トイウワケデス」
真希名がなんとなく追跡していた黒ネコが自分の命を救ったとは……。
偶然にもほどがある。
「これは、予測されていた出来事なのか?」
「分岐宣託デハアリマスガ、がいあノ宣託トハ、ソノヨウナモノデス」
「もはや冗談にしか聞こえないよ。未来技研が株でも始めたらボロ儲けできそうだな」
「がいあノ演算速度ハ向上シツヅケテイマスカラ、宣託ノ精度ニツイテモ高マルコトハ明白デス。コノヨウナ偶発的ナ事象ノ積ミ重ネニヨル大キナ相互作用ハ、今後ハ珍シイ事デハナクナルノカモ知レマセンネ」
結果的には上手く行っているからいいが……ちょっとでも歯車がかみ合わなかったら一瞬にして瓦解するんじゃないだろうか。
全てが崩れた未来には、いったい何があるんだ?
考え事をしながら下っていると、ようやく一〇階に辿り着いた。エレベータに乗り込むと学生証をかざし一階を押す。エレベータは静かな音と共に下へと動き出した。
一階のエレベーターホールは非常灯の明かりに照らされるだけの暗がりで、もちろん人影はない。無人のロビーを抜けて外に出る。そして意識の戻らない里依紗を校庭の隅にあるベンチに寝かせる。少し肌寒いがもう他に何もしてやれることはない。
「相棒。本部と通信はやっぱりダメか?」
「ハイ、通信ハ途絶中。先ホドノ真希名サンノ指示ドオリ、直接向カウシカナイヨウデス。
向かうのはいいが里依紗をここに置いておくのは少し心配だ。もちろん真希名も心配である。
そろそろ、空中庭園のあたりにいるはずだ。
信也は夜の空にそびえ立つガーデンを見上げた。すると、ガーデンの上の方から小さな爆発音が聞こえ、何か窓ガラスが吹き飛んでいるのが見える。何か真希名と先辺が戦ってでもいるのだろうか。
「また、ずいぶん派手にやってるな……」
目を凝らすと、爆発で吹き飛んだガラスの破片に交じって、信也の見覚えのある形が落ちてくる。
まさか。
信也は危険を顧みずガーデンに駆け戻る。破片の落下がひとしきり落ち着くのを待ってその落下物のほうへ近づき、そして信也は絶句した。
「これは……」
照明に照らされてキラキラと光る細かいガラスの破片の中心に座す黒々とした影。武骨で飾り気のない切っ先は地面にほんのわずかだけ埋まり、その柄は天に向けて己の存在感を誇示している。
間違いない。それは真希名の木刀だった。
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