第四章 六道信也
疾走と失踪
「もしもし」
信也が電話に出ると、どこかで聞いたことのある男の声が信也の名前を呼んだ。
「やあ六道君。晴れて市民となった気分はどうかね」
この声、そしてこの台詞。
信也が思いつく名前はたった一人しかいない。そして、その直感は的中していた。
「……先辺、礼児」
「ほう、なかなか勘はいいようだな」
「電話番号を教えたつもりはないんだがな。人殺しを廃業して今度はストーカーに転職か」
「今や貴様は我が同胞だというのに、ずいぶんなご挨拶だな」
勝手に番号を調べて電話を掛けてくるぐらいだから友好的な内容ではないだろう。信也は向こうの音に集中しながら、あえて軽い口調で話を続ける。
「で、いったい何の用だ? 俺と遊んでほしいのなら残念だがスケジュールは二か月先まで埋まってるぜ」
「私が聞きたいのはそんな先の話ではない。今日の予定だ」
「どういうことだ?」
「貴様の友人に、髪の毛の長い女生徒がいるだろう? たまたまさっき道で会ってね。だがどうやら体調を崩したらしく、気を失ってしまったのだ。私も病人を道端に放っておけるほど冷たい人間ではない。とりあえず丁重に保護させて頂いたよ」
「まさか……リーシャのことか」
「そうそう、たしか船戸里依紗という名前だった。本人から聞いたわけじゃない。なにしろ自己紹介する前に勝手に意識を失ってしまったからね」
「今どこにいる! あいつは無事か?」
たまらず信也は声を張り上げる。対して、先辺の声は落ち着き払っていた。
「安心したまえ。彼女に危害を加えるつもりはない」
「じゃあ、何が望みだ?」
「ともかく彼女を迎えに来てくれたまえ。用件はその時に話そう」
「……どこに行けばいい?」
「ガーデンの44階D教室だ。では後ほど」
先辺の声はそこで途絶えた。一方的に通話を切られたのだ。
ガーデンだって? こっちは一般校舎の生徒だぞ。
信也は左腕を見るが、こんな遅い時間に学校に向かうバスはない。信也は、たった今バスで来た道を反対方向に走り出した。里依紗のことが心配だった。
走りながらクルーガーに尋ねる。
「本部と通信はできないのか?」
「先ホドカラじゃみんぐ波ガ継続シテ観測サレテイマス。従ッテ秘匿回線デノ情報送信ハ出来マセン」
どうすればいい?
明らかに向こうのペースで、こちらには策がまったくない。これでノコノコ行っても事態は悪化しそうだが、奴らは人殺しなんてなんとも思っちゃいないようだ。里依紗の安全を最優先事項とし、後は成り行きで考えるしかない。
「何か武器はないのか? 先辺に勝つための」
「武器ハアリマセン。マタ
「それだよ。前から聞きたかったんだけど
「非常事態ト判断シ、必要ト思ワレル機密情報ノ一部ヲ公開シマス。
「へぇ。そんな便利なものなら、みんなで使えばいいじゃないか」
「あーぶノ適合条件ヲ満タス人間ハ多クアリマセン。マタ、一種類ノ株ニ対応スル個体ハ一人ニ限定サレルタメ量産ガ困難。現在未来技研ニ所属スル
「敵さんにはもっといるのか?」
「正確ナ情報ハアリマセンガ、彼ラノ組織ハ
「じゃあ、向こうの方が強いじゃないか……」
「未来技研ニハ、いんでっくすナド、イクツカノ技術的優位性ガアリマスガ、モシ宣託順守協定ガナケレバ戦力的ニ不利デアルコトハ事実デス」
未来技研の
だけど、もう歯車はとっくに回っているんだ。
「相手が強かろうがなんだろうが、売られた喧嘩は買うしかないだろ。とにかく行ってやろうじゃないか。相棒」
「相棒トハ誰ノコトデショウカ?」
「決まってんだろ。クルーガー、お前のことだよ……」
「ナルホド。以後、ますたーノ私ニ対スル呼称トシテ、相棒トイウわーどヲ辞書ニ追加シマス。
信也は校門を乗り越え、薄暗く人気のない校庭を駆ける。既に日は落ち、空には先ほどまで残っていた夕日の残滓が、薄く紫色に空を照らしているだけとなっていた。一般校舎のエリアから、教師たちのいる教員棟を抜けて、黒々と聳え立つガーデンへは、数分の距離だった。
しかし、一般校舎の生徒では中に入れない。
とりあえず策もないまま信也はガーデンの入り口に向かう。すると、いつもなら立っているはずの警備員がいない。代わりにゲートの横で男が一人作業をしていた。近づくと向こうから声を掛けてくる。
「ガーデンの生徒さんですか?」
「あ、はい。えぇと……ゲートどうしたんですか?」
「今、修理中でセキュリティシステムを切ってるんですよ。でもおかしいなぁ、学校からは今日はもう授業終わりだから作業始めていいって言われたんだけど」
「いやぁ、それが授業じゃないんですよ。実は教室に忘れ物しちゃって。明日の宿題なんで、忘れると先生にめちゃくちゃ怒られるんです。ちょっと取りに行ってもいいですか?」
信也は、さらりと口から出まかせを言った。作業員は困ったような顔をしながら答える。
「まあいいかな……。ただ、十分もすれば館内のセキュリティシステムが復旧しますよ。入館証、持ってますよね」
「はい、もちろんです」
信也は学生証をチラリと見せ、あっさりとゲートを通過した。十分もあれば先辺の指定する教室までは優に辿り着ける。先辺が里依紗をさらって、自分がガーデンに来るなどということは、明らかにイレギュラーな状況であろう。しかし、まるで誰かがそれを予期していたかのように、物事がシナリオ通りに進んでいる印象を受ける。
もしかして、これも宣託の一部なのか……
館内に入ると、まず一番近いエレベータに乗りこむ。セキュリティランプが消えていることを確かめもせず44と書かれたボタンを押すと、エレベータはすぐに動き出した。D教室はエレベータホールから少し奥のほうにある。そのドアをガラリと開けると、そこには床に倒れる里依紗の姿があった。
「リーシャ!」
里依紗の傍に駆け寄る信也の後ろから声が聞こえる。
「意外と早かったな。もうしばらくかかると思っていたが」
「先辺……リーシャに何をした!」
「まあ慌てるな。気を失っているだけさ」
「どうしてこんなことを……まさか、これも宣託に関係することなのか?」
「神は言われた。神の統べる塔の頂きにて、若き民の血により古き民の命を贖う、とな。貴様ら若き民の血こそ、我が主が命ぜられた神のご意思。神がいつも慈悲深きお方だと思うなよ」
「宣託順守協定はどうなっているんだ。一般生徒をダシに俺を巻き込んでいること自体、協定違反じゃないのか」
先辺はこの言葉を聞くと侮蔑するような目つきで信也を見た。
「そういう言葉だけは一人前に覚えてきたのだな。確かに我が聖会も協定の管理下にあることは事実。しかし、我らが宣託の記述対象であるなら協定は意味を失う。神はようやく我ら選ばれし民の前にその御姿を示されたのだ」
アルタレギオンは宣託の登場人物にはならないって言ったじゃないか。
信也は心の中で舌打ちをするが、この時点においてはどうしようもないことだった。
「で、いったい何が望みなんだ」
「もちろん宣託の成就だよ。司教様は贄を求めておられる」
先辺はこういうと、ポケットからスマートフォンを取り出して時間を見る。
「さて、私はちょっと失礼する。神の降臨にはまだ間があるようだからな。貴様には、時満ちるまでここで待っていてもらおう」
入り口の近くにいた先辺は、ドアを開けながらこういうと、教室を出ていった。
「おい、待てよ!」
信也が追いかけるが、教室のドアは静かに閉まり、かちりとオートロックの音がした。もう館内のセキュリティシステムは復旧しているようでドアは開かない。信也は手で無理やりこじ開けようとして、その試みが無駄に終わると今度は体当たりをする。しかし、さすがにガーデンのセキュリティ体制は強固だった。セキュリティIDなしではどうしようもない。
信也は、いったん先辺を追うことをあきらめ里依紗に駆け寄る。
息はある。そして怪我は……なさそうだ。
「良かった……」
信也は心の底から安堵する。
となれば、次はこの部屋からの脱出だ。信也はクルーガーに尋ねる。
「おい相棒、この部屋から脱出する便利な未来道具とか、なんか持ってないか?」
腕時計が緑色に明滅すると、感情のない声があたりに響いた。
「コノ部屋ヲ出ルタメノてくのろじーハ持チ合ワセテオリマセン」
「ちくしょう……打つ手なしかよ」
信也はぐっとこぶしを握り締める。そこにまたもや感情のない声が響いた。
「トコロデ、ナゼ自分ノIDかーどヲ使ワナイノデスカ?」
「どうしてってかって? バカかお前は。俺は一般校舎の生徒だぞ」
「ますたーノIDハ、現在がーでん内ノ一般通行許可ガオリタママデス。本日、そのIDニハ臨時許可ガ付与サレテイマスガ、本来行ワレルベキ終了処理ガ未処理ノママニナッテイマス。コノ場合、一般通行許可ガ降リタ時間カラ24時間ノ間ハ許可サレタ範囲デ館内ヲ通行デキマス。許可サレテイル移動範囲ハ、一階カラ一〇階マデノえれべーた、授業用教室、ソシテ共有施設デス」
なんと……つまり特別補習のIDが生きているということか。
信也はドアに近づくと、その横のIDセンサーにカードをかざす。すると、かたくなに行く手を阻んでいた教室のドアは苦もなく開いた。
里依紗をどうするか。声をかけたり揺すってみたりしたが、何か薬品でも投与されているのか目を覚ます気配はまったくない。信也は、滾々と眠り続ける彼女を四苦八苦しながらなんとか背負う。同年代の女子と比べれば十分スリムなはずの里依紗であるが、それでも重い。
階段か……
信也はそう思ってげんなりする。なぜなら一〇階まではエレベータが使えないからだ。
与一がここにいたら、きっと喜んで代わってくれるのに。
背中に伝わる里依紗の体温や、手のひらに感じる柔らかい感触にときめいている余裕などあるはずもなく、エレベータホールの横にある階段までたどり着くと、手すりに沿って慎重に降り始めた。
息を切らして階段を降りる信也の背中で、里依紗は眠り続ける。その首すじの小さな傷跡の意味など、信也は知る由もなかった。
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