バースデーケーキ

 駅前の交差点でみんなに別れを告げると、里依紗は歩き出した。向かっているのは、同じく駅の近くにあって輸入食材などを扱う高級スーパーである。

 あのスーパー、品ぞろえがいいんだもの。

 里依紗の父は大手製造メーカーの役員を務めていて、里依紗の家も単純に平均と比べればずいぶんと裕福である。実際、里依紗も少しお嬢様っぽいところがあり、そんな品の良さもあって男子からはいつも気になる存在として見られていた。

 じゃあ、高級スーパーには良く行くのかと言われると、実はほとんど行かない。しっかり者の母親の薫陶のおかげで、近所の安売りスーパーのタイムセールについては誰よりも詳しいと自負している。ただし今日は違った。

 だって、パーティだもんね。

 信也だけじゃない。他の友達も来るのだから何か一品みんながちょっとびっくりするようなものを作ってみたいと思ったのである。それも内緒で。

 おしゃべりの咲にバレたら、一日で広まっちゃうもの。

 せっかくのサプライズが台無しではつまらない。里依紗はいろいろなレシピや料理本を見ながら考案したオリジナルレシピを手に、目的地であるスーパーに入った。

 里依紗が気合いを入れて向かったのは製菓材料のコーナーである。

 バースデーケーキなんて、ちょっと楽しみ!

 本格的にケーキを焼いたことはない里依紗だったが、母の全面的な協力も取り付けて、後は材料をそろえるだけである。

 コンセプトはキャンドルの立てやすいシンプルなショートケーキ。ベースのスポンジの上には、薄く砕いたくるみを乗せて焼き上げ、フルーツリキュールをちょっとだけ加えた生クリームできれいに包んで、イチゴをトッピング。

 それから、ちょっと大人びた味のほうがいいかな。

 里依紗は、甘いものがそんなに好きではない信也の顔を思い浮かべながら、ビターチョコレートを手に取った。

 デコレーションにはやっぱりチョコレートソースよね。

 湯せんで溶かしたら、ほんの少しだけブランデーを入れてもいいな。

 あ、それから、大人っぽくするのには絶対欠かせないのがスパイス。

 シナモンにクローブ、あ、オレンジピールも信也が好きだったっけ。

 ふと、信也のことばかり考えている自分に少し赤面する。普段から里依紗の作るものになんの興味も示さない信也のことばっかり考えていても仕方ない。

 咲や与一君、大悟君のこともちゃんと考えなくっちゃ。

 たしか与一君は、確か甘いものに目がなかったんだよね。

 ベースはシンプルだけど、トッピングでぐっと甘さが引き立つ感じにするのもいいかも。

 じゃあ、甘さたっぷりのホイップクリームはどうかしら。

 いっそ、男子の好きなミライちゃんの絵を描いちゃったりするのも楽しそう!

 いろいろ考えながらコーナーを行ったり来たりしているうちに、気づくと買い物カゴは当初考えていた量をはるかに超えていっぱいになっていた。

 ちょっと買いすぎかな……でも、備えあれば憂いなし。

 これだけあれば一回失敗しても、大丈夫よね。

 里依紗は覚悟を決めてレジに向かった。


「お会計は一万三千二百円になります」


 わ、結構な金額になっちゃった。

 里依紗はカードで支払いを済ませると、トートバッグに忍ばせている愛用のエコバッグに買ったものを詰め、店の外にでてから大きく伸びをする。


「久しぶりにお買い物、しちゃったなー」


 目の前にはコーヒーショップ。普段あまりそういうところに立ち寄らない里依紗も、思いっきり散財したあとでちょっと気が大きくなっていた。

 うーん。もう、いっちゃいますか!

 笑顔の店員さんにオススメを聞いてオーダーしたのは、トールサイズのキャラメルマキアート。しかも追加でキャラメルシロップ。スイーツのコーナーで散々甘いものを見たせいか、いつもよりも甘さを体が求めている気がする。

 できたばかりのカップを、テーブルに座ってすぐに一口。

 うん、美味しい!

 甘い香りとカップから伝わる暖かさに癒されながら、里依紗が考えるのは信也のことだった。別に今さら好きだと意識したとか……といったことではなく、よく知っているはずの幼なじみの行動や言動に、今までとは違う何かを感じていたからだった。

 久世さんだったっけ。

 クラスに訪れた眼鏡の女の子が、前に噂してた久世真希名という転校生だということは既に知っている。里依紗の知らないところで、何度か会っていることも。そのことについて、信也がなんとなく話したがらないことも。

 別に全てを知りたいわけじゃない。今までだって、信也が里依紗に話してくれないことなんていっぱいあった。ただ、今回はちょっと何かが違う気がした。

 もしかして、久世さんのこと好きなのかな。

 里依紗は頭に一瞬浮かんだ考えをすぐに否定する。信也が誰か女の子を好きになったりしたら、自分にはすぐにわかる。それに、久世さんだって信也と付き合ってるんだったらもっと里依紗の視界に入っていいはずだ。何か、きっと、全然違う理由がある。里依紗にとって、それは推測ではなく確信だった。

 きっと、今は言えない理由があるんだよね。

 里依紗は一人心の中でうなずくと、自分のスマートフォンから信也にスタンプを送る。メッセージはなし。それは、今の里依紗の気分にぴったりの絵柄だった。

 さあ、そろそろ帰らなくっちゃ。

 里依紗は、まだ半分以上残るカップを手に持って席を立ちあがり店を出た。夕日がだんだんと落ちかけている。今日は夕食の当番ではなかったが、母が帰ってくる前に今日の戦利品を片付けておきたかった。

 少し早足で歩くと、さっきみんなと別れた交差点まではあっという間だった。駅の近くとあって、こんな時間にも関わらず人通りは多い。

 通りの向こうには、もう駅の改札が見える。信号が青になり、里依紗は交差点を渡ろうとした。その時、里依紗はふと眩暈を感じてよろめき、それを後ろから誰かが支えた。首筋にちくりとした痛みを感じる。

 そして、里依紗の記憶は途切れた。

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