小さな逃走者

 白下岬街の外れの住宅街で、場違いな制服姿の女子高生が木刀を握り締めている。その少女の名前は久世真希名。先ほどから目的もなく、あたりをうろうろと歩き回っている。

 いや、目的はある。

 分岐宣託を顕現させるという目的のためにここにいる真希名であったが、いったい何を、いつ、どのようにすればよいのか。それを知るすべは、結局一つしかない。


「ムラマサ、本部からの通信は?」

「マダ、アリマセン」

「こちらから問い合わせできないの?」

「ソレモ、ダメデス。タダイマ、最高強度ノじゃみんぐ波ガ観測サレテイマス。現在ノ状況デハ、コチラカラノ通信ハホボ百ぱーせんと傍受サレルデショウ。真希名サンノ安全ヲ考エルト無理ヲシナイホウガ宜シイカト思ワレマス」


 真希名は空を見上げた。落ちかけた夕日に照らされる秋らしいまばらな雲には、雨の気配は微塵も感じられない。これといって、ガイアの宣託を乱すような要素はなさそうだった。


「それにしても、これだけ仕掛けてくるなんて……ジャミングの演算リソースを一か月分は使い切るぐらいの演算量だもの。今回の分岐ってよほど影響が大きいのかしら」

「ソウカモ知レマセン。トモカク油断ハ禁物デスネ」


 真希名はうなずくと、今回のミッションを心の中で振り返る。

 該当エリアに待機し、ターゲットが出現したらそれを追跡する。これが、ラグナ・エンジンが導き出した鍵への到達方法だったが、あいにく待機時間までは示されていない。

 今日ではない可能性も……ある、か。

 一か所に立ち止まっていては不審がられる。少し移動しようと通りを歩き始めたその時、ムラマサが小さな電子音と共にモニタを緑色に点滅させた。本部からの通信だ。


「でーた受信ガ完了。たーげっとは黒ねこダソウデス。ナンダカ可愛ラシイたーげっとデスネ」

「え? 黒ネコ……それってにゃあと鳴くネコのこと?」

「ソノトオリデス。捕獲対象ガココニ現レタラ作戦開始。開錠成功率ニツイテノ情報ハ特ニアリマセン」


 敵ではなかった?

 てっきりディバイナーズを追跡するものと思い込んでいた真希名は、ムラマサの言葉に拍子抜けする。それも黒ネコ。そんな行動が分岐宣託のどこにつながってくるというのだろうか。


「タダイマ遠方ニ、対象の鳴キ声ト思ワレル音声ヲ確認シマシタ。コチラニ近ヅイテイマス」

「そいつを捕まえれば終わりってことね……じゃ、さっさと片付けましょう」

「トコロデ真希名サン。ソノ前ニ影姫、シマッテ下サイネ」

「どうして?」

「ねこハ警戒心ノ強イ生キ物デス。ソンナモノヲ握リ締メテ、隙アラバ振ルッテヤロウトスル乱暴ナ人ニ近ヅイテ来ルト思イマスカ?」

「……」


 真希名は手にしていた木刀を未練がましく見つめていたが、やがて肩を落とすと柄の裏を押しながらそれを一振りした。すると、一つの木から削り出したようにしか見えなかった木刀に複数の溝が入り、先端は厚みをなくしてフラットな形状にたたまれる。そして、まるでゴムに引っ張られでもしたかのようにするすると柄に吸い込まれた。


「これで文句ないでしょ」


 スマートフォンの半分の大きさもないぐらいコンパクトに折りたたまれた元・木刀を手のひらに乗せて、不満げに真希名は言った。

 携行型打撃デバイス、影姫。

 未来技研の兵装開発課が、超越技術リープテック由来の超硬度合金を素材として生み出した真希名専用の武器である。


「文句デハナク真希名サンノタメヲ思ッテ……たーげっとガ後方ニ接近。目視デキル距離デス」


 真希名が振り向くと、そこには一匹の黒ネコがいた。長い尻尾を上に伸ばして、大きく愛らしい瞳で真希名のほうをじっと見つめている。

 可愛い。

 ネコよりは犬派の真希名でさえ、思わず近寄って撫でたくなるようなモフモフの毛並みに思わず手を伸ばしそうになりながらもぐっとこらえた。

 全力で行く。

 なぜなら、これは世界の命運をかけた戦いなのだから。真希名はゆっくりとしゃがみこむと、猫に向かって声をかけた。


「にゃにゃにゃー、かわいいネコちゃん、こっちおいでー」


 真希名の全力。それは、彼女の端正な風貌にはまったく似つかわしくない猫なで声であった。こんなところを誰かに見られたら、恥ずかしさで死ぬかも知れない。

 いや、その前に目撃者を殺す。

 とはいうものの、宮仕えの身としては己のプライドよりも優先すべきものがある。真希名は全身全霊を振り絞って、黒ネコとのコミュニケーションを試みた。ジェスチャー付きで。


「かわいいにゃー、ほら、わたしもネコちゃんだにゃー、にゃー、にゃー」


 黒ネコは、そんな真希名の努力を小ばかにしたように一瞥すると悠然と振り返って歩き出した。


「キャラを崩してまで、あなたと友情を育もうとしているのに、そっちがそういう出方ならわたしにも考えがあるわ……」


 両手のネコミミポーズをあっさりと中断すると、真希名は右手をぶんと振る。そこには、また先ほどと同じように一振りの木刀が現れた。それを脇に構えると、真希名はゆっくりと足の位置を変え、黒ネコとの距離を詰める。

 黒ネコは、その動作に不穏な気配を感じたのか、くるりと後ろを向いて一目散に走りだした。真希名も大地を力強く蹴って、それを追う。


「待ちなさい!」


 待てと言われて待つ泥棒はいない。いかんなく発揮された野生動物の瞬発力で勝負はあっという間につくかに見えた。だが意外にもそのスピードは互角であった。通りを疾走する黒ネコを、真希名は驚異的な脚力で追いかける。


「ムラマサ、トレース!」

「了解シマシタ。とれーすINDEXノ作成ヲ開始。周囲ノ環境DNAヲ検出、ふぃるたりんぐ完了、規定量ノたーげっとDNAさんぷる特定ニ成功シマシタ。まいくろさてらいとノ検出ニ成功、INDEX作成ガ完了シマシタ。コレヨリ対象ノとれーすヲ開始シマス。たーげっとノ移動経路ヲ真希名サンノ視界ニ投影」


 ムラマサからの信号は真希名の視神経に伝達され、黒ネコの移動した軌跡が赤く光る線となって、真希名の視界に映し出された。


「GJムラマサ! 持久力で人間さまに張り合おうだなんて、百万年早いってことを思い知らせてあげるわ!」


 閑静な住宅街を音もなく走り抜ける黒ネコは、時に住宅の庭に入り込み、小さな隙間を抜けてちょこまかと移動するが、真希名は軌跡を確認しながら冷静に追いかける。

 ここは広すぎる……誘導しなくちゃ。


「学校のほうに追い詰めましょう。ムラマサ、適切なルートを算出して」

「了解シマシタ。たーげっとハ現在一本右側ニアル道ノ側道ヲ移動中。次ノ交差点ニ差シ掛カッタトキ、右折方向ニ逃走スルヨウ牽制シテクダサイ」


 真希名は返事もせず、走りながら木刀で歩道をえぐる。

 振動が伝わるほどの大きな打撃音と共に、地面からはがれたタイルを器用に跳ね上げると、木刀を振り切って打ち飛ばした。

 タイルはきれいに弧を描くと、交差点に現れた黒ネコの目の前に落下し、ガシャンと派手な音を立てて飛散する。

 にゃあああ。

 その音に驚いたのか、黒ネコは方角を変えて学校へと続く道へと逃げ去った。真希名からは遠ざかる方角となったが、学校は岬の頂上にあり、崖でも飛び降りない限り逃げ場はない。


「ないすこんとろーるデス。モシ女子野球部ガアレバ、ぴっちゃーデ4番ハ間違イナシデスネ」

「当然よ。で、トレースの状況はどう?」

「良好デス。たーげっとノ生体活動れべるガあっぷシテイルノデ、とれーす範囲ハ500めーとる以上ニ広ガリマシタ」

「万事順調ね。さあ、このまま追い詰めるわ」


 真希名は走る速度をゆるめず、岬に続く沿道を駆け上がる。黒ネコに続く赤い軌跡は、今やはっきりと道の先に延びていた。

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