ラグナ・エンジン
事象観測課。
入口のプレートにそう書かれた部屋の中では、少しばかりの緊張感と不安、そして何か大きなことを成し遂げようとする高揚感が漂っている。
そこは、ラグナ・エンジンの運用を担当している事象観測課のオペレーションルームだ。
もう一時間も前から、職員たちはディスプレイを食い入るように見つめ、無言でキーボードをたたいている。誰も席を立つものはなく、雑談に興じるものもいない。やがて、一人の職員が顔を上げて大きな声を上げる。
「ラグナ・エンジンが鍵の出現条件を捉えました。もうしばらくでミッションの詳細が出力されます」
その報告を聞くと、漆黒の肌を持つ初老の男性が、あごひげを撫でながらうなずいた。
彼の名はデービッド日下。この、未来技研の局長という肩書きを持っている。
「よくやった。日時は特定できたか?」
「今日の日付になっています。時間はわかりませんが、遅い時間に確率分布の山がありますね」
「わかった。では一番のスクリーンに出力を。それから、あちらにはデータは届いているかな?」
「はい、該当するインデックスとの双方向通信は確立できませんが、複数のルートでスクランブルパケットを送信していますから、受信には問題ないものと思われます」
部屋の中央に浮かび上がったホログラムスクリーンに映し出されたのは、白下岬学園の特別校舎、通称ガーデン。インデックスの発する位置情報信号が赤く点滅している。その横には学園特務課03という文字が示されている。モニターされているのは信也であった。
「久しぶりの分岐宣託ですね、局長」
局長の横で、可愛らしいメイド姿の女の子が声を発した。局長と同じ肌の色をしたこの少女は、先ほどからスクリーンのほうを一切見ていない。
当然である。
なぜなら彼女はコンシェルジェAI、レジィの制御するヒューマノイド型のインターフェースであり、その本体は未来技研のデータ全てを管理している。この部屋にアウトプットされる情報も当然レジィの管理下だ。おそらくこの状況を一番よく理解しているのは彼女であった。
「六道君は上手にやれるだろうか。学園特務課に配属されて、初めての単独ミッションだからね。簡単な内容だったらラッキーなんだが」
「大丈夫ですよ、局長。ラグナ・エンジンによれば、介入による開錠成功の可能性は九十五パーセントです。六道さんなら余裕ですね!」
レジィはにっこりとほほ笑んだ。機械とは思えない滑らかな動きだが、彼女がその仕草にふさわしい感情を持っているかどうかはまた別の話だ。ありあまる処理能力にものを言わせ、力づくで深層学習を回した演算結果が作り出した感情表現の模倣。これでも
「真希名君のほうはどうだ?」
「ちょっと待ってくださいね……」
現在表示されているスクリーンの横に、新たなスクリーンが立ち上がり、そこに高速でスクロールする文字列が表示される。しばらくして、今度は白下岬町の地図が表示された。街のほうにぼんやりとした赤いマークが表示されている。その横には学園特務課02という文字。
「えっとぉ、真希名さんの位置はたぶんこの辺なんですけど……まだ鍵の痕跡はつかめないですー」
「ふむ、そうか。もし今日ならそろそろ判明しても良いころだが」
先ほどの職員が再度大きな声を上げる。
「局長。たった今、二つ目の鍵の時間が特定されました。こちらは、およそ一時間後です」
「よし、その情報は真希名君のほうに流してくれ。それから敵の動きを知りたい。向こうの宣託データを解析できたものはいるか?」
この問いに、別の職員が手をあげる。
「わたしが確認しました。あちらはラグナ・エンジンと異なるアルゴリズムを使っているため正確ではないですが、現在の宣託評価は我々サイドに指数1543でネガティブ。揺らぎも一切ありません。分岐することさえ気づかれなければ、あえて介入することはまずないでしょう」
局長はあごひげをなでて考え、もう一つ質問をする。
「向こうの
「ジャミング波の影響により測定不能。ただし先日の騒ぎで、事象ベクトルはこちらにかなり傾いています。順当に考えると、ディバイナーズのほうから事を起こすことはないといっていいのではないでしょうか」
職員の意見に、レジィが異をとなえる。
「事象ベクトルはあんまり問題にならないですよ。分岐宣託とはいえ、宣託は宣託です。これが行われる前後には、事象安定度は勝手に高くなっちゃいますからね。たとえ宣託を捉えきれなくても、ベクトルさえ固定されれば無理やりな作戦を仕掛けてくる可能性だってあります。油断は禁物ですよぉ」
この言葉に局長もうなずいた。
「レジィの言うとおりだ。分岐宣託はぜひ我々のものとしたいが、しかしせっかくの戦力を減らしてしまうようなことは避けなくてはならない。とくに今注意しなくてはならないのは、こちらのネガティブ数値だ。いくらなんでも高すぎる。宣託順守協定があるとはいえ、何か不測の事態に展開して、仮に誰かロストでもすることになったら、我々の望む未来の実現に向けて、大きく後退することになる」
「もしかして、荒事ですか? わたしも戦闘用筐体出しちゃってもいいですか?」
レジィは大きな目をキラキラとさせて、物騒なことを言い出す。
「いや……かえって事態を複雑にする恐れもあるからやめておこう。しかし、若き民の何が、古き民の何を贖うというのか。これは一年生と三年生という意味なのか? ラグナ・エンジンの精度がもう少し高ければ、紅玉……いやせめて仏心あたりをサポートに回せるんだが」
「仕方ないですよ。宣託内容が我々サイドにポジティブかネガティブか、判別できるようになっただけでも大きな進歩です。それに、六道さんの亡命の件で、
レジィの言葉と共に、メインスクリーンの情報が切り替わる。
「そうか。では最終的な作戦評価と、現地インデックスへの情報供与、想定されるリスク整理を始めてくれ」
職員たちのタイピングが心なしか早くなり、レジィも笑顔を消して真顔で考え込む。しばらくして、ホログラムスクリーンの中央にメッセージが表示された。
「局長、ミッション内容が出ました。でも……」
ホログラムスクリーンを、局長、そして職員が見る。みんな驚いたような表情を浮かべている。
「なんだこのミッションは……」
局長がぽつりとつぶやいた。レジィはきょとんとしている。
「何か問題でもありましたか? 局長。ミッションの達成難易度は低、成功確率は現在九十八パーセントまで増加していますけど」
局長は首をかしげて考え込むが、やがて諦めたように両手を挙げて、それからレジィを見た。
「まあ、なんとかなるさ。六道君のお手並み拝見といこうか」
スクリーンに映ったミッション内容は、ちょうどいまクルーガーが読み上げているはずだ。局長は、それを聞いた時の信也のリアクションを想像して、くすりと笑顔を浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます