用務員室にて

「で、何の用だよ?」


 信也がぶっきらぼうに聞く。

 白下岬学園の一般校舎の一階、通用口のそばにある用務員室は、信也にとって既になじみの場所となりつつあった。勧められもしないのにソファに腰かけて、制服姿の真希名をじろりと見る。

 こんな朝っぱらに突然呼び出しなんて、どこのブラック企業だよ。

 それも必要最小限の、事務的な内容しか書かれていないメールで一方的に呼び出されたのである。勝手に上司と部下という関係にされてしまったが、そもそもは同じ学年の生徒同士だ。パシリ扱いをされたら、大抵の事には寛容な信也だっていい気はしない。

 そんな信也の気持ちを知ってか知らずか、真希名はその問いに見事なスルースキルを発動すると、信也に書類を差し出した。それは建物の見取り図のようだった。


「なんだ? これ……」

「この学園の構造図の一部。ガーデンの見取り図よ」


 なるほど、言われてみると外から見た形と、図面の形状は一致している。


「ふーん。それで、これが何?」

「ここ」


 真希名が示したのは、通称、空中庭園と呼ばれているガーデンの屋上部分だった。


「近々、この場所に【分岐宣託】が告げられる兆候があると、ラグナ・エンジンが導き出したそうよ」

「また新しい用語が出てきたな。なんだその分岐選択っていうのは」

「え、知らないの?」


 真希名は目を大きく見開き、信也は大きく目をそらした。

 視界のすみっこで真希名がこっちを見ている。いや、にらんでいる。


「あのね。ちゃんと事前学習しておいてって言ったじゃない。クルーガー、一体どうなってるの?」


 真希名の問いかけに、左手の腕時計が即座に反応する。クルーガーは短く明滅すると、信也だけに聞こえる骨伝導スピーカーではなく、通常音声で弁明を始めた。


「導入時基本ガイダンスハ終了シマシタ。マタ、対話形式デノ追加学習ガ可能デアルコトヲ案内シテイマス。タダシ追加学習ノ要望ハアリマセンデシタ」


 ご主人様の立場を悪くするようなことを平気で……。

 信也は、この融通の利かない超越技術リープテックを思いっきりにらみつけたが、視線を検知するセンサーを持たないクルーガーには何の意味もないことだった。


「分岐宣託ニツイテ、ゴ説明ヲ希望シマスカ?」

「今すぐしなさい!」


 信也が答えるより早く、真希名が口をはさんだ。


「いんすとらくしょん。分岐宣託トハ、宣託の一形態デアリ、選択チョイスデハナク宣託オラクルトイウ意味デス。世界ノ選択ニツラナル宣託デアルニモ関ワラズ、取リ得ル事象ノ範囲ガ曖昧デ、宣託ノ複数存在ガ許容サレテシマイマス。分岐宣託ノ結果ハ、未来ノ事象ニ影響ヲ及ボシマス。終了オーバー

「……と、言うことよ。わかった?」

「なるほど、RPGの分岐イベントみたいなもんか」

「世界の命運を左右するような話を、まるでテレビゲームみたいに……」


 真希名は呆れたような目つきで見つめるが、信也は気にしない。


「でも、大体は合ってるだろ」

「まあいいわ。補足しておくと、現在のアルタレギオンのほぼ全てのプロジェクトは、全て宣託が成立することを前提に成り立っている。私たちだけじゃなくディバイナーズもね。だから、宣託をぶち壊しにするような介入はやらないし、また結局そういう介入は成功しないとみているの。一方、分岐宣託については、そもそも宣託自体が確定されておらず複数許容されている状態だから……いわば自分たちに都合の良い予言を選べるってわけ」

「なるほど、そりゃいいな」

「また、どちらも宣託として有効だから、事象安定度は一切下がらない。未来に発生するいろいろな事象を自らの望む方向に変えることのできるもっとも有効的な手段だと考えられているわ」

「でも、先辺の奴らだって同じように考えてるんだろ?」

「ディバイナーズが何を考えているかは、実はよくわからないのだけれど……でも、彼らは宣託を崇めるカルト宗教と言ってもいい存在よ。だから、宣託については、相当なところまで介入してくると思うわ」

「ってことは、なんかバトル的な展開になっちゃうわけ?」


 この間みたいにいきなりヤラレ役になるのはごめんだ。

 信也のネガティブな疑問に、真希名は笑いながら首を振った。


「必ずってことはないわ。分岐宣託に介入するには、そこに至るための手順である【鍵】を集める必要があるの。鍵がなければ分岐宣託への道は開かれないわ」

「分岐イベントを発生させるためのフラグを立てるってことだな」


 真希名は、信也の言っている内容を理解しようとして首をかしげる。フラグを立てる、という表現がピンとこないらしい。普通の女子には一般常識というわけではないのだろうか。

 いや、まて。そもそも真希名は普通の女子じゃないだろう。


「フラグを立てるっていうのが鍵を集めるっていう意味なら、そうよ。もしディバイナーズが、私たちとは違う宣託の枝を選ぶのなら争いになるのかも知れないけれど、そうなった場合には二層市民セカンダリーであるあなたの出番はないと思うし、安心して」


 真希名がきっぱりと断言するのを聞いて、信也は少しほっとした。


「毎回、この前みたいに殺されかけたらたまらないからな」

「そうならないためにも、敵より早く分岐宣託を顕現させる必要がある。そこで、信也の出番というわけ」


 真希名はこういうと、一冊のテキストを信也に差し出した。


「はい、これ」


 信也は中をめくる。微分、積分、対数など、まだ信也が習ったことのない計算式がずらりと書き記された数学の問題集だった。


「なんだよ。一年生のテキストにしちゃずいぶんと難しいな……これ、大学受験用じゃないのか」


 真希名は信也を真正面から見つめ、ミッションを宣言した。


「あなたには今日から特別補習を受けてもらうわ」


 補習……補習?


「ま、マジかーーーーー!」

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