宣託の色は赤

「なんて顔してるのよ……大丈夫?」


 真希名が来た時、信也はちょうど最後の一枚に署名を書き終わり、放心状態で座り込んでいるところだった。


「マルコさん。結果はどうでしたか?」


 手続き、なんて生易しいものじゃない。

 なにしろ、実際の申請資料なんてほんのわずか。信也は、生まれた時からの全ての出来事を根ほり葉ほりインタビューされ、そして性格診断チェックをたっぷり五十ページは回答させられ、挙句の果てに超越技術リープテックの理解度を図るという目的で数学・化学・物理といった理系科目の知識を総点検させられた。

 早い話、信也は燃え尽きていたのである。


「ま、別に問題はないから大丈夫よぉ。見ていたけれど、補習も必要なさそうね。後のフォローは真希名ちゃんお願いするわぁ」


 マルコは書類をさっとまとめて小脇に抱えると、信也の肩をたたいた。


「ほら新人ちゃん! 市民としてしっかり労働に励むのよぅ!」


 マルコがその場を去った後、信也は机に倒れこむ。


「パねぇ……」

「何よ、その頭の悪い言い方。でも、この時間でクリアできたのなら上出来よ。大半の亡命者は科学の基礎知識が足りずに、補習受けるんだから」

「補習ねぇ。催眠学習でもしてくれるのか」

「いいえ。単なる居残り授業。そんなことよりも」


 真希名は右手に木刀を握っている。


「たった今、宣託を捉えたの。つまりミッション発動。あなたにとっては初仕事になるわ」

「マジ? もう遅いだろ。俺、腹減っちゃったよ」

「宣託はもう告げられたの。もしこれが揺らぐようなことがあれば、世界の均衡は簡単に崩れる。それこそ第三次世界大戦の勃発よ!」

「そんな大げさな……え? それ本当なのか?」

「局長の受け売り。そんなの、わたしにわかるわけないじゃない。でも仕事は仕事、上司命令よ」

「仕方ねぇなぁ。全然やる気出ないけどな……」

「しっかり励んでね。私たちは公務員扱い。ちゃんとお給料出るんだから」

「おお! それを聞いたらやる気出てきたぜ!」


 真希名が思いっきり呆れているが、信也は気にしない。

 ミライちゃんグッズ貯金。

 乏しいお小遣いを夏休みに全部使い果たした信也としては当然の回答だった。


「とにかく街まで出ましょう。まだ時間はあるから、バスを使うわ」


 真希名と信也は、未来技研を後にしてバスに乗る。信也は先ほどマルコに渡された左腕の時計を見た。時刻は夕刻の六時を少し過ぎたところだ。

 確か今日は……親が出張から帰ってくる日だったよな。

 信也の両親は割と放任主義ではあったが、それでも無断であまり遅くなっては怒られる。一応、遅くなるとメッセージだけは入れておいた。

 それからしばらくバスに揺られ、気づくと信也はつい寝てしまう。しばらくして目を覚ましたのは、真希名が不機嫌そうな声を上げたからだった。


「それ、わたしのと同じじゃないの……」


 真希名は信也の左手首を指さしている。その表情は明らかに嫌がっていた。


「あ、本当だ」


 真希名の左手に巻かれた腕時計も信也と同じもので、これはいわゆるペアルックが成立している状態である。

 これは、里依紗には見せられない。

 信也は口を尖らす幼なじみの顔を思い浮かべた。


「これ、他にも種類あるのか?」

「当り前よ。みんなが同じものつけてたら不自然じゃない。もう、マルコさんったら、全然こっちのこと考えてくれないんだから」


 信也はマルコがこれを付けた時のことを思い出していた。

 あいつ、わざとやりやがったな……。


「困るなら、今度取り替えてもらうよ」

「一度インストールされたインデックスは基本的には交換なんてできないの。その人の生体情報に合わせてカスタマイズされちゃうから。まあいいわ。わたし、あなたと学校で仲良くする気なんてさらさらないし」


 なんという横暴な上司だろうか。

 これはパワハラである。アルタレギオンに労働基準監督署があったなら、絶対に密告してやろうと、信也は堅く心に誓う。


「何? なんか文句ある?」

「……ねぇよ。大体、こんな時計が何の役に立つんだよ。俺、腕時計嫌いなんだよな」

「説明受けてないの?」

「知らねえよ。わかんないことは全部時計に聞けって言われたぜ」

「……あなたのインデックス、識別コードは何?」

「クルーガー」


 時計が緑色に点灯し、左耳に先ほどの合成音声が聞こえた。


「コマンドヲ受ケ付ケマス」

「クルーガー。わたしは久世真希名です。識別コード、ムラマサとのリンクを要請します」


 真希名の言葉を受けて、クルーガーは数回点滅を繰り返すと信也に告げた。


「久世真希名、一層市民プライマリー、未来技研、学園特務課、課長。識別コード、むらまさ、確認シマシタ。リンクヲ許可シマスカ?」

「知らん。勝手にしてくれ」

「了解シマシタ。デハ要請ニヨリ、むらまさトノネットワークリンクヲ実行シマス。情報転送ハオートモードデ設定シマシタ。終了オーバー


 こういうと、時計はおしゃべりをやめ、緑色に光っていた文字盤も暗くなった。


「何をしたんだ?」

「信也のクルーガーとわたしのムラマサをリンクしたのよ。繋がっていた方がミッションでは何かと便利だから。特にあなたはまだ初心者だし、ヘマされちゃたまらないものね」


 真希名は少し早口にそう言い、席を立ちあがる。ちょうどバスは街中に差し掛かって最初の停留所で止まったところだった。


「ここで降りるわ」


 二人は大通りを外れると、薄暗い路地へと入っていった。真希名はどこに向かうかを明確に知っているようで、入り組んだ道を一度も立ち止まらずに歩き続ける。


「こんな道良く知ってるな」


 真希名は信也のほうを振り向くと、何も言わずに口に指をあてた。静かにしろということらしい。信也は質問をあきらめて真希名の後ろを歩く。

 真希名は、いくつもの飲み屋が並ぶ狭い通りを抜けたところにあるコンビニの前で立ち止まった。


「信也は通りの向こう側で立ってて。そして【赤いドレス】を見かけたら、それで教えてちょうだい」


 真希名は信也の左手にある時計を指さしてそう言った。


「真希名はどこに行くんだ?」

「この店の中よ」

「……じゃ、それ持ったまま入るのはマズいだろ。預かろうか?」


 信也は、真希名の手に握られている木刀に気づいて忠告する。

 真希名は小さく首を横に振ると、木刀の切っ先を斜めに勢いよく滑らせる。すると、まるで魔法のように木刀が真希名の手の中に吸い込まれた。


「じゃ、頼んだわよ」


 いったい何をどうしたのか。その手品の種を聞く間もなく真希名は店の中へ入っていく。信也はそれを最後まで確認もせず、言われたように通りの反対側に移動した。

 しかし、本当に連絡できるのか?

 信也は自分の時計にそっと声をかける。


「おい、クルーガー。通信ってどうやるんだ?」


 時計はすぐに反応した。


「現在情報ノ転送ハオートモード。必要ナ情報ハコチラデ判断シマス。マタ、りんくノ状態ハ良好。終了オーバー


 どうやら勝手に通信してくれるということらしい。

 信也は道行く人を観察する。日が暮れたとはいえ、まだ八時を過ぎたぐらいだ。コンビニにも入れ替わり立ち替わり人が入っていく。最初はスパイ気分で緊張しながら見ていた信也だが、十分もすれば飽きてくる。

 大体、赤いドレスってなんだよ。

 そんな曖昧な情報だけでわかるのだろうか。気を抜いて信也があくびをしたその時。視界に鮮やかな赤色が飛び込んでくる。

 これか。

 煽情的な赤いドレスをまとった若い女性は、何やら年配の男性と腕を組んで歩いている。これが世に聞く同伴という奴だろうか。

 うらやま……じゃなかった。あのオッサン許せん。


「今、赤いのが歩いてる」


 時計に向かって話すと、時計は緑色に薄く点滅した。どうやら伝えたというサインらしい。


「店に入るみたいだ」

「確認したわ。すぐ終わるからそこで待ってて」


 真希名の返答が聞こえ、信也はそのままそこで待機する。

 何が起こるのだろう?

 信也は息をひそめて待っていたが、あいにく信也の期待するようなことは何も起きなかった。二人はコンビニに入るや否やすぐに出てきて、足早に立ち去ってしまったのだった。彼らの姿が見えなくなると、しばらくして真希名も出てくる。真希名は、信也を確認すると手を小さく上げ、通りを渡ってきた。


「終わったわ。行きましょう」


 信也がついてくるのを確認もせず先を歩く真希名を追いながら、信也は尋ねた。


「終わったって、何が? いったい何があったんだ?」

「さっきのおじさん、うちの学校に備品を納入している会社の人なの。わたしが挨拶したら、びっくりして出てっちゃったわ。やましいことがあるんじゃない?」


 それには、いったい何の意味が……。

 信也がその質問をする前に真希名が答えた。


「わたしの目的は、彼らを店に入れないようにすること」

「宣託って、そんなどうでもいいことまで……」

「わたしが介入しなくたって、あんな奴大丈夫だったと思うんだけど。局長が少し心配性なのよ」


 真希名は、どうやら今日のミッションが気に入らないらしい。信也は質問を少し変えてみた。


「そもそも、今日の宣託ってどんなだったんだ?」

「そこのコンビニで強盗事件が起こるんだって」


 真希名の言い方はまったくの棒読みだった。


「おい待てよ。止めるならどう考えてもそっちだろ!」

「それは宣託だから無理よ。ほら、みて?」


 振り返ると、先ほどのコンビニのあたりが物々しい雰囲気に包まれている。いつの間にかパトカーが来て警官が何名も走り回っていた。事件はあっという間に解決してしまったらしい。


「ラグナ・エンジンは、あくまでも宣託が成り立つことを前提に周辺で発生しそうな事象を解析しているだけだもの。でも、例えば今日のように、強盗事件が起こることを知っていたら、その被害が増えないよう、現場から人を遠ざけたりできるでしょ。もし私たちが介入しなかったら、巻き込まれて誰か怪我したり死んじゃったりしたのかも」


 宣託への介入、ということがどういうことか信也にもおぼろげに掴めてきた。

 宣託は変えられない。だからその周りを変えるということか。


「正直、宣託というものについてはわたしもよくわからないの。未来技研はラグナ・エンジンによって宣託を捉えるわけだけれど……例えばどうしてさっきの二人の危険が予測されたのか、とか。そういうことも含めて、結局ラグナ・エンジンの出力データは局長の直轄部門だけが解析していて、わたしが伝えられることはミッションの内容だけ」

「それもひどい話だな」

「仕方ないわ。実行部隊が知りすぎると不確実性が増しちゃうんだと思う。それから、ラグナ・エンジンが解析した宣託内容と、ディバイナーズが信じる宣託とではずいぶんと差異もあるみたいだし……宣託を取り巻く環境は決して安定したものじゃないのよ」

「神様でも、先のことを全て見通すのは不可能ってことか」

「どうかしらね。ただ、この一つ一つの宣託は全て、世界の選択、つまり次の生徒会長選挙につながっている。未来技研ではそういう解釈をしているわ。実際、今日の宣託が成立したことで将来の何かが影響を受ける。ガイアはきっと、私たちの想像もできない遥か先の、遠い遠い未来を見ているのよ」


 これじゃまるで、RPGのお使いミッションだ。

 神のみぞ知る未来の出来事に対して、ただ言われるがままにフラグを立てていく作業。

 日常との決別。

 そんな言葉が白々しく脳裏をよぎる。

 それなりに高揚感もある。でも期待していたような展開とは程遠かった。このゲームのシナリオデザインをしているのは果たして誰なのか。もしそこにあらかじめ決められたストーリーがあり、ただそれをなぞるだけの行動ならば……それは誰かによってお膳立てされた箱庭の冒険であり、今までとは違うというだけの、形を変えた日常に過ぎない。


「なんか、期待外れって顔してる」


 真希名に顔を覗き込まれ、信也は慌てて否定する。


「いいや、そんなこと思ってないぜ。っていうかハラ減って死にそうなだけだよ。ラーメンでも食ってかない?」

「ラーメン? わたし……いいお店知ってる」


 信也が連れていかれたのは、この街でも一・二を争うがっつりこってりたっぷりと三拍子そろっていることで有名なラーメン屋さんである。

 カウンターに座ると、隣に陣取った信也の上司は何やらマシマシマシマシと店員に謎の呪文を唱えはじめた。


「もしかして初めて? 注文してあげようか」

「いえいえ、遠慮しておきます自分でします」


 ブンブンと首を振って、信也は普通のサイズを注文する。

 それから十分後。すべてをマシマシに盛られたラーメンに目を輝かせて豪快に食べ始める真希名の隣で、信也もゆっくりと箸を割る。

 ちょっと消化できそうにないな……。

 ここ数日の出来事も、そしてこのラーメンも。

 せめて、全部食べてからゆっくりと考えようと、信也はとろとろに崩れたチャーシューをつまんだ。

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