アイデンティティ

 真希名と信也の二人は、デービッド局長の執務室に通される。打ち合わせ用の大きな会議テーブルについてしばらく待っていると、やがて局長が現れた。


「待たせてすまない。ちょうど今、ガイアから新しい宣託が降りそうな兆候をつかんでね。ラグナ・エンジンでの解析作業を進めているんだ」

「いえ。お忙しそうですね」

「まあいろいろとね。世界の選択の舞台がこんな極東の、しかも未来技研のすぐ近くに決まってしまったとあって、ここで働きたいって希望が殺到しているから人を増やしてもいいんだが……忙しくて面接もままならなくてね。日本語がまったくできない人材は書類で落としているんだが」


 そう語る局長の日本語も、どこか少しだけ外国風の訛りがあった。

 局長と一緒に入ってきたメイド服スタイルの少女が、信也の前にコーヒーカップを置く。黒い肌にはっきりとした大きな目が印象的な娘だ。髪は天然パーマを編み込んで左右にまとめている。

 あれ? 局長にどことなく似てるな……。


「もしかして、局長の娘さんですか?」


 信也の何気ない質問にメイドは首をかしげ、局長と真希名は顔を見合わせて笑い出した。


「わたしです。レジィです!」


 彼女が名乗ったその声には、信也にも確かに聞き覚えがある。

 レジィだって?

 信也が困った顔で三人を見ると、それぞれが信也に説明を始めた。


「レジ子ちゃんの本体はAI。だから外見はあまり重要ではないのよ」

「六道さんがそう思われるのも無理はありません。だって局長の娘さんがこの筐体のモデルなんですからね。娘さんはもうご結婚されて、お子さんもいらっしゃいますけれど」

「この筐体は、一番最初の試作機のデザインをそのまま引き継いでいるんだ。こういう仕事をしていると、なかなか娘に会う機会がなくてね。これぐらいの公私混同は許されるのではと、開発チームに頼み込んで娘の外見で作らせては見たが、やはり中身が違うと別人にしか思えないよ」


 AIと筐体。意識と体が別々に存在するというのは、頭では理解できても受け入れがたい事実ではあった。何しろ、彼女は実に自然で、機械らしさをまったく感じないのだから。


「じゃあ、他にもその……筐体とやらがあるのか?」

「えっとですね。今わたしが駆動できる筐体は全部で三つあるんです。受付のカントリー筐体と、このメイド筐体、そして最後のはバトル筐体。可愛くないのであんまり使いたくないですけれど」

「じゃあ、今受付の子はどうなってるんだ? 今は動いてないのか?」

「やだぁ、そんなわけないじゃないですか。わたしは単なるAIプログラムですから、ちゃんと向こうも動いてますよぉ。記憶は後でいくらでも同期取れるから問題ないんです」


 こういって、レジィは妙にぎこちないガッツポーズをとった。会話に比べて運動機能は限定されているようだ。


「レジィ君。とりあえず話はその辺にしておいて、さっそく進めてくれたまえ」

「あ、はい! そうでした、すっかり忘れてました。六道さん、右手を出してもらえますか?」

「あ、ああ。こうか?」


 信也が出した右手をレジィが握る。


「力を抜いてくださいね。少しチクっとします」


 レジィがそういったか言わないかぐらいの瞬間、手のひらに少し痛みを感じた。


「終わりです。六道さんのDNAサンプルによる、ガイアへの登録処理をスタートしました。データベースの更新が完了したらまた来ますね!」


 こういうと、レジィは笑顔で手を振って部屋を出ていった。

 確かに……中の人は同じって感じはするか。

 信也は、レジィの手の振り方にカントリー少女の面影を感じる。


「あんなに自然に応答できるAIって、ものすごいっすね……」

「我々の超越技術リープテックの中では、あのぐらいは序の口だよ。あれでもまだ人間には程遠い存在だ。不気味の谷を越えたとはいえ、彼女の対話能力は結局のところオーソドックスな機械学習の成果というだけだ。人間的な思考とは根本的に異なるからね。彼女が人のように意志を持つことは、まだ遠い未来の話だよ」


 デービッド局長は、椅子から立ち上がって窓の外を眺め、信也のほうを向く。


「さあ、本題に入ろう。六道君は不幸にも我々のゴタゴタに巻き込まれてしまったわけだが……確認しておきたい。亡命はあくまでも君自身が望まないといけない。君は本当にこの亡命を望むかね」

「望まない、といったらどうなるんですか」


 局長はあごひげを撫でて信也を見つめる。


「その場合は、我々は君の思考に一定の制限をかけた上で自宅まで送り届けよう。ただし我々の技術力をもってしても、記憶を自由に操るなんて夢物語だからね。君は今回の一件を、あまり外で話したくなくなる、という程度で外に出されることになるだろう」


 真希名が付け加えた。


「私たちは、世界中のメディアや社会で形成される世論に対して、それを一定の方向にコントロールするための情報発信システムを複数持っているの。その力のほとんどは、アルタレギオンの秘匿ということに使われているわ。あなたがもし今日の話を外部で喧伝したとしても、長期的な拡散はほぼ不可能」

「ただ、短期的には、宣託の不確実性となりうる存在だから、遠からずディバイナーズに何かされるだろうね。それは我々にはどうにもできないことだ」


 やはり他に道はないのか……。

 自分がテロリストの標的になっているというのはどうも落ち着かない気分だが、あきらめるしかない。


「ご説明ありがとうございました。一応聞いてみただけで、ここに来た時から気持ちは決まっています。どうぞよろしくお願いいたします」


 局長は重々しくうなずいた。


「了解だ。実際のところ、我々は君を歓迎しているんだよ。実は、アルタレギオンの国籍を持つ人間を学園内に入れることはすごく困難なのだ。無理やり潜入させても、学園内での存在確率を到底維持できないからね」

「その、ちょいちょい出てくる存在確率ってなんですか? 自分もなんか言われてたような」

「ああ、ちょっと話を端折りすぎたかな。まず、未来技研やディバイナーズは、アルタレギオンの立法機関である評議会の定めた宣託順守協定の枠組みの中にいる。この協定の話は聞いたことあるかな」

「はい」

「宣託順守協定と言うのは、簡単に言うととにかく宣託が成立するようお互いに協力しましょう、という約束だ。ディバイナーズはもちろん宣託を信仰しているわけだし、我々も予測不能な未来の扉を不用意に開いて、大惨事を引き起こすことは避けたい。まあお互いに理にかなった協定であるともいえる」


 局長はこういうと、一息あけて先をつづけた。


「ところが、我々ガイアのしもべたるアルタレギオンの市民は事象への干渉力が強すぎるのだ。今まで現れた宣託は幸か不幸か我々を含んだものになっていない。だが、ここで我々が外の世界とあまり多く接点を持って事象に影響を与えてしまうと、意図しなくとも宣託に思いもよらぬ影響を与えてしまうことがあるかも知れない。つまり、宣託を正として演算するガイアから見ると、その人物の学園内における存在のほうが偽として計算されてしまう可能性が高まってしまう。これが存在確率の低下というものだ」

「偽として計算されることで、何か問題あるんですか?」


 信也の質問に、真希名が呆れたように答える。


「問題に決まってるじゃない。宣託に関連しない存在って定義されちゃったら、ディバイナーズが狂喜乱舞して排除しに来るわ。たとえ殺したところで、宣託には一切影響が生じないんだから」

「真希名君の話は乱暴だが、おおむね当たっているよ。逆にディバイナーズの人間の存在確率が下がれば、我々だって実力行使をするからね。ところが、幸運にも六道君の場合は、ディバイナーズからの干渉でやむを得ず亡命という形になっている。君はもともと学園にいるわけだし存在確率は折り紙付きだ。我々としては労せずして人員を一名増やせたというわけだよ。先方はさぞかし悔しがっていることだろう」

「変に恨まれるのもイヤだけど……」


 そんな信也のぼやきをよそに、局長は話を続ける。


「さて、亡命後の君には、未来技研に所属する二層市民セカンダリーとしての権利と義務が与えられる。権利とは、この未来技研の施設内への立ち入りや情報へのアクセス、他の職員との交流だ。義務とは、アルタレギオンの秘匿及び、未来技研での労働となる」

「やっぱり労働ですか。キツい仕事はちょっと」

「アルタレギオンは、いわゆる土地由来の国家ではなく、行動によって規定される国家だからね。君が気に入るかどうかはともかく、市民は全て国家の目指す行動、すなわち労働に従事しなくてはならない」

「ディバイナーズだって表向きは福祉を目的とした公益法人なのよ。アルタレギオンに、フリーターやニートはいないわ。あなたは未来技研の職員になるの」

「とりあえず、真希名君の下に付くと良いだろう。真希名君はこう見えても課長だよ」


 局長がにやりと笑い、真希名は恥ずかしそうに眼を伏せる。


「課長? いったいなんのですか」

「……学園特務課」


 学生で、用務員で、課長だって?

 いったい、彼女のアイデンティティはどうなっているのか。信也から目をそらすように、彼女は続ける。


「白下岬学園を中心とした、宣託に関連する各種作戦の実行部隊。だって、生徒会長選挙よ? 何かするなら生徒のほうが自然でしょ。でもやりがいはあるわ」

「何のやりがいだよ」

「宣託っていうのは単なる未来予測だから、そこに人々の安全は一切考慮されていないってことが問題なの。ディバイナーズと争っているわけだから、どうしても宣託事象の近くには危険が生じる。そこでラグナ・エンジンの出番というわけ」

「さっきも出てきたな、そのラグナ・エンジンっていうの……」

「未来技研の切り札よ。ガイアは、宣託という未来予測を言語形式で出力する。ラグナ・エンジンというのは宣託が出力されるに至った予測の構造を解析して、宣託が許容しうる未来事象の改変範囲を推測するシステム。これを使えば未来に起こるべき危険な出来事を減らすことができる」

「ん? つまりどういうことだ」

「宣託が示す未来は変えられない。でも宣託の周辺で起こる未来なら変えられる。つまり私たちは未来に介入して、宣託が顕現したときの周りの安全を確保しているのよ。その見返りとして、日本政府からいろいろ便宜を図ってもらってる。周りの迷惑なんてちっとも考えないディバイナーズとは大きく違うところね」


 それが平和維持活動ということなら、信也もその意見に納得せざるを得ない。だが、真希名の部下という点については納得いかないものがある。

 だってこいつ、人使い荒そうだもんなぁ。

 アンニュイな気分に浸っていると、黒髪のレジィが乱暴にドアを開けて駆け込んできた。


「局長、六道さんの生体コード登録ができません!」


 局長が怪訝そうな顔をする。


「どういうことだ? 六道君は、元々この市にいたんだから下層市民ボトムズだろう。二層市民セカンダリーにステータス変更の申請をするだけなのに」

「それが、ガイアのデータベースに、下層市民ボトムズとして合致する六道さんの生体コードキーがないんです。こんなこと初めてで、わたしどうしたらいいでしょうか」


 レジィは両手を握り締めてフルフルしている。

 なんだかアニメみたいで……ホント、可愛すぎかよ。

 緊迫感のある状況なのに、信也はのんきなことを考えていた。


「大した問題ではない。まず君のアラートレベルを半分に下げたまえ」


 レジィは途端に慌てるのをやめて、何事もなかったような顔で話し出す。


「はい! じゃ、六道さんはどうしましょうか? このまま洗脳して自宅に送っちゃいますか?」


 発言が狂暴すぎる!


「六道君には市外からの流入という形で臨時コードを発行し、それを二層市民セカンダリーに割り振っておいてくれ。通常は下層市民ボトムズのみで行う対応だが、二層市民セカンダリーに割り振っても原理上は問題ないはずだ。日本政府への手続きが少々面倒だが……お前ならできるな」


 局長の指示に、レジィは天真爛漫な笑顔で答える。


「ズルしちゃうんですね! 了解しました!」


 レジィは、来た時と同じようにバタバタと出て言った。意味はよくわからなかったが、とにかく信也の亡命は受け付けてもらえるらしい。


「すまなかったね。ちょっと問題があったようだが君はあまり心配しなくてよい。さあ、六道君。君はこれから入国管理課に顔を出して書類手続きを済ませてくると良い。その間に日本政府への手続きも終わることだろう。真希名君、場所を案内してあげてくれたまえ」


 真希名は局長に一礼した。


「では、失礼します。信也行くわよ」


 信也は局長に頭を下げると、先を歩く真希名の後について部屋を出たのだった。

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