知覚と無自覚

 転校生の謎に迫るという探偵ミッションは、その後であっさりと達成された。

 アンケート用紙の整理まで手伝わされた信也は、教室に戻って改めて帰り支度をしながら窓の外を見る。大して時間は立っていないのに、まるでもう日が落ちたのかと思ってしまうぐらい外は暗く、どんよりとした雨雲が空一面に広がっていた。

 さっきまで、確かに晴れてたよな……

 自分の記憶に自信が持てなくなってしまうぐらいの怪しい雲行きである。折り畳み傘など持ち歩いたことが一度もない信也は、大雨になるまえに帰ろうと急ぎ足で教室を出た。とはいえ、もう半分ぐらいはずぶ濡れ覚悟である。

 乙女心と秋の空なんていうぐらいだからな……でも、どっちのほうが気まぐれなんだろう?

 くだらないことを考えながら人通りのまばらな校門を通り過ぎると、後ろから聞き覚えのある声がした。


「わたしに近づかないで」


 振り向いて、信也は驚いた。

 髪を無造作に三つ編みにした、微塵の色気もない黒縁のメガネをかけた女子が立っている。どこかで見たような……ただ、その良く通る声には覚えがあった。


「もしかして、久世、さん?」


 信也の問いに、小さく首を縦にふる。

 間違いない。それは、やはり久世真希名だった。

 ただし、信也が今までに見た美少女のイメージはどこにもない。もちろん、木刀など持っているはずもない。先辺の言っていた、地味で平凡という言葉すら大げさに感じてしまうぐらい、見事なまでに個性を消していた。


「おい、マジ変わりすぎだろ……」

「放っておいて。それより、あなたガーデンに来たそうだけど? 警備員と揉めたって」


 外見とは裏腹に、強い意志を秘めた声が信也に厳しく投げかけられる。


「いや、だって、クラスの奴らと君に会いに行こうって話になっちゃってさ」

「もしかして昨日のことを話したの?」


 ものすごい剣幕で詰め寄られる。信也は、その勢いに気圧されながら答えた。


「違う違う、昨日の話はしてないぜ。約束だしな。ただ、美人の転校生に会いに行こうって、クラスの奴らが」

「まずいわ。実にまずい。何もしなければ何もなかったのに……なんで、余計なことするのよ。目立っちゃうじゃないの」

「大げさだなぁ。ちょっぴり見に行っただけじゃん」

「それがダメだと言っているの!」


 彼女が大きな声を出したので、近くにいる生徒たちがチラチラとこちらをうかがう。

 もしかして今、思いっきり目立っているのでは……。

 さすがに、信也もそれを突っ込む度胸はなかった。彼女もそれに気づいたのか、今度は信也のほうに近づいて、ひそひそと小声で話し出す。


「だから、言ったでしょう? 悪目立ちしたくないの。なんていえばいいのかな。そう、わたしは気弱な転校生。つまりいじめが怖いの。学園の番長に目を付けられてパンを買いに行かされたり、下駄箱の上履きを盗まれたり。そういうのは絶対イヤ。つつましい学園生活を望んでいるの。あなたみたいなのがコソコソとわたしの周りをうろついていたら、目立つじゃないの」


 こいつ、絶対そんなタマじゃねぇだろ……。

 信也はその無理すぎる説明に対してあいまいに同意しながら対案を提示した。


「目立たなければいいのか。んじゃ今度、こっそり用務員室に遊びに行ってもいい?」

「ぜったい! お断り!」


 にべもない。


「じゃあどうしたら、友達になれるんだ?」


 えっ? という表情で彼女の表情は固まった。

 なんか今の、口説き文句みたいだよな。

 自分で言ったセリフに少しばかり驚きながら、信也はとにかく先を続ける。


「俺はただ、君と友達になりたいだけなんだよ。ほら、命の恩人じゃん?」

「あれは……そんな、気にしないで。もう終わったことよ」


 分厚いメガネで表情はよくわからないが、信也の言葉に少し照れているようにも見える。ただ、それも一瞬のことだった。


「でも変なやつ。こんな素性の知れない転校生と友達になりたいなんて」


 メガネの奥に光る瞳が、信也を真正面から見つめる。それはまぎれもなく、信也の知る久世真希名の瞳だった。


「ああ、それは自覚してるぜ。で、友達になってくれる?」


 信也は調子よく右手を差し出す。

 しかし、その手が握られることはなかった。


「無理。詳しくは言えないけど、いろいろややこしいんだから」

「それはどういう意味だ?」

「だから、言えないの。この世界のルールは因果応報だから。原因は結果を招く。いい? わたしはちゃんと忠告したからね」


 彼女の取りつく島もない拒絶には、一切の交渉余地はなさそうだった。彼女は空を見上げ、そして手首の時計をチラリと確認すると信也に告げる。


「さあ、今日は天気が良くないわ。寄り道せずに早く帰りなさい」


 そして、信也がそれに返事をする間もなく彼女はその場を立ち去った。そのもっさりとした後ろ姿を見ながら、信也はつぶやく。


「確かに、あれじゃ美少女ランキングには入らないよな……」


 校内の人気女子が誰かという下らないことよりも、彼女がここまで目立たないキャラクターを演じているということに、がぜん信也は興味を覚えた。

 思えば、夏休みの前に転校してきたという噂も、実は目立たないキャラ作りのための作戦だったのかも知れない。奇妙な転校時期だとは思われるだろうが、楽しい夏休みの後の休み明けには、その話題は過去のものである。クラスメートとあまり近づきすぎず新学期を迎えられる。誰も彼女のことを気にしない。信也以外は。

 銀河美少女探偵に勝るとも劣らない、これはドラマだ!

 信也は思わず走り出したくなる気持をこらえ、真っ赤な彼岸花の咲き誇る帰り道を足早に下り、そして立ち止まる。

 まて、何かおかしい。

 先辺礼児はどうだ? 奴は久世真希名を知っていた。平凡でも地味でもない、彼女の素顔を。いったいどういう理由で、彼はあんな言い方をしたのか。あの夜、教室で彼らは何をしていたのか。まとまらない思考が、信也の頭の中で次々に疑問を作り出していく。

 その疑問に一つの答えも見いだせないまま、信也はぼーっと歩いていた。いつのまにか、繁華街に向かう大通りを通り過ぎてしまう。

 ここ、どこだっけ?

 辺りは海に近い高級住宅街で、瀟洒な家が立ち並んでいる。空はますます暗くなり、一雨来そうな雲の下、通りには人っ子一人いない。こんなところにいてもまったく意味はない。

 家に帰ろうと踵を返した瞬間、信也は突然誰かに後ろから殴られた。嫌な音とともに後頭部に痛みが広がり、手に持っていたカバンを落とす。全身の力が抜け、そのまま受け身も取れずに倒れこんだ。

 アスファルトに左の頬がぶつかる瞬間、久世真希名の言葉が脳裏をよぎる。

 因果応報。

 これが報いというなら、彼女にはいったいどんな因果があったのか。言葉は、理不尽な痛みと怒りに切り刻まれ、忘却の彼方へと消えていく。

 いつのまにか降り始めた雨を右の頬に感じながら、信也はそのまま気を失った。

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