想い人

 鐘が鳴った。

 生徒に課せられたこの日のノルマは、このホームルームで終了である。ガヤガヤと教室があわただしくなり、気の早いクラスメートはいつのまに帰り支度を整えたのか、鐘が鳴り終わる前にバタバタと教室を後にする。信也はその光景を座ったままぼーっと眺めていた。

 例の転校生には結局会えずじまいである。とはいえ、放課後にまでわざわざ探しに行くなんていう選択肢は、若干ストーカー的でもあり気が引ける。

 さて、どうするかなぁ。


「よう信也、帰ろうぜぇ」


 顔を上げると、そこには大悟と与一が立っていた。大悟はいったい何がうれしいのか満面の笑みで、与一は眼鏡のフレームをくいとやるお得意のポーズ。つまり、二人とも絶好調ということだ。


「なんでお前らそんなにテンション上げてるんだ?」

「これは極秘情報なんだけどね……駅前の本屋に今日入荷するんだって。銀河美少女伝説! 早く行かないと売り切れちゃうよ」


 なんだと! やっと、やっと、増版かかったか!

 信也は慌てて教科書をカバンに放り込むと、先に歩き出す二人を追いかけて教室を出ようとする。しかし、それを背中から呼び止める声があった。


「おーい六道、ちょっと手を貸してくれぇ」


 それは担任の高砂だった。彼の立つ教壇の前には、たった今クラスのみんなから集められた文化祭に関するアンケート用紙と、ごっついノートパソコンに電源、マウス、分厚い物理のテキストが二冊、安っぽい筆箱となぜか女性ファッション誌にスポーツ新聞、そして英語のペーパーバック。統一感のかけらもないアイテムが身元不詳のプロファイルを描き出している。

 信也はもう一度振り返り、先を行く親友二人に目をやった。二人は、信也の方を向き後ずさりしながら白々しい笑顔で敬礼すると、くるりと背を向け逃げるように去っていった。

 あいつら、友情よりも銀河を選びやがった……。


「なんで、俺なんですか……」


 不満げな信也をなだめるように高砂は言った。


「そりゃ、都合よく目の前にいたからだ。お前さん、どうせ帰宅部でヒマなんだろ? ここで善行を積んでおけば、巡った因果の先で思いがけぬ幸運が舞い込んでくるってもんだ。情けは人のためならずってな」

「そういう運命論めいた話、俺は一ミリも信じてませんから!」


 教壇のアンケート用紙を整理しながら信也は言う。なんだかんだ言っても、頼まれたらイヤとは言えない性格なのだ。高砂もそれを十分知っていると見えて、隙あらば信也に声を掛け手伝わせるのだった。

 ま、暇なのは事実だし、仕方ない。


「で、どこに持っていけばいいんですか?」


 信也はアンケートの束の上に、白衣の無精ひげにはどうみても似つかわしくない女性誌を重し代わりに乗せて高砂に聞く。


「職員室だ」


 高砂は、人を殺せそうな厚みのテキストを二冊、信也の抱える束の上にどんと置き、残りの荷物を軽々と抱えると教室を出て階段のほうへ向かった。信也も後に続く。


「なあ、ところで六道少年。最近調子はどうだ? 若者らしく青春を謳歌してるか?」

「先生、言い方がめちゃめちゃおっさんくさい……」


 脱力感のある問いかけに、信也はおもわず階段を踏み外しそうになる。


「おっさんはやめてくれや。俺は今年三十になったばっかりだぞ。しかも独身。お前さんの兄って言われても十分通用しちまう」


 さすがに……無理があるだろう!

 こんなむさくるしい兄を持った覚えはないし、それに兄妹なら、口うるさいさやか一人で十分間に合っている。


「調子も何も、銀河美少女探偵ミライちゃんに癒される平凡で無風な青春を謳歌してますって」


 高砂は無精ひげを撫でながら言う。


「少年。それは謳歌しているとは言わんなぁ。どちらかっていうと浪費だ」

「って言われても、どうしたらいいんですか」

「ほら、熱くたぎる情熱をスポーツにぶつけるとかだな。お前さん、中学の時は陸上部で鳴らしたんだろう? なんで部活に入らんのだ」

「……飽きたんです」


 確かに、信也は中学の頃は陸上部に所属していた。ほんのわずかなタイムを、なぜあれだけの情熱をもって追い求めていたのか。100分の1秒の先に、日常を超える何かを見つけようとでもしていたのか。

 ただ、もう速く走ることへの興味はなかった。結局、どれだけ速く走れても、退屈な日常を振り切ることなんて出来はしない。あの頃の情熱は淡雪のように消えていた。


「じゃあ、恋愛はどうだ? ほら、隣のクラスの船戸とか」

「あ、あいつは単なる幼なじみですってば」


 ぎょっとして、階段を降りたばかりの通路を見回す。こんな会話が咲の耳にでも入ったら、ものすごい勢いで糖度高めの恋愛シナリオが構築されてしまいそうな気がする。


「ほう、船戸じゃないのか。でも、意中の女子の一人や二人いるだろ?」

「まあ、気になるといえば……」


 高砂の言う意味とはずいぶん違ってはいたが気になっている女子なら、いる。


「先生が高校一年だったころは、クラスのマドンナがずっと気になっていたけれど、憧れるだけで終わっちまったなぁ。ああ懐かしき青春の一ページ」


 職員室の扉の前で脈絡もなくロマンチックモードに突入した白衣の三十代は、ため息をついて遠くを見つめた。信也もつられて遠くを見る。ただし信也が脳裏に思い描いたのはマドンナでも幼なじみでもなく、自分をにらみつけた少女のまなざしと、握り締められた木刀から立ちのぼる殺気だった。

 そんな信也の想いに気づくはずもなく、高砂はガラガラと職員室の扉を開けながら持論を展開する。


「うちのクラスにはカワイ子ちゃんも多いし、若人が恋に落ちるきっかけも多いと思うが……ひとつ、人生の先輩として忠告しておくぞ」

「あーはいはい、何でもどうぞ」


 高砂に続いて信也も職員室に入る。散らかった机の上にアンケートの束を置いた信也に、高砂が指を突きつけた。


「いいか。たとえ恋仲になったとしても、後先も考えず劣情に流されてはいかん!」


 れ、れつじょう……だと?


「あんたは俺の母親か!」


 そういうのは、むしろ女子に言うセリフだろう?

 信也はどっと疲れを感じた。高砂のことはまったくキライではないが、ただ、話しているとどうも調子が狂う。

 高砂は、信也のむっとした表情にひとしきり笑ったあと、すっとまじめな表情を作った。


「お前さんにはまだわからないだろうが、この年になるとな、退屈だと感じていた日常こそが輝いていたってことがわかるんだ。平凡な日々をかみしめて、ささやかな幸せや楽しみに生きる意味を見つける。それもまた青春ってもんだ。別に部活じゃなくていい。たまには銀河の美少女に夢中になるのもいい。ただバランスは大事だ。探偵ごっこに夢中になりすぎて、大事なことを見失うなよ」


 探偵ごっことは、もしかして暗に転校生の素性を探っていることを指しているのだろうか。高砂の言葉は、妙に重く信也の心に響いた。

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