幼なじみとカレー
「そこのトマトとって」
「ん」
「違うってば、ミニトマトじゃなくて、そっち」
「ほらよ」
「バカ! 放り投げないでよ。つぶれちゃうじゃないの」
その日の放課後。スーパーの食品売り場で夫婦漫才を繰り広げているのは、信也と里依紗の二人だった。
里依紗の買い出しを信也が手伝うのは初めてというわけじゃない。信也の両親は、どちらも企業の研究開発職で、海外の工場への出張が多い。そのため、自炊スキルがゼロの信也は、妹のさやかと一緒によく里依紗の家でごちそうになっている。以前は里依紗の母親が作ってくれたが、高等部に上がってからは、もっぱら彼女の手料理になっていた。作ってもらうからには、買い物の手伝いぐらいは当然の義務だと言える。
だが、興味の持てないものはしょうがないよな……
正直なところ、信也は買い物が始まった直後から、もう飽きていた。
「まだ結構かかる? もう、さやかはお前んち着いたってよ」
「そんなこと言ったって、トマトカレー食べたいって言ったの信也でしょ! 買い物ぐらい協力してくれたっていいじゃない」
「わーったよ」
ま、ちょっと甘えすぎかな……。
里依紗がキライというわけじゃない。むしろ好きだ。一緒に時間を過ごすのが、信也には子供のころからあたりまえだった。
ただ、こいつは女なんだよなぁ。
高等部に上がってから、信也はそのことをずいぶんと意識するようになった。友達としては魅力的すぎるし、といって距離を詰めるには、今の関係は心地良すぎる。
いったい、どう思ってるんだろうな。
ちらりと目をやると、里依紗はカレーのルーを左右に持って、どちらにしようかと悩んでいる。信也の目に映る彼女は、いつも楽しそうだった。
他の奴らの目にも、こいつはこんな楽しそうな感じに見えているんだろうか……
「こら、何ぼーっとしてるの。これで全部だから、ちゃっちゃと歩く!」
「御意!」
夕飯時とあって、レジには長い行列ができている。信也は、ダイエットコークをこっそりとカゴにほうりこんで、ノロノロと里依紗の後を歩き出した。
「じゃ、行きましょ」
会計を終えて店の外にでると、もうすっかり日は落ちていた。夕闇を照らすように街の明かりが灯り、道行く人たちは家路を急いでいる。夏の暑さはすっかりと影を潜め、ときおり吹く涼しい夜風が二人をなでる。
「もう、秋だな」
「夏休みも、終わってしまえばあっという間だったわね」
「いっそのこと、一年ぐらい夏休みだったらいいのになぁ」
心の底からつぶやく信也の姿に、里依紗がくすっと笑いかけた。
「それじゃ、夏休みとは言えないわよ。だいたい、終わりがあるから楽しいんじゃない?」
「そんなもんですかねぇ。俺はいつまでも休んでいたいよ」
「休みがあったって、信也はどうせアニメ見てるだけでしょ」
それのどこが悪い。信也がそう言い返そうとしたとき、里依紗が言った。
「ねえ、ちょっと」
里依紗の指が、交差点の先のビルを指している。
「昨日の地震でトラックがぶつかった場所って、あれ?」
「ああ、そうだ」
信也は大きくうなずく。それは昨日、学習塾の看板が落ちた場所だった。
二人は通りの反対側で立ち止まる。
「ビルの柱のところ、工事中になってるね」
「あそこに車がぶつかったんだよ。上の看板もなくなってるだろ?」
トラックが激突したあたりの壁には大きなヒビが入り、看板から下の窓ガラスが五枚ほど割れている。
「もしかして、あの高さから看板が落ちたの?」
こうやって少し離れてみると、結構な高さに感じられた。当たったら間違いなく無事では済まなかっただろう。というか、かなりヤバかった。一歩間違えば普通にお陀仏だ。信也はあらためて自分の幸運に安堵する。
「でもよ。やっぱ、かなりの事故だよな、これって」
「うーん、そうね。新聞にも出たのかしら」
「もし記事にするとしたら、少年を救った勇敢な高校生って感じだな」
里依紗が疑わしそうに信也を見る。
「そもそも信也が助けたわけじゃないでしょ。その、女の子だってたまたまそこにいただけかも知れないし」
「だよなぁ。ミライちゃんじゃあるまいし、木刀で看板なんて」
「ミライちゃんはコンバットナイフ……あ、違う違う違う! 知らない、銀河美少女探偵なんて知らないったら知らない」
里依紗は、ものすごい勢いで手を振った。心なしか顔が赤い。
まさか里依紗も見ているのか? なんということだ……
げに恐ろしきは銀河美少女探偵の人気である。が、それはこの事故とはなんの関係もないことだし、ひとたびこの話題に深入りしてしまえば一時間は帰ってこられないだろう。
「まあ、とりあえず行こうぜ」
信也は、鉄の自制心で己をコントロールするとその場を離れた。里依紗もそれに続く。
「うん。でも信也に怪我がなくて良かった。それこそ、病院で一年間の夏休みを過ごすことになっちゃったかも」
真剣な顔の里依紗に、信也はおどけて言った。
「そしたら学校に行かなくてもいいし。病院のベッドで心置きなくアニメ三昧の日々でも過ごすさ」
「もう。あたしだったら、学校に来れないなんてことになったらきっと落ち着かないな」
「お前は、昔からマジメだからなぁ。典型的な優等生だもんな」
信也の指摘に、里依紗は首をかしげる。
「そんなことないと思うけど?」
「ほら、この間だって、ネコいじめてた悪ガキにガンガン説教してたじゃないか」
「やだ、説教なんてしてないわよ。年上のお姉さんとして、ちょっと注意しただけだもん」
「それにしちゃ、こーんな感じだったぜ」
信也がガオーっというポーズをしてみせると、里依紗はクスクスと笑い出した。
そして、下を見ながらぽつりと言う。
「本当は……優等生なんかじゃない。ただ臆病なだけ。決められた道以外を歩くのが怖いだけ」
寂しそうな表情で口をつぐむ里依紗に、信也はなんと返したらいいか迷った。
そして、一瞬の沈黙の後、里依紗は信也をちらりと横目で見る。
「だから、たまに信也がうらやましいな」
「へ?」
「ほら、信也って結構考えなしというか、後先考えず体が動いちゃうところあるでしょ」
「それは、遠回しにバカって言ってるんですかね、リーシャさん」
「違うってば、行動力のこと。昨日のことだってそうよ。あたしは見ていないけれど、男の子助けるためーなんていって危険な場所に後先考えず飛び込んで。あたしは臆病だからそんなことできないもん。そういうところ、少しだけカッコいいのよね」
そして里依紗は少しはにかんだ笑顔を信也に向けた。いきなりの恋愛マンガ的な展開に多少焦りながら、信也は何か言葉を返そうとして頭をかく。
だめだ、何も出てこない……
いや、あった!
「学校に高砂プリント忘れた!」
「もう、突然大声出さないでよ。でも、それって物理の?」
「あいつ、課題忘れは十倍返しだからな……。俺、今から学校戻って取ってくる」
信也は持っていた買い物袋を無理やり里依紗に押し付けた。
「えっ? ちょっと、荷物、じゃなくて夕飯はどうするのよ」
「先にさやかと食べててくれよ。じゃあな」
あっけにとられる里依紗を残して、信也は元来た道を走り出す。
「もう、信也の、ばかぁーーー」
恨めしそうに叫ぶ里依紗の声が、月が昇り始めた秋の夜空に空しく響いた。
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