日常へと続く道

 翌日は、昨日の暑さがうそのような秋らしい日差しだった。

 小高い丘に沿って舗装された通学路を歩けば、両脇には気の早い彼岸花が鮮やかに色づいている。丘を登り切ったところにあるバス停から入り江を見下ろせば、青く穏やかに凪いだ海。満員電車に疲れきった学生なんてどこにもいない。都心から離れた白下岬学園ならではの風景だ。

 小中高、大学を合わせた生徒数が八千人を超えるというバカバカしい規模のこの学園は、日本の科学技術を教育で支えるという理念を掲げ、他では類を見ない徹底的な科学教育を実践している。いわば理系養成機関だ。都心から離れたエリアにあるのも、広大な敷地に研究施設を誘致することで、産学連携を推進するためだそうだ。

 実際、この白下岬には数多の企業が研究施設を持っており、日本だけでなく世界中の先端技術が集まっている。信也の両親もそういう施設で働いている研究者だった。だから信也にとって、この学園に入学するのは当然の選択だった。

 ただ、なんというか。

 もう十年だ。小、中、高校で変わったことと言えば校舎とクラスメートぐらいだ。中等部から高等部に上がった時でさえも、教師が変わったぐらいの変化しかない。ふとした瞬間に、繰り返される日々を退屈だと感じてしまう、そんなことが増えてきた気がする。

 日常との決別。

 今、信也が何かを願うとしたら。きっとそんな言葉になるんだろう。

 銀河美少女探偵の血沸き肉躍る冒険にあこがれるのは、むしろ自然な感情なんだ。

 断じて、断じて、彼女の胸元から大胆にのぞく谷間にあこがれているわけじゃない。そういえば、二期ではコスチュームが変わるって言ってたな。マカロニ・ウエスタンから一転、ゴスロリ×パンク! これは、いっそう谷間に期待が……


「なに、ニヤニヤしてるの?」


 妄想のダークサイドに落ちかけていた信也の背中を、ショートカットの小柄な女子が叩く。それは、クラスメートの藤巻咲ふじまきさきだった。席が隣ということもあって、まったく遠慮がない。


「し、してねぇし。でも珍しいな、お前とここで会うなんて。朝練は?」


 卓球部のアイドルと気安く会話する信也に、周囲の男子が嫉妬という名の視線を投げかける。


「うふふ、ねぼうしちゃった。それより、昨日リーシャの誘い断って帰っちゃったってホント?」

「疲れたから家帰って寝てたんだよ。いいだろ別に……」


 ちなみにリーシャというのは、ロシア人でもなんでもない。信也の幼なじみ、船戸里依紗ふなとりいさのことである。


「ふん、どうだか。どうせ銀河美少女探偵ミライちゃんでも見て夜更かししてたんでしょ」


 ぐふっ。

 ご明察すぎて、信也は沈黙した。だいたい、なぜ銀河美少女探偵の名を知っているのだ?


「幼なじみだからってちょっと冷たくない? リーシャの気持ち、少しぐらい考えてあげてよね」


 どうやら、咲の脳内では、里依紗は信也に好意を持っているという設定になっている。そして、それはまったく事実じゃない。

 だいたい、幼なじみとの恋愛なんてベタすぎるだろ?


「冷たくしてねえよ。それに今日あいつとは、晩飯一緒に食うんだからいいんだよ」

「やん。新婚さんみたーい♪」


 バカか。親が出張してる日は大抵……って、いや、待て。

 その辺の事情については、彼女は里依紗から全部聞いているはずだった。つまり、信也は単にからかわれているのである。


「もう好きにしてくれ。それより、お前に聞きたいことがあった」

「なあに? リーシャのことなら、信也君よりは詳しくないかな……」

「くぜってヤツ、知らない? 下の名は、まきな」


 信也は、昨日聞いた木刀女子の名前を切り出した。


「くぜ、まきな?」

「ほら、昨日地震があっただろ。そん時にちょっと助けてもらっちゃってさ。もしかしたら剣道部かも知れないなと」

「うーん。聞き覚えないなぁ」


 答えを期待して聞いたわけではなかった。運動部とは言え、グラウンドと道場じゃあ交流はないだろうし、そもそも剣道部にはなんの関係もない可能性のほうが高いとは思う。


「ごめん、やっぱり知らない。それはいったい誰?」


 好奇心丸出しの表情で聞かれたので、信也は昨日の出来事をかいつまんで話した。


「木刀もった女の子ねぇ。それも美人……信也君、やっぱりアニメの見すぎじゃない?」


 まあ、そう、かもしれないけれどな。

 信也はため息をつく。


「あたし、部活に顔を出してから教室行くね。後でねー!」


 体育館のほうに走り出す咲に手を振って、信也は教室へと向かった。

 二階に上がって、階段のすぐ横に信也のクラスがある。

 教室のドアをガラリと開けると、声を掛けてきたのは滝本大悟たきもとだいご葛空与一くずそらよいちだった。二人とも、中学のときからの友達である。


「お前、昨日はどうしちまったんだよ」


 茶髪にピアスと、チャラ男系ルックスの大悟が言う。


「何も言わずにいなくなるから、船戸さんが怒ってたよ」


 銀縁メガネをクイっと持ち上げて文句をつけているのは与一だ。


「すまん。昨日は寝不足というか、銀河美少女探偵ミライちゃんの魅力に逆らえなくて」


 信也のセリフに首をそろえてうなずく二人。

 一見方向性がまったくバラバラな三人の友情は、アニメとかマンガとか、いわゆるそういう方面の絆で結ばれていた。


「そうだ、聞きたいことがあるんだけど」


 信也は、先ほど咲にした話を繰り返してみた。


「それ、久世真希名じゃないか? 確か、特別校舎の転入生だ」


 大悟が即答する。チャラ男の見た目は伊達じゃない。

 全学年の女子情報を持っているという噂は、もしかしたら本当だったのか。


「俺のメモによるとだな。一年十三組。夏休みの二日前に転校してきたって以外には特に情報なし、だ」

「二日前? なんだってそんな中途半端な時期に?」

「転校生の話なら僕も聞いたことがあるよ。職員室でなんだか話題になってたような。うわっ」


 与一の後ろから強引に会話に乱入してきたのは船戸里依紗だった。大人びた顔立ちのわりに、あどけないポニーテールが似合う。


「なんだよお前、クラスは隣だろ。何しに来たんだよ」

「いいじゃない。それより、なんの話してたの?」

「転校生の話。久世真希名っての」


 それが女子の名前だとわかって訝しげに首をかしげる里依紗に、大悟が余計な一言をいう。


「なんかこいつは、昨日俺たちの誘いを断って、街で名前も知らない女子と会ってたらしいんですヨ」


 里依紗が眉をひそめる。


「女……子?」

「何でもないって。っていうか、俺も知らないやつなんだ」

「昨日、六道君が街で助けてもらった人ってだけで、船戸さんが心配するような話じゃないですよ」


 なぜか敬語になる与一のフォローに、里依紗の表情が和らいだ。


「与一君がそういうなら……。まあいいわ。後でちゃんと教えてよね」

「はいはい。あ、咲が来た」


 スカートをひるがえし、全力ダッシュで駆け込んでくるのは咲だった。


「リーシャ、与一君おっはよ! 信也君、また会えてうれしいよぉ! あれ? 滝本いたの」

「なんでてめぇは、俺の扱いだけいつも違うんだよ!」

「あたし、オタクは好きだけど、こそこそとした隠れオタクって苦手なのよね」

「ななな、なにを根拠に俺が、オ、オタクだと……」


 低レベルな言い争いを打ち消すかのように教室のドアがガラガラと開けられ、無精ひげを生やした一人の教師が入ってきた。信也たちのクラスの担任の高砂沙門たかさごさもんである。担当科目は物理。トレードマークの白衣は相変わらずよれよれだった。


「おい船戸、そろそろ自分のクラスに戻れや。お前が遅れると俺が後で怒られちまう」

「あ、高砂先生おはようございます! 信也、また後でね!」


 里依紗は、高砂に元気よく挨拶をすると教室を出ていった。


「ほら、小僧ども早く席につけー。いつまでも夏休み気分でだらだらするんじゃないぞ」


 ダミ声だが良く通る高砂の声が教室に響きわたり、ざわついていたクラスは静けさを取り戻す。この日も、あきれるぐらい平凡な一日が始まろうとしていた。

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