第一章 久世真希名
揺らぐ大地
退屈。
始業式に関する
特にそれが、夏休み明けの始業式ともなれば。
どこまでも青く澄み切った真夏の空と、ビーチに戯れる色とりどりの水着。夜には花火が大輪の花を咲かせ、通りにはにぎやかに客を呼び込む出店が並ぶ。
高校生活はじめての夏休み。ぶっちゃけ、遊びまくった。
そんな、怠惰と享楽に満ちた毎日から、規律正しい学生生活への方針転換。
きつい。正直きつい。
そもそも、昨日は一睡もしていないし。
信也は夏休み最後の総仕上げとばかりに、銀河美少女探偵ミライちゃんを全話視聴してしまったのである。
眠い。布団が恋しい。
というわけで、ホームルームが終わるやいなや、信也は蜻蛉のように気配を消して学校を立ち去ったのだった。
暦の上では秋だが、まだまだ残暑は厳しい。雲一つない空に昇る太陽は容赦なくアスファルトに照りつけ、立ち上る熱気が遠くの景色を揺らめかせる。普段は私服の信也だったが、今日は始業式とあって制服に学生帽である。いや、律儀に学生帽なんてかぶっていたのは信也ぐらいだった。最寄り駅までの道のりを思って思わず深いため息をつく。徒歩だと二十五分はかかる距離だった。
ミライちゃんグッズ貯金は明日からにしよう。
信也は心の中で言い訳をするとバス停に向かう。そして、ジャストタイミングで来たバスに乗り込み、うつらうつらしながら揺られること十分。
繁華街の入り口で降りた信也はふと、誰かの視線に気づいた。
通りを挟んだ向かいは、少しだけ田舎を感じさせる商店街だ。まだ午後三時を少し回ったところで、買い物客は少ない。目の前の有名学習塾のビルの前を、ランドセル姿の男の子が歩いている。もちろん誰かは知らないし興味もない。
目を引いたのはその先。カフェの入り口付近に佇む制服姿だった。
藍色のプリーツスカートと、胸元にエンブレムの入ったセーラー服を見れば、白下岬学園の生徒、それも高等部であることは一目瞭然だ。
遠目にもわかる大きな瞳に凛とした眉。すらりとした足が細身のシルエットから覗き、肩先までかかるストレートヘアが時折通り過ぎる車の風になびく。街を歩けば、十人が十人とも振り返らずにはいられないだろう。うだるような暑さの中で、彼女の周りだけが涼しげに時を止めていた。
しかし、信也が目を奪われたのは彼女の外見だけではない。
彼女の手には武骨な木刀が握られていた。軽く握っているようで隙がない。信也のような素人にも、それを感じさせる禍々しいオーラ。他人を寄せ付けない刺々しい雰囲気は誰が見たってわかる。
あれは……殺気だ。
木刀を握った美少女が、殺気を放ちながらにらんでいる。
まるで、信也が親の仇か何かのように。
マジかよ……これはアニメか? じゃなきゃ、なんかの撮影か?
美貌と殺気のアンバランスさに圧倒されつつ、信也は脳内の記憶をフル検索した。
なにしろ思春期真っただ中の高校一年生である。同学年の人気女子ぐらいはさすがにチェック済だ。しかし、そのリストに彼女はどう考えても存在しなかった。
おかしい。
好みというバイアスを差し引いたって、もし人気ランキングがあるなら上位十名には余裕で入る容姿だと思う。
知らないということは……もしかしたら上級生だろうか。
いやいや。あんなきれいな先輩が二年も三年も同じ校舎に通っていたら、ファンクラブが群雄割拠して国を割るほどの大騒ぎになる。そしたら知らないわけはない。
ひょっとしたら、転校生かも知れないな。
運命の出会いとか一期一会という言葉が、信也の心に白々しくこだまする。
先ほどまで感じていた眠気は吹っ飛んでいた。
怖いもの見たさと好奇心とほんの少しの下心を胸に、信也は彼女のほうに歩きだした。
こっちを見ているんだから、少なくとも声をかける資格ぐらいはあるんだろう。
通りを渡って近づいてくる信也を警戒したのだろうか、木刀の切っ先をやや持ち上げ表情を強張らせる。
にこり。
信也はぎこちなく顔の筋肉を動かし無理やりな笑顔を浮かべてみた。
お願いだから、いきなり木刀で殴りつけるなんていう展開はナシの方向で……
そんな、臆病風に吹かれた信也の願いが届いたのかどうか。突如それは起こった。
ぐらりと大きく大地が揺れ、信也は思わずよろめく。
地震!? かなり大きい。
揺れのおさまりを待っている信也の眼前に、信じられないものが飛び込んできた。
突然の揺れにハンドル操作を誤ったのか、黒塗りの大きなトラックが歩道を突っ切ってビルにぶつかる。そして、鈍い衝撃音と共に積み荷のダンボールが道路に散乱した。頭に手ぬぐいを巻いた運転手が怒鳴りながら降りてくる。だが、信也の注意は、無事だったドライバーではなく、その頭上に注がれていた。
ぶつかった反動だろうか。ビルの脇に取り付けられていた学習塾の看板が外れ、ゆっくりと軋みながら倒れ始めている。
まだ揺れる大地を蹴って、信也は走り出した。今にも落ちそうな看板の下へ。
そこには驚いて立ちすくむ男の子がいた。
間に合うか?
間に合わない!
耳障りな金属音と質量を頭上に感じながら、その子をかばって横に転がったその時。
制服姿と木刀が疾風のように通り過ぎた。
カン!
澄み切った打撃音が聞こえ、少し遅れて看板が地面に落ち轟音を響かせる。
信也と男の子を下敷きにするはずだった看板はほんのわずかに軌道を変え、信也の右肩を掠めて地面に落下していた。
巻き起こる埃にむせながら信也はゆっくりと背後に目をやる。
そこには。
たった今神技を披露した木刀女子が倒れこむ信也に手を差し伸べていた。
いや、神技というレベルをはるかに超えている。
彼女の手を取り、信也は立ち上がった。
あんなものを一ミリでも動かせるパワーが、この白くたおやかな手にあるとはとても思えない。また少女の持っているものは、どう見ても単なる木刀だった。
あり得ない。宮本武蔵だって無理なんじゃないだろうか。
魔法か手品か。あるいは奇跡を起こす能力を秘めた少女は口を開く。
「大丈夫?」
「ああ、服が汚れたぐらいだ」
「あなたじゃない」
少女は、ポカンとしている男の子に近寄ると、しゃがんで同じ目線を作った。
「もう大丈夫よ」
男の子の頭を優しくなでる。その口元には笑みが浮かんでいた。
「おねえちゃん、ありがとう!」
きっと、ちょっとした冒険をしたぐらいにしか感じていないんだろう、彼女は笑顔で走り去る男の子の背中を見送る。
なんとなく気おくれしながら、信也は彼女に話しかけた。
「ありがとう、助かったよ」
じろり。
険しい目で見つめられる。ただ、先ほどまでのような殺気は感じられなかった。
「別に、助けたわけじゃない、でも」
「でも?」
「勘違いしたことは謝るわ」
信也は、最初ににらまれていたことを思い出した。
「い、いや別にいいんだけどさ。でも俺、そんな悪役キャラじゃないと思うんだけど。むしろ愛されキャラ?」
「まあ、悪者には……見えないけど」
信也の軽い一言に彼女の硬い表情が少しだけ和らぐ。少なくとも、常に殺気立っているわけではないらしい。
「誰か、恨みのあるやつでも探してたのか?」
「……こんな暑いのに学生帽なんかかぶっている人なんて普通いる? 【黒】っていったら勘違いもするでしょう」
信也の問いに、なにやらぶつぶつと不満そうにつぶやいている。学生帽の何が悪いのか。
「あ、あのさ、ところで君、白下岬の生徒だろ?」
信也は、愛想笑いをしながら間の抜けた質問をする。
「だから、何?」
不愛想な返答。
彼女は、先ほどまでの殺気を再び身にまとい信也を一瞥すると、くるりと振り返って歩き出した。
その後ろ姿に向かって、信也は声をかける。
「俺、一年三組の六道真也、君は?」
遠ざかる人影から、一つの名前が聞こえた。
あまり聞きなれない、どこか古風な響き。
これが、全ての始まりだったとわかったのは、もう少し先のことである。
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