投げ込まれた石
現在零はトレッサたちにより改造され、ボー君に引かれる馬車の中で奴隷となり、メイドたちに教育を受けることとなった少女たちに食事や菓子を与えながら話していた。
臣下たちが密かに決意を新たにした話し合いの後、とことこと戻ってきた犬耳の少女たちとの奴隷契約はすんなりと終わった。「契約書です。」と差し出された紙は零の予想していた物とはまるで違った。零にとって契約書とは細々とした文字で日常生活ではまず使わない言葉が羅列される面倒の塊でしかなかったが、差し出されたそれは奇っ怪な、文字であろうものと様々な図形が描かれたもので、漫画などで描かれる魔法陣のようであり、事実そうであった。少量の血液を垂らし、魔力を通せば契約が出来るということが商人の持ち物にあった汚い冊子に書かれてあった。どうやら奴隷の契約や取引に関するマニュアルだったらしい。KOFの翻訳機能で言葉は理解出来るにも関わらず零を含め転移してきた者は誰もこの文字を読むことが出来なかったが、兎耳の少女は教育の一環で教わったようで、たどたどしかったが訳すことが出来た。少女たちを助けた意外にいい判断だった、と零は過去の自分に少し感心した。
いざ契約といっても魔力を通すという感覚が零にはなかったためやや不安であったが、紙に片手を翳し、もう片手で少女たちの手の甲に指を当て、力を込めると微かな脱力感とMPがわずかに減ったことを感じた。そして少女たちの甲には藤のような花の紋様が浮かび上がった。マニュアルによれば、これはその奴隷の所属を示すものらしく、奴隷を所持した際は所属する国に紋様を届け出る必要があるようだ。奴隷というのは財産と考えられ、所持する人数に応じた税を課されるということだ。
ちなみにこの契約をした際、臣下のうち数人、特にベッシュとセティは「わっちも血の契約を、いえそれ以上の繋がりが欲しいでありんす。」だの「妾の夫であれば愛娼の一人や二人当然じゃな。」だのと話しているのを耳にしたが、零は努めて無視した。日本人という種族のスルースキルはとても高い。
「それで、そっちのは何て名前何だ?」
零は兎耳の少女を顎で指す。
「わ、私はジュウナナバンです。」
恐らく商品としての番号だろう。名前を奪うことで自尊心を削る効果があるのかもしれない。従順にさせる方法としては悪くない方法だ。だが、日本人としての感覚は獣人で奴隷とはいえ人を番号で呼ぶことには極めて違和感があった。
「そうじゃない。奴隷になる前の名前があるだろ?」
そう聞くと少女は俯く。
「申し訳ありません、御主人様。わたしは気が付いた頃には奴隷で…名前はあったのかもしれませんが、覚えていなくて…それどころかお父さんとお母さんの顔も…」
どんどんと小さくなる声。それに対し、零は少女たちの後ろに座るベッシュが首を横に振ったのを確認すると、やや目を細め、「そうか。」と答えるだけであった。
実のところ零は彼女たちの名前を知っている。念のためにベッシュに[覗き見]を使わせ、名前はもちろん、現在のレベルや状態などを把握していた。それによると彼女たちの状態は零の奴隷。しかし、零は奴隷契約というものを完全には信用していない。だからあえて名前を聞き、彼女たちが反意を持ち、嘘を述べたりしないかを確認したのだ。
重い空気に耐えかねたのか黒髪の少女、セラが口を開いた。
「じゃ、じゃあ、ごしゅじんさまがお姉ちゃんに名前を付けてあげてくれませんか?」
「お前はそれでいいのか?」
「名前を頂いてもよろしいのですか?」
「このままだと不便だしな。」
そして零は目を閉じて上を向いた。本当の名を告げるべきか、否か。この娘が本当の名を知るときは来るだろうか。もし知るときが来たなら別の名前だったらどう思うか。その逆はどうか。
少し逡巡し、零は結論を出した。
「よし、お前の名前はアイリスだ。」
「アイリス…私は今日からアイリスなんだ…」
繰り返し口ずさむとアイリスはポツポツと涙を流し始めた。その様子を見て零は焦った。
「なんだ気に入らなかったのか?」
零がそう言うと臣下たちのアイリスを見る目が鋭くなった。それを零は視線で黙らせる。
「いえ、嬉しくて…」
アイリスは涙を拭いながら零に微笑んだ。セラもアイリスに抱きつき、泣いている。
「私、これからも番号として生きて、そのまま死ぬんだって思ってたので。だからこんな素敵な名前をもらえるなんて思ってなくて…」
そのとき零の中に芽生えた感情が彼らの大きく左右することを知るものはいない。
ある屋敷の一室で恰幅の良い男が一人、ダンスを鑑賞しながら静かにワイングラスを傾けている。それだけ聞けば不思議なことはない。一定以上の身分や富裕層にとって踊りや絵画、美食、音楽などを嗜むことは娯楽であるのと同時に力を持つことの証であり、そういった階層の集まりでは必須の教養の1つでもある。
ただし、彼の見ている踊り子たちには2つの共通点がある。1つ目は、彼女たちは全員が獣人やエルフ、サキュバスなど人族以外であること。所謂人族以外の人間種を指す「亜人」である。
そして2つ目は、服を身に付けていないこと。確かに中には男性向けの娯楽として下着のような服のみを身に付けたような扇情的な姿で楽しませる踊りもある。しかし、彼女たちはそれすら身に付けていない。彼女たちは衣類と呼ばれるものを着ることは出来ない。何故なら彼女たちは奴隷なのだから。奴隷であるとはいえ、ここまでの扱いをするものは異常であり、彼が人族以外を特に差別視している証拠だろう。こういった辱しめを与えることで優越感を得ているのだ。
もちろん彼にも体面というものがあるので、人前でこのような趣味を晒すことはない。しかし、例え晒したとて、この一帯で彼にそれを忠告出来る者はほとんどいないだろう。
彼の名前はアンガス・フォン・モーリウス・ビスタ。彼はグリム王国の西方に領地を持つ貴族で、位は子爵。
彼が当主を務めるビスタ家は現在全盛期を迎えている。大陸最西端から北に緩やかに蛇行しながら走る「龍の山」から流れ出る豊富な水資源と肥沃な大地。農業や畜産が盛んであることはもちろん、各方面に流れ出る河川を利用した水運が行えることも大きい。
またビスタ家を含む西方の貴族が近年勢力を伸ばしている理由の1つについ十数年前まで続いたパラダス戦争がある。大陸中を巻き込んだこの戦争だが、ビスタ家を含むグリム王国西方は他国と接していなかったため戦場にならず、後方から食料の生産や武器の製造を担っていた。それによって莫大な富が流れ込み、それを資本に奴隷などの人的資源や技術などを買い込み、開拓を行うことで更に生産力を増し、今尚戦争の影響からの立て直しを図る各方面の貴族に支援と言う名の貸付を行っている。
そうして財力を得たアンガスが次に望むのはやはりより高い地位。しかし、それには高い壁がある。それは魔法の資質。それも特殊な。アンガスの代ではもう無理であるが、幸い息子たちはアンガスが支援額の優遇を条件に上位の貴族から妻を迎えることが出来たお陰で魔法の才を取り込み、アンガスを越える才を示している。
しかし、まだ足りない。伯爵以上の貴族たちは皆、上級魔法かその家系独自のユニーク、またはオリジナルと呼ばれる魔法を持っている。ここで成人した息子にそこらの貴族や有力な商人の娘を迎えさせてはまた血は薄まるかもしれない。そんな不安をアンガスは抱えていた。故に息子にも高い魔法の才を持つ妻を与えねばならない。
だが、これ以上高位の貴族から迎えることは流石に野心を露にしすぎる。確かに財力という面ではビスタ家は既に上位の貴族に匹敵、または一部を凌駕しているが、前線に出なかったことあり、投資はしているものの騎士や魔法使いなど軍事力の面ではまだ及ばない。今はアンガスが下手に出ることで上位の貴族たちの体面を保っているが、それに並び、覆そうと思っていることが露呈すれば彼らはアンガスたちビスタ家に躊躇いなく牙を剥くだろう。
故に上位の貴族以外から優れた才を持つ者を迎える必要がある。それが彼のビスタ家当主として、父としての最後の役目だ。最悪財力による脅しや手荒な真似をすることになっても…
グリム王国という国はかつては名前もない人族の集団であった。基本的な性能に劣り、繁殖が早いことを除くと特殊な能力もない人族は他の種族から劣等種と見なされ、奴隷とされたり、迫害されたりしてきた。そうして西に逃れてきたが、ある時人族の魔法使いの一人、後に賢者と呼ばれる者がいくつかの大きな発見をした。
そのうちの1つが魔法の才は血統により高めることが出来るということ。繁殖が早いという特性も合わさり、魔法使いたちは互いに血縁関係を結ぶことで急速に魔法の力を高めた。また、それと共に魔法の研究を進め様々な武器や魔道具と呼ばれるアイテムを作り出し、他種族に対抗出来るまでになった。
そうして勢力を盛り返した後に最も才に優れた賢者の一族の者を王として興したのがグリム王国であり、現在の貴族はそのときの魔法使いたちの末裔である。そういった背景があり、現在でもグリム王国では魔法の資質を持つ者こそ優れた者と見なされるようになった。
「これが盗賊からニオが抜き取った現在いる国家の起源です。ここからわかるようにこの国はヒューマン、こちらで言う人族主義、そして魔法の遺伝を理由とした血統主義のようです。ただ、盗賊たちも外から来たようでこのあたりの地理や事情はそこまで詳しくないようです。もう少しで街に到着するかと思いますが、どういたしますか?」
「どうするっていうと?」
零たちは既にアーバインの手前まで来ていた。先行させているセティの式神によると後十数kmらしい。
「我々は零様を除きヒューマン以外の種族ですので。敵の魔法的技量は未知数ですのでベッシュの幻術を使うのも安全とは言えないかと思います。我々の中でヒューマンに見えるのはヒューマンをベースにしているファス、ベッシュ、セティくらいでしょうか。」
ツヴァイは手に持った手帳を閉じながら提案する。今持っているのは正真正銘手帳である。彼女には課金スキルの[自動書記]が与えられている。簡単に言えばメモ機能だ。
「そうだなぁ。じゃあ、ファスとアイリスを連れていく。とりあえずは穏便に動きたいからな。残りは…街の周辺に目立たない場所はあるか?」
「はい。街の手前に林があるそうです。」
「じゃあ、他はそこで待機だ。セティに式神を一体寄越すように言っといてくれ。それを通して連絡を取る。」
「それと零様、盗賊どもについて少し気になることが。」
「ん、なんだ。」
「はい、彼等は何者かからあそこを数日以内に徴税官が通る情報を盗み聞いたわけでも、金で買ったでもなくある者から与えられたようです。やや作為的なものを感じます。アイリス達を襲ったのは小遣い稼ぎだったようですが。裏で何かが動いている気配があります。それが我らに影響する可能性は低いかと考えますが、一応報告を、と思いまして。」
「わかった。何かに使えるかもしれない。覚えておくよ。じゃあ、ファスを呼んでくれ。あいつを商人ってことにして街に入るからな。」
「あー、今日も疲れたぜ。そろそろ日も暮れるし、門を閉める準備しようぜ。」
「そうだな。さっさと閉めて飲みにでも…っと馬車が来たぜ。」
「ったく、タイミングわりぃぜ。」
門兵は近づいてくる馬車に文句を垂れる。仕事とはいえ、1日外で立っているだけ。今日は街に入る人数が少なかったこともあり、暇だったが、何もやることがないというのも疲れる。彼の頭の中は既にどこの飲み屋と娼館に行くかでいっぱいだった。
「まぁそういうなよ。俺は明日もここの担当なんだよ。朝来て早々文句言われんのも面倒だから。ほれ、一杯奢ってっやっから。」
「まぁそういうなら、仕方ないな。」
近づいてくる馬車を見たとき彼等は目を見張った。正確には馬車ではなく、御者にだが。遠目からでも端正な顔立ちがはっきりわかる。それに衣服は豪華ではないにも関わらずどこか気品を感じさせる。
「すみません、まだ中に入ることは出来ますか?」
その声は適度に低く、男の彼等からしても魅力的だった。一瞬の後、門兵は安心した。その気品から貴族かと思ったが馬車は工夫もない木馬車。それに貴族が門兵ごときに敬語など使わない。この時間に貴族なんて面倒な者の相手などしたくないというのが彼らの本音だった。
「あ、あぁ、あんた、ラッキーだったな。今ちょうど閉めようかと思ってたんだ。ギリギリセーフってやつだな。俺らも帰りたいし、さくっと確認だけさせてくれ。あんた、商人か?」
「ええ、そうです。」
男は指輪を見えるように手の甲を門兵のほうに向ける。
「あぁ、奴隷商か。一応中を確認させてもらうぜ。ん?その脇のガキは?」
門兵の言葉に男の顔つきが一瞬変わった気がしたが、気のせいだったようだ。
「このか…」
「僕はまだ見習いなのでこうして仕事を見せてもらっているんです。」
「お、そうか。坊主、偉いな。それで坊主の身分を証明するものは?」
男がふるふると首を振る。
「じゃあ、身元保証は兄さんがするとして、ちっとばかし通行料は高くなるな。いろいろあるんだろうが身分証明はさっさと作るに限るぜ。税金なんかも高くなるしな。って商人のあんたのほうが金に関しちゃ詳しいよな。こりゃおせっかいだったな。」
「いえ、御忠告ありがとうございます。」
「いいってことよ。おーい、そっちは終わったか?」
門兵は積み荷を確認しているもう一人に呼びかける。
「おう。にしても奴隷い一人とは少ないな。そんなに売れたのか?」
「ええ、まぁ。」
「奴隷なんて高いもんここらじゃ、今はなかなか手が出ないと思ってたんだが。まぁ、あんたのその顔がありゃ女どもが顔を覚えてもらおうと無理してでも買うんだろうな。おっと、止めちまって悪いな。入っていいぜ。」
「ありがとうございます。」
男は門兵に通行料を払うと頭を下げて優雅に馬車を操り去っていった。
「いいなぁ、俺もあんだけかっこよけりゃ金なんて払わなくても女をいくらでも抱けるんだろうなぁ。」
「あそこまでいくと僻む気にもならねぇもんだな。まぁないもんはないんだ。それよりさっさと閉めちまおうぜ」
「そうだな。普通な俺らは一杯引っかけて安い娼館にでも行くしかねぇってこったな。」
「まぁその安い娼館も給料減って、なかなか行けなくなっちまったがな。」
「…仕方ねぇさ。あんなことがあったんだからな。安くても娼館いけるだけましだろ。」
「でも聞いたか?なんでも領主様のお嬢さんのとこに隣のグリム領から嫁に来てくれって話が来てるんだってよ。なんでも嫁に来てくれたらこっちを支援してくれるって噂だぜ?」
「そうなのか?酒飲みながら詳しく教えてくれよ。」
グリム王国のみならず、大陸でも最西端に位置するホワデル領の都市アーバイン。ほかの西方の貴族同様戦争による特需で賑わっていたのは数年前まで。森からの魔物の大量発生によって村や小さな町はいくつも被害を受け、その噂が広まったせいか、領外からの商人などもめっきり減り、街はかつての賑わいを失っていた。
「御館様、先程は申し訳ございませんでした。御館様をあのように呼ばれながら…」
「気にすんな、俺が考えたことだ。にしても寂れてんな。それに建物なんか、なんんだあれ。あばら家か?」
日本でも野良犬がいるような田舎で育った零でもここにある家々より造りの雑な家を見たことがない。点々とあるやや大きめの商店でもレンガ造り。歴史の教科書に乗っていたもの以外で見たことがない。そしてそのどれもが閑古鳥が泣いていた。
「かなり財政状況が悪いのかもしれません。」
「それだけじゃない気がするんだけどなぁ。お、あそこが宿屋っぽいな。」
近くに手頃な宿を見つけるとファスを先頭に零、アイリスの順番で入る。
「どなたかいらっしゃいますか。」
ファスが声をかけると恰幅のいい女性が奥から出てきた。
「あいよー。えっ、き、貴族様ですか?」
「いえいえ、しがない商人ですよ、ご婦人。」
「そ、そうかい。いや、あんまりにも、その、なんていうんだい、気品ってやつがあるからてっきり…まぁ客なら歓迎するよ。見ての通り空き部屋はいくつでもあるからね。」
女性の言う通り、ロビーには誰一人おらず、脇にある食堂にちらほらと人影がある程度。
「確かに人が少なかったですね。何かあったのですか?」
「あんたたち、聞いてないのかい?結構噂になってるみたいなんだけど、このシンデラ領で3年前に大きな魔物の氾濫があってね。いくつかの村なんかが大きな被害が出たのさ。もちろん、騎士団や領主様、お嬢さんがなんとか退治してくれたんだけど、魔物がたくさん出るって噂が流れちまって、来るのは一儲けしようってハンターぐらいだよ。まぁ実際にはもう森にでも入らなければそんなに多いわけじゃないんだけどね。一回流れた噂はなかなか消えないもんさ。おかげで街はこの通りさ。領主様が税を下げてくれたからまだいいけど、他みたいな税金だったらとっくにあたしたちは飢え死んでるよ。」
「おばちゃん、大変なのに税金を下がったの?復興やなにやらでむしろお金が必要だと思うんだけど。」
「お、坊主、頭がいいね。普通はそうだって聞くけどここの領主様は御優しい方でね。復興は私財を投じてなさってるんだよ。それだけじゃなく、領主様やお嬢さんが魔法で村の復興を手伝ってくれるんだってよ。ありがたいことだよ。でもお嬢さんは少し不憫だね。せっかく年頃だろうに、遊ぶことも出来ず、前まで着てたみたいな綺麗な服も着れなくなっちまって…あたしも一応女だからなんだか可哀想でね…客さえ来てくれりゃあたしは喜んで税を納めるんだけどね…」
「そうだったのですか。では、私も少しですがお金を落としていくとしましょう。」
「ありがとよ。」
「いえ、ご婦人のような優しい方がいる街がなくなるのも忍びないですからね。」
「あんた、顔だけじゃなくて中身まで格好いいねぇ。亭主がいなかったら惚れちまってたよ。それで、あんたと坊主と…奴隷かい?奴隷なら馬小屋にしちまえばその分浮くけど?」
ファスが零のほうを一瞥すると、零は首を横に振った。
「ご主人様、私は馬小屋でも…」
「いえ、3人泊まれる部屋はありますか?」
女はちらっとアイリスを見るが顔には出さず、何かを飲み込んだ。客の事情には口出ししない主義なんだろう。それともそのほうが金が取れるからだろうか。
「あいよ。食事はどうする?1食銅貨5枚だけど。」
「すみません、外を散策しながら外で食べようと思います。」
「了解。じゃあ部屋の鍵はこれね。三階の1番奥の部屋だよ。」
部屋に入ると木製の簡素なベッドが3つ。その上に藁、そしてシーツが敷かれて、薄い毛布が1枚。あとはこちらも簡素なテーブルと椅子。
「アイリス、これが普通の宿屋なのか?」
「わかりません…商人様が止まるときは私たちは馬車の中か馬小屋でしたので…ただ、たまに部屋に荷物を運ばされたときにシーツがあると喜んでいました。」
シーツで喜ぶなど現代日本ではありえないことだ。零の予想以上、いや以下の文化水準だ。
「御館様、やはり、このような汚い場所で御休みになるなど…やはり1度皆のいる場所に戻るべきではないかと。向こうであればクロハたちがベッドを用意してくれるはずです。」
「いや、いいさ。1日くらい我慢しよう。でもこんなところに毎回泊まるのは気が引ける。早めに拠点を持つべきかもな。」
「御館様がそう仰るのであれば。」
「よし、とりあえずは街を見に行くか。飯だけでもうまいといいんだがなぁ。」
部屋に戻ると零はファスとともに防御魔法や探知系アイテムを使用し、ベッドに腰を掛ける。
街をぷらぷらと歩き、食事を済ませ、宿屋に戻ってきたときには既に辺りは真っ暗。街灯には火が入っておらず、明かりの付いた店も数えるほどしかない。それすら惜しむ状況ということだろう。
それに食事はひどいの一言だった。味は薄いか塩っからいかのどちらか。肉は端切れかと思うほど小さく、パンは岩かと思うほど堅い。スープに浸さなければ噛みきることが出来ない上に味の薄いスープを吸ってまずいことこの上ない。とても食べれるものではなかった。それでもアイリスは喜んで食べていたあたり、奴隷の食事がどれほど酷いのか想像も出来ない。
「いや~、ひどいな、ありゃ。豚の餌でももう少しいいもん食ってるんじゃないか?」
「そうでございますね。アイリス、御館様に飲み物とお菓子を出してください。使い方は聞いていますね?」
ファスに声を掛けられるとアイリスは荷物の中から小さなバッグを取り出した。彼女が持っているのはマジックバッグ。戦闘中には使えない異次元倉庫の代わりにアイテムの持ち運びに使うアイテムだ。
アイリスは緊張しているのかやや震えた手で慎重にバッグからコーヒーカップとお菓子を取り出す。
「アイリス、そんな緊張することありませんよ。」
「で、でも商人様に聞きました。こういう魔道具は1個で私たち何十人分もの値段がする物があるって。」
「へぇ~、そんなにするのか。そんくらいのマジックバッグならいくらでもあるし、無くなってもスーが作れるけどな。」
アイリスは零の前にお菓子とコーヒーカップを置くと飲み物を注ぐ。このしゅわしゅわと音をたてる飲み物が零の好物のコーラであることはスペラから教わっている。
一通り片付け終わるとアイリスは床に座って零の様子を窺う。
「なんだ、そんなじっと見られてるとやりにくいんだが。」
「申し訳ありません!」
「それでなんか聞きたいことでもあるのか?」
勢いよく頭を下げたアイリスにクッキーをぼりぼりとかじりながら零が聞く。
「あの、ご主人様たちはどこから来られたのですか?いろいろとその、知らないことがあったり、逆に見たことも聞いたことないような物を持っていたり。すごくお強いですし。それに…」
「それに?」
「ご主人様は私と変わらないくらいなのにすごく、大人というか。うまく言えないですけど、見た目と中身が違うような気がします。」
アイリスはここに来るまでにも臣下たちが何度か魔物を捕らえてくるのを見ていた。アイリスどころか普通の大人では逆立ちしても勝てないような魔物を小石でも拾うように。それに主人は盗賊たちで平然と振る舞い、人の上に立つことに慣れている気がした。
「うーん、そうだなぁ、俺たちにも何故ここにいるのかはわからないんだが、とにかくアイリスの想像するより遠くから来たのは確かだ。だからお前たちが普通に知っているようなことを俺たちは知らないし、逆にお前たちが一生知らないようなことも知っている。俺は訳あって子供の体をしているが実際は20を越えてるしな。とりあえず、そんなとこにいないでベッドに座ったらどうだ?」
「い、いえ私は…」
「アイリス、座りなさい。今御館様が仰ったように私たちはこの辺りの者とは感覚が違います。それに御館様は自分の下に入った者には御優しい方です。ですので、あなたも早くそれに慣れなさい。確かに謙虚は美徳ですが、あなたのは卑下です。あなたの価値が落ちるということは御館様の目が間違っていたことになってしまう。そのようなことは許しませんよ。」
ファスがそういうとアイリスは何度も頭を床につける。ゴツゴツと硬質な音が部屋の中に響いた。何度か零が座るように言うと恐る恐るベッドに腰を掛けた。
「ファスもそう言うな。長い時間と環境で染み込んだ習慣は簡単には取れんさ。」
「申し訳ございません。出過ぎたことを致しました。」
「それよりもセティたちに偵察を入れるよう連絡だ。」
「畏まりました。」
ファスは懐から1枚の人型に切られた紙を取り出す。それはセティの作成した式神を呼び出すための符だ。この符を造ることが出来るのは陰陽師であるセティのみだが、その内のいくつかはセティ以外にも使える。もちろん、それらは単純な効果の物ばかりだが、こういった連絡ツールとしては有用だ。
ファスが投げた符はひらひらと飛び、部屋の隅で小さく爆発したかと思うとそこには可愛らしくデフォルメされた狛犬が座っていた。アイリスはその音に軽く体が跳ねる。
「式神、セティへ伝言を。結界はなし。ニオとともに情報を集めよ、と。」
「わかったわん。セティ様にお伝えするわん。」
「ではお願いします。」
零たちは街のなかをただぷらぷらと歩いていたわけではない。結界などがないか、街の者と話したり、アイテムなどを使いながら調べていたのだ。結果は痕跡なし。もちろん、零たちの知らない、探知出来ない類いの魔法がある可能性は0ではない。ただ零の知識、KOFのだが、では結界などの維持にはそれなりのMP消費、あるいはアイテムを用いるならコストがかかる。この規模の街全体を囲む規模であれば、数人分のMPでは維持出来ないだろうし、コストもかなりのものになる。零は拠点の結界を腐る程あるレイドボスクラスのモンスターの魔核で維持していたが、そこらのプレイヤーでは常時展開していることはほぼなかった。そのため街の状況から結界はないだろうと判断した。
よく朝、起きるとファスが昨夜同様式神を呼び出す。
「では報告させてもらうわん。」
少女は部屋着姿で扉の前に立っていた。部屋の中からは父と母の声が漏れている。
「糞!グリムめ!」
物を強く叩くような音が空気を揺らす。テーブルを叩きつけたのだろう。
「あなた、大きな音を立てないでください。アリサに聞こえてしまいます。」
「すまん、テレサ。しかし、叩きたくもなる。」
「また、アリサを寄越せと言ってきたのですか。」
「あぁ。それもアリサを息子の妻に寄越すなら支援する用意があるだのと今更言ってきおった。今まで散々余裕がないなどとぬかしていたくせに。」
やはり、と少女、アリサは思った。そういった話が来ていることは父の仕事を手伝っていた際に偶然手紙を見つけて知っていた。
「それは…ですがどうするのですか。我が家の資産も底が見え始めました。このままではそう長くは持ちません。」
「そんなことはわかっている!…すまん、気が収まらんのだ。奴はアリサをユニークを受け継がせる牝馬としか思っておらん。」
「御気持ちはわかります。私とてあの娘の母です。許せるはずがありません。ですが、このままでは民にも飢える者がでます。何かしら手を打たなければ…ビスタ家以外から支援を募っては?」
「既に出しているが可能性は低い。王家も含め、西部以外は戦争の復興で今も余裕がない。西部の貴族たちにはビスタの手が回っている可能性が高い。商人たちもビスタの反感を買うようなことはしないであろう。」
「では税を下げる、のは無理ですね。今でも領の運営、王家への上納金ともにギリギリ。これ以上は上納金の減額も通らないでしょう。」
グリム王国はそれぞれの領主の自治権を認める代わりに国防などを担う王家に対し、対価として上納金を支払うことになっている。それが支払えないということは王家の庇護を外れることになる。もちろん各領主は私兵などを持っているが、そのほとんどは平民から集められた者。優れた血統を持ち、多額の投資によって育てられた騎士とは比べものにもならない。
「あぁ、よしんば通ったとしてもビスタと奴に縁のある上位の貴族たちが王家を軽んじているだの、支援の申し出を何故受けないのか、だのと言ってくるのは間違いない。そうなれば我々はビスタの支援を受け入れざるを得なくなる。下手をすれば…」
アリサは拳を強く握り、扉に手を掛けた。が、それを引き留める者がいた。侍女のシェリルだ。既に屋敷の使用人は母付きの侍女のマリア、アリサ付きのシェリル、そして執事のワペルの3人のみ。侍女とは言っているものの実際の仕事はただのメイド。アリサもテレサも身の回りのことは自分でしている。彼女たちも最下級とはいえ、このホワデル領の村を納める貴族の娘。であるにも関わらず、家事や雑事を文句も言わずしてくれることにアリサは常々感謝していた。
「御嬢様、なりません。」
シェリルは部屋の中に聞こえぬように小さく、しかし、力の籠った声でアリサを止める。
「何故止めるのです。私が妻に行けばお父様やお母様、お前たち、それに民にも楽をさせてやることが出来るではありませんか。」
「それはオベロン様や奥様も分かっておられます!領主として、貴族として、それが正しいことも!それでも!」
シェリルの声はだんだんと大きくなり、廊下に響いた。もちろん部屋の中にも。
「お前たち、…聞いていたのか。」
「はい、お父様。」
「そうか…とりあえず、入りなさい。」
「アリサ…。」
「お母様、そんな顔をなさらないでください。」
テレサに一声掛けるとアリサは父、オベロンを真っ直ぐに見る。
「お父様、私をビスタ家に嫁がせてくださいませ。ビスタ家は裕福と聞きますから毎日甘いお菓子食べて、綺麗な洋服を着れる、優雅な生活に戻ることが出来るかもしれません。そう考えれば私にも悪くない話ですわ。」
「御嬢様…。」
「アリサ、それがお前の本音でないことくらい、私が分からんとでも思っているのか。何年お前の父親をしていると思っている。」
「……。お父様とお母様が私のことを愛し、案じてくれていることはわかっています。しかし、私も同じように御二人を、民たちを愛しているのです。私が妻に行くことで皆が救われるのであれば…。」
アリサの言葉を聞き、テレサは大粒の涙を落とした。オベロンも唇が切れる程噛み、涙を必死で抑えている。アリサの後ろからはシェリルの泣き声が聞こえた。
「しかし…」
「お父様、私は良いのです。御二人のそのお気持ちだけで。それにこれがホワデル家の娘としての私の役目でしょう。」
「アリサ、あなた…」
「お母様も泣かないでください。娘が嫁に行くのです。喜ばしいことではありませんか。」
テレサはついにオベロンに頭を預け、声を出して泣き出してしまった。アリサも泣きそうになるが、ここで泣くわけにはいかない。
「…分かった。近日中に使いを出そう。とりあえず、今日はもう寝なさい。細かいことは明日にでもまた話そう。」
「わかりました。おやすみなさい、お父様、お母様。いきましょう、シェリル。」
その晩、ホワデル家の屋敷では朝まで泣き声が響いていた。
「あ、お姉ちゃんだ!」
アイリスの姿を捉えるとセラが駆け寄って抱きつく。いつもの貫頭衣ではなく綺麗なドレスを着ている。
アイリスは街に入った翌朝、日も昇る前にツヴァイとクロハと入れ替わりに迎えのヴォーセルとともに臣下たちがいる林にやってきた。林に入ると外からの風景は消え、綺羅びやかな天幕と敷物が目の前に現れた。
「その服はどうしたの、セラ。」
「うふふ、綺麗でしょ~。トレッサちゃんとスーちゃんが着てもみなさいって貸してくれたの!」
セラはアイリスの前でくるくると回り、ドレスの裾を摘まんでお姫様のような仕草をしている。
「あれ?お姉ちゃん、ごしゅじんさまはいないの?」
「ご主人様はまだお仕事があるんですって。」
「そっか~。ごしゅじんさま、大変なんだね。そうだ、お姉ちゃんも一緒にお菓子食べようよ。」
アイリスはセラに手を引かれ、天幕の中に入っていく。あのときとは逆だ。
「トレッサちゃん、スーちゃん。お姉ちゃんが帰ってきたよ!」
「あ、おかえり~、アイリス。」
「アイリスさん、おかえりなさい。どうぞ座ってください。今、お茶を淹れてもらいますから。」
「いえ、私は奴隷ですから…何かお仕事をしないと。」
どうすればいいのかわからずアイリスは辺りを見回す。一応メイドたちがアイリスの直属の上司になると言われていたので指示を仰ぎたかった。
「いいの、いいの!仕事っていうならあたしたちとおしゃべりしたり、遊んだりする仕事をあげる!いいよね、ココロ。」
トレッサはポットを持って後ろから近づいてきたココロのほうを振り返り見る。
「そうですわね。今は零様からもクロハお姉様からも何も言われてませんし、いいと思いますわ。でも、もし、クロハお姉様に叱られそうになったらちゃんと庇ってくださいですわ。お砂糖とミルクは自分で入れてくださいませですわ。」
「アイリス、紅茶の飲み方知らないでしょ?あたしが美味しくしてあげるね!」
トレッサはアイリスのカップを引き寄せると勝手に砂糖とミルクをカップ一杯まで入れ、ぐるぐるとかき混ぜる。
「トレッサちゃん、溢れてますよ。それにそんな入れては紅茶の風味が消えてしまいます。」
「え~、でも甘くて美味しいよ。それに兄ちゃんもこうやって飲んでたよ。」
それを言われてはスーに返す言葉はない。
「まぁいいです。じゃあ何して遊びましょうか?アイリスにお洋服をまず着せて。それから…」
「スーの作ったアクセサリーも着けてみようよ。」
トレッサがそういうとスーは自分のポシェット型のマジックバッグから箱を取り出した。それを開くと自ら光を放っているりょうに輝く金のネックレスや大きな宝石の付いた指輪がところ狭しと並んでいた。
「わぁ~、お姉ちゃんすごいね。」
「すごい…」
「どうぞ、お好きな物を着けてください。[伸縮]の魔法がかかってますからちゃんとサイズは合いますよ。」
「で、でも、もし壊しちゃったら私、一生かけてもお返し出来ません。」
「大丈夫大丈夫。これはあたしたちの遊ぶ用に兄ちゃんに素材をもらってスーが作ったんだし、これくらいのものなら兄ちゃんは山のように持ってるから、また貰えばいいよ。」
「トレッサちゃん、お兄様になんでもねだるのはどうかと。とはいえ、これくらいなら既にたくさん持っているのは事実ですから仮に壊れても誰も怒ったりしませんよ。ほら、これなんかアイリスさんの赤い髪に似合うと思いませんか?」
「じゃあ、セラのはトレッサお姉ちゃんが選んであげる。うーんと、これとこれとこれと…」
「あははは、トレッサちゃん、こんなに着けられないよ~。」
「ココロも手伝ってよ。」
「仕方ないですわね。セラ、後ろを向いてくださいですわ。私が着けて差し上げますわ。」
アイリスは零に心から感謝した。妹がこんなに笑うが来るなんて思ってもみなかった。この恩に精一杯報いなければならないと。
「アイリスさんも手を出してください。」
自分の指に嵌まった指輪を様々な角度から眺める。自分がこんな綺麗な物を着けれるなんて。
セラを見ると全身にアクセサリを着けられ、素直に眩しかった。
あの深夜の話し合いから2日後、オベロンは一人、執務室で書状を書いていた。もちろん、ビスタ家へアリサを妻に送ることを了承する手紙だ。翌日にはアリサの意思を再度確認し、今に至る。
ビスタ家に娘が輿入れすることを喜ぶ内容を書いている彼の心情は机の上に転がる折れた羽ペンが表していた。
何度かの失敗の後、やっと書状を書き終え、からからに乾いた喉を潤していた。すると、ばたばたと部屋に向かって走ってくる足音が聞こえた。没落の一途を辿っているとはいえ、貴族の屋敷の者がしてよい振る舞いではない。
勢いよく扉を開いたのは執事のワペルだった。父の代から仕える彼にオベロンは昔から貴族の振る舞いを厳しく仕込まれてきた。だというのにこれはどうしたことか。
「だ、旦那様…はぁはぁ。」
「年甲斐もなく走ったりするからだ。とりあえず、水でも飲め。」
オベロンが差し出した水を受けとるとワペルは一気に飲み干す。
「それでどうしたのだ。あれほど私に作法うんぬんと言っていたのはお前ではないか。」
「申し訳ありません。ですが急ぎ伝えねばと思いまして。」
「伝える?なんだ、またビスタ家の者か?」
日も空けずに御苦労なことだ、とオベロンは使いの者を心の中で労う。
「違います。商人が、いえ商人様が旦那様と話がしたいと来ております。なんでも支援を考えて下さっているとか!」
「…!?分かった!直ぐに応接室に通せ。私たちの分の菓子などを出しても構わん。出来る限りの歓待をしておいてくれ。私も着替えて直ぐに行く。」
「畏まりました!」
ワペルは頭も下げず、また勢いよく走り去っていった。
オベロンはクローゼットのすっかり少なくなった服を眺める。そこから最も豪華な物を手に取った。豪華といっても全盛期の頃の宝石をちりばめたような物ではない。かろうじて社交界に出ることが許される程度のものだ。
その商人というのがどれほどの支援を考えているのかわからない。焼け石に水程度の可能性も十分にある。しかし、今は娘のために藁にもすがりたい。そう思いながら応接室へ向けて歩きだした。
「お待たせした。」
「いえ、こちらの女性たち、マリアさんとシェリルさんと仰いましたか、が丁寧に対応して下さいましたので。」
オベロンに頭を下げた青年は恐ろしく美しい顔の持ち主だった。また、その後ろに控えるダークエルフと思われる女性やメイドも同じく。黒髪の少年も整ってはいるが、他の3人に比べると平凡に見える。
奴隷ではないだろう亜人がどうやって街に入ったのかは不明だが、今はこの青年たちの機嫌を損ねるようなことは出来ないため、不満を顔には出さない。その程度の腹芸は貴族として当たり前のことだ。
「座ってくだされ。なんでも我が領に支援してくださるとか。」
本来なら貴族として「支援」などと商人に下手に出るのは誉められることではない。しかし、今は体裁など気にしていられない。
「ええ。街で数年前に魔物の被害が出たと聞きましたので。恐れ入りますが人払いをお願いできますか。私どもにとってもリスクのある話です。話が漏れるようなことは極力避けたいですので。」
「私たちはそのようなこと…」
「いい。下がってよろしい。」
許可という形の命令を出し、マリアとシェリルを部屋から出す。オベロンからすれば、二人とも家族と同じくらい信用できるが、青年たちから見れば、初対面の相手。信用しろと言う方が無理だろう。
二人は納得出来ない顔だったが、オベロンにそう言われては仕方がない。頭を下げると静かに出ていった。
「ありがとうございます。では。」
「何を…」
青年は急に立ち上がるとソファーの後ろに控える。入れ替わりに少年がソファーに乱暴に腰を掛けた。
「これはどういうことか。」
支援する側とはいえ、貴族である自分に対してあまりに失礼な振る舞い。オベロンは青年に説明を求め、強く睨む。
「どうもこうもございません。この方が我らの主人であり、あなた方を支援する方です。」
「であれば最初から」
「最初からこの方を前面に出していたら先程と同じ対応をしましたか?」
「それは…」
確かに成人もしていないような少年が同じように支援の話を持ってきたら、ワペルたちもどこぞのボンボンの子供の冷やかしだと思い、追い返したかもしれない。そういう意味ではオベロンと話をしたいという意思は感じ取れた。
「まぁいいさ。こうして話は出来ている訳だしな。ん、なんだこれ甘くないなぁ。クロハ。」
無礼極まりない振る舞いに流石にオベロンは声をあげそうになったが、クロハというメイドがどこからともなく取り出した焼き菓子の甘い匂いに声を飲んだ。食べずともバターがたっぷり使われているのがわかる。
見ると紅茶にもどばどばと白い粉とミルクを入れていた。
「これこれ、やっぱ甘い紅茶にクッキーだよな。おっさんも食べる?」
おっさんと呼ばれたことなど気にならなかった。それほどまでに目の前の物は甘い誘惑を放っていた。
「では、失礼して。…これは!?」
今まで菓子と呼んでいた物はなんだったのか。それほど衝撃的だった。王家のパーティーでもこれほどの物はなかった。
「これの作り方を教える。売れば金になるんじゃないか?」
確かに売れるのは間違いない。食に楽しみを見出だす者ならこれ1枚に金貨を出してもおかしくない。
しかし…
「貴殿の言うことは間違いない。これは間違いなく売れるでしょう。先に確認させて欲しい。貴殿は見返りに何を求めるのか。」
これだけ上手い話には裏がある。甘い匂いを放つ薔薇に棘があるように。
「そうだなぁ、とりあえずはこの街に土地が欲しい。出来るだけ大きな。」
「はぁ、それでしたらいくらでも使って貰って構いませんが。」
アーバインの街には3年前からいくつも空き家がある。それこそ小さな物から大きな物まで。しかし、続く少年の言葉にオベロンは耳を疑った。
「それと、俺の下に入れ。あ、貴族は止めなくていいぞ。今んとこはな。いろいろやってもらうこともある。そして最終的には…」
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