少女に重なる影

 少女の発した言葉とそれを聞き、何かを噛みしめ走る少女の姿は零の中の何かに引っ掛かった。

 記憶を一瞬で遡る。

 それは幼い頃の記憶。野良犬に襲われる妹、それを守る姉、そしてそれを見ながら、手の届くところにいながら何もすることの出来ない弱く惨めな自分。

 少女たちはあの時の姉妹に似ていた。

 

 

 零たちがいる森から東に数十kmの街道。そこに南に走る一台の馬車。その中には年端のいかない少年と少女が数人、口も開かずに座っていた。いや座らされていた。草木を取り除いた程度の道を走るその馬車は御者の座る場所を除きクッションもない上、車輪は木で出来たものを魔法で痛まないよう補強しただけ。とても長時間移動するのに快適とは言えない。しかし、彼らは文句を言うことは出来ない。そんなことを言えばどんな仕打ちが待っているかわかっているのだ。何故なら彼らは人族やエルフ、獣人という「人」と呼ばれる括りの生物ではあっても「人間」ではない。奴隷という名の「商品」に過ぎないのだから。しかも、そのなかでも安い少年少女。元貴族や、見目麗しい女性、魔法や戦闘などの技術を持つ者であれば扱いもまた変わっていただろうが、彼らにはそれもない。彼らは口減らしで村からはした金で売られた者やどこから流れてきたのかもわからない者、曰く付きの者たち。商人からしたら売れれば儲けもので売れないのであればただの無駄飯食らい。鉱山なりなんなりに格安で卸すか処分するかのどちらかだ。故にこの馬車の主も彼らを大切に扱おうという気は微塵もない。

 



「お、お姉ちゃん、お尻が痛いよう。」


 馬車で最も幼い黒髪の少女が涙目でとなりの犬耳の少女に訴える。


「ごめんね。もう少しで休憩になるはずだからちょっとだけ我慢してね?」


 黒髪の少女は信頼する姉、と言っても血は繋がってはいないが、の言うことに涙目ながら頷く。その健気さに犬耳の少女の心はちくりと痛む。彼女の言ったことは嘘だ。馬車がいつ止まるかは主人の気分次第。主人からすれば彼女たちの様子より、馬の機嫌のほうがよっぽど大切だ。何故なら馬は彼女たち全員を合わせたより高いのだから。

 

 それから幾分か経った頃、馬車の速度が上がったことを感じる。揺れは激しくなり、何人かは「きゃっ!」と声を出してしまった。普段なら大きな声を出すと主人から怒声が飛んでくるはずだが今回はない。代わりに馬車の後方から何人もの大声と馬の嘶きが聞こえてきた。


「おらおら、その馬車ごと寄越しな~!」

「大人しく寄越せば命は助かるかもしれないぜぇ!」


 などと言った男の声。流石に物知らぬ少女でも声の主が盗賊の類いであることくらいはわかる。

 その声はだんだんと大きくなり、盗賊が近づいてきたせいか一瞬寒気が走ったが1度深呼吸をしたら治まった。それから間もなく馬車が停車した。盗賊と主人である商人の話し声が聞こえる。どうやら追い付かれたようだ。


「あっはっはっは、逃げ切れるわけねぇだろ!馬車引いてる馬と人一人乗せてるだけの馬どっちが速いかなんてわかりきってるもんなぁ。」


 一人の盗賊がそう言うと周りも「そうだそうだ」と同調し、蔑んだような笑いが響く。


「な、何卒命だけは、命だけはお助けください。積み荷は全てを差し上げますので何卒、何卒!」


 笑い声の中、主人が必至に懇願している。犬耳の少女は命の対価に自分たちを差し出す主人に怒りを感じるが、落胆はない。彼にとっては自分たちは「積み荷」でしかないということくらいわかっていた。


「って言ってますがどうします、頭領。」

「はっはっは、そりゃ、中身を確認してからだな。おい、少し中身を持ってこいよ。」


 頭領と呼ばれる者の指示で荷台の後ろ開かれる。荷台をあけたのは盗賊は軽く舌打ちをすると1番手近な少年とその隣の少女の腕を掴み、荷台から引き摺り卸した。二人は抵抗するものの最低限の食事しかしていない少年少女と屈強な男。どちらの力が強いかなど比べるまでもない。


「頭領、こいつ奴隷商ですぜ。しかもこんなガキばっかの。」

「っち。んだよ、はずれかよ。まぁこんな田舎じゃしょうがねぇか。」

「どうしやすか?一応連れてきます?」

「いや、あくまで本命は数日内に来る徴税の馬車だ。ガキなんか連れてたら荷物になってしょうがねぇ。ガキとは言え穴を潰すのは癪だが処分するぞ。逃げられて巡回の兵士にタレ込まれでもしたらたまらねぇからな。」


 「へい。」という言葉とともに呻き声と直後に何かが倒れたような音ひとつ。どんなに幼くても外で何が起こったかは想像に難くない。


 

「お、お姉ちゃん、私たち死んじゃうの?怖いよぅ、怖いよぅ。」


 犬耳の少女に抱きつく黒髪の少女以外からも啜り泣く声がいくつもする。少女は恐怖と込み上げる涙を必至に抑える。ここで自分まで泣いてはいけない、この子だけは守らなくては。そんな想いだけが少女を支えていた。


「大丈夫、お姉ちゃんが絶対守るから。今からお姉ちゃんの言うことをしっかり聞いて」


 黒髪の少女の耳元で小さく何かを告げると、それより大きな、馬車の中に、しかし外には漏れない声で少女は声を発した。


「いい、声を出さないで聞いて。皆も分かってると思うけどこのまま何もしなければ私たちは皆殺されてちゃう。」


 1度言葉を切ると分かっていた未来を告げられ、また啜り泣く声が聞こえた。


「だから、ここから皆で逃げるの。いい?皆一斉に、バラバラに逃げるのよ。一人づつでは確実に捕まるから。」

「で、でも捕まったら…」

「殺されるわね。でもここにいるよりは僅かでも生き残れる可能性はあるわ。」

 犬耳の少女の言うことに納得したのか子供たちはコクコクと頭を振る。

「時間もないから、私が合図したら一斉に飛び出すのよ。わかったら扉のそばでゆっくり立ち上がって。」


 ポツポツと子供たちが立ち上がり、扉に集まる子供たち。犬耳の少女は皆が扉の方を向いてるのを確認すると食料の入った袋を探り、目的のものを探り当てるとこっそり取り出して後ろに隠すように持った。

 



「メスガキの方は俺にやらせてくれよ!穴を使えねぇならせめて斬りてぇからなぁ!今晩の酒やっからよ!」

「ぎゃっはっは、お前、イカれてやがんなぁ。おらぁ、酒のほうがいいぜ。つーわけで譲ってやんよ。今の約束忘れんなよ!」

「やりぃ!」


 余りの恐怖に声を出すことも出来なかった少女の最期を横目に盗賊の頭領ニタニタと笑い、商人に話しかける。


「あんなガキじゃ、命の対価にゃならねぇな。助けて欲しけりゃ、お前の身に付けてるもんを寄越せ。」

「へ?あ、はい。わかりました!」


 身に付けた商会員の指輪などを外していく商人。


「ちげーよ、服ごとだよ、服ごと。それとも今死ぬか?あん?」

 一瞬躊躇うも頭領が剣に手を掛けたのを目にし、急いで脱ぎ出す。そして、全て脱ぐと服を頭領の方に差し出し、股間を隠すように立つ。


「あっはっは、見ろよ、お前ら。こいつほんとに脱ぎやがったぜ。」

「そこまでして生きてぇのかよ。俺だったらそんな貧相なあそこ晒すくらいなら舌噛んで死ぬぜ。」

「嘘こけ。お前絶対そんなことしねぇだろ。」

「ははっ、確かにちげぇねぇ。」


 ゲラゲラと笑う盗賊たちに必死の愛想笑いをする商人。


「こ、これで私は助けてもらえるのでしょうか。」

「あぁ、そうだな。お前にはもう用はねぇ。」


 頭領の一言に希望を感じる商人。しかし、その希望は容易く消え去られた。


「だから、楽しませてくれた礼に一息に殺してやるよ。」


 一瞬にして絶望に染まった顔の商人をよそに剣を抜く頭領と騒ぎたてる盗賊たち。頭領が剣を大きく振り抜いたその時、バタンッという音が商人が倒れる音に重なる。予想外の音に周囲を見回す盗賊たちの目に映ったのは散り散りに走る奴隷たちだった。


「頭領、ガキどもが!」

「うっせぇ、見りゃわかる!おめぇら、ガキどもを必ず捕まえ、いや、殺せ!一人残らずだ!ぼさっとしてねぇで行けっ!」


 盗賊の一人が尻を蹴りあげられると盗賊たちは子供たちを追いかけるべく走り出した。

 




 どさっ。

 先程と同じように人の倒れる音と、盗賊たちの下品な笑い声が聞こえる。子供たちはぶるぶると震えながら合図を待つ。恐怖で今にも逃げ出したいが一斉に逃げなければ只でさえ薄い望みが霞んで消えてしまうことはわかっている。


「皆いけるわね?」


 いつ開かれるかわからない扉から目を離さず子供たちは頷いた。


「いくわよ。覚悟を決めて走りなさい。」


 一息おくと再度外からがやがやと騒がしくなった。


「せーのっ!」


 犬耳の少女の合図で勢いよく扉を開くと、一斉に走り出す子供たち。犬耳の少女も

黒髪の少女の手を引き、走り出した。目指す先は先程盗賊が扉を開いた時に見えた、200m程先、街道の右手にある林だ。そこまで逃げればなんとか隠れてやり過ごせる。そう信じて懸命に走った。捕まった少年の叫び。痛みに呻く少女の声。彼女は心が裂けそうなほど痛んだ。自分達が生きるためにあえて、林のことは言わなかった。少女は他の子供たちを犠牲にしたのだ。今すぐにでも泣き叫びたかったが、今泣く訳にはいかない。

 あと50m。なんとか届く。そう思った。


「おらぁ、待てや~!」


 盗賊の声が聞こえた。後ろを見なくともそれが自分達に向けられたものだとわかった。やはり子供と大人。声はどんどんと近づいてきた。

 少女は覚悟を決める。先程食料袋から隠し持ってきた主人の果物ナイフを強く握りしめた。もう、この子をあの林まで逃がすためには自分の命を賭けて一矢報いるしかない。そうして時間を稼ぐしかない。それで少しでもこの子の、血が繋がっていなくても、親の顔も知らない自分にとってたった一人の家族が生きられる可能性が残るなら。

 彼女は再度ナイフを握りしめ、最期になるかもしれない言葉をかける。


「あの林振り返らずに走りなさい。そしてどこかに隠れるの。大丈夫、お姉ちゃんが守ってあげる。」

「お姉ちゃんも…」

「いいから行きなさい!」


 黒髪の少女は泣きそうな顔を我慢しながら、姉と慕う少女に1度だけ頷いた。握っていた手を離すと、犬耳の少女は盗賊に向けてくるりと振り返る。足音が離れていくのが聞こえた。


「あん、なんだガキ。手間かけさせやがって。そんなオモチャでどうにかなると思ってんのか?」


 無茶苦茶に振り回されるナイフを避け、少女の顔を殴り飛ばすと盗賊は仲間のほうに振り返る。少女はその瞬間を逃さなかった。


「おい、誰かもう一人を追ってくれ!林に逃げこ…うっ、がふっ。」


 少女は気が遠くなるのを必死の想いで堪え、起き上がるとナイフを突き出した。そして、勢いよく引き抜くと、渾身の力をを込めた体当たりで盗賊突き飛ばした。


「糞ガキが舐めてんじゃねぇ!!!」


 少女が顔を上げると馬に乗り、迫る一際大きな剣を持つ男。既に剣は抜かれている。自分の最期ももう近い、そう感じた。


(一矢報いてやった。これで少しは時間を稼げた。あとはなんとか生き延びて!お願い神様!報われない人生だったんだからせめて最期のお願いくらい聞いて!)


 男は高々と剣を振り上げる。あれが振り下ろされれば少女の命は消える。殴られた衝撃で意識も朦朧としてきた。もう打てる手はない。


(愛しているわ……セラ)


 迫る死に少女は目を瞑った。

 

 


「にしても本当に何にもねぇなぁ。」


 既に森を抜けて10kmは進んだだろうがちらほらと林がある程度で人の痕跡は全くない。森で何体かのモンスターに遭遇したが、全て一撃。あまりの弱さに飽きてしまい、今は周囲を警戒するセティの式神とニオのアンデッドに近づくモンスターを片付けさせている。

 零は2体いる騎獣の1体である、カバとサイを合わせたようなヒポポサラスの背に跨がっている。否、既に前のめりにもたれている。ヒポポサラスのステータスは幻獣種や龍種を除けばトップクラスだがテイク出来るモンスター全体の中では30位に入るかどうか程度。もちろん、一般プレイヤーからすればヒポポサラスのテイクは生息エリアの効果も合わさりそれなりに難しいが、装備、アクセサリーなどほぼ全てその系統最高レベルでまとめている零としてはこれは珍しいといえる。零ならば他にも移動速度の最も早いスレイプニルや、1番かっこいい騎獣に選ばれた王狼などもテイクしようと思えば出来たが、水陸両方で移動速度が変わらないだけでなく地形による移動速度低下を無効に出来ること、体重が重く物理攻撃に強力なノックバック効果があることや周囲を沼地に変えることで移動速度を低下させるスキルなど、零の戦闘スタイルと相性が良かったことが選んだ理由であり、零自身これが正解だったと思っている。そんな一風変わった、零は可愛いと思っているが、騎獣の背で零はペロペロキャンディーをくわえている。味はお気に入りのバナナミルク味だ。彼はどちらかというとこういった濃厚な味を好む甘党なのだ。


「お前も自我はあるのか?」


 首を撫でながら聞くとヒポポサラスは答えるようにヴォーと意外に高い声で嘶いた。零にはそれがYesというのがなんとなくわかった。


「そうか、そうか。じゃあ名前を付けないとな。ヒッポ?違うな。そうだ。もう一回鳴いてみろ。」


 そう言うとヒポポサラスは再度ヴォーと鳴いた。


「うん、やっぱり、これがいいな。うんうん。」

「兄ちゃん、なんて名前にするの?」


 隣でスーと共にモグラなのに地上でも活動出来るモンスター、メタルパに跨がるトレッサが横から零に声をかける。


「いいか~、発表するぞ~。こいつの名前は…」


 スーもトレッサと同じように零の大袈裟な発表を楽しげに見ている。


「ボーだ。これからこいつをボー君と呼んでくれ!」


 他のプレイヤーが居たらセンスのなさに笑い転げたか呆れたに違いない。

 しかし、今この場にいるのはボー君同様零によって名前を与えられ、零に与えられた自らの名前を誇らしく思う者たちのみ。一瞬の静寂の後待っていたのは、トレッサやスーだけでなく、主の話を聴き逃すまいとしていた他の臣下やメイドたちからも「かっこいい名前だね、ね、スー!」「そうですね、さすが私のお兄さま。」「まさに零様が騎乗するに相応しい、可愛らしくも力強い御名前ですわ。」などなど称賛の嵐である。

 そんな風に騒いでいる中、最後尾を進むファスはそれらとは別の声が聞こえたような気がした。


「ぁのぉ~…ぁのぉ…あ、あのぉ~!」


 だんだんと大きくなる声の出所がニオであることに気付くとファスはニオに並ぶように騎獣の麒麟をニオの騎獣に並べるように誘導する。


「どうしたかね、ニオ。」

「あ、あのぉ、前方1km程に馬車とそこから少し離れたところに馬車に馬に乗って移動する人間、恐らく風貌から盗賊の類いだと思うんですけど、それが複数いるって私の子供たちが…」

「…、なるほど。御館様には私は御館様の元に向かいます。あなたはそのまま動向を観察してください。シータ、聞いていましたね?ニオ、状況が変化したらシータを通して伝えてください。」

 




「御館様!」


 ファスは縦に伸びる列を外れ零の脇に着ける。


「あぁファスか、馬車と馬で移動する奴等の件か?」

「お気付きでしたか。」

「と言っても今セティの式神が見つけたって聞いたからだけどな。」


 零の指差す先を見るとファスとは反対隣に式符を額に当てるセティの姿があった。


「セティ、ニオは馬車を追っているのは盗賊だろうと言うことですが、違いありませんか?」

「うむ、汚ならしく、下品な者どもじゃ。それらの数は15。あとは…これはなんじゃ?」

「どうした、セティ。」

「それがじゃな、旦那様、馬車の荷台にも生体反応があるのじゃ。数は1、2、3…12。この大きさの馬車にこれだけ入るとしたらそこまで大きいものではないじゃろう。小型の動物やモンスター…あるいは、子供と言ったところじゃの。」

「なるほど。わかった。1度停止。ファス、ニオを呼べ。馬車の中を透視させる。ツヴァイ、目を飛ばして見せてくれ。セティは監視をツヴァイと代わって周囲に魔法探知の結界。ベッシュ!周囲に物理探知不可の幻術を展開!他は戦闘準備後集合!全員急げ!」


 未知の的に突っ込むなど馬鹿のすること。ましてここはゲームではない可能性が高い。復活出来るかもわからないのだ。慎重に事を進めるに越したことはない。

 零の指示で各々が魔法やスキルを発動する。一瞬周囲の風景が歪んだ。


「御館様、ニオを連れて参りました。ニオ、御館様に報告を。」

「あ、は、はい。子供たちが言うには馬車の中には幼い人間種と自然人種がいたそうです。種族は人族、エルフ、獣人などだったそうです。」

「ふーん。ツヴァイ、映像は?」

「はい。」


 ツヴァイは地面に作った2つの水溜まりに馬車と盗賊の姿を映し出す。


「馬車のほうも盗賊に気付いたようですが、既に2者の距離は200mを切っています。追い付くのも時間の問題かと。」

「ま、そりゃそうだろうな。にしても車輪まで木製の馬車とか。よくこんなんで移動出来んな。こんな道じゃすぐ壊れそうだがな。あ、魔法で壊れないようにしてるとかか?それに車輪まで木製ってことはサスペンションもないだろ、たぶん。それとも衝撃を吸収してくれる木材でもあんのか?」

「い、いえ。子供たちも凄く揺れていたって言ってました。」

「御館様、私見ですが宜しいですか?」

「なんだ、ファス。」

「彼らは奴隷ではないかと。でなければこれほど劣悪な環境に逃げもせず身を置くとは思えません。」

「だろうな。この馬車が特別この世界の文化レベルから外れてないなら、そういった古い身分制度の可能性もあるな。」


 奴隷という身分は、零の元いた世界では知っていても既にいなかった存在だ。世界のどこかにはいたのかもしれないが、少なくとも零の知る範囲にはいなかった。だkらと言って別に哀れみだとかは感じない。そういう身分制度の世界、あるいは国なのだろうなぁ、という程度である。


「どうするんじゃ、旦那様、介入するか?それとも、ここで観察してやり過ごすかじゃの。」

 

 零たちは予想される接触地点に1番近い林の中に移動していた。零が選んだのは近くで観察する、であった。始めてこちらで出会う、それも盗賊という暴力を生業とする人間。強さを観察するならやはり近くで見たほうが良いと考え、ボー君飛ばして移動した。出来れば処理出来る範囲なら戦闘してある程度のレベルを把握したいという考えもあった。もちろん、「出来れば」であり基本的な作戦は命を大事に、だ。情報も大切だが、やはり自身の命とその次に自らが造り出した者たちの命のほうが重い。当然だがここでも物理・魔法探知や防御策は可能な限り施して、全員戦闘準備をし、万が一のために自動復活・緊急退避用アイテムも持たせている。

 既に盗賊は馬車に追い付いていた。零はクロハが異次元倉庫から取り出した視覚強化と聴覚強化のアイテムを使用する。元々目も耳悪くないがアイテム使用すると数mのところにいるように姿も声も確認できた。しかし、言葉が理解出来ない。聞いたことのない言語だ。そこで零はメニューからいつもはクレクレなどが煩わしくてOFFにしていた全言語翻訳機能をONにする。ONにしていると話しかけられることが理解できるのでつい反応してしまうからだ。すると盗賊と商人の会話が理解できた。やはり、メニューの機能も概ね使えるようだ。やけに、盗賊の下品な言葉と笑い声が耳に障る。

 少し様子を見ていると二人の子供が殺されたのが見える。その様子を見て、零はファスに声をかける。


「どうだ、ファス、剣を振っていたが。本気で振ったわけじゃないと思うがそれを差し引いてもあれは弱いと思うんだが?」

「仰る通りかと。あれは剣を持っただけの素人で間違いないかと。強さは、そうですね、森のモンスター、いや、草原にいたゴブリンらしきものと同程度といったところでしょうか。弱すぎても判断が難しいところです。ですがどれだけ高く見積もっても70といったところでしょう。」


 零もファスと同意見だった。蟻とハエ、どちらが強いかなど人には判断出来ないのと同じだ。

 それからすぐに商人の男が脱がされ、斬られた。それと同時に子供たちが馬車を飛び出し散り散りに逃げ始める。


「ほぉ、悪くない手でありんすね。」


 確かにあのままいけば全員殺されていた。零には盗賊たちの声が喧しく、たまたまか、誰かの指示かはわからなかったが、後者ならば盗賊たちの視線が商人に集まっているタイミングに行動開始を合わせたのは評価出来ると思った。それと同時にこちらにナイフを片手に持つ犬耳の少女と黒髪の少女が駆けてくるのを姿を見て、指示を出す。


「少し下がるぞ。相手にもならんと思うが一応構えておけ。」


 零は少女たちの観察をしながら後退する。こちらに駆けてくるが別に助ける義理はない。むしろ、戦ってくれれば盗賊の戦闘を見れるから戦って欲しいと思っていた。確かにそう思っていたが。

 

 

 

 目を瞑り、死を待っていた少女だがその時は待てども来なかった。不思議に思い、開くほうの目を開けると自分に死を与えるはずだった男は馬ごと地べたに倒され、起き上がろうとしているが何かに抑えつけられているように地べたを這いずっていた。いや、目の前の男だけではない。盗賊たち全員だ。


「畜生、なんだこれは。なんなんだよ、これは!」


 口々に叫ぶ盗賊たちに少女は何が起きているのか理解出来ず、きょろきょろと辺りを見回した。するとセラとともに目指していた林から一人の少年が現れた。

 


 「あぁ、なにやってんだか、全く。正義のヒーローって柄じゃないんだがなぁ。まぁ助けたもんを見捨てるのもなんか負けた気がするし、こっちに来てるガキを保護してやれ。」


 そう言い残して零はすたすたと林を出ていく。それに慌ててファスが。更に遅れてツヴァイとニオが追従した。

 黒髪の少女を保護するべくヴォーセルが移動するが、林に飛び込んできた少女はあまりの強面に盗賊の仲間だと思ったのか、逃げようとする。それにトレッサが抱きついて、スーが話しかけている。


「もう大丈夫ですよ。私たちはあの汚ならしい盗賊の仲間などではありませんから。」


 ニッコリと微笑むスーに少し安心したのか黒髪の少女はちらりと辺りを見回し、心に傷を負ったヴォーセルを見てから口を開いた。


「あなたたちはいい人?」

「ええ、そうですよ。」

「あっ、そうだ!た、助けて、お姉ちゃんが、私のせいで、お願い!助けて!」

 犬耳の少女を助けるように求める少女にスーは口元を隠してうふふと声を漏らして笑う。

「大丈夫ですよ、あなたと一緒にいたお姉さんももう大丈夫です。安心してください。ほら、あちらに私のお兄さまが向かっていますから。」

「あたしたちの兄ちゃんはすっごく強いんだぞ!」

「あの鎧の人?」

「いいえ、違います。あなたと同じ黒い髪の方です。」

「え、でもあの人、えーと、あなたのお兄さん、小さいよ?お姉ちゃんと変わらないくらいだよ?」

「大丈夫ですよ。私のお兄さまはこそ泥など何人いても勝てませんから。」

「そうだそうだ!」


 本当に姉と変わらないくらいの少年が強いのか疑問だが、目の前の少女たちがここまで言うのなら安心だろう。見たこともない鎧を着たお兄さんとかっこいいお姉さんもいるのだから。そう思うと緊張の糸が切れたのか少女の意識もぷつりと切れた。

 

 

「やぁ。無事で良かったな。」


 いきなり現れた黒髪の少年はあまりにも場にそぐわない軽い口調で挨拶すると、少女の肩を軽く叩き、未だ地面を這いずっている男の前にしゃがみこんで話しかけ始めた。後ろに着いてきた恐ろしく整った顔の鎧を着た男はちらりと少女を見て、少年の後ろに控える。


「あんた、盗賊だろ?もうちょい頑張ってくれよ…弱いってのは俺たちには良いことなんだが、手応えがなぁ…なぁ、ファス。」

「その通りでございますね、御館様。」


 どうやら明らかに年上に見える鎧の男より、少年のほうが偉いらしい。それに両者ともシミ1つない服、片方は鎧だが、を着ている。奴隷である少女では一生手が届かないものであるのは間違いない。


「てめぇら何もんだ。こんな魔法知らねぇぞ。まさかこんなとこに王国魔導騎士団がいやがったのか!?それとも首狩り屋か!?」

「ふーん、やっぱ魔法が認知されてんのか。首狩り屋、それに王国…なんだっけ?」

「魔導騎士団です、御館様。」

「そうそう、魔導騎士団ねぇ。さすが盗賊だけあってそこらへんの情報は多少持ってんのか。ありがたいこった。」


 呆然と立ち尽くす少女の肩が再び叩かれた。そこにはエルフ?だろうか、こちらも美しい女性が立っていた。


「あちらで妹さんを私の仲間が保護しています。見に行かれては?」

 少女ははっとして林のほうを振り返る。駆け出そうとしたが、先程まで恐怖で震えていた足は上手く歩くことも出来ない。すると女性は少女おぶる。

「だ、大丈夫です。歩けます!それにこんな綺麗な服が汚れて…」

「気にする必要はありません。ニオ、御館様をお願いします。」


 ニオと呼ばれた女性とすれ違うとき、少女は馬車の中で感じたものと同じ寒気を感じた。

 


「おい、坊主、取引しねぇか?」


 盗賊の頭領は辛うじて零を見上げる。


「お前情報が欲しいんだろ?俺の知ってることを教えてやる。王国のことから裏取引の場所までな。お前の着てる服、そこらの貴族にも負けねぇもんだと見た。そんなの着る金がありゃ、それを元手に一儲けできるかもしれないぜ?どうだ、悪くねぇ、話だろ?」

「なるほど、こっちの様子から情報に疎いと考えたのか、悪くない取引だ。」

「だろ?へへ、どうだ、見逃してくれよ。なんなら情報はこのまんま話してもいいからよ。」

「さーて、どうするかなぁ。ファス、どう思う?」

「まずは実験をなさってはいかがでしょう。ニオの「子供」たちに新しい仲間を増やさせてあげては?」

「じ、実験?」

「そう、実験。ニオ、いいぞ。」


 頭領には実験とは何をするのか全く予想が出来なかった。しかし、ニオという女が現れた時ここに来る前からときどき感じていた寒気が一層強くなる。故に、実験が少なくとも楽しいものではないことは容易に想像出来た。。


「うふふふふふ。私の可愛い子供たち、今家族を増やしいますからね。仲良くするのよ。」


 ニオは馬車の周りを這いずっている盗賊の一人に近づいていく。その様は歩くと言うより滑っているような印象を受ける。そして、盗賊に手を当てた。頭領と同じ寒気を感じたのだろう、盗賊は抵抗しようともがいているのだろうが、芋虫のように体がくねるだけで腕は全く上がらない。

 ニオがぶつぶつと何かを言うとくねっていた芋虫はピタリと動かなくなった。痛みに叫んだ訳でもなく本当にピタリと止まったのだ。それが逆に恐ろしかった。


「ニオ、お前の子供たちはどうだ?正直者か?」

「はい、あなた様。正直者のとても良い子でいろいろ教えてくれますよ。うふふ。」

「ちなみに種族は?」

「レイスです。」

「そうか…レイスか…」


 ただのレイスはアンデッドの中でもグール、スケルトンと並んで最弱。レベルでは30程度だ。


「あなた様、どんな種族であれ私の可愛い子供であることには変わりません。うふふふ。」

「そ、そうだな。じゃあもっと増やしていいぞ。というわけで、おっさん、残念だったな。」


 レイスという単語に頭領は聞き覚えがあった。確かアンデッドの魔物にそんな名前があった。ということはニオという女のいう「子供」というのは…

 


「セラ!?」


 意識を失っているセラの姿を見て、少女は思わず飛び降りる。まだ脚が思うように動かないが腕で這うように近づく。すると目の前に真っ白な服を着た女性が微笑んでいる。


「無理をしてはいけませんよ。シータ。」

「あぁ、なんと妹想いな少女でしょうか。心優しいあなたに私が癒しを与えましょう。[ヒール・グランデ]」

 シータが杖を掲げると少女はを光が包みこむ。

「え?」


 思わず数回瞬きをしてしまった。先程まで開くことも閉じるこことも出来ずうっすらと見えるだけだった目が今ははっきりと見える。それに痛みもなんとなく朦朧としていた意識も今ははっきりとしている。


「さぁ妹さんのところへ。」

 シータに促され、少女はセラの元に駆けて行った。

 その後ろ姿を見つめるツヴァイとシータの目からは感情は読み取れない。


「ツヴァイさん、何故我が神はあの子羊を助けたのでしょうか?」

「さて、何故でしょうか。それは零様に聞かなければわかりません。ですが、はっきりしているのは我々は零様の御意志従うのみであるということ。違いますか?」

「いえ、仰る通りです。私は我が神の忠実なる下僕。主の意志こそ我が意志。神が罰せよというなら罰し、癒しを与えよというなら癒す。それだけのこと。」

 

 

 セラが静かに目を開けると、見慣れた耳が目に入った。


「セラ起きたのね、大丈夫!?」

「お、お姉ちゃん。お姉ちゃんが生きてた!おねぇぢゃぁぁぁん!」

 セラは姉の首元にしがみつく。もう離すまいと思いながら。

「おー、感動の再開ってやつか。良かったじゃん。」


 何か棒のようなものを加えながら林に入ってきた少年はパチパチと手を叩く。祝福してくれているのか、茶化しているのかわからない。しかし彼が林に入ってきてから周囲にいた全員が頭を下げており、彼が1番偉いのだ、ということはセラにもわかった。


「あ、あの、ありがとうございました!」


 地面に手と頭を着き、礼を告げる姉に従いセラも同じように頭を下げる。


「お、お姉ちゃんを助けてくれて、ありがとうございました!」

「成り行きだし、気にすることない。こっちも2方面からの情報が手に入って、身分証明のためのアイテムにこっちの硬貨、更に商人っていう「皮」も手に入ったしな。予想外にほくほくだ。」


 頭をあげると少年は椅子に座り、先に丸い物の付いた棒を舌で遊んでいる。セラにはほくほくの意味をがわからなかったがなんにせよ少年は喜んでいる様子だ。


「それで、君らはこれからどうする?せっかく助けたし、ここに置いてくってのもあれだから、君らが行く予定だった、アーバインまでは連れてってやるけど?」

「い、いえ、それがあの…」

「何かね?言いたいことがあるなら言ってみたまえ。」


 少年の後ろで控えている鎧の男が促す。


「は、はい。私たちはその…奴隷です。」

「それで何か問題が?」


 奴隷がどのような存在か知らないのだろうか?犬耳の少女は不思議に思う。気が付いたときには奴隷で、奴隷としてしか世界を知らない少女たちは皆、奴隷とはどういうものか知っているものだと思っているのだ。


「あの、ですから私たちの今の主人だった、商人様が亡くなってしまいましたので私たちは主無しです。主無しの奴隷は街や村には入れません。あのですから、私たちは引き取ってもらえませんか!?私、一生懸命働きます。ごはんもパン一欠片と水で構いません。そ、そのよ、夜のお供も頑張ります!ですからどうか!お願いします!」


 セラもまた姉と同じように頭を下げた。

 さすがに10歳前後の子供が夜伽って、といつもなら茶化すところだが、少女の様子を見ると本気なのがわかる。彼女たちにはそれしか選択肢がない。少なくとも彼女たちはそう思ってるだろう。零のいた元の世界だったら人権なんちゃらだ、そんなことをする必要はない!とか言う者がいただろうが、奴隷という身分にとってそれが出来るか、主人に気に入ってもらえるのかということは飯が食えるか、つまり生きていけるかを決める大事な要素なのだろう。

 それに街に入れないことも考えると当たり前だ。職も金もまともな身分もないものが街でどう生きていくのか想像に難くない。家もないので公共の水場で排泄、売春行為による病気の蔓延など衛生面の低下、加えて食い物を求めての窃盗や恐喝など治安の悪化など考えればいくらでも出てくる。それを未然に弾くのは当然だろう。ではそもそもそんな奴が出来ないようにすれば良いとも思うだろうが、下がいるということは上がいるのだ。力を持つ者が甘い汁を手に入れ、力なき弱者は苦汁を嘗めるしかない。結局のところ力こそが全てなのだ。零が上に立ちたい、力を得たいと考えるようになったのも野良犬の件やその後の出来事でそれを悟ったからだ。


「御館様、あのように言っておりますが?」


 少女たちだけでなく臣下やメイドからも視線が集まる。零にとって少女たちを受け入れるメリットは今のところないと言っていい。むしろ厄介事になる可能性もある。それでも受け入れるというのかどうか。それによって彼女たちが彼ら同様零に選ばれた者になるか、それともたまたまここにいるだけのその他大勢になるか決まるのだから。


「ん?いいんじゃない?働くんでしょ?まぁこの世界の常識とかも知らないしさ。」


 という軽いものだった。


「あ、ありがとうございます。私馬車から契約に使う紙を持ってきます!」

「私も!」

「ついでに他の荷も下ろしといてくれ。」

「「はい!」」


 二人は手を繋いで馬車へ駆けて行った。



 残された零と臣下、メイドたちは駆けていく後ろ姿を見送っていた。


「御館様、何故彼女らを助けたのですか?」

「自己満足。あの時の姿が俺の姉と妹に重なったように見えた。その時俺は何も出来なかったからな。何かしたかったのかもしれん。」

「あの時とは彼女が自分の命を賭けた時ですか。それに、御姉妹がいらっしゃるとは。さぞ元の世界で御館様の帰りを待ちわびておりましょう。必ずや我々が御館様を…」

「いた、だけどな。」


 ファスの言葉を遮るように発した言葉の意味が分からず一瞬時が止まったように静まり返った。しかし、言葉の意味を理解すると臣下たちは我がことのように胸が痛んだ。

 それと同時に少女たちを助けた理由も理解できた。

 影を見たのだ。姉妹の。

 それならば、彼女たちは主の失った何かを埋める存在なのかもしれない。

 そして少女たちを護るべき物と感じた。


「そんなわけで俺は元の世界に戻る気は今のところない。この世界では俺らはかなり強いようだからな。好きにやってくさ。お前らも頼んだぞ。」


 主の気丈な振る舞いに、そして自分たちを必要としてくれる喜びに臣下たちは膝をつく。


「はっ!御館様の望む物全て、我々が手に入れてみせましょう。」


 ファスの言葉とともに一同は深々と頭を下げる。

 自分たちは力。少女たちが埋める者であるなら自分たちは満たす者。それこそが自分たちの存在意義だと確信していた。

 

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