痛々しくて、けれど目が話せない『涼宮ハルヒ』。

私から言えることはただ一つ。
この物語の涼宮ハルヒは、青春時代の私たちそのものでした。

タイトルに惹かれ、そのままの勢いで読破しました。最高です。久しぶりに『涼宮ハルヒの憂鬱』を読みたくなりました。

ハルヒになりたいどこにでもいる普通の女の子と、『キョン』ポジションである普通の男の子の物語。痛々しくて、自分本位で、目も当てられない酷い有様な『ハルヒ』なのに、それでも目が離せない『キョン』。
青春群像劇と言えば聞こえはいいけれど、その中身はおもちゃ箱を自分の感情のままひっくり返したような、ひどいぐちゃぐちゃ具合。どこに何があるのかも分からなくて、もういいやって全てを投げ出したくなるのに、それでも諦めきれずに足掻いていくような、そんな感覚。『ハルヒ』と『キョン』の二人は、目の前の喉から手が出るほど欲しいキラメキに憧れて、嫉妬して、苦しんで、泣いて、迷って、それでも痛々しく彼らの“青春”は続いていく。

こんな素晴らしい作品に出会えて、本当に良かったです。高校生の時のあのドキドキした高揚感とか、期待感とか、漫画やラノベで感じていたそれら全ての憧れの気持ちが一気に蘇ってきて、とても懐かしい気持ちにさせられました。

最後にもう一度だけ。
この物語の『涼宮ハルヒ』は、涼宮ハルヒに魅せられ、憧れた、痛々しい私たちの青春時代そのものでした。