10.君と僕で世界を変える
無言のまま、橙色に煌めく水面を見つめながら、波音に耳を泳がせる。
ベンチに戻って来てから、数分が経っただろうか。涙も収まった田中真由子は、足元に視線を落としたまま、ぽつりと、上擦った声で呟いた。
「……ねぇ」
「ん?」
「あ、う……さ、さっき言ったこと、って、ほ、本当?」
「さっき言ったこと?」
再び戻ってきた沈黙。視界の端で、田中真由子が忙しなく足を揺らしている。
「あっ、そ、っと……っ、す、す、好き、だとか……」
思わず左を向くと、身体を強張らせて顔を赤くしている田中真由子がいた。垂れ下がった髪の間から見える小さな口が、ぱくぱく動いていて面白い。
「……ああ、嘘偽りじゃないよ、神に誓ってもいい」
……何を言ってんだ。
「そ……あ、っ…………」
そうしてまた、俯いて黙り込む。両腕をまっすぐ伸ばし、手のひらを腿とベンチの間に挟み込んで、身体は落ち着きなく前後に揺れる。
「どっ、あ、ど……その……どこが、好き、なの」
こういう経験は、初めてだろうか。……おそらく初めてなのだろう。動揺があまりにも見て取れて、可愛らしい。
そういう仕草も、できるんだな。
「そうだなぁ、なんだろ、上手く言葉にできないけど」
冷静に考えてみると、冷静になんて考えられないことに気づく。真に相応しい言葉は、ちっとも見当りそうに……、
「あ、歯並び」
「……は?」
田中真由子が身体をぴたりと止めた。少しだけ顔がこちらを向く。
そうだったよ。俺には間違いなく偽りなく、お前の容姿で好きなところがあったんだった。
「歯だよ、歯」
「……訳分かんない」
「それ天然もの? 歯並び超いいじゃん。色も白くて綺麗だし」
「そ……そんなとこ見てんの? へ、変態……」
いつになくおどおどとした、なんというか女の子らしい田中真由子。いつもの高圧的で傲慢な態度はどうした。ええい、くそう、可愛いな。
「あ、ああ……えっと、す、好き、ってさ、つ、つまりその」
たどたどしく、言葉を詰まらせる。こいつの動揺は本当に分かりやすい。
「つ、つつ、付き合うとか、そういう、その……」
尻すぼみに閉じる言葉。挙動が不審すぎるぞ、お前。
「そうだな、お前がいいと言ってくれるなら、そういう関係になってもいいかもな」
「…………何それ」
「だってラノベじゃあ、あんまり彼氏彼女になったりはしないもんだろ? ここから二巻三巻と続いて、追加ヒロイン続々登場って感じで」
自惚れるな、さすがにそれはない。
「……………………」
眉間に皺を寄せ、いつものよく分からない絶妙に微妙な表情で固まる。
ややあって、探るように、拙い言葉が返ってくる。
「……私は別に、いいけど?」
「……何が?」
「その……つ、付き合って、も?」
疑問形。高圧的にもなりきれていない。――まあでも、お前のそんなところがさ。
「……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
「……何それ。いちいち気取らないでよ、……ムカつくから」
ああきっと、あばたもえくぼとか、ラヴ・イズ・ブラインドっていうのは、こういうことを言うんだろうな。なんだかもう、胸がはち切れそうだ。
このままもうしばらく、ふたりきりの時間が続けばいいのに。そんな風に思った瞬間、制服のポケットで携帯電話がバイブレーションした。振動を知覚すると同時に思い出す。
「――うっわ! そうだよ、俺たちこんなとこでのんびりしちゃいられないんだよ! 急いで戻って、みんなに謝るぞ!」
「…………」
急にしおらしくなり、俯く田中真由子。……ええい、
「俺が隣にいてやるから」
その言葉で、上目遣いに俺を見上げる田中真由子。
躊躇うように一度、視線を足元に落としてから、もう一度顔を上げる。
「…………分かった」
こうして俺の告白、ボカシも気取りもない告白は終わった。いや、気取りは多少あったかもしれない。別の問題を抱えているこんな時、呑気に告白なんてしている場合ではないのかもしれないが、でも多分、あのタイミングでこそ、だったような気がしなくもない。なんて。
「――なあ、さっきの告白さ、結構ドラマチックじゃなかった?」
部員の待つ野外ステージに駆け足で向かう途中。なんだか心が晴れ渡っている俺は、上機嫌にも(訂正、気持ち悪くも)そんなことを訊いてしまう。
「……うるさい」
田中真由子は口を尖らせ、俺の肩をぽこりと殴りつけた。
そんな彼女の表情も、心なしか晴れ渡っているように見えて。
目が合う。笑い合う。それだけで。
何処までも、駆けていける気がした。
……駆けて向かう先が謝罪なのが、やはり締まらない。憂鬱!
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