2.engagement

「――というわけで、今日から夏休み前までの期間、仮入部という形で、新入部員が二人、一緒に活動していくことになった」

 翌日、金曜日の放課後。二階端の特別教室、机と椅子を教室後方に移動させできた活動スペースには、十五人に満たない程度のジャージ姿の部員たちが緩やかに大きな円を描いて立っている。好奇と期待の視線に囲まれる、学校指定ジャージ姿の田中真由子と俺。


 演劇部。


 振替休日明けの田中真由子の宣言を受け、その日のうちに、(何故か俺が)悠歩先輩の仲介で、現部長にアポを取った。演劇部の活動など詳細を教えてもらい、我々二人の意志も伝えた結果、仮入部という形で、さっそく今日から部活に参加することになったのである。

「それでは自己紹介、お願いできるかな」

 部長に促され、こちらに注目している部員たちに向けて、自己紹介を行う。ファースト・インプレッションは非常に重要だ。無難に手短に済ませる。拍手が返ってくる。

「では次、田中君」

 ――さて田中真由子、次はお前の手番だ。もう失敗はするんじゃないぞ。ああ、自己紹介は絶対にするはずのものなのだから、なにか一言忠告しておけばよかったかもしれない。俺自身の緊張もあって、そんなことはすっかり失念していた。何事も起こさなければいいけれど――。

「1年2組、田中真由子です。東中出身です」

 ……なんとか、大丈夫そうだ。こいつも一応、自分なりにそれまでの振る舞いを反省しているのかもしれない。

 悠歩先輩や智佳先輩と関わるようになって、ささやかではあるが変化の兆しも見えてきたように思える。

 彼女と同じ東中出身の部員が先輩に一人いて、「私も東中だったよ~」と声が上がった。そうそう、こういうのをこれからの会話のきっかけにしていくのが、コミュニケーションというやつだよ、関係性の始まりってやつなんだよ。


「小説とか書いてます。台本も書けると思います」


 ………………ん?


「あと作詞もできます。趣味の範囲ですが」


 ぞわり、鳥肌が立った。冷や汗が一気に噴き出した。

 皆が一斉に、「あっ」という表情をした。全てを理解したかのように頷く先輩もいた。


 田中真由子、あんまり変わっていなかった。


 期待した俺が愚かだった。人前に出ると途端にこれだ。〝人前に出ると何かしでかさずにはいられない〟症候群。第一なんだよ作詞できますって。初耳だよ。どうせあれだろ、作詞って言ったってメロディに乗せる予定なんて微塵もないただのポエムだろ。

「……よし、ありがとう。まあ、いろいろと、これから部活をしていく中で知れていけたらいいなと思う。では続いて我々の自己紹介をしようか。まずは二年生からだな」

 引き攣った場の空気をリセットしたのは、部長。

 ――悠歩先輩の立場を引き継いだ、新部長。知的さを醸し出すややかっちりとした喋り口調。かけた眼鏡はその知的さを強調しているように思える。骨ばった大きな手、顔の輪郭もシャープで、一見接しづらそうに見えるけれど、口許は常に穏やかで、堂々としていて、信頼の置けそうな雰囲気を醸し出している。

「私は新部長の諏訪部吉紘。皆からはスワベ君と呼ばれている」

 部長――諏訪部先輩は胸元にその大きな手を添え、インテリジェンス、といった笑みを浮かべた。悠歩先輩とはまた少し違った、しかし確かなリーダーのオーラを感じる。

 一同の拍手。「次、ミサキ君」と部長が言う。彼の右隣に立っていた女の先輩が、一歩前に歩み出る。部長は部員に対し、どうやら等しく「君」付けらしい。

「私は副部長の稲葉美岬。分からないことがあったら、気軽に相談してね」

 ミサキ先輩。体格がよく、多少ふっくらとしているが、容姿は整っていて、溢れ出る母性のようなものを感じられる。とても女性的で、ひとつ上とは思えないどっしりとした落ち着きがある。並び立つ部長と副部長、バランスの取れたツートップであるように思える。

 部長、副部長を含めた二年生全員の自己紹介が終わり、続いて一年生。

 一年生の現部員は全部で七名。今日は都合で一人欠席のため、この場には六人だ。

「安藤登夢でっす! DQNネームだけどオタクです! アントムって呼んでください!」

 順番に自己紹介が行われる。身振り手振りなんかを交えて大げさに自分をプレゼンする奇抜なやつもいたが、さすが演劇部といったところなのだろうか、特にそれに対して軽蔑の視線が向けられたりすることはなく、むしろ微笑ましく、尊重されているように感じる。家族的で、あたたかい空気感だ。

「――ま、ご覧の通り一年生にも既にいろいろ危うい人物が何人かいたかと思うが……」

 部長のその発言に、部員たちの間には柔らかい笑いが起きる。

「みんないいやつだ。仲良くやっていこう」

 勢いで飛び込んだようなものだけれど、さすがは悠歩先輩の愛した演劇部といったところか。なんとなく、上手くやっていけるような気がした。ちらりと、田中真由子の様子を窺う。さっそく隣の同期女子部員に話しかけられている。


「さて、君たちは一応仮入部、ということだが」

「あ、はい。いろいろ考えた結果、とりあえず区切りよさそうな夏休み前までがいいのでは、と悠歩先輩に助言をいただいて……」

 悠歩先輩、という言葉に、部員の一部がざわつく。

「仮入部に来たのが振替休日明けてすぐだったというのは大変よいタイミングだった。何故なら今日から夏休みまでの間、一年生が初めて芝居を作ってみる期間なのだからね!」

 諏訪部部長は何故か高らかに言う。演劇部的、というか、結構クセのある人物らしい。

「一年生が初めて芝居を作ってみる、ですか……」

「……なんだけど、一年生の人数が増えたので、ちょっと台本を修正し直す時間がほしいんだよね~」

 副部長が申し訳なさそうに、言葉を付け足した。……もしかして、我々のせいで部活内のスケジュールを崩してしまったことになるのではないだろうか。

「なに、君たちが気にすることではない! こちらとしては万年部員不足みたいなものだから、部員が増えるかもしれないと聞いた時には、一同それはもう歓喜の嵐だったよ」

 しかしどうやら、こちらがなにか気に病む必要はなかったようだ。

「仮入部と言わず、是非このまま本入部してほしいところだけれどね。合う合わないはやはりあるだろうから、これからじっくりと見定めてほしいと思う。きっと気に入ってくれると信じているよ。――よし、新たなメンバーも迎え入れたことだし、今日は予定を変更して、一年生諸君も今一度改めて、基礎練を学び直そうではないか!」



「あ、え、い、う、え、お、あ、お」

 敷地外に面する側の窓を全て開放し、遠く広がる街並み目掛けて、部員全員で声を飛ばす。先輩や同期たちに教わりながら、演劇に必要な基礎を学んでいく。腹式呼吸、発声、表情筋を鍛えるストレッチ……。

 下校時に毎日のように聞こえていた、あの呪文じみた文言の正体が、次々と判明していく。悠歩先輩たちも、二年以上こうしてきたのだなぁと、少しだけ先輩に近づいた気分になる。

 隣で指導を受ける田中真由子は、何故か恥ずかしげに声を出す。いつもの威勢はどうした。

「……えっと、諏訪部部長、ここのところなんですけど――」

 そんな彼女を横目で見つつ、質問をしようと何気なく部長を呼んだ瞬間、誰かが「あっ」と叫んだ。瞬間、皆がこちらに振り返る。そうして――

「「「君をつけろよデコ助野郎‼」」」

 待ち構えていたかのように部員全員が声を揃えて言った。

「――⁉」

 そして一瞬の静寂の後、皆が顔を合わせて大爆笑する。

「うわーっ! やったーっ!」

「この時を待っていた!」

「正直めっちゃ楽しみにしてた!」

「二週間ぶりくらいじゃない⁉」

「最後に言われたのって晃先輩だったっけ⁉」

 俺は困惑する。田中真由子と目が合う。状況が飲み込めずに狼狽えている。

「あー……っと、すまないこれは、いわゆるひとつの『お決まり』というやつでな」

 近づいてきた部長が、なんだか申し訳なさそうに言う。

「『スワベ君』でひとつの単語だから!」

「先輩とか部長ってつけたい時は『スワベ君先輩』『スワベ君部長』って呼ぶのがルール!」

「言い間違えたらデコ助野郎」

「デコ助野郎は部活終わりに一芸を披露することになっている」

「確か始まりは悠歩先輩からだったよね?」

 部長の言葉を食うように、部員たちは楽しそうに、声を重ねる。

 ――ここでまたしても悠歩先輩の名前登場。あの人はどこまで愉快なのだろう。

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