3.初めての共同作業

「高橋敦斗。一年八組です。よろしく」

 仮入部二日目。

 さっそく土曜日、初めての休日部活。昨日部活を休んでいた一年生、高橋が遅れて自己紹介をした。我々仮入部勢も改めて、彼に対して自己紹介をする。田中真由子が喋っている間、その目はじっと彼女を見据えていて、

 ……どうにも引っ掛かりを感じざるを得ない男であった。

 どことなく田中真由子と同じ空気感をまとっているようにも感じる。何かを睨みつけるような目つき、『俺はここにいる他のやつらとは違う』『馴れ合いではなく真面目に演劇をやりにきている』――そういう類のオーラを醸し出していた。


 今日もみっちり基礎練習。湿度の高まっていくこの季節、敷地外を数周ランニングするだけでそれはもう果てしない汗をかく。音楽に合わせた体力作りのダンスも、動きを教わりながら参加する。演劇部、結構体育会系である。体育会系文化部。部活も基本的には日曜日以外毎日あるというし、公演が近づけば日曜日すら練習に充てられる。

「そんなにやるの、って思うだろ? でもなぁ、気づいたら部活するためだけに学校来るようになるんだよ」

 とは、部活に精を出しすぎて化学の赤点を取ってしまったという先輩の談。


 それから、ワークショップと呼ばれている、楽しみながらも演劇に大切なスキルを学んでいける、レクリエーションのようなものを行った。これが非常に楽しく、部員との親睦も一気に深められるもので、新鮮だった。田中真由子も上手いこと盛り上がりの輪に加わっていた。いわゆるオタクっぽい同性の部員も何人かいるし、何よりそういった人たちに対する偏見があまりない空間であるからして、きっと彼女にとっても過ごしやすい場所であるのだと思う。先輩方も優しく、二ヵ月の差がある我々とも分け隔てなく接してくれる。

「高橋ーっ! もっと恥じらい捨てろー!」

「表情固いなー」

「池田さんもっと主張していいよ!」

「村松ちゃん相変わらず上手いなァ」

「……もう動いていい?」

「ウグァァァ! やーらーれーたぁぁぁ……」

「安藤うるせぇ」

「おー、セキヤくんやるねぇ!」

「真由子ちゃん、意外に強いな……」

「「「君をつけろよデコ助野郎‼」」」


 ――なんだか、訳もなく楽しかった。新しく何かを始めることって、思い切って一歩踏み出してしまえば、あとはもうなるように加速していって、気づけばすっかり自分にとってなくてはならないものになっていたりするのかもしれない。


 土曜は部活の後そのまま、田中真由子とふたり、中央公園で発声練習をした。日曜日は演劇に関する知識をネットで調べたりして、意外とのめり込んでいる自分に気づいてなんだか笑えた。もしかしたら俺はずっと、きっかけを待っていただけだったのかもしれない。



「それではいよいよ、台本を配る。我々二年生の脚本や演出の練習も兼ねて、後藤君を中心に二年生で制作した創作脚本だ。芝居の長さはニ十分程度になっている」

 週明け。印刷されたコピー用紙を、バイキング形式みたいに一列に並んで取っていく。

 一年生だけで芝居を作る。文化祭公演が終わり、代替わり後、最初の身内公演だ。

 急な部員増加に、台本は人数追加の修正を余儀なくされたらしいけれど、聞くところによれば元々、もう数人登場人物がいた方がより面白い内容になると思いながら制作していたようで、修正作業もノリノリで進んだのだという。

「ここからはまず、君たち一年生だけで考え、作ってみる時間だ。配役、演出、練習、文化祭公演でのことを思い出しながら、進めてみてほしい。期末試験期間の休みを間に挟んで、二週間ほどは君たちだけでの練習。その後に我々二年生も一緒に練習に加わって、さまざま助言をさせてもらうこととする。発表日時や舞台の制約は別紙の通り。何か質問は?」

 部長はぐるりと一年生を見回す。誰も質問がないことを確認し、「では最後に」と、わざとらしく咳払いのポーズで改まった。その挙動に一年生は注目する。

「この公演は、引退した三年生たちにも観劇してもらう」


「え――――――っ‼」

 一瞬の間を置いて、一部の女子が声を上げた。

「ハハハ! 異論は認めん! では、何かあればいつでも呼んでくれたまえ。健闘を祈る!」



「よし……じゃあ、そうだね、とりあえず各自、一度台本に目を通してみよっか」

 兄が演劇部だったというだけで、なんとなく一年の中で中心っぽいポジションになっているらしい女の子、市川さんが言う。

 いよいよ芝居作りが始まった。始まってしまった。展開が早すぎる。右も左も分からないまま、一年生だけでいきなり舞台を完成させる。同期たちも四月から活動しているとはいえ、先輩の芝居作りを内実分からず指示に従って作業していただけだというし、意外と状況は対等らしかった。

 まずは教室の四方に散らばって、それぞれが渡された台本を読む。

 脚本は高校生が登場人物の現代もの。翌月にあるグループ研修の班決めを行うというストーリーで、各々の事情で残ってしまった九人の高校生がそれぞれの主張をぶつけながら班を二つに分ける、という展開だ。

 キャスト名は特に決まっておらず、男子A、女子Bといった表記になっており、本名をそのまま呼称として使えばいいらしい。


 十分くらい経っただろうか。皆が読み終わったであろうことを確認した市川さんが、集合をかける。各々いろいろ思い巡らせた顔つきで、黒板前に寄り集まる。

「……えっと、じゃあ、どんな風に進めよっか」

 市川さんが取り仕切る。

「とりあえず衣装は普段の制服を使えばいいよね」

「舞台も教室だし、机と椅子がいくつかあれば大丈夫そう?」

「SEとかBGMとかあった方がいいのかな」

「ヤンキーはスプレーで髪染める?」

「これ女子BとCって百合じゃね?」

「女子Eはオチ要因って感じ?」

「にしても面白いね、この台本」

「ごっち先輩すごいよね」

 取り留めのない意見が飛び交う。

「配役どうしよっか」

 小林が言った。百合がどうだとか騒いでいた女子だ。

「うーん、オーディション?」

「そんなことしてる時間ないだろ」

「じゃあ立候補?」

「相応しい配役を当てはめて発表するとか」

「いっそあみだクジ」

「さすがに却下」


「例えばさ、この変人キャラを高橋くんがやったりしたら、面白いと思うんだけど」

 流れに乗せてなんとなく言ってみる。

 奇抜な振る舞いのせいでクラスメイトから敬遠されている変人男子D。高橋はどちらかと言えば二枚目気質だが、それを逆手にとって三枚目なキャラクターを演じたりしたら、ギャップがあって面白いだろうと思ったからだ。

 皆がなんとなく「それいいかもしれない」と賛同してくれる。しかし高橋、

「……いや、それはないだろ」

 と一言、冷たく拒絶した。部員たちの温度が下がる。


「それなら女子Eはあたしがやりたいなぁ」

 ふわり、静寂を破って村松さんが言った。全員が目を見開いて彼女を見た。

 容姿的には一年生の中で最も優れている村松さんが、変人を好きな変人、オチ要因の女子E役を自ら望んでいる。なんとなく掴みどころのない印象のある彼女だったけれど、冗談を言っているようには聞こえない。

「いや、村松は女子Aとかだろ……」高橋が困惑したように言う。しかし村松さん、

「えー、だったらむしろ女子Aってはるちゃんとかでしょ。どの役が誰に相応しいとかって、少なくとも今のあたしたちにはあってないようなものだと思うけどなぁ」

 穏やかに、しかし鋭く言い返す。はるちゃんとは市川さんのことだ。

「とりあえずやってみたい役ある人は声に出して主張しようよ。定める型なんてあたしたちにはまだないんだから、なるようにやってみればいいんだよ」

 皆が納得する。村松さんの発言をきっかけに、それぞれの提案や意見を交わし合いながら、配役は決まっていった。


 皆に優しいクラスの人気者は市川さん、変人は安藤、クールっぽいヤンキーは高橋、もの静かな少女は池田さんと、本人のイメージとかなり近い配役もあれば、変人女子の村松さんを始めとして、テンポのいい掛け合いで話を引っ張っていく男子を地味キャラな熊谷が演じることになったり、そして何より俺自身がその片割れになったりと、期待半分不安半分な配役もそれなりにある。田中真由子は女子Bと仲良しな女子Cの役。彼女に「仲良し」を演じることが果たしてできるのか。それも楽しみなところではある。


「さて、どんな風に芝居を作っていくか、だが……誰も立候補しないようなら、俺が演出担当として進行させてもらいたい。それでもいいか?」

 高橋が意見を仰ぐ。演出――つまり台本を元に、芝居の全体を組み上げていく役回りだ。演劇においては「監督」と呼ばれる立ち位置の人間はいないが、大雑把に言って似たようなものだと捉えていいだろう。

 皆、互いに顔を見合わせる。特に反対意見はなさそうな空気。

「……よし、じゃあ俺が演出ってことで――」

 言い終える直前で、高橋は言葉を止める。彼の視線は、ある一点を捉えていた。

 高橋の視線が向かう先。――それは俺の真横。そうして、そこには、


 挙手をしている田中真由子がいた。


「……なんだよその挙手」

 高橋が訊く。俄かに緊張感が張り詰める。嫌な予感がする。

 待て、いい、余計なことはしなくていいから、

「私もやりたい」


 話し合いの結果、台本を三つに区切り、比較的台詞の少ない役の高橋が三分割の最初と最後、田中真由子が中盤部分の演出を担当することになった。

 高橋の方が分量が多いのは、最初に率先して立候補したことと、先に入部しているため田中真由子よりは経験があるだろうという、異論はないふたつの理由によるものだ。


 さっそく頭出しから、毎日少しずつ、高橋を中心に手探りで登場人物の動きや立ち回りを考えていく。ちなみになんと開幕は俺の台詞からだ。

 九人全員が基本的に舞台上にずっと出ている芝居、自分の発話番でない役者たちも立ち位置、表情、立ち振る舞いなどを意識し続けなければいけない。これが結構気を張って大変だ。

 高橋はなかなか指示を出していける男で、さすがに田中真由子に任せるよりも円滑に進むであろうことは誰が見ても明らかだった。


 一方。

「……いや、それはおかしいだろ」

 高橋が苦言を呈する。

 田中真由子の演出はやはりというかなんというか、酷いものだった。ちぐはぐ、あやふや、統一感がなく思いつきであれこれ指示が変わる。誰もが「それはおかしい」と思うような、どこか見当違いで、台本の読み込みが甘い演出ばかりだった。

「お前、芝居を一度でも見たことがあるのか?」

「……ある」

 ある、ってお前、それまさか新歓公演のただ一回を指してるんじゃないだろうな。

「俺らより二ヶ月近く遅れてきたとはいえ、さすがにいろいろ教わったりしてるだろ。基本がなってねぇんだよ。逸脱ってのは基準となるものを理解していてこそだろ」

 その通りである。型破りは破る型があってこそだ。どんなことでも、普通をすっ飛ばして奇抜になろうとすることには痛々しさが憑き纏う。高橋の正しい指摘に、田中真由子担当パートの役者たちの顔には安堵が広がる。

「いろいろ勉強してこいよ。分割して担当するって決定は全員の総意だし、俺も出すぎた真似はしないけど、おかしいと思ったら言うからな」

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