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 そうして、ぶらりと近所の神社にやってきたメンズ二人。

「例のSSS団とやらは、最近どんな感じなんだ?」

 鳥居をくぐって、境内を散策。歩きながら、悠歩先輩は俺に尋ねる。

「いやあ~、特に何かあるって感じじゃないですね。メンバーもあいつと俺だけだし、あんだけ勧誘活動してるくせに入団希望者断ったりして……」

「くはは、そうかそうか」

 身をよじらせて、軽やかに笑う先輩。馬鹿にしているという風では決してない。

「文化祭前も、先輩たちに感化されたのか突然映画を撮るとか言い出して、アイディアもノウハウもないから結局実現せず……」

「分かる分かる。自分たちだけでやろうとすると何していいか分かんないもんだよな」

 小さな溜め池沿いのベンチに腰を下ろす。のびのび育った木々から零れる夕陽が綺麗だ。

「でも、そういう風にとにかく何でもいいから行動しようとすることって、大事だと思うよ、俺は」

「あいつの場合少しも中身が伴っていないのでなんだかなあって感じですけどね……」

「最初はそれでいいさ。背伸びから始まる、智佳が言った通りだよ。……きっとかつての俺もそうだったと思うし、今だって、これからだって、きっとそれは変わらないよ」

 上半身を屈めて、夕焼け色に染まった溜め池を眺めながら、先輩は続ける。

「最初は真似事だっていい。何もしないよりは、模倣してでも何かを掴もうと手を伸ばす方が、美しくて、尊いよ。なんて、偉そうだけど、俺もそんな風に思いながら、二年間いろいろやってきたつもりだし。『ハルヒ』みたいな毎日に憧れて、SOS団みたいな集団を立ち上げて……ってさ、俺は愛しく思えるけどなぁ。そりゃ中には、馬鹿にするやつだとか、痛々しいって笑うやつだっているだろうけどさ」

 足元に転がっていた小さな石を拾い上げて、先輩はそれを溜め池に投げ込む。

 水面が揺らいで、大きな波紋が広がる。

「999人が痛々しいと切り捨てて笑ったとしても、たった1人、心を掴まれて、揺さぶられたのなら、それには間違いなく力があって、価値があるんだよ」

「……それは」


 それは例えば、俺にとっての――?


「誰だって始まりは痛々しくて、思い返したら赤面もので、そんな風にして歩んでいくものなんじゃねぇのかなって、俺は思うよ」

 さらさらと、夕陽が描く木々の陰が揺れる。木漏れ陽は優しくて、静かな境内、時間が限りなく引き伸ばされたような、そんな錯覚を抱く。

「中学生の頃。正体不明の、怪物みたいな閉塞感に圧し潰されそうだった日々。俺には好きなバンドの曲とか、小説とか、漫画とか、それこそ『ハルヒ』シリーズだってそうだよな、そういうものたちがあって、なんつーかそれだけが味方で、友達で、原動力で、それらがあったからこそ、どうにか生きていられた気がするんだよ。そしてそんな物語たちに憧れて、自分もこんな風になりたいって思ったことはたくさんある。もちろん人生にはドラマみたいな分かりやすい起承転結はなくて、そうそう上手く行ったりするもんじゃないけれど、だけど『それでも』って求めに行くことは、やっぱり大事だと思うし、そうすることで、そうしたことで、本当に夢みたいな経験を掴んじゃうことだって、あるかもしれない」

 先輩は上半身を起こす。ぼんやり、遠くを見つめるその横顔は、どこまでも穏やかで。

「振り返れば、演劇部での日々は多分、そういうものだったと思う。自分から、最高を求めて、がむしゃらに駆け回って。幸せなことに、それについてきてくれる人たちがいて、だからこそ毎日が楽しくて、笑ったり、泣いたり、感動したり悔しかったり、熱くなったり切なくなったり……なんて、これじゃあまた自慢話になっちゃうな。でも、本当にさ」

 ふうっ、と、先輩は幸せそうな溜息を漏らす。

「自分を支えてくれたいろんな物語たちへの感謝。俺が演劇部でやりたかったこと、やってきたことは、そういうたくさんの、支えになってくれたものへの恩返しのつもりだった。恩返しになったかどうか、そんなの全然分かんないし、自己満足だったりするかもしれないけれど、少なくとも悔いはないな。最高の青春だったよ、うん、間違いなく」


 ――――青春。青春。


 ああ、まただ。またこの感情だ。憧れと、羨望と、好意と、……少しの嫉妬心。

 置いてきぼりにされたような、追いつきたいと駆け出したくなるような。

 悠歩先輩、あなたって人はどうしてこうも容易く、俺や、あるいは田中真由子の――


「あー、いたいた~」

 悠歩先輩の言葉を胸中で反芻していると、智佳先輩がやってきた。

 後ろには、重なるようにして誰かが――まあ一人しかいないけど――くっついている。

「二人で何話してたのー、気になるなぁ~」

「渡瀬智佳という女性の魅力についてたっぷり話していたよ」

「なにそれ変態っぽい。――ねぇそんなことより見て! まゆちゃん!」

 智佳先輩は、その背後に隠れるように立っていた少女を、我々男性陣の前に差し出した。

 そこには、今日買ったであろう新しい服を着た、縮毛矯正をかけストレートっぽくなった髪をした、野暮ったい眉毛が手入れされた、先輩に教わったのであろう薄いメイクを施した、

 田中真由子が、立っていた。


 ……………………ふむ。


 隣の美人と比べたらそりゃあもちろん元も子もないけれど?

 ……しかしこれは、なかなかどうして?

「おおー! なんか見違えるように可愛らしくなりましたなァ!」

 さらりと言ってのける悠歩先輩。顔を赤くして、照れくさそうに身を竦める田中真由子。

「でしょでしょー! 私も鼻が高いよっ! えっへん」

 智佳先輩は心底嬉しそうに飛び跳ねる。

 さすがにこの人の可愛さには敵わないのだけれど、にしてもこれは……。

「ねー? 言ったでしょ、見た目なんて案外簡単に変わっちゃうもんなんだ、ってさ! 中学卒業してからまだ三ヶ月とかでしょ? きっとこれから顔つきも変わっていくだろうし、そしたらもっと可愛くなっちゃうね!」

 本当に嬉しそうに、満足そうにはしゃぐ先輩。ピンク色の何かが振り撒まかれるような。

「ほーら、セキヤンも」

「あ、う、えっと……」

 小娘の前に突き出される俺の身体。一対一、至近距離一メートル、向かい合う。

 やっぱりこのくだりは必要ですか。……ああ、えっと、何て言えばいい?

 目の前には、年相応で身の丈に合った格好をして、奇妙にじっとしている田中真由子がいる。常に放出されているささくれ立ったオーラは抑えつけられ、その輪郭が丸くなったような、不思議な印象を受ける。ストレートになったその髪に、先程手渡した銀色の猫のヘアピンもついていることに気がつく。

 思いがけず鼓動が速くなっている。結構ずばずばものを言える性格だと思っていたのだけれど、ああ、どうしたことだろうこれは。天変地異とかの前触れ的な何かですか?

「い、いいと思う、よ、すごく。見違えるほど、雰囲気変わったし。……あとは、あとは、愛嬌、だよな」

「愛嬌――ッ! 言うねぇセキヤン!」

 悠歩先輩が茶化しを挟む。照れくさそうにしながら、いつもの悪態をつく田中真由子。脛を蹴るな。そうだよ、あとは愛嬌と、それから当たり前の対人スキルと、場を弁えた行動と、言動と、あ――っ、そうだよ、お前にはまだまだ身につけないといけないものがたくさんたくさんあるんだよ‼



「よぉーし! 曰くつきの祠とかないか探しに行こーぜ!」

 悠歩先輩が田中真由子と一緒に境内の奥に駆けていく。手懐けるのが上手い。もしかしたら智佳先輩よりも、悠歩先輩といた方があいつも素を出せるのかもしれない。

 小さくなる二人の背中、とはいえ狭い神社なので視界から消えたりしないその後ろ姿を眺めながら、取り残された智佳先輩と俺。

「そんなものあるわけないでしょうに」

 呆れたように呟く先輩。どこか優しさに満ちていて、二人に対する確かな愛情を感じる。

 互いにしばらく黙ったまま、そんな二人の姿を見つめる。やがてぽつりと、

「あの二人はね、とっても似てるよ」

 静かに、智佳先輩は言った。


「……えぇ? 悠歩先輩と……あいつが、ですか?」

「うん。まゆちゃんを見てるとね、昔の悠を思い出すの。中三から、高校二年生になるくらいまでの悠のこと」

 思わず先輩の方へ顔を上げる。右隣に立つ先輩は、二人に愛おしげな眼差しを送る。

「世間知らずというか、恐いもの知らずというか……自分はすごいと思っているところとかそっくり。すごくお子ちゃまな部分があってさぁ」

「……悠歩先輩が、ですか?」

「そうそう。ほんとさあ、あちゃ~って感じだったんだよ、あいつ」

 田中真由子が謎の全能感全開であることは少し接すればすぐに分かる。しかしあの堅実な悠歩先輩も同じような感じだった、というのは、どういうことだろう。今日話してもらった、あの過去と何か関連しているのだろうか。

「まあいわゆる中二病ってやつだよね、『俺の右手が~』ってタイプじゃないけど、自分は周りより優れていて、特別で、って、そういう感じのさ」

「…………なるほど」

「でもね、悠はそういう傲慢な自分を見つめ直す機会に、ちゃんと出会えたの。悠はいつも私のおかげだって言うけれど、そんなことは絶対になくて。自分を変えようと思って、実際に変わってみせたのは、紛れもなく悠自身なんだよね」

 田中真由子と戯れる悠歩先輩。遠くからでも分かる、その屈託のない表情。

「それからの悠は、びっくりするくらい変わったよ。顔つきだって変わった。いつも何かを睨みつけるような暗い顔をしていたけど、明るく、柔らかい表情を見せるようになって。優しくなった。いろんな事をちゃんと受け入れるようになった。自分自身を客観視できるようになった。まあ~~まだまだ自分に甘い部分はたくさんあるけどね。――でもその変化は、それまで悠が持っていた良い所を、もっともっと伸ばすようなものだった」

 慈しむような表情で、穏やかに語る智佳先輩。思わず惹き込まれてしまう。

「もともと彼は、周りのみんなが見ている景色とは、少し違った風景を見ているような人だったと思う。例えばほら、授業中の発表とかさ、みんなと視点が違うんだよね。だから多分、単純に、彼の世界と、その他大勢の持つ世界は、噛み合っていなかったんだと思う。でも悠は、そんな自分の方が優れている、って気持ちが、ちょっと強すぎたんだよね。だから嫌われることになってしまった。もちろん、どちらかと言えば、悠は被害者の側かもしれないけど、彼自身にも間違いなく問題はあって――そして悠は、それにちゃんと気づけた」

 中学校の前で悠歩先輩から聞いた話を思い返す。何があったのか、その全ては到底知り得もしないけれど、確かにその経験があって現在の先輩がいる、そういう過去。

「それからの悠はね、魅力的だったよ。それでも高校入学したばっかりの頃は、まだまだ訳もなく全能感に満ち溢れていて、演劇部でも先輩に突っかかったりとか、同期の部員たちに『俺の方が上手くやれる』って豪語したりとかしてたけど。でもそれも少しずつ、いろんな人と知り合っていく中で変わっていって、相手を認めて、尊重して、自分のやり方もちゃんと見つめ直せるようになった。彼を信頼する人が少しずつ増えて、期待されて、尊敬されて、そうして悠は、どんどん輝いていった」

 急に言葉が途切れ、どうしたのかと先輩の方へ振り返ると、智佳先輩は口許を抑えてどこか恥ずかしそうに頬を弛ませていた。

「……やだなあ私、思った以上に惚気ちゃってるね」

 ……相思相愛。羨ましいことで……。

「まゆちゃんもね、多分まだまだ自分の全能感みたいなものを信じ過ぎちゃってると思う。それは決して悪いことじゃないんだけど、要はバランスだよね。正しい用法で自信に変えて、原動力にする。自信がなくちゃ何にもできなくて、でも自信だけでも上手くはいかないから」

 自信。盲信は危ういけれど、確かに原動力になる、そんな、紙一重のエネルギー。

「今のまゆちゃんは、多分とっても危うくて、脆くて、だけど、そんな彼女に――そんな彼女だからこそ、魅力を感じちゃってる誰かがいる。それは例えば悠だったり、私だったり、そして――」

 智佳先輩は俺に向けて人差し指を突き出して、悪戯っぽくはにかむ。

「君だったりね」

 その御姿は、女神的に可愛かった。

「すごく紙一重だけど、魅力的なんだよね、どうしようもないくらいにさ。危なっかしいくらいの勢いで、引っ張ってくれる。私たち演劇部は、ずっとそうだった。悠がいなかったら、きっともっと、味気ないものになっていたと思う」

 演劇部。文化祭公演を思い返す。舞台を見ていて感じた、三年生同士の確かな信頼。ぶつかり合い、理解し合い、築き上げてきたであろう掛け替えのない関係性。

「それこそ多分、涼宮ハルヒって、そういう存在なんじゃないのかな。悠があの作品を好きな理由もよく分かるし、まゆちゃんが好きな理由も、多分それはとっても、悠と似ていると思う。だからこそ、悠はあなたたちを気に入ったんだと思うし、その気持ちが私にも分かるんだよね」

 智佳先輩は、立っていた段差からとん、と軽やかに飛び降りて、

「……あーいうのがさ、案外誰かの世界を変えちゃったりするんだよね」

 全てを見透かすみたいに、誰よりも自分が知っているみたいに、言った。

「だからさ、傍にいてあげてね。ああいうぶきよーな世間知らずは、誰かが傍にいてあげるだけで、全然違うんだから」

 振り返って、智佳先輩は、笑う。悠歩先輩に負けないくらい、素敵な笑顔で、笑う。


「ねー! みんなで写真撮ろうよー! 記念撮影ーっ!」

 智佳先輩が、携帯電話を振りながら、遠くでうろついてる二人に声をかける。

 言いながら先輩は二人の方へ駆け出して、俺も慌ててついていく。


 ――ああ、今日はとっても。

 楽しかった。馬鹿みたいに素直に、そんな風に思った。


 四人、寄り集まって、レンズに映り込む。インカメラを構える智佳先輩。

「ほらー、もっと寄って!」

 どうしても画面の端に居座ろうとする田中真由子――と、俺。きっと写真が嫌いな田中真由子を、見た目が変わってなおのこと気恥ずかしい彼女を、智佳先輩が抱きついて捕まえて、その二人と俺をまとめて抱きかかえるように、悠歩先輩が大きく広げた手で三人をくっつけて――――

「はい、ちーずっ!」


 ぎこちない笑顔で、瞬間は、思い出に変わる。

 掛け替えのない一瞬が、心にも、焼きついて。

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