学祭前夜

1.セキヤ

「俺がお前のキョンになってやる」


 ――いや、なんだよその台詞。恥ずかしいとかってレベルじゃないだろ。痛々しい痛々しいって散々文句垂れながら、どの口が言ってくれちゃったんだよ。おい、マジで。誰にも聞かれてなくてよかったな。忘れ物忘れ物って歌いながら出くわしちゃう誰かがいなくてよかったな!

 無論俺が田中真由子に抱くアンビバレンツな感情はどちらも正しいものだ。しかしそれらが混ざり合った結果、土壇場で導き出された言葉が「俺がお前のキョンになる」だったんだ。ああ、穴があったら入りたい。いっそそのまま埋めてくれ。

 ……だからつまりだ、SOS団的な経験はさ、存外叶わなくないかもしれないってことなんだよ。そのやり方は俺にも全然分からないけれど、でも、少なくとも今のお前じゃ到底掴み得ないから、自分を変えていこうぜって、そういう話なんだよ。


 さて、そんな感じで(どんな感じだよ)俺とあいつの邂逅から絶妙微妙な告白まで、少し長めのプロローグとしてここで一応のひと区切り。季節は五月も下旬にさしかかり、息吹く深緑と夏の気配に少しだけ心を躍らせながら、クラスメイトたちと薄皮一枚分ほどの距離を感じつつも、初めての中間試験をなんとかやり過ごした俺であった。

 しかし一安心もしていられない。何故なら我がSSS団団長を取り巻く現実の諸問題は何も解決されていないからだ。

 彼女が心変わりしたところでいじめ紛いの行為が止まるわけでもなく、彼女の評判がすぐさま回復するわけでもなく、そしてなんといっても、その社交性が改善されたりするわけではないのである。あいにくこの世界は都合よく他者が背景になってくれたりはしないし、俺とあいつの関係性が世界の行く末を左右したりなんかもしないのだ。

 諭した程度で変われるのなら中二病なんてものはWHOがとっくに撲滅宣言を出していていい頃で、しかし実際のところそう上手くはいかないのがあの病の厄介なところである。

 治療には根気と時間と「気づき」が必要なのであって、その「気づき」とは即ち、自分は特別な存在ではないのだと気づくこと、特別でなくとも出来ることはいくらだってあるのだと気づくこと。それは少しも諦めなんかじゃなくて、新しい視点で自分自身の世界を見つめ直すということ。――で、あると思うのだけれども、思ったところでなかなか実行には移せないのは俺自身だって変わらないのである。


 ――俺の教室クラスにハルヒはいないが、ハルヒになりたい〝いたいけ幼気/痛い系〟な少女ならいる。

 そう、彼女の名こそ田中真由子。そのどうにもパッとしない名前に見合う容姿を兼ね備えた、どうにも残念な高校一年生。ズボラでちんちくりんでぶっきらぼうで、そしてどうにも危なっかしい、生意気な小娘だ。再三言うが全国の田中真由子さんに対しての誹謗中傷ではないので、悪しからず。

 疾走する思春期のなんとやら。彼女は今日も憂鬱を情熱に変換し、抑えられない衝動や焦燥で小さな身体を駆動させる。けれどその行動は大抵空回りし、暴走の果てに余計な誤解と軋轢を生んでは、泥沼に自ら突っ込んでいくのである。


 …………はあ、変わってねえ。


 SSS団が結成されてしばらく経った。俺がお前のキョンになる、だなんて思わず言ってしまったはいいが、その言葉をどう捉えたのかあいつはこれまでとほとんど変わらないような毎日を過ごしている。サッカー部三人に対しても以前に増して、ほとんど対立するかのように力強い睥睨で対抗している。だからそういうことが言いたかったんじゃねぇっての。

 嗚呼、SSS団。総勢二名の中二病集団。ここらでいい加減、その正式名称を公表しようではないか。


『退屈な世界の憂鬱を吹き飛ばす超革命的高校生集団』


 ……うん。SSS。これでSSSなんですよ。「世界」のS、「超=Super」のS、「集団」のS。団は最後にまるまる使われているので、正式には「退屈な世界の憂鬱を吹き飛ばす超革命的高校生集」だ。

 もうちょっと上手いネーミングがあるだろう。200人がその名称を聞いたら200人がそう思うに決まっている。

「退屈」にSなんて入らないしローマ字表記なのか英語変換なのかも統一されていないし、第一だらだら長すぎて締まりがない。ああ田中真由子、お前ってやつは本当に……。あいつの本棚に『超革中』なんてあったっけなあ。


 SSS団、一応は取ってつけたように、団長の趣味であろうサイキックや世紀末思想やUMA、UFO、オカルト、陰謀論なんかが話題になるけれど、それが主な活動内容なんかでは決してなく、あるはずもなく、期待しているのはやっぱり結局、「変な部活で楽しい青春を送りたい」ってことなのだろう。



「……よし」

 昼休み。覚悟を決めて立ち上がる。田中真由子に一言告げて、向かう先、廊下側前から三番目の机、集っている三人。――緊張している。鼓動が速くなる。それでも。ここで俺ははっきりと、自分の気持ちを伝えて、誤解なく、すれ違いなく過ごせるようにしたいと思うから、だから、まずは―――。

「なあ……三橋、」

 ゆるりと机を囲んで、弁当箱を開いている三人組。


 三橋、森田、渡辺。このクラスで、俺が仲良くなった三人。


「…………ん、どうした」

 特別何ともないように、しかしどこか気まずいように、三橋が返事をした。

「その、なんというか……」

 ふと田中真由子に目がいった。椅子に座って、弁当箱を手にしたまま、俺を待つかのようにこちらを見ている。

「俺は今後とも、お前らと仲良くしていきたいと思ってる」

 ……いろいろと端折りすぎただろうか。でも、「関わりにくい人間になってしまって申し訳ない」だなんて、そんなこと言うのもどうなんだろう。


 三橋は間の抜けた表情でしばし固まる。やがて止めていた息を吐き出すように小さく笑ってから、いつもと変わらない調子で返事をした。

「なんだよびっくりした。しんみょーなカオで迫ってくるから何事かと思ったよ」

 三橋は箸を掴んだ右手をふらふらさせながら、椅子の背もたれに背中を預ける。

「あんま気にしてねぇよ。や、ちょっとは気にしたけどな」

 そう言って三橋は、にっ、と笑う。心のつっかえが、外れた気がした。

「……これからもあいつと飯食うのか?」

「そうなるかも」

「はは、トモダチいねーのかよ、アイツ」

 それは決して皮肉る口調ではない。からりと、柔らかく呟く三橋。

「そうなんだよなぁ。困ったもんだよ、ほんと」

「たまには一緒に食えるようにさっさと誰かあてがってやれよなー」

「それができたら苦労しねぇな」

「舜くんはさ、寂しいんだよ。俺たちよりあいつの方がいいのかー、ってさ」

 森田少年が笑って言う。舜とは三橋の下の名前だ。三橋は慌てて、森田の肩を小突く。

「おい、ばか、そういうのやめろ」

「……ありがとな、三橋。森田もナベさんも、これからもよろしく」

「おう」

 三橋は照れたように言って続け様、

「なあ、ところでどうしてそこまでしてあいつと関わろうとするんだ? 変な勧誘にまで付き合ってよ」

 素朴な疑問を投げてくる。

 三橋以外の二人も俺に注目している。何故かって? だって、そう、それは――

 俺は言う。息を吸い込んで――端的に、簡潔に、素直に。


「好きだから」


 三人は同時に目を見開く。

 あの時石川に言えなかったこと。言い淀んでしまったこと。なんだか恥ずかしいことのように、後ろめたいことのように思えたからだった。でも今は違う。あんな風にこっ恥ずかしい宣言をしてしまったことももちろんある。でも、それ以上に――。

 俺はあいつの隣に居たい。好きになった相手に、笑顔で過ごしてもらいたい。それが、偽りない俺の気持ち。うん、きっと、そうなんだと思う。


「……うん、まあ、薄々感づいてはいたけどな」

 三橋はどこか諦めたかのようにニヤつく。

「面白いこともあるもんだね」

 とナベさん。

「いいと思うなぁ、うんうん。恋かぁ」

 と森田少年。

「残念系男子高校生かよ」

「世間的に見りゃあそうかもな」

「俺からしたら正直めっっっっちゃ面白いけどな」

「そのくらいに思ってくれる方がありがたいよ」

「でも、そうやってズバっと言えるの、カッコいいよ」

「高校生だもんな、愛とか恋とか……いいねぇ」

 何事もなかったように、言葉は飛び交う。


「ところでお前、あいつのどこが好きなんだよ」

 三橋がニヤニヤと、顔を近づけて、声量を抑えて尋ねてくる。懐かしいこの感じ。じわりと、暖かいものが心に広がる。しかしそんな些細な幸福は表情に出さず、俺は三橋から顔を引く。

 はて、好きなところ、好きなところ……。

「あ――、えっと」

「セキヤ」

 言いあぐねていると背後から、俺の名前を呼ぶ声。

 ――田中真由子である。

 どうやらお待ちかねらしい。三橋は彼女の登場に一瞬驚いた表情を見せる。話を切り上げ、「お幸せに~」と俺にだけ聞こえるくらいの声量で囁いて、いやらしく手を振った。

「ごめん待たせた。……じゃあ、そういうことで」

 結果として難を逃れた。相変わらず気難しそうな田中真由子と連れ立って、三人の元を後にする。心が軽い。ああ、大丈夫、俺は上手くやっていける。


 そして、ここでようやく出てきた俺の苗字。セキヤ。漢字にすると関彌。特に特徴的なあだ名なんかがあるわけでもなく、あだ名で呼んでくれる可愛らしい妹もいたりはしない。


 そうです、「アンタ」から「セキヤ」に、昇格です。

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