10.キョン
放課後の教室。ゴミ箱に突っ込まれた教科書やノートを取り出して、埃を払う田中真由子。
何がどう転べばこうなるのかは分からない。それでも、こんな段階まできてしまった。
膨れ上がった無邪気な悪意に晒される田中真由子。
どうしようもなく、惨めだった。
「こんなことで、私は諦めない」
何を言っているのかよく分からない。諦めないって何だ。勧誘活動のことか。別に勧誘に対する妨害ではないと思うのだが。
「凡人に、私たちのことなんて理解できない。あんな奴らと接しようだなんて、お友達になりましょうだなんて、上手くやっていきましょうだなんて、イカれてる」
さりげなく例の連中とその他クラスメイトを一緒くたにしてないか? それはお前に友達がいない言い訳にはならないと思うが。〝私たち〟って括りにも異議ありだ。
「そうやって馬鹿にして、自分の理解できないものを見下して――」
……やめてくれよ。もう限界だよ。
「夢を見ることの何がいけないの。できっこないって、叶いっこないって、妄想だって、誰が決めたの。なんでそう言い切れるの。馬鹿にされる筋合いなんてない。間違っているのはあいつらの方。腐っているのはあいつらの方。貧しい想像力。下劣なクズ共。あいつらみたいな人間がいるから、いるから、この世界は、この世界は――っ!」
「――違う、違うよそれは。そうじゃないんだよ」
夕暮れ、ふたりきりの静かな教室で、俺はいい加減、口を開いた。
田中真由子は目を見開いて、有り得ないという表情でこちらを見つめる。
「……なに、何が言いたいの」
「お前が間違ってる」
俺は言う。ああ、俺は言うさ。単刀直入にね。
「――なに、なんなの、アンタは私の味方なんじゃないの?」
味方。別に味方になった覚えはないんだが。
「まあどちらかと言われればそうだな。それは間違いないよ」
「なのになんで? 何で口答えするの」
「口答え? 結構な言い分だな。味方は何でも言うこと聞いてくれるのか?」
「…………」
「俺は少なからずお前の想いに賛同してSSS団に入った。――俺だって、正直夢見がちなやつだよ。なんだかんだ言ったって、宇宙人も超能力も、サンタクロースだって信じているからな。ああそうさ、今だって、自分の生まれる前や、あるいは幼い頃にどことなく真実味を帯びていたようなオカルトチックな想像力を、愛してやまないさ。……でも、それらを信じる信じないと、お前の行動が痛々しいこととは、関係ないだろ」
彼女は黙った。両の握り拳に力が込められているのが分かる。
「いい加減気づけよ。確かに悪いのはあいつらだ。卑しい所業だ。でも、そうされるきっかけはなんだ。それはお前自身の振る舞いだろ。特別でありたいために、〝普通〟を見下すのは、多分間違ってんだよ」
俯いて、肩を震わせる。どうしようもなく華奢なその体つきは到底、無尽蔵のエネルギーを秘めたハルヒのそれなんかじゃない。どこにでもいる、平凡な――
「……超常現象もない、宇宙人も、未来人も、超能力者もいない……異能はなくて、異世界への道は何処にもなくて、終末預言はことごとく外れて、奇跡も、物語も、夢も、希望も、何もない、つまらない世界、色褪せた世界」
田中真由子はぽつりと呟いた。
「そんな世界で、くだらない馴れ合いや、中身のない会話を繰り返して、何になるっていうの?」
――おそらく、それがきっと、本心なのだろう。
「誰も私のことなんか理解してくれなかった。楽しいのはいつも小説の中だけ。アニメの中だけ、漫画の中だけ。どこにも居場所なんてなくて、だったら、自分で作る他に、選択肢なんてないじゃない」
「……じゃあ、お前は、そう言ってみんなと違う道を選び続けて、素晴らしいものに出会えたのか? 心躍る経験ができたのか?」
「…………」
「お前がくだらないと言って捨ててしまうもの、見下してしまうものは、本当に価値のないものなのか? その立ち振る舞いは、本当に正しいのか? 誰からも笑われたりしないのか? そうやって逃げ続けて、理想だけに閉じ籠って――その憂鬱は晴れるのか?」
彼女のような人間にとって、それはあまりにも無慈悲で、冷酷で、不条理で理不尽な現実。
神様も残酷だな、と思った。もしも神様なんてものがいればの話だけれど。
――ただな、でもさ、違うんだよ。結局さ、残酷でも、そうじゃないんだよ。
「なぁ」
ハルヒを読んで、お前は何を想う? 何を感じる? 宇宙人や未来人や超能力者に憧れながら、ハルヒが楽しんでいるのは何だ? それは当たり前の日常だ。彼女にとっては、異能も世界の危機もない、それに不満を抱きつつも、ありふれた普通に最高な青春だろう。偶然か必然か、集った仲間と一緒に過ごすのは、何気ない高校生活だ。ハルヒはさ、俺たちとおんなじような人生の、高校生活の、青春の楽しみ方を知っているんだよ。できるんだよ。しているんだよ。
そんなことはさ――ハルヒが大好きなら分かるだろう。彼女はただ、超常に宙吊りになった〝日常〟の中で、普通の青春を送っているんだ。少なくとも彼女にとっては、さ。そうして『消失』で、大人になった朝比奈さんが言うんだろう。そんな楽しい毎日も、「終わってしまえばあっという間だった」って。
分かっている。お前が宇宙人未来人超能力者だなんだと喚いて、その先で求めているもの。
だって、お前が求めるものは、それは――きっと俺だってほしいと願っているものだから。
だから、だからさ――――
この世界には、長門も、朝比奈さんも、古泉も、キョンだって、いないよ。いないさ、いるわけないさ。
それでも、それでもだ。不器用で、平凡で、大した取り柄も無いお前がどうしても、どうしても涼宮ハルヒになりたいというならば、せめて、せめて俺は――――
俺が。
「俺がお前のキョンになってやる」
「……は?」
「だから、変われよ、お前自身が」
「……何、それ……」
田中真由子はゆっくりと顔を上げた。睨みつけるようないつもの目、でもその奥にはふっと、少しだけ、いつもとは違うやわらかさが、見えた気がした。
「平凡な一介の高校生でしかないことを、まずは認めろ。その尊大で傲慢な態度を改めろ。――そして一緒に、最高のSSS団にしていこう」
破れかぶれかもしれなかった。それでも、虚勢を張る。俺にはこんな方法でしか、お前に力を貸してやれない。力を貸すだなんて、ヒーロー気取りかよ手前は。カッコつけんじゃねぇよ。そんなんが本心じゃないだろうが。
「…………意味、分かんない」
――そう、俺は、その愚かで痛々しい夢や希望を、存外信じちゃったりもしているんだよ。だって、その方が楽しいじゃないか。宇宙人や未来人や超能力者がいなくたって、楽しい青春は送れると思わないか? お前や俺が望む高校生活を、描いていけると思わないか? 楽しい日々を、堅実に作っていこうと思わないか? なあ、楽しいことってのは何も、UFO襲来、世界の終わり、超能力発現、異能大戦、異世界転生、そんなことだけじゃないんだ。
退屈をぶっ飛ばすのはきっと、俺やお前の想像力や、行動力なんだよ。
「……あるいは、ジョン・スミスだな」
「……同一人物じゃん」
田中真由子が、袖で顔を拭って、悪態をつく。そして少しだけ――笑った。
ああ、そうさ、俺はただ、この田中真由子が生きやすく、過ごしやすい学校生活を、あるいはまさに気恥ずかしいこの言葉――〝青春〟を、送ってほしいと思うだけなのだ。不器用な、痛々しい、憐れなこの少女に対して、そんな風なことを思ってしまうのだ。
随分と上から目線じゃないかって?
違うんだよ、そうじゃないんだよ。そうじゃなくってさ……――
だって、まあその、つまり、つまりだな、俺は、その、割と、気に入ってしまったんだよ。
最初から、あの日から、あの一言から、この田中真由子のことを。
早い話、普通に一目惚れだったのさ。
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