5.席替え

 入学して三週間も経つ頃には、ある程度クラスの関係性、それぞれの居場所、部活、所属なんかは出来上がっていた。

 いわゆる「クラス内カースト」のようなものも、緩やかではあるがなんとなく形成されていて、しかしそれは決して教室を息苦しくするようなものではなく、要はサッカー部やバスケ部の男子や吹奏楽部の女子を中心に発言した時のリアクションやら言語化できない絶妙な信頼感みたいなものに差があるという程度の話だ。

 そのカーストの基準にはもちろん容姿のレベルも含まれていて、やはりクラスの中心で晴れやかにしているのはイケメンや美人たちなのである。残酷な現実ではあるが彼ら彼女らも普通にいい人たちだし特別不満もない。

 なおこのクラスで最も発言権を持つのは意外にも狭山だ。映研所属だがその立ち回り方は実際カリスマを感じるよ。

 高校生だからなのか、あまりそういった格付けによって誰かを除け者にしたり貶めたりするような空気はなく、俗に言うオタクな人たち、あまり存在感のないような地味めな人たちも、それぞれの趣味に合う相手を見つけ楽しそうに過ごしている。

 そうなのだ。もうむやみに感情的に排他的になったりする季節は過ぎ去った。それぞれの個性を認め、尊重しながら、上手く社会を生きていくことができる年齢なのだ。人前に出しては多少問題があるような痛々しさはひっそりと隠しておく、時と場を考えて自分を表現する、そうやって普通に過ごしていれば何の問題もない。このクラスは仲が良く、平和的だ。

 だからこの教室で孤立しているようなやつなんて、一人もいやしない。


 ――――いや、一人だけいた。

 田中真由子だ。


 差し出してくれる手を払いのけ、かけてくれる言葉に耳を塞ぎ、自らの〝崇高な何か〟のために他人を見下す。あやつの孤立の原因は、大方彼女自身にあるというのが俺の見解であり、それはほとんど間違っていないように思う。

 決していじめなどの深刻な実害を被っているわけではないはずだ。しかし迷惑がられ、呆れられたりしているのは確かなことで、安直だが当事者だったら結構辛い気持ちになる「あだ名」が流通しているらしいことも耳にした。あだ名の発祥はこのクラスではないらしいが、他クラスから波及したというだけあって、彼女の存在は既に学年全体に緩やかに知れ渡っているようだった。


 しばらくは出席番号順で生活していくという担任の方針によって、入学から一ヶ月ほどは後ろに田中真由子がいる席で過ごした。その間、幾度もコミュニケーションを図ろうと試みたが、結局まともに取り合ってもらえたのは機嫌がいい時だったのか興味のある話の時だったのか、とにかくそうそう回数があるわけでもなかった。その間にも他のクラスメイトたちは互いに親密度を増していき、早いところではなんと彼氏彼女の関係に発展している者たちもいるようだった。浮かれやがって。ちなみに俺も、中学からの同級生、三橋の社交性に恩恵を受けつつ、森田少年やナベさんと昼食を囲むくらいの関係性にはなった。

 クラスメイトはもうほとんど田中真由子に関わることはなくなっていた。そりゃあそうだ。自ら壁を作り奇行じみたことを繰り返す彼女と関わろうだなんて、普通の人間ならまず考えない。一部の心優しいクラスメイト、あるいはそういった類の偏見を持たない者たちがクラスの一員として彼女と接しようとしたことは何度もあったのだが、あいにく田中真由子の方がおそらくそんな連中を見下していて、コミュニケーションがまともに成り立っている光景なんて見たことがなかった。自分で首絞めてどうすんだよ。普通にしていれば普通の生活ができる、それはおそらく間違いないのに、一体何を求めているんだ、お前は。


 思えば、涼宮ハルヒの救いは、本当に未来人や超能力者がいたことだ。――とはいえ、フィクションの物語にそれを言ってしまえば元も子もない。

 つまり、現実問題として、ハルヒの救いであったのは、容姿がものすごーくよかったこと、おそらくそれに尽きるのだろう。

 田中真由子。涼宮なんかじゃもちろんなければ、朝比奈でも小鳥遊でもナントカ院でもル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールでもない。田中。その名前が象徴してしまうかのような、これと言った特徴のない顔つき。ああ、なんて失礼な物言いだろう。全国の田中真由子さん、本当にごめんなさい。あなたたちに対して誹謗中傷を行っているつもりは全くないのですけれども、ただ、それでも、俺のクラスにいるこの田中真由子に限っては、やはり並、という言葉が相応しいといって差し支えない、少々残念な少女なので御座います。

 例えば、例えばだ。ハルヒのような思想に魂の芯から染まっていたとして、宇宙人や未来人や超能力者との邂逅を心から望んでいたとしても、おそらく周りと上手くやっていくことはできるだろう。あの自己紹介をどうしても真似したいのならば、その最後に「っていう台詞、分かってくれる人いたら仲良くしてくれると嬉しいです」とおどけてみせるだけでいい。それだけで印象は随分と変わったはずだ。

 しかし、森田少年の言う通り、そして観察して把握した通り、彼女は人との――いやおそらく〝ただの人間〟とのコミュニケーションを蔑ろにしている。何を以て自分が格上だと見做しているのかはこれっぽっちも理解できないが、とにかくそうなのである。



「それではお待ちかね……だね。席替えをします」

 担任が特別感慨もなく言った。その言葉にクラス中が沸く。率先して囃し立てるのは狭山。すっかりお調子者ポジションを不動のものにした。

 イケメン石川の彼女佐原は「彼の隣がいい~」とかなんとかぶつぶつ言っていやがる。特に恨みもないし石川ともそれなりに話す仲になったけれど、お前らは窓際最前列と廊下側最後列に分断されてくれ。俺が愉快だから。


 しかし、田中真由子と離れてしまうのは少々残念だ。だって未だ、まともにコミュニケーションを取れた試しがないのだから。ここ一ヶ月、彼女はほとんど誰とも会話をしていないように見えるのだが、一体全体どんな気持ちで学校生活を過ごしているのだろう。心細くなったりはしないのだろうか。実は普通の高校生活に憧れていたりはしないのだろうか。

 入学の段階ではフラットな関係性なのだから、別に手遅れでもなんでもなかったはずだ。最初の自己紹介を「東中出身の田中真由子です。趣味は読書で、特に『涼宮ハルヒ』シリーズが大好きです。これからよろしくお願いします」とかなんとかにしておけば、その容姿的にクラスの中心になれなくとも共通の趣味を持つ友達ができたり、果ては彼氏とかもできたりして楽しい青春を送れたかもしれなかったじゃないか。

 どうして彼女はあのような自己紹介を行ったのだろう。何よりもまず考えられるのは単純に、涼宮ハルヒに憧れているから、ということだ。森田少年に聞いたところ実際に出身中学が東中だったというのは幸か不幸か彼女を調子に乗らせてしまった可能性も無きにしも非ずで、加えてここは県立北高。北高。まさかとは思うがあやつ、この名前だけを求めてここに進学したのではないだろうな……なんて、ここまで決めつけるのはさすがに失礼が過ぎるが、とはいえそういった単なる偶然を自分の都合や興味関心と結びつけるのは人間の性質であり、そんなものを時には運命だとか奇跡だとか言ったりもするのである。

「ん……11番」

 思索の最中に行われた窓側最前列vs廊下側最後列のジャンケン勝負に片が付き、一番の相澤から出席番号順に、席番号の書かれたくじを引いていく。回ってきた自分の番、ポリ袋からつまみ出した紙に書かれていた番号は11。

 黒板を確認すると窓際から二列目、後ろから三番目の席だった。さすがに「窓際後ろから二番目、真後ろには……」なんていう王道ポジショニングはないか。さて、名残惜しいがこれにてさよならだ、田中真由子……。


「……おお?」


 ところがどっこい田中真由子と隣の席になった。彼女は俺の右隣、つまり窓際から三列目の後ろから二番目。窓際二列は縦七人、それ以外は六人の配席となっているため、ちょうど隣の席だ。補足しておくと彼女は席替え前と席替え後で場所が変わっていない。なんだかちょっと可哀想な気持ちになった。彼女はしきりに窓際最後列の女子生徒にきつい視線を送っている。分かるよ、俺には言いたいことがよく分かる。

「また近くだな、よろしくな」

 そう声をかけたが無視された。



 席替えをして田中真由子が隣になったことで、それまでよりもより話しかけやすくなった。右側を向くだけでいいというのは所作的にも気楽で、周囲の席にとりわけ親しいクラスメイトもいないため、何かあるとつい田中真由子に声をかけてしまう。

 その度に彼女は気難しい表情を見せるのだが、三日目くらいにもなる返答率も七割近くになった。喜ばしい進展だ。やっとここまで来たのだ。まあ理由としては彼女もまた周囲に話す人間がいないからなのだろうけれど、入学してもう一ヵ月は経とうとしているのにそれもいかがなものかと思うぜ。

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