6.SSS団

 ある日の一限目。なにやらそわそわしている彼女に気がつく。両手を小さくぱたぱたさせながら、無言で机やリュックの中を覗き込んでいる。周りのクラスメイトは皆ノートを取っているのにも関わらず、だ――ああ、なるほど。つまり彼女は筆入れを忘れたのだった。

 探し物がないと結論づけた彼女はしかし、周りの席の誰にも声をかけることなく腕組みをしている。

 いや、かけられないのだ。ここ一ヶ月で作ってきた壁――作ってこなかった関係性の前に、彼女は立ち尽くしている。偏屈なプライドのせいで人に鉛筆すら借りることもできない。再三言うがそれはどう考えても、田中真由子が悪いのである。


「ほらよ」

 予備のシャープペンシルと消しゴムを彼女の机に差し出す。

「ん……」

 彼女は文房具に視線を落とす。一瞬の間を置いてそれを手に取り、板書をし始める。

 こら。黙って受け取るんじゃないよ。そういうところが駄目なんだってば。


 結局シャーペンや消しゴム、二限以降は赤ペンも、一日彼女に貸し続けた。


 放課後。彼女はなにやらもじもじと躊躇いがちに、俺の席の真横に立つ。

 座ったままの俺の目の前に筆記用具一式を差し出し、引っ込めた右手はどこか所在なく宙を泳ぐ。


 ややあって、眉間に皺を寄せながら田中真由子は口を開いた。

「あの、さ」

 一呼吸の間。覚悟を決めたように表情はきっ、と鋭くなり、そして放たれる一言。


「今から、家に来なさい」


「は……?」

 意味が分からなかった。

 半開きになった口に捻じ込まれるは、意味不明な言葉の追撃。


「作戦会議」


 明日から始まる大型連休の予定を語り合うクラスメイトたちを横目に、田中真由子と昇降口へ向かう。春もすっかり過ぎ去って、季節はすっかり初夏。外はまだ太陽が眩しい。

 聞くところによると彼女はバス通学だが、バスの時間までややあるらしく、歩いて帰ると言い出した。俺は自転車通学なので愛車を手で押しながら連れ立って歩いていると、学校前の坂道を下りきったあたりで荷台に乗せろと言い出した。

「……マジで言ってる?」

「なに? ……嫌なら別にいいけど」

 目を逸らしながら、どこか歯切れ悪く、しかし強気な口調で彼女は言った。

 こいつ、距離感が謎すぎる。ついこの間までシカトばかりだったじゃないか。

 特に断る道理もないので彼女を荷台に乗せ、住宅街へ向かう。五月の風は爽やかに涼しく、新緑を楽しみながら風を切って漕いでいくのは心地が良い。

 思えば女子との自転車二人乗りなんて初体験なわけであるが、そんな貴重な経験が、この、間違った方向に高飛車な田中真由子だというのは一体どうしたことだろう。

 彼女の案内に従って、自宅に辿り着く。目的地までの道程での会話を要約するに、どうやら家に誘ったのは彼女なりの感謝の表明だったらしい。分かるかよ。いろいろ行程すっ飛ばしすぎなんだよ。長門か。いい歳した女子が男をいきなり家に誘うかよ。……行くけどさ。


 田中真由子の自宅は市営アパートの一室だった。黄色い外壁はそこそこの年季を感じる。電気の消えた静かな宅内に一声挨拶をしてから、玄関上がってすぐ右手、彼女の部屋にお邪魔する。

 入ってすぐ圧倒してきたのは、壁際の巨大な本棚にびっしりと並べられたライトなノベルたちだ。なるほどなるほど、名作なんかひとしきり揃っているようだ。おお、『妖精作戦』もあるじゃないか。こいつなかなか分かっているな。


 部屋の半分は弟のスペースらしかった。

 年頃になっても個室が与えられないその現実が、妙に生々しく映える。

「弟は遅くまで部活だから、くつろいでくれて大丈夫」

「あ、おう。弟さんは何部なんだ?」

「野球」

 そう言って田中真由子は部屋を出た。


 主のいなくなった部屋をぐるりと見回す。年季の入ったくすんだ壁。二段ベッドに机ふたつ、そして巨大な本棚。窮屈そうな部屋。事実、窮屈だ。

 なんとなく部屋が暗いので、失礼しますと一声呟いて、レースカーテンを開く。


 ――きょうだいとか、いんの?

 ――弟。

 ――お、そうなんだ。いくつ?

 ――中二。

 ――ふーん。両親の仕事って何?

 ――母は市の職員。父親は知らない。小学校入る前後くらいには離婚してたし。

 ――あ……そっか。訊いちゃいけなかったかな。

 ――別に。もう何とも思ってない。覚えてる記憶も大してないし。


 カーテンを開いた窓の先、畑が広がるのどかな風景をぼんやり眺めながら、ここに来るまでに交わしたやりとりを思い返す。

 彼女は母、彼女、弟の三人で暮らしているらしい。両親は幼い頃に離婚し、今は母が一人でなんとか、一家の生計を立てているのだという。

 居た堪れなくなるほど、現実的だった。夢見がちな少女は、どうしようもない平凡を抱えていた。心臓のあたりが、ちくりと痛いような気がした。


 田中真由子の憂鬱。どこまででも憑いてくる憂鬱。


 例えば俺が元痛々しい中二病患者で、今なおオタクとリア充の狭間で葛藤しているような男だったのなら、屋上に建てた神殿に籠城する世界と折り合いをつけることのできない哀しき電波少女に為す術ない学校中でただ一人、最強の戦士として彼女を救いに行けるように、田中真由子の世界を少しだけ拓いてあげることができたのかもしれない。けれどおあいにくさま此処は現実で、俺は特にトラウマも悲哀もありゃしない、悔しいくらいに「ただの人間」だった。そんな俺に、そんな俺には――。


 思考は近づいてくる足音に中断される。扉側へ振り返ると、田中真由子が単色のプラスチックコップに麦茶を入れて戻ってきた。

「ん」

 ぶっきらぼうにコップを突き出す。受け取って礼を言う。

 麦茶を飲んで一息つく。改めて本棚を見上げて、素朴な感想が思わず漏れる。

「すごい本の数だな。俺こんな持ってねーわ」

「北高で一番本を持っている自信がある」

 ふふん、と鼻を鳴らす勢いで、どこか自慢げに返事をする田中真由子。

 なんや知らんが学校とは雰囲気が変わり、やけに陽気だ。会話も普通に成立した。


 にしてもまた痛々しい自信だ。だがそれを口には出さない。それに事実、ライトノベルだろうが何だろうが、好きなものを突き詰めているやつは尊敬できるのだと、素直に思う。


「今日来てもらったのは、提案があるからなの」

 麦茶のコップを、いかにも小学校入学の時買ってもらいました然としているシステムデスクの上に乗せてから、一呼吸置いて田中真由子は言った。


 提案。作戦会議という学校での言葉からして、何となく想像はつく。というかそれ以外思いつかない。おそらく、おそらくそれは、

「SSS団というのを、結成したいと思って」


 どストレートすぎて眩暈がした。


「その団員として、あんたを招待してあげる」


 奉仕部、隣人部、スケット団、ナントカ同好会にナントカ生徒会、

 そして究極、SOS団。

 そんな集団に憧れる気持ちは、俺にもよく分かる。何故か都合よく金持ちがその組織内に一人はいて、夏休みは別荘に行ったりだとかそういう経験ができたりするんだよな? 映画を撮ったり生徒のお悩みを解決したり、いろんな部活の助っ人をしたりして、文化祭とか修学旅行を楽しんだりするんだよな?

 ああ、分かる。分かるよ。お前の望むその情景が目に浮かぶようさ。

 招待してあげる、だなんて、これまた随分と――……


 嗚呼。

 部活を作る――SSS団。

 お前は本当に、探したいのか? 宇宙人や未来人や超能力者を。

 世界を、大いに、盛り上げたいのか?


「……そのSSS団は、一体何をする集団なんだ?」

「入ってくれたら教える」

「は……?」

「重要機密事項だから」

「……じゃあ、何の略称?」

「それも機密」


 彼女越しに目に飛び込む本棚。上から二段目にきっちりと並べられた涼宮ハルヒシリーズ全巻。『驚愕』の初回版特典冊子もちゃんとある。隣にはアニメシリーズのDVD。劇場版だって、キャラクターソングCDだって、揃っている。


 俺はもう、なんだか、胸がいっぱいだった。


「……ああ、いいよ、分かった。入ってやる。そのSSS団とやらに、加入してやるよ」

 その返事を聞いた途端、彼女の顔は、ぱあっと明るくなった。初めて見るその表情。


 なんだよ、ちゃんと笑ったり、できるんじゃないか。

 そして、彼女の口から、おそらく自然と、零れる言葉。


「ありがと」


 ありふれたその言葉だって、ちゃんと言える。

 多分、根っこはどこまでも、普通の少女で――。


 そんなわけで、俺と田中真由子。この二人で、活動内容も正式名称も不明なSSS団は、大したドラマもなく、結成されたのであった。

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