4.コスプレ喫茶

「じゃあ進行お願いね」

 本日、木曜日の最終限はロングホームルームとなっている。今週は、事前に考えておくようにと伝達されていた文化祭クラス発表のアイディアを出し合う時間に割り当てられていた。さっそくイベント事なのである。

 北高の文化祭は体育祭と併せて六月に行われ、文化部の三年生はこの文化祭での発表を以て引退の運びとなるのが通例らしい。

 担任は四月当初に決めた文化祭委員の二人に進行を投げ、「あとは生徒の自主性に任せました」と言わんばかりに我関せずと何らかの書類作業をし始めた。


「というわけでじゃあ……」

 男女一人ずつの文化祭委員が、教壇上から未だ打ち解け切ってはいないクラスを見渡しつつ進行を始める。片割れの男子生徒、吉田くんが場慣れしていない様子で口を開いた。

「何か考えてきた人いたら発表してください」

 捻りも何もないストレートな発言だが、そう言う他ない。彼の隣で女子生徒、木村さんは白いチョークを持って黒板を向く。


 しばらく互いが互いの出方を伺うような居心地悪い静寂。担任がペンを動かす音だけが聞こえる。そもそも出し物内容をクソ真面目に考えてきた人なんていないのではないだろうか。運動部の連中なんて文化的な発表に大して興味があるとも思えないし、まだ互いを理解していない状態で何か協力作業をしようだなんていうのも気が進まない事のように思える。漫画やアニメの文化祭だったらそりゃあまぁいろいろと楽しい展開になったりもするわけだが、現実的に考えたら無論そんなことを提案するような輩はいるはずもなく、

「あ、はい、じゃあ田中さん」

 吉田くんが俺のちょうど真後ろ辺りを見ながら言った。おそらく挙手が行われたのだろう。田中。――田中姓はこのクラスにただ一人しかいない。


 背中を伝う悪寒、ただならぬ出来事の予感。心拍数がいやに高まる。

 ガタッ、と、椅子が引かれる音がする。首も動かせないまま、俺は聴覚に意識を集中する。握り拳に力が籠る。田中真由子は立ち上がった。そして――――


「コスプレ喫茶」


 教室中が凍りついた。まさに言葉通りに凍りついた。完全に沈黙。木村さんはチョークを持った右手を空中で静止させたまま、田中真由子を茫然と見つめていた。

 視界に入ったクラスメイトも皆、固まっていた。ある者は真顔になってこちらの方を向いている。俺と目が合った男子生徒、まだ喋ったことのない相手だったが意思疎通は容易に行われた。憐みのアイ・コンタクト。


「………………」

 さあて本題だ。ちょっと待てよ田中真由子。言うかそれを。本当に言ってしまう奴があるか。本当にできると思っているのか。衣装の準備はどうする? 買うのか? 作るのか? 発案者として責任持ってリーダーシップを取れるのか? 協調性など未だ見たことのないお前が? ところでお前も何か着るのか? 容姿に気も使わないお前がか?

 ……御託はいいか。ずばり一言だ。その意見が通ることはきっとない。

 まあ男子の何人かは賛同もするだろう。容姿の優れたクラスメイト女子のコスチューム姿を合法的に拝めるとなれば歓喜の嵐だって校庭のちっちゃな竜巻くらいにはなる。

 しかし、しかしだ。いろんなことを鑑みた結果、「ま、それはそれとして」と早々に割り切って諦める。そんなことを本気で実行しようとする者なんて誰もいない。女子たちだって見世物になって羞恥を極めたいなんて思ったりはしないだろう。容姿に自信がない者だっているはずだし、他人に注目されることを好まない人だっているはずだ。そんなことに思い至れば、冗談半分で言うことはあっても提案なんかしないだろう。

 それなのに……まさか本当に言ってしまうとは思ってもいなかった。こんな風に大多数の注目が集まってしまう場ではなんだかんだ大人しく黙っているものかと思っていたよ。そもそもだ、まあイケメンの石川(サッカー部)あたりが言うんだったらギャグにもなるよ。あるいはそれこそ狭山とか、ああいうお調子者が提案して、女子に「きも~い」って言われる、その発案は実行に移されることはなく、クラスで笑いを取るだけに終始する。そういうのが正しいんだよ。兎角それを提案するのはお前じゃない。お前だとマジすぎて笑いも起きないんだよ。


「えー、あ……輪投げ!」

 どこかから沈黙を破る声。――狭山! 狭山だ。輪投げなんてアイディアもどうかと思うが、コスプレ喫茶よりはよほど現実的だ。何より凍りついた空気を上手いこと融かしてくれた。やはり狭山みたいな性格の人間はこういう時本当にありがたい。

「射的!」

 狭山が言葉を継ぐ。教室の空気が弛緩する。何故俺がこんなにほっとしているのか分からないが、とにかく一安心だ。田中真由子の痛い提案も上手い具合に流れた。

 教室のざわめきの隙間から、田中真由子が着席する音がする。振り返ったりは、しない。

 黒板にコスプレ喫茶、輪投げ、射的と書き込まれた。


「他、どうですかね?」

 結果として発話しやすくなった教室の空気。ぽつ、ぽつとそこかしこから意見が飛び交う。

「なんか食いモンの屋台は?」

「届け出とか面倒らしいよ」

「ダンス!」

「みんな踊れるの?」

「えー、女子だけでやってくれー」

「チアコスで」

「人狼ゲーム!」

「別に俺らが運営する必要なくね?」

「劇はー?」

「このクラス演劇部いないよね?」

「映像制作~」

「カメラとか学校で借りれるのかな」

「動画編集できる人いますか?」


 しかしそうそう皆が賛同できるような案がまとまるはずもなく、意見が出ては現実的な反論。会議は踊る、されど進まず。膠着状態だった。本気でやればなんだってできそうな気もするけれど、まだ実情もよく分かっていない高校生活の中で何かすることは誰しも気が引けるのだろう。部活や有志での企画がある人だっているだろうし、クラスの出し物にあまり顔を出せないなどの事情もあるはずだ。誰かちょうどよさそうなアイディアを考えてきた人はいないのか。俺も何も浮かばなかったけれど。

「一応あの、最終手段として『休憩室』、つまり出展なしって選択が可能みたいですが……」

「それはなるたけやってほしくないなぁ~」

 吉田くんの発言に、担任が手元のクリップボードに視線を落としたまま、どこか投げやりに言う。

 ごもっともだ。クラスの親睦を深めるためでもあると事前に言っていたことだし、何より最終手段ってのは基本的には使わない前提のものだ。

「んー……どうしよっか」

 雑多に出た意見を一通り書き留め終わった木村さんは、黒板を眺めながら呟く。

「あの……」

 なんだかどれもイマイチだな、と教室の空気が告げる中、廊下側最前列の女子生徒が、遠慮がちに右手を挙げた。

「あ、はい、えっと、山田さん」

 吉田くんが名指す。

「リレー絵本……とか、どうかな?」

 山田さんは控えめに言った。

「……具体的に説明お願いできますか?」

 吉田くんが彼女に尋ねる。おしとやかな雰囲気を纏う彼女の発言に、教室中の皆が注目する。山田さんは椅子に座ったまま、進行役の彼を見つつもクラス全体に向けて説明を始めた。


「――っていう感じです、けど、どうでしょうか」

 自信なさげに説明を終えた山田さん。一呼吸の静寂を挟んで、誰かがぽつりと言う。

「それめっちゃよくね」

「現実的だ」

「それならなんとかなるっしょ」

 にわかに盛り上がる教室。山田さんは緊張が解けたように、照れた表情で後ろの席の女子と微笑み合う。

 山田さんのアイディア、リレー絵本。クラスメイト全員で作る巨大な絵本。順番が手前の人が描いた絵と文章の内容を引き継いで、次の番の人が物語を展開させていく。さらにそれを次の番の人がまた引き継いで……と、絵の上手い下手も楽しみながら、皆でひとつの物語を作り上げるのだという。当日は教室に巻き絵風に飾っておけば、発表などの負担もなく文化祭を楽しめる。なるほど、先のことも見越した素晴らしいアイディアだ。

「じゃあ一枚目は先生から始めるってのはどう⁉」

「あー! いいかも!」

「これならイケるんじゃない?」

「山田さん神かよ」

「山田ちゃんかわいい」


「じゃあ一応、いくつか出た意見もあるので多数決を取りましょう」

 どこか安心した表情で、吉田くんがまとめる。全員に紙片が配られ、各自やりたいものを書き込んで回収。五分ほどで集計が終わり、結果発表。

 リレー絵本の圧勝だった。クラスの八割以上の賛同を得た。山田さんが顔を綻ばせる。

 コスプレ喫茶は得票数1。誰が入れたかは……まぁ言わなくても大体予想はつくよな。


 終業の鐘。そのまま担任からいくつかの連絡事項が伝達され放課となった。田中真由子はむっすりと不服そうな顔で、そそくさと教室を後にした。

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