2.田中真由子について
森田少年曰く、彼女は中学のある時期から唐突に、いわゆる奇行が増え始めたそうだ。それまではこれといった取り柄もなく(彼も結構素で酷いことを言うな)、特別目立つわけでもなかったが、校庭にミステリーサークル的な何かを描いたり、オタクっぽいクラスメイトに言い詰めたり、朝礼で何かやらかしたり、問題行動とまではいかないが奇怪な目で見られるようなことを度々行ったりと、そういったことを繰り返したために、(もともと交友関係などほとんど見られなかったらしいが)クラスメイトには避けられ、噂され、中にはからかい、いじめ紛いの行為をする者もいたのだという。しかし彼女はめげず挫けず、「何かの目標のため」に動いていたらしい。
まあ『ハルヒ』を知る人にとっては、彼女の行動が何を意味しているのかは大体分かっていたらしいけど。
はてさて、そんな感じで入学早々自らその両手足に枷を装着してしまった田中真由子であるが、その枷すら強引に引き連れて暴れ回る彼女は休み時間に教室の後ろ黒板に謎の記号をでかでかと書き込んだり、自己紹介カードに好きな作品をびっちり書き連ねて悪目立ちしたりなど、とにかくもう一日単位でクラスメイトからの評判を落としていくことに余念がないようだった。
体育や掃除の時間なんかにも小さな不和を発生させ、その協調性のなさを遺憾なく発揮していく。せっかくそれまでの評判をリセットして新しい日々を始められるかもしれないチャンスだったのに、どうして自ら悪評を獲得しにいくのだろう。
というか、その時点で既にハルヒとはかけ離れているじゃないか。
「ねえねえ」
とある日の学年集会。学年全体の整列は完了しておらず、ざわつく群れの中で他クラスの生徒を何とはなしに観察していると、とん、と軽快に肩を叩かれ真後ろから声がした。
振り向けば女子生徒。からっと、悪意のない笑顔で彼女――茅原さんは言った。
「あたし、しーちゃんの隣になりたいんだけどさ」
茅原さんは俺の左隣に並ぶ女子生徒、瀬尾さんを指差しながら、自らの要望を口にした。
整列はクラスごと出席番号順二列。瀬尾さんもこちらを見ていて、俺は互いの顔を確認した後、茅原さんに尋ねる。
「つまり?」
「これから二列になる時、あたしと場所交換しない?」
両手を合わせて懇願のポーズ。悪びれることなくへらっと笑う彼女は、返ってくるだろう返事も先回りして言葉を付け足す。
「いいんちょなら許してくれるっしょ。バレても大したことないしヘーキだって!」
茅原さんの隣を見る。――そこにはつまらなそうに顔を伏せるカチューシャ女。
田中真由子だ。
彼女の都合など眼中にもない(もちろんどんな都合もないだろうが)といった様子で、茅原さんはこちらに顔を近づける。俺は俯く田中真由子をちらり見やってから、「分かった、いいよ」と許諾。真後ろの彼女と整列順を交代することとなった。
「さんきゅ! やったね、しーちゃん!」
そうして、待ってましたと言わんばかりに、ふたりはきゅるりと微笑み合う。仲睦まじい光景。ああきっと、これからどんどん親しくなっていくのだろう。事ある毎にインカメラでツーショットを撮りまくり、休日はショッピングモールに出かけ、時には舞浜のテーマパークで遊び倒したりもする。美しい友情の始まり。その一幕の目撃者に俺はなったのだ。
「…………」
さあて。と心の中で呟いて、左を向く。
「よ」
俺の挨拶に、彼女はじろりと一瞥で返事をする。
田中真由子。
互いに立った状態で隣り合ってみると、意外とその身長が低いことに気づく。俺より二十センチは小さいだろうか。威圧感も全くない、貧相な体躯。そして……近づいて見ると分かるその残念さ。野暮ったく見える癖っ毛、手入れのされていない眉毛、光に照らされてうっすら見える顔の産毛も放置されたままなんだろう。あまりまじまじと見るものではない。
しかしただひとつ、これだけは手放しで褒めてもいいと思えるところが彼女にはあった。
歯並びが完璧なのだ。
大抵難しい顔して口を閉じている彼女なのだが、時折覗き見えるその歯並びは、本当に美しかった。色も真っ白で綺麗だ。歯列矯正でもかけたのだろうか。
とはいえやはり……小柄な顔つきで輪郭は整っているのだが、あいにく先述の要素(思ったけど全部毛じゃねぇか)がそれをブチ壊している。歯並びなんて基本的に見えないし、加えて常に崩れないその気難しそうな捻くれた表情。気難しい顔をしても様になるのなんてそれこそ美人くらいのものであって、その表情のせいで愛嬌が欠片もないんだからどうしようもない。そりゃあ茅原さんだって、お前なんかより仲の良い友人と並びたいと思うさ。
「では、十五分後に部活紹介を始めます。お手洗いなど今のうちに済ませておいてください」
生徒会の三年生が、体育館のスピーカーを通してアナウンスする。
学年集会が終わり、クラス単位で担任から連絡事項を簡単に通達され、本日はこの場で放課。何故なら今日はこのまま、新一年生に対する部活紹介が行われることになっているからである。任意参加のため、教室に戻っていく人も多く見受けられた。
「入りたいとこあんの?」
教室に戻っていく生徒たちで崩れる列。体育館ステージ近くに緩やかに陣形を組み直す生徒の流れの中で、背後から馴染みある声がした。
「んー、興味持てるのあればいいなぁと」
三橋と森田と、そしてもう一人、教室での席の近さから喋るようになったらしい渡辺が連れ立ってやってきた。そのまま四人で、体育館前方の適当な場所に腰を落ち着ける。
「三橋は?」
「俺は中学と同じ」
「水泳か。森田少年は?」
「特に決めてないけど、柔道とかいいかなって」
「ナベさんは無所属希望だってさ」
三橋が渡辺を指差して言う。渡辺はどことなく落ち着いた、もの静かな雰囲気のクラスメイトだ。三橋の言葉に彼は、こくりと小さく頷いた。
「小さい頃からずっとピアノ習っててさ、今も続けてるんだよね」
「コンクールで優勝したことあるってよ」
「おお、すげーじゃん」
「たまたまだよ、たまたま」
――などと、田中真由子と対峙した時のようなコミュニケーションの壁など微塵も感じることなく、新しい学友たちとの会話を楽しんでいると、体育館入り口からぞろぞろと上級生たちが入ってきた。それぞれの部活のユニフォームや道着に着替え、各々その手にはボールやラケット、楽器や小道具などを携えている。
「美人の先輩がいるといいよな」
「そうだな」
「あ、あの先輩かわいい」
「女バレみたいだね」
いかにも男子高校生らしい視点で女子生徒を格付けしたりしつつ、部活紹介は生徒会を司会につつがなく進行していった。ふと左に視線を流すと少し離れた場所で独り、田中真由子が退屈そうな目で体育館ステージを見上げていた。
全ての部活紹介が終わり教室に戻ると、少し先に帰ってきていたらしい田中真由子が、当たり前だが俺の席の後ろで帰り支度をしていた。
「……田中さんは、何か部活に入るの?」
俺の質問に彼女は支度の手をぴたりと止め、目は合わせずにぼそりと答えた。
「あなたには関係ない」
……確かにそうだけれども。会話っていうのはさ、そういうものではないじゃないですか。
「……やっぱり、自分で部活作ったり、とか?」
踏み込んだその質問に返事はなく、荷物をまとめ終えた彼女は教室から出ていってしまう。去っていく背中をぼんやり目で追って、思わず溜息がひとつ零れた。
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