SSS団

1.初めてのホームルーム

 県立北高。南に海、北に山というこの街の北部に立地する男女共学の普通科高校。校舎からは街並みが一望でき、通学は若干不便ながらもその雄大な景色と共に過ごす三年間はこの高校のアピールポイントだとかなんだとかで、実際この学校から望む風景は筆舌に尽くしがたいものであるようにも思える。進学校を謳ってはいるが勉強勉強といったお堅い感じでもなく、部活や学校行事にも力を入れますよ、という校風らしい。吹奏楽部は全国大会出場の実績もあり、文化部も結構頑張っているようだ。


 ……ううん、さて。


 思わず泳いだ視線を、再び目の前の〝彼女〟に戻す。

 沈黙の中心に、彼女は立っていた。

 大胆不敵か、はたまた厚顔無恥か。周囲を威圧するようなその目を、改めて俺は見上げる。


 田中真由子。


 肩につくくらいの黒髪はどう考えても真っ直ぐストレートとは言えない癖っ毛で、両ハネした毛先がどうにも締まらない。何の真似事かは説明不要、ご丁寧に黄色っぽいカチューシャまでつけているのだが、されども目鼻立ちはこの上なく整っているわけでもなく、ただただ意志だけは強そうな鋭い目つきをしており――


 早い話。端的に。単刀直入に。

 よくある表現をしたら、中の中。


 田中真由子の容姿は、平凡だった。


 事実その通り、決してブスではないのだが、「俺あいつの顔好みなんだよね……」と言おうものなら100人中72人には「えーっ! お前B専かよォ⁉」あるいはシンプルに「物好きだな」と言われるような、そんな絶妙に微妙な顔つきだ。うん、俺ってばなかなか酷いな。

 目が合った。太めの眉、一重の目蓋。睫毛は多少長めか。俺の呆然に気づいたらしい彼女は、見下すように睨みつけてきた。眉間に皺を寄せ、ただでさえそんなにいいわけでもないルックスは余計に崩れてしまっている。

 俺と田中真由子、距離にしてわずか数十センチ。周りのクラスメイト全員の視線を感じる。

 もちろんその視線は俺に向いているのではない。目の前の、この、

「涼宮ハ……」

 無意識に出かけた言葉を、慌てて引っ込めた。


 前例通りなら言い終わってすぐ起きるはずの拍手が、起きない。

 いやに静まり返った教室で、沈黙を破ったのは担任の拍手。取り繕うように手を叩くその表情は少しだけ引き攣っているようにも見えた。拍手に我に返ったクラスメイト達もそれに続き、パラパラとぎこちない歓迎が鳴る。なんとなく視界に入った眼鏡のデブが、この世の終わりみたいな顔をしていた。彼にもかつて、似たような経験があったりしたのだろうか。



 一限とセットになっていたロングホームルームから続け様、身体測定やら全校集会やらいろいろをこなし終えて、午前放課の登校初日。

 コミュニケイション・スキルに長けた者たちはさっそく気の合う相手を見つけ、出身中学、共通の知り合い、興味ある部活の話などに花を咲かせている。これから昼飯でもどうかと誘い合う親しげな声。そんな談笑の狭間には、肩身狭そうに周りを窺う人たち、そそくさと帰宅していく人たち、そわそわと誰かから声をかけられるのを待っている人たち。

 嗚呼、学校とは既に社会であり、社会とはコミュニケーションで成り立っているものであるからして、大切なのは初手。そう、この初日でいかに交友の輪を広げられるかが三年間の生活にかかっているのだ。

 ――かかっているのか? 俺にはあまり関心がない。

 そんなことよりも――

「田中さんって、ハルヒ好きなの?」

 後ろの席の彼女に向けて。単刀直入、訊いていた。触れてはいけないことだった? いやしかしだ。あんな自己紹介、「そうです」と言っているようなものじゃないか。

 俺は思ったね。「そうかつまりあの自己紹介は、『私は涼宮ハルヒシリーズが大好きです。共通の趣味を持っている人がいたらぜひ話しかけてください』というメッセージを作中の台詞に絡めて表現した、極めて高度なジョークなのだ」と。

 涼宮ハルヒ――アニメ化、劇場映画化もされ、一時代のブームを間違いなく作り上げたバケモノ級の大ヒットライトノベル。〝平凡な〟主人公キョンが高校入学して出会う涼宮ハルヒという少女を中心に学園青春とSFが交差して進んでいく物語。そんなハルヒに影響を受け、あるいは感化され、この現実世界において彼女たちの真似事をしてしまったアイタタな人間も、きっと大勢いるのだろう。


 ホームルーム以降、身体測定やらいろいろあって、落ち着いて彼女と話せる時間はなかったが、半日観察してみたところ、田中真由子は他の女子生徒とのコミュニケーションを全く取らなかった。何人か――それがあの自己紹介を受けての好奇心なのか、はたまた純粋な親睦のためなのかは分からないが――彼女に話しかける女子がいたけれど、彼女はまるで相手にしていなかった。

 ちなみに観測範囲では男子は誰一人話しかけたりしていない。男子の間ではホームルーム終わりの時点で既に、「あいつはヤバい、イタい」などの評価が確定していたからな。


 ――男子。男子と言えばだ。

 身体測定の時間、男子は謎の結束を見せた。方々の中学から集まった初対面の者たちが何故旧くからの友人かのように親しげに会話を交わすことができたのか。

『どの女子がかわいいと思ったか』

 単純な話である。いやに元気な、今後クラスのお調子者ポジションが確定しそうな陽気なサル顔の少年狭山が、男子を集めてそんな話題を振ったのだ。すぐさま乗ったのは気前の良さそうなイケメン相澤。

「俺はあの……中根さん、だったかな。出席番号二十二番の」

「分かる! てか中根さんクラスで一番かわいくね?」

 いかにも運動部でしたみたいな焼けた肌の杉本が返事を返す。

「じゃあ次キミ、吉田くん、だっけ?」

「ボ、ボクは……木村さん、かな」

「分かる。控えめだけどいいよな、彼女」

 少し地味めな少年にも、ずんぐりした優しい顔つきの少年にも、狭山は分け隔てなく話を振る。彼はいずれこのクラスのキーパーソンになるだろう、と直感した。狭山のおかげで我が一年二組は今後、『団結』なる二文字を掲げることができるのかもしれない。


 ……さてさて話を戻そう。

 たった今、目の前で、腕組みをして俺を睨みつけている少女。その名を田中真由子という。

 睥睨。ハルヒ的に睥睨だ。

 自己紹介で言い放ったのは間違いなく谷川流作『涼宮ハルヒの憂鬱』冒頭、そこから物語の幕が切って落とされることとなる伝説の第一声、

「東中学出身、涼宮ハルヒ」

「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」

 の丸パクリである。もう清々しいほどの丸パクリ。敬服に値する。確か彼女は「興味がある者がいたら」とかなんとか絶妙に言い換えていただろうか。それなりに現実は見えているってことなのか? まあいい。問題なのは彼女が一言も返事をくれないことだ。


「実は俺もハルヒ大好きでさ。劇場版はブルーレイまで買ったくらいだよ。いいよな、消失。『プログラム起動条件』のところは何度見ても鳥肌立つし、七夕のくだりはやっぱり特別なものを感じるよね。『私はここにいる』ってさ、ほんといい言葉だと思うな、俺は」


「……ハルヒ? 何それ」


 このアマ、とぼけやがった。俺は思わず真顔になる。


「……いや、隠さなくても大丈夫だって。少なくとも俺には伝わったしさ。あ、そうだ、なんかおすすめのラノベとかある? よかったら今度教えてよ」

 涼宮ハルヒもとい田中真由子は黙って立ち上がる。机横にかけられたリュックを手に取り、そそくさと教室から出て行ってしまった。

 ファーストコンタクト、失敗?

「おうおう、どうしたどうした」

 ぼんやり廊下に視線を残していると、運よく同じクラスになった中学の同級生の三橋が、出席番号の前後で仲良くなったという森田を連れてこちらへやってきた。入学初日からさっそくネクタイを緩め、どことなく背伸びをしようとしている様が見て取れる。

「あいつ、キレキレな自己紹介だったな」

 三橋は廊下に消えていく田中真由子の背中を目で追いながら、愉快そうにニヤリと笑う。

「あれ、三橋あれの元ネタ知らない?」

「え、元ネタとかあんの?」

 そうか、『ハルヒ』は基礎教養ではないのか。そりゃそうか。となると「エヴァは基礎教養」とか言ってる奴はやはりイタいな。誰だ? 俺だな。


「涼宮ハルヒ、だよね」

 森田が小さな声で言った。がっしりとした体つきで、しかし柔和な目元をした彼は、廊下の方をぼんやり見つめながら、しみじみとした表情を浮かべる。

「田中さんとは、実は中学一緒だったんだけど……」

「え、ホントに⁉ ちょっと詳しく聞かせてほしいな」

 来たな谷口ポジション。重要な役柄だぜ、森田少年。

「お前、なんでそんな興味津々なの……」

 三橋は話題についていけず困惑している。


 森田少年は途中まで通学路が同じらしく、俺たちは三人、一緒に帰宅した。道中ファミレスに寄って、三人で昼食を取る。それぞれの母校の話なんかをする。田中真由子の話も聞く。連絡先を交換して、メッセージアプリには三人のグループが設定される。


 高校生活の始まり、悪くない初日だったと言えよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る