第4話 未練 4
「結婚おめでとうございます。すみません、式に出れなくて」
林田さんとよく行っていた居酒屋『魚蔵』で乾杯を済ませたあと、俺は長旅でからからに乾いた喉をウーロン茶で潤わせてから言った。
「ありがと。気にしなくていいって。仕事じゃ仕方ない」
そう言って、林田さんは生ビールを置く。左手薬指には、三年前にはなかった真新しい指輪が光っていた。少し、うらやましく思う。
今年の九月に結婚式を挙げた林田さんは、わざわざ遠方の俺にも招待状を送ってくれていた。届いたときは、それはもう嬉しくて、当然行く気でいた。しかし当日が近くなって、まるで図ったように会社で機械トラブルが発生し、まともに生産ができない状況に陥ってしまった。休日返上でトラブル対応、生産挽回に追われてしまい、俺は結局、式に出向くことができなかった。
さんざんお世話になった先輩の祝いの席に居合わせられないのが、どれほど悔やまれたことか。俺がその日以来、トラブルの原因を作った機械の横を通るたびに、呪詛の念を飛ばすようになったのは言うまでもない。
「これ、遅れて申し訳ないんですが」
俺はバッグから、折れないようにクリアケースに入れておいた祝儀袋を取り出して、林田さんに差し出した。
「別にいいって!」
「そういうわけにはいかないですよ。これ渡すために帰省したようなもんなんですから」
もとは親族の集まりが帰省の理由だったが、林田さんから会おうと連絡があってからはこっちがメインになっていた。受け取ってもらえるまでは帰れない。
「えー、じゃあまあ、ありがたくいただくよ」
林田さんは照れくさそうにしながらも、両手でしっかりと祝儀袋を受け取って、壁にかけていたジャンパーのポケットに大事そうにしまった。一つ大事な使命が果たされて、胸のつかえがとれる。もう帰ってもいい。そんなことしたら母に怒鳴られるけど。
「あとこれ、お土産です。奥さんとどうぞ」
今度はキャリーバッグから取り出した、ご当地名物のサブレを手渡す。
「律儀だねえ」
林田さんは苦笑いで受け取る。親しき中にも礼儀ありだ。久しぶりに会うのに、手ぶらは考えられない。
「新婚生活は順調ですか?」
「まあね。でも、もともと半同棲生活してたからあんまり新鮮味はないかな。さすがにキャバクラ行くのに、ちょっとだけ心が痛むようにはなったけど」
「……それ冗談ですよね」
「マジマジ」
わはは、と笑う。とんでもないことを暴露したなこの人。そういえば本社にいた頃、忘年会や新年会のあとには、二次会と称してキャバクラに行くことになっていたけど、嬉々として参加していた人の中には林田さんの姿もあった。結婚してもキャバクラ好きは健在のようだ。
「結婚したんだからキャバクラなんて卒業してくださいよ。奥さんかわいそうじゃないですか」
「だって、たまには若い女の子と喋りたいし、酒飲みたいじゃん」
「奥さん泣きますよ」
「ばれなきゃへーきへーき」
「ばれたらどうするんですか」
「そん時は全力で謝る。大丈夫だって。まだ一度もばれてないし」
林田さんはひょうひょうと言ってのける。なんだかご祝儀を返してもらいたくなってきた。仕事では頼りになるし、面倒見もいいのに、女遊びだけは見本にしたくないなと思ってしまう。
痛い目に合わない限りは、何を言っても改心する気はなさそうだと判断した俺は、せめてほどほどにしておいてくださいよ、とやんわりと注意喚起だけしておいて、追求の手を止めた。未婚で恋愛経験すら少ない俺にはわからないような、既婚者の悩みがあるのだろう。ひとまず、そう思っておくことにする。
ほどなくして、店員が注文していた刺身の盛り合わせと、枝豆と、ポテトフライを持ってきた。移動の疲れもあって腹が空いていた俺は、さっそくポテトフライをつまんで口に運ぶ。太めにカットされたそれは、ほくほくとしていて食べごたえがあった。塩が効きすぎな気もするけど、そこがまた癖になる。熱された口の中にウーロン茶を流し込む瞬間も、格別だった。
ぐはあーと息を吐くと、林田さんは枝豆を食べながら、
「九条君はどうなの?彼女できた?」
と聞いてきた。
「あはは、……まだです」
最近親にもちくちく聞かれるようになった言葉を浴びせられ、景気良く伸びていた手が止まる。
「なんで?」
「なんでって言われても………。向こうではほとんど会社の付き合いしかありませんから」
「会社にだって可愛い子くらいいるでしょ」
「いないことはないですよ。ただ恋愛に発展するような相手となると、なかなか」
頭を掻き、笑ってごまかすと、林田さんが枝豆の殻を受け皿に落としながら渋い顔をした。
「俺を見習えとは言わないけどさ、九条君はもっと女に対して貪欲になったほうがいいよ。っていうか、まさかあっち系じゃないよね?」
「やめてくださいよ!そんなんじゃないですって!」
右手の甲を左頬にあてがう林田さんに、慌てて弁解する。俺はいたってノーマルだ。
「単に草食系なんですよ俺は」
自分で言うのもどうかと思うが、適切な表現がこれ以外見つからなかった。
「そんなんだといつまでたっても結婚できないよ。もう三十手前でしょ」
「別に不自由してないからいいですよ。三年一人暮らししてると、孤独には慣れますし、家事を苦に思ったこともないですから。無理なら無理で、一生独身でもいいかなって思ってたり」
もてない男のひがみのようなセリフを吐き、刺身を三切れ一気に取って、口に放り込む。ふと、一井の顔が浮かんだが、無視しておく。まだ答えは出ていない。
林田さんはポケットから煙草を取り出し、机に置きながらくっくっと笑った。
「さみしい人生だねえ」
わかってる。俺だって本気で一生独身でいいとは思っていない。人並みに恋愛願望だって持っているつもりだ。家に帰ったら妻が出迎えてくれたり、手料理食べたりなんて、ひそかに憧れたりもしている。
しかし、憧れは憧れの域を脱しない。まず好きの感情が生まれなかった。分社に異動になってからは、立ち上げをしていく中で他部署との連携が増え、本社にいた頃とは段違いで、雑談ができる程度に仲のいい女性社員が出来はしたけど、付き合いたい、結婚したいと思えるような人は誰一人としていなかった。どんなに優しくても、美人でも、若くても、特別な感情は一切生まれなかった。
なにも、絶世の美人でスタイル抜群、それでいて優しく、俺のことを世界の誰よりも愛してくれる人が相手じゃなきゃ嫌だと、高望みをしているわけではない。
普通でよかった。平凡でよかった。
それなのに、俺の胸はときめかない。まるで、すでに諦めてしまったか、この世にただ一人だけの、運命の人にしか反応しませんよとばかりに。
あるいは、自分が意識していないだけで、心の底では思いっきりハードルが高いのかもしれない。理想像が確立されていて、『一部分でも引っかかるところがあれば、恋愛対象としてみなさない!』みたいな、厄介極まりない検問が敷かれているのかも。そうであれば、本当に一生独身だ。
「そうだ!あの子は?ほら、いつだったか飲み屋でばったり会った時に一緒にいた子」
林田さんが、指を鳴らし、そのまま俺を人さし指で差す。
「ああ、はい」
よく覚えているなと感心しながら頷く。
「どうしてる?今も交流あるんでしょ?」
興味津々に尋ねてくる。そういえば、林田さんにはその後のことは話していなかったんだ。異動が俺に決まってからは、仕事の話以外ほとんどしていなかったもんな。
「実は、引っ越してからは全く」
「え!?うそでしょ!?」
マジですと俺が告げると、林田さんは驚きの表情で、後ろに手をついて仰け反った。
「それは何?異動が原因でってこと?」
「ゼロではないでしょうが、直接的な原因は俺ですかね」
「ケンカ?」
「乙女心をわかってあげられなかったからみたいです」
「?」
林田さんが、意味が分からんと言いたげに片眉を上げ、首をひねる。ここまで話した以上、一から説明した方がよさそうだ。
俺は、あまりに言いふらしすぎると御子柴さんに悪いと思い、これっきりにすることを誓って、一井にした時のようにあの日のことを説明し、加えて、先日の一井とのやり取りを話した。
まさかこんなに短い間に二度も説明することになるとは思わなかった。彼女とのことに区切りをつけるための、節目が来ているのかもしれないとひそかに思う。
聞き終わった林田さんは、腕組みしながらしきりに頷いて、開口一番に言った。
「確かに九条君が悪いな。うん」
「絶賛反省中です」
姿勢を正し、頭を下げる。
「まあ、その一井って子に絞られたみたいだから、俺からも責めるのはよしとくよ」
「ありがとうございます」
「でも、そっかあ。もう連絡も取ってないのか。俺、二人は絶対付き合うと思ってたんだけどな」
「?何でですか?」
突然の言葉に、瞬きを繰り返す。初耳だった。
「だって、九条君は女と予定があるって聞いた頃から、微笑ましいぐらいに浮かれてたし、あの子はあの子で九条君に惚れてたっぽいから、ああ、この二人そのうち付き合うなって予感がしてたんだよ」
俺が浮かれていたのは、自覚している。女性の友達自体、勤めだしてからはいなかったから、そういう意味で舞い上がってたってのはあった。それはいいとして、御子柴さんが惚れてたって。林田さんが御子柴さんと直接会ったのは一回きりで、話したのは十分にも満たないのに、そんな短い間でわかるのか。話だけで好きなはずと断言していた一井といい、わからなかった俺の方がおかしく思えてきた。
「やっぱり俺が異動になるべきだったんじゃねえかな」
林田さんが悔しそうにつぶやく。まだ異動のことを引きずっているらしい。
「そしたら林田さんは結婚してなかったかもしれないじゃないですか。そうならなかっただけでも、俺は異動してよかったと思ってますよ」
「九条君……」
「それに、向こうでの生活も結構気に入ってますし、今となっては異動に不満はありません」
のど元過ぎればなんとやら。忙しすぎて鬱になりかけたこともあったけど、ある程度地盤が固まって、時期を過ぎてしまえば、待っていたのは本社にいた頃と変わりない生活だった。むしろ立ち上がってまだ日が浅い分生産も小規模なので、トラブルにさえ見舞われなければ、仕事に追われる日々とは無縁になって快適ですらあった。林田さんの結婚も含めて、異動にならなかった場合の結末がどうなっていたかはわからないが、こちらを選んだのはある意味正解だったと、都合よくも今の俺はそう思っている。
御子柴さんとの、あったはずの日々を失ったことに関しては思うところもあるが、得るものは多くあった。
「九条君は良い奴だな」
林田さんがまぶしいものでも見るような目で、ありったけの感情を込めるように言う。ちょっと格好つけすぎただろうか。
「でもさ、ぶっちゃけあの子のこと、好きだったんじゃない?」
一井にも似たようなことを言われた。
「俺は多分、友達としてしか見てなかったですよ」
「ほんとに?」
「好きだったら、最後の問いに喜んでるはずでしょう」
『ついて行ってもいいですか』俺が彼女のことを好きだったとして、そんなことを言われたら戸惑いこそするだろうが、同時に嬉しくもあるはずだ。無神経に『は?なぜ?』とは絶対に返さない。
でも、俺は疑問で返した。すなわち、俺は彼女のことを友達としてしか認識していなかったからだ。
確かに言えることは一つ。
「友達としては好きでしたよ」
林田さんは、真意を確かめるようにしばらく俺をまじまじと見ていたが、ふっと表情を緩めた。
「友達のことを異性として好きだって自覚するのって、ふとした拍子だったりするもんな。一緒にいる期間に、九条君にはそれがこなかったのかもな」
そう言った林田さんは遠い目をしていて、少し、残念そうにも見えた。
ふとした拍子、か。もし訪れていたら、俺はどうなっていたのだろう。林田さんが言うように、御子柴さんと付き合っていたりしたのだろうか。御子柴さんを連れて、異動先で一緒に暮らしていたのだろうか。
店員が、次なる料理を持って現れた。その中には、かつて御子柴さんと来ていた時によく頼んでいた、チーズ揚げもあった。
俺はチーズ揚げの皿を直に受け取り、一本口に運んだ。
とても懐かしい味がした。
苦いだけで美味しいとはまったく感じられないビールを何とか空け、店員が料理を持ってきたところで、私はカシスオレンジを頼んだ。早くあのフルーティな味で口直しがしたい。ついでにチーズ揚げも頼もうかと思ったけど、また宮下さんにとやかく言われるのが嫌だったから、泣く泣く自重しておいた。
遠慮すんなと言うから遠慮せず頼もうとしているのに、それすら遠慮と捉えられてしまうため、私は飲み物以外は宮下さんに促されるままに頼むことにして、机に並べられた料理から、比較的好きなものを機械的に食べることにしていた。必ずしも自分が食べたいものが注文できるとは限らないから、満腹度は上がっても満足度はいまいち伸びないのがネックだけど、面倒ごとになるくらいならと諦めもついた。
そんな私に反して、宮下さんは酒の力もあってかすこぶる上機嫌で、仕事の武勇伝などを語っていた。あの仕事のミスに気が付いたのは、僕が最初でね、とか、あの企画は実は僕が発案なんだ、とか。ほとんど私にはわからないことで、会話にうまくついて行けず、私はさっきから「すごいですね」、「本当ですか?」、「へーそうなんですね」くらいしか言っていなかった。
人の自慢話は聞いていても面白くない。辟易するだけだった。だけど、止めてくれとは言えない。相手は職場のリーダーで、私は平社員。どんなに退屈でも、宮下さんの演説をニコニコして聞いているほかなかった。でなければ、会社でどんな仕打ちをされるか分かったものではない。
ああ、帰りたい。
宮下さんに捕まってから、何度も唱えた言葉を声には出さずに反復する。せめて私が会話に入れる話題を提供してくれれば、少しは時間が進むのを早く感じられて、こんなこと考えずにも済むのに。宮下さんの目を盗んで確認する腕時計は、いつもよりゆっくりと進んでいるように感じられてならない。
真面目に聞いているふりをしながら、机の下で、畳にのの字を書く。
「あ、なんか僕ばっかり喋ってるね。ごめん」
宮下さんがそのことに気付いたのは、飲み屋さんに入ってから一時間後だった。
いえいえと笑顔で手を振りつつ、ようやくか、と小さくため息。
「御子柴さんは、なんかない?話したいこととか」
「え……えっと」
急に振られてうろたえる。
「なんでもいいよ。僕に聞きたいこととか、言いたいこととか。仕事で溜まってる鬱憤とかさ。もちろんプライベートでも全然オッケー。あ、僕に対する鬱憤は……あったらちょっと聞くのが怖いな」
最後の方は冗談めかしてそう言って、宮下さんは頭に手を置き困ったように笑う。
宮下さんへの不満事を言ったらどうなるんだろう。あるにはあるから言ってみたい気もした。
私を贔屓するな。しょっちゅう食事に誘うな。
当然、言わないけど。
顎に手を当て考える。どうしよう。仕事の鬱憤だったらいくらでもあるけど、相手が同じ会社の、しかもリーダーとなると、ためらってしまう。何かの拍子に「御子柴さんって実は」と誰かに漏らされて、万が一上司の耳に入ったり、またあらぬ噂が流れないとも言い切れない。宮下さんに絶対の信頼を寄せていないのなら、軽はずみな仕事の愚痴は避けた方が賢明だろう。
となると、仕事以外になる。でもなあ。プライベートって言っても、別に話して聞かせるほどのことはないんだよなあ。趣味らしい趣味もなく、面白みのない日々を送っている一人暮らしの女の話を聞かされても、男性からしたら反応に困るだろうし。
私が考えている間、宮下さんは期待するような目でこちらを凝視していた。特にないですとは言いにくい空気だった。プレッシャーがかかる。もう適当におもしろそうな話をでっちあげて、満足させてしまおうか。
私がそう思った時だった。
あ、そうだ。せっかくだからあれを聞いてみようか。長年気になっていたけど、ちょうどいい相手がいなかったために、ずっとくすぶっていた疑問。これなら、仕事に響くことはないし、話してみたい。
「でしたら、一つだけ」
私が指をおずおずと一本立てると、宮下さんは待ってましたと言わんばかりに頷いた。躊躇しつつも、疑問が晴れるのならと、語り始める。
「これは、あくまでたとえ話なんですけど、宮下さんが別の会社に転勤しなければならなくなったとします。そのことを異性の友達に伝えたら、私も一緒について行きたいと言われました。宮下さんなら、どう思いますか?」
「ん、ん?何それ?」
宮下さんが困惑した表情を浮かべる。
「えっと、余興というか、ちょっとした心理テストみたいなものです。宮下さんの意見が聞いてみたくて」
私はとっさに出まかせを言う。実体験だとは、さすがに言えなかった。答え次第では、相当恥ずかしいことになりかねない。
「ついて行ったらだめですか?」あの日私は彼--九条さんにそう言った。そのあとすぐに冗談だと取り繕ったけど、九条さんは困ったような顔で私を見ていた。
一応、告白のつもりだった。平静を装いつつも、九条さんと会えなくなると思ったら気が動転して、九条さんへの想いが溢れてしまったのだ。今にしてみれば、我ながら回りくどい言い方をしたものだと思う。九条さんの反応からしても、気付いてもらえなかったのは明白だった。
気付かなかったとすれば、九条さんはあの時あの後、どんな心境だったのか。私はそれがずっと気になっていた。おかしな奴だと思われたに違いないと自分では思っているけど、実際のところどうなのだろう。
地元の女友達に聞いた限りでは、おおむね私と同意見だった。では、男性はどうなのか。女性と男性では受け取り方が違ってくるはずだ。私の意見、女友達の意見だけでは心もとない。むしろ男性の気持ちが知りたければ、男性の意見こそ重要である。
男友達がいない私にとって、宮下さんは一番身近な男性だ。何でも話を聞くとも言ってくれている。貴重な意見が得られるいい機会だった。私は、内心ドキドキしながら、宮下さんの言葉を待った。
宮下さんは「うーん、そうだなあ」と難しい顔で顎に手をあてがって数分唸ったのち、結論が出たようで、口を開いた。
「僕は、気持ち悪いと思うよ」
「気持ち悪い……ですか」
ぐさりとその言葉が胸に刺さる。宮下さんが頷いた。
「だって、友達でしょ?付き合ってるわけでもないのに、いきなりついて行ってもいいか、なんて言われたら、なんだこいつってなるよ。メンヘラかと疑いたくなるね」
メンヘラ。またぐさりと来る。もはやおかしな子どころの騒ぎではない。要注意人物ではないか。
「……冗談だった場合は?」
深手を負いながらも尋ねる。
「よけい質が悪いな。転勤って大抵が会社の意向なわけでしょ。行きたくないのに行かなきゃいけない状況で冗談かますなんて、煽ってるとしか思えないよ。僕だったらその友達と距離置くね」
宮下さんの言葉が重くのしかかる。
これが、男性の意見。九条さんも、私のことをメンヘラだと感じたのだろうか。私に煽られたと感じたのだろうか。
膝に置いた手が、震えていた。
「ちなみに、男性は誰しもそう考えてしまうのでしょうか」
一縷の望みを託して、再び尋ねる。
「大抵そうじゃない?っていうか、御子柴さんだって嫌でしょ。いきなり、あなたと一緒に暮らしたいって言われてるようなものだよ。ぞっとしない?」
宮下さんが思いっきり嫌そうな顔をする。私は試しに、学生時代友達つながりで少しだけ仲良くしていた男の子を思い出し、その人から一緒に暮らそうと告白される場面を想像した。
背筋を冷たいものでなぞられたかのような感覚に襲われる。確かにぞっとした。
自分が逆の立場だったらと考えることはあっても、キャスティングは私と九条さんのままだったから、私の気持ちが透けている状態でスタートしていて気が付かなかった。まともに考えたら嫌悪感を抱くに決まっているのだ。
おかしな奴だ、なんてそんな生易しくは考えられない。私が私に対してひどい言葉を浴びせられなかっただけ。意見をくれた私の友達も、知らず知らずにオブラートに包んだ発言をしてくれていたのだろう。
気持ち悪い。ぞっとする。それが一般的な反応なのだ。
できれば知らないままでいたかった。九条さんに気持ち悪いと思われていたと思うと、胸が苦しくなる。涙が出そうになって、歯をくいしばる。思った以上に、ショックが大きい。しばらく後を引きそうだった。
でも、一方で吹っ切れた気もした。三年経ってようやく、未練がましくつかみ続けた、細い関係の糸を断ち切ることができるかもしれないのだ。とっくに嫌われているのなら、私も諦めが付く。
九条さんが戻ってきたら、また元通りになるかもと、よこしまな幻想を抱かずにすむ。
落ち着いたら、待ち受けを変えよう。電話帳からも、彼の名を消そう。それで、彼のことも忘れてしまおう。
心理テストの結果を聞いてくる宮下さんに適当な回答をしながら、私は決意した。
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