第4話 未練 3

 携帯の経路検索アプリを開き、これから乗る新幹線を確認して、券売機のタッチパネルを操作していく。一応調べてみたが、年末ということもあって指定席は満席状態で、座席は自由席しか残されていなかった。当然の結果だ。帰省のたびに思うが、いい加減事前予約を覚えたほうがよさそうだ。仕方なく自由席券を購入し、財布をセカンドバッグにしまって、昨日買ったばかりでまだ慣れないキャリーバッグを引いて改札を潜った。

 ホームへ出ると、寒空の下、蛍光灯に照らされたホームに、旅行鞄を持った人々が、時折吹く北風に身を震わせながら乗車口に沿って列をなしている光景が目に入る。明るいうちは利用客が多かろうと、わざわざ出発時刻を遅くしたが、見た限りでは人の数は去年日中に同じ場所に立った時とさほど変わらなく映った。特に家族連れが目立ち、これから帰省するのだろうか、旅行に行くのだろうかといらぬ詮索をしてしまう。

 自由席の車両が止まる位置まで歩いていき、比較的短そうな列に並んで新幹線の到着を待った。

 十分後、構内アナウンスが響く。

 「次の3番線に来ます列車は……」

 俺と同じ列に並んだ人たちが、床におろしたバッグを手に持ったり、キャリーバッグのハンドルを握り直す。俺も、キャリーバッグのプルアップハンドルを収納し、トップハンドルに持ち替えた。実家で洗濯ができるからと着替えは最小限に抑えたが、土産がいくらか入っているためそこそこ重い。ずっと持っていたら肩を痛めそうだった。この量を常に抱えていなければならなかったことを考えると、キャリーバッグを買ったのは正解だったかもしれない。

 しばらくして、ホームにゆっくりと新幹線が滑りこんできた。停車した列車の車内から、乗客がぞろぞろと流れてくる。途切れたところで、前の人に続いて乗り込んだ。空いているか不安になりながら進むと、運よく無人の席を見つけ、隣に座ってる若い男性に軽く頭を下げて素早く陣取る。よかった、座れた。ほっと一安心。

 男性は隣に座った俺をちらりと見て、身体を窓際にずらしてくれた。すみませんねえと声には出さずにもう一度頭を下げ、足元のキャリーバッグをつま先で挟み込む。どうせ一駅だ。荷棚に載せるのも迷惑且つ面倒だし、このまま耐えられるだろう。

 膝に置いたセカンドバッグから音楽プレイヤーを取り出して、イヤホンを耳につける。昨日買ったばかりの本にも手を伸ばしかけたが、絶対に酔うからやめておけと心の声が聞こえて、取り出すのはやめておいた。日常的に車に乗るようになって改善された気になっているが、そもそも俺は乗り物に酔いやすい体質だ。のちの予定を考えれば賢明な判断だと思った。

 到着までは大体1時間弱となっている。音楽を聴いているだけでもあっという間だろう。動き出した列車の中、俺は寝過ごさないように気をつけながら、静かに目を閉じ、イヤホンから流れる音楽に身を投じた。




 十分経った。ニ十分経った。壁時計をちらちらと盗み見ながら高まる胸の鼓動。それはまるで、ジェットコースターで坂を上っている時のようだった。落ち着きがなくなり足をこすり合わせる。変に姿勢を正したりする。

 カタカタカタ。キーボードを打つ音が響く。もう少し、もう少し。私の心はさっきからずっとそう言って、歓声を上げる準備をしている。気持ちが焦って指が追い付かなくなり、誤字を打ち込んでしまう。つい数分前にもやった。バックスペースを長押し。やば、誤字してないところまで消しちゃった。これもさっきと同じ。落ち着きなさいよと自分に言い聞かせ、後退してしまった分も含めて、キーを叩く。

 今私が作っているのは、年明けの出勤日に各部署へ送信する勉強会のお知らせメールだ。本当は私が任された仕事ではないのに、「なんだか頭が痛い気がする。風邪ひいたかも」と額を押さえて早退した先輩に押し付けられて、やむなく代打ちをしている。自分の仕事が早く終わったからいいものを、もし終わっていなかったら残業確定だった。まったく。どうせ頭痛いなんて嘘っぱちのくせに。朝礼の後、今日彼氏と忘年会やるんだーって別の部署の子に話してたのも、頭痛いって言い出す前に化粧室に長いこと行ってたことも、私知ってるんだからね。

 『5その他 ご不明な点がありましたら、人事部葛城までお問い合わせください。(内線〇〇〇〇)   以上』

 締めの文字を打ち込んだ。問い合わせ先は当然、先輩にする。だって、あくまで私は代打ち。メールを作って、年初めに送信しといてとは言われたけど、担当を変わってくれとまでは言われていない。先輩がどう思っているかは知らないけど、丸投げしたつもりでいると痛い目見ますよ。ただでさえ勉強会の問い合わせは多いのだから。私は不敵に笑う。

 せめて、お前のメールが悪いのだと言われないために、間違いはないか、文章として成立しているかは、初めから念入りにチェックしておく。宛名漏れはないか。日付はちゃんと送信日になっているか。誤字脱字はないか。書かれている内容は理解できるか。

 よし。大丈夫。私は作った文章を下書きフォルダに残し、一旦メールの画面を閉じる。念のためもう一度開き、フォルダに残されているかを見届けて、閉じた。

 時計を見ると、六時十分だった。少し定時をオーバーしてしまっている。見渡してみると、残っている人は私を含めても五人だけだった。連休前の最終出社日で、初めから有休を使って休んでいた人もいれば、早上がりでさっさと帰ってしまう人、先輩みたいに体調を理由に早退する人もいたから、まあこんなものだろう。普段ならまだこの時間は四十以上ある席の大半が埋まっていて、そんな中帰る方が異端者みたいな扱いなのに、今日に限っては残っている私たちが異端者のようだった。

 でも、これで私も。

 「終わったー」

 控えめに言って、うーんと背伸びをする。伸びきったところで、脱力。自然と笑みがこぼれた。頭の中は頑張った自分への拍手喝さいの嵐だった。

 「御子柴さん、終わり?」

 斜め向かいから声を掛けられる。パソコンの陰からひょこっと、私が所属している部署のリーダーの宮下さんが顔をのぞかせた。

 「あ、はい。終わりました」

 姿勢を正し、報告する。

 「そっか。僕も今終わったんだ。いやー、お疲れ」

 「お疲れ様です」

 いぶかしみながら軽く頭を下げる。偶然仕事が同時に終わった?ホントかなあ。今月に入ってだけでもう四度目なんだけど。

 宮下さんは椅子の背もたれに寄りかかり、わざとらしく黒縁の眼鏡を外して目頭をマッサージしだした。

 「じゃあ、私、帰りますね」

 パソコンをシャットダウンし、デスクの上に置いていた携帯を手に取って、ちらりと画面を確認してからポケットにしまい、立ち上がる。

 「ねえ、せっかくだからさ。この後飲みに行かない?」

 マッサージを終えた宮下さんが、メガネを掛けなおしてにこりと笑った。でた、と私は心の中で呟く。仕事が同時に終わった時、必ずと言っていいほど、宮下さんは飲み会へ誘ってくる。

 「いえ、私は」

 「用事ある?」

 「用事は、ないですけど………」

 なんで素直に答えてるんだ私は。あるって言ってればそれで済むのに。

 宮下さんの目がメガネの奥で光った気がした。

 「じゃ行こうよ。打ち上げってことでさ。僕、奢るし」

 「いや、そんな!」

 「大丈夫大丈夫。ボーナス入ったばっかだし、仕事終わりで機嫌いいから、遠慮しなくていいよ」

 遠慮って言うか、そもそも乗り気じゃないんだけど。しかし、宮下さんは一人で盛り上がってしまっていて、

 「よっし。そうと決まればどこに行こうか。前は僕が良く行く居酒屋だったよね。御子柴さんのおすすめの店ってある?」

 と、すでに私が参加する流れで話を進めていた。

 いつもこうだ。きっぱりと断れずに、ずるずると引きずられていってしまう。意志弱いな、私。でも、相手がリーダーなのも悪いのだ。邪険にすると仕事がやりにくくなるのではないかと考えてしまい、断り辛いじゃないか。それなのに、断らないのをまんざらでもないみたいに曲解する人もいて、変な噂が横行しているらしいし。ほんと、勘弁してほしい。

 あーあ。残業も同然だよ。私はしきりにおすすめを聞いてくる宮下さんを愛想笑いで応対しながら、肩を落とした。



 

 うとうとしていると、音楽に不可思議なメロディーが重なった。イヤホンを外すと、車内アナウンスが流れていて、目的の駅が近いことを知らせていた。

 降りる準備を手早く済ませて、荷物を持って立ち上がる。隣の男性が合わせるようにもぞもぞと動いた。同じ駅で降りるのかと思いきや、眠そうな細目で俺を見て、窓のほうを向いてしまった。寝ていたのを起こしてしまっただけらしい。そそくさと車両の扉を潜り、出入り口の前で待機した。

 列車が止まり、ホームに降り立つ。すでに空は真っ暗だった。七時過ぎなら当然か。ホームの外には、ビルの明かりに照らされた街並みが広がっていた。一度、階段へ向かう人の流れから外れ大きく背伸びをして、凝り固まった身体をほぐす。肩を回し、首を左右にひねる。座ってパソコンを叩いているのとはまた少し違う疲労感が溜まっていた。まだ少し体が揺れているような感覚もあるが、こちらはすぐに収まるだろう。

 二十年以上過ごした街の、なんともいえない懐かしい香りを肺いっぱいに吸い込む。去年の年末年始、今年の盆共に帰省しなかったから、今日が今年に入って初の帰省だ。そのため、ひときわ懐かしく感じられた。エスカレーターを昇ってからは、都会を訪れた田舎者のようにきょろきょろと辺りを眺めては、一年でどれだけ様変わりしたのかを、昔の記憶と照らし合わせて間違い探しに精を出した。

 とはいえ、一年程度では大した変化は起きないのか、目立った変化も見つけられないまま改札を潜り、駅の西口についた。やはり構内はスーツケースを持った人が多く、危うく干渉しそうになりながらも外に出る。送迎用の駐車場の近くにある広場までくると、俺は携帯を取り出した。

 すると、画面を操作するよりも先に携帯が震える。表示された名前を見て、おお、と感嘆の声を漏らし、通話ボタンを押し耳にあてる。

 「グッドタイミング。すぐ行くわ」

 俺が言葉を発するより先にそれだけ伝えられて、通話は途切れた。

 辺りを見渡すと、街頭でライトアップされた公園の人ごみの中、こちらに手を振りながら走り寄ってくる人影があった。

 久々の再開に嬉しくなって、俺も歩み寄る。

 「久しぶりー!元気そうじゃん!」

 林田さんはそう言って、昔と変わらない笑顔でさわやかに笑った。





 「では、今年も仕事お疲れさまーってことで。乾杯!」

 「か、乾杯」

 控えめに持ち上げたグラスと、積極的に突き出された宮下さんのグラスがぶつかり、軽い音を立てる。宮下さんはすぐにグラスのビールを煽り、ぷはーっ!盛大に息を吐いた。私は飲もうと口元までもっていったけど、結局机に下ろしてしまう。お酒は好きだけど、あんまりビールは好きじゃなかった。ならなんで手元にあるかというと、宮下さんが頼んだからだ。『とりあえずビール』悪しき風習だと思う。私はその時に飲みたいものを飲みたい派だった。

 そんなことなどつゆとも知らず、宮下さんは上機嫌に語る。

 「いやー!仕事終わりのビールってやっぱ格別だよね。今年最後ともなると余計にうまく感じるよ」

 「はは、そうですね」

 散々仕事で板についた愛想笑いを仮面のごとく装着して、調子を合わせる。

 「にしても御子柴さん、いい店知ってたね。魚蔵だっけ?個室の居酒屋って僕初めて来たよ」

 宮下さんが物珍しそうに個室内を見渡す。おすすめを聞かれて、とっさに思いついたのがこの店だった。普段滅多に外食をしない私にとって、おすすめと言えるほど印象に残っているのはここだけだった。

 その印象も、どちらかというと店以外の要因が強いけど。

 「前に何度か来たことがあって」

 「へえー。友達と?」

 「………はい」

 友達。友達だった、かな。私にあの人の友達を名乗る資格はない。

 「普通の居酒屋よりあんまり外の声も気にならないし、二人だけの空間って感じだよね。気にいっちゃったな。次も、ここにしようか」

 え、次があるの?と思いつつ、あはは、と力なく笑ってごまかす。できれば来年からは遠慮したい。

 嫌いってほどじゃないけど、宮下さんのことは苦手だ。今日みたいに食事に誘ってくるのもそうだけど、露骨に私を贔屓してくる。今年私が転属になって今の部署に来てからずっとだ。仕事でなんか、たとえ私がミスをしても決して叱らず、「大丈夫、僕がやっておくから」とか「御子柴さんは何も悪くない。僕の指示がいけなかったんだ」と擁護しかしない。叱られたいわけじゃないけど、私としては何がだめだった、どうするべきだった、次はこうするべきだと言ってもらえないのはもやっとする。非があるのなら指摘してほしいのに、彼はそれをしてくれず、私を甘やかす。

 総じて、優しさが度を越している気がして苦手だった。どうにも彼は、私から頼れるリーダーとして見られたがっている節がある。あとは、恋愛感情もあるのかなと思っていたり。他の子には私ほど甘やかしてはいないみたいだし。

 「御子柴さん。何食べる?じゃんじゃん頼んでよ。奢るから」

 宮下さんが、メニュー表をパラパラとめくりながら言う。あまり奢る奢る言われると頼みづらい。

 「えっと、じゃあチーズ揚げを」

 私が自分の好物を上げると、宮下さんは茶化すように笑った。

 「でた、御子柴さんが遠慮してるときに必ず言うやつ。ほんとに心配性だなあ。なんなら財布の中見せようか?もっと肉とか魚とかにしなよ。チーズなんて腹に溜まんないよ」

 「あ、でも………」

 「食べたいもの好きに頼んでくれていいんだって。あ、これなんてどう?刺身の盛り合わせの特上。おいしそうじゃない?ここって魚蔵ってくらいだから魚がうまいんでしょ?」

 「はあ、じゃあそれで」

 「おっけー。ならあとはこれとこれと………」

 宮下さんは私に聞いておきながら自分で決めて、ふすまを開けて店員を呼び止めた。読み上げられる料理の中に、もちろんチーズ揚げは入っていない。宮下さんは、私がチーズ揚げを頼もうとするのは、自分に遠慮しているからだと思っているようで、何度私が好きなのだと誤解を解こうとしても、それすら遠慮と捉えてしまい、聞く耳を持たなかった。おかげで、私には、せめて好物を食べて仕事の延長戦を乗り切ろうとすることさえ許されなかった。本人にとっては親切のつもりだろうけど、余計なお世話だ。

 飲み会、居酒屋は好きだけど、やっぱり宮下さんとだと気疲ればかりで楽しくない。

 あの人との飲み会は、楽しかったなあ。

 ポケットから携帯をこっそり取り出し、ロックを解除して待ち受け画面を見る。そこには、私の未練の塊が残っていた。

 私が彼に抱きついている写真。水族館に行った時に撮ってもらったものだ。その日の夜に待ち受けに設定して、今なおそのままでいる。どれだけ彼のことを諦めようとしても、諦められず、断ち切るために変えようとしても変えられなかった。友達の資格がないと言いながら、私は彼との関係が終わったことを認めたくなかった。

 あれから三年。彼は今どうしているだろう。確か異動は三年だったはずだから、もしかしたらもうこっちに帰ってきているかもしれない。

 メールくるかな。電話くるかな。

 くるわけないか。きっと忘れてる。急にメールも電話もしなくなって、引っ越し前夜にくれたメールにもそっけない返事をしてしまった私のことなんて。

 「いやあ、参った。店員が新人で、注文に手間取っちゃった。ん?どうかした」

 ふすまを閉じて定位置に戻った宮下さんが携帯に視線を落とした私を見る。

 「なんでもないです」

 さっとポケットにしまい、取り繕うようにビールを一口飲む。

 うえ、やっぱりおいしくない。

 今日はついてないな。

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